蘭(9)と竜胆(8)に子孫繁栄を教わる話
こどもの日の話
「ナマエー。兄ちゃんいる?」
本日二人目となる突然の訪問者は、玄関のドアの隙間からまんまる眼鏡をかけた小さなお顔だけをこちらに突っ込んで、きょろきょろと辺りを窺っている。いつもに比べて数倍静かな態度をみせる彼は、きっと彼の探す兄ちゃんに後ろめたさを抱えているとみた。
「いるけど、静かにね?」
シーって唇の前で人差し指を立てながら伝えると、私の言葉を聞いた竜ちゃんがほうっと息を吐いてから頷いた。
いつもなら勢いよく開け放つ玄関のドアも、今日はいやに丁寧に開け閉めする竜ちゃんを部屋の中へと招き入れる。
竜ちゃんよりもだいぶ早くウチにやってきた蘭ちゃんは既に私のベッドでお昼寝中だ。いつも一緒の仲良し兄弟が個々にウチに顔を出すなんて、兄弟に何かヒミツがある時か兄弟喧嘩をした時のいずれか。今日は後者。今そこで不貞寝している蘭ちゃんはウチに来るや否や、このゴールデンウイーク中に積もりに積もった弟への怒りを私にぶちまけた。それは一つ一つが私からしてみれば全く怒る理由を見つけられない些細な事ばかりだった。そんな小さな事で腹を立てている小さな体が可愛らしくて、微笑ましくお話を聞いていた私へ最後の最後に「なーにニヤニヤしてんだよ、どブス」と悪態をついた蘭ちゃんは、大きなため息を吐いてからなんの断りもなく私のベッドに入っていった。
そしてすぐに不貞寝から始まった蘭ちゃんのお昼寝はかれこれ小一時間が過ぎている。そろそろ起きるかもしれないけれど、起こされる事が嫌いな彼をわざわざ起こす気は、私には無かったりする。
部屋の中を進んでゆく小さな背中を追いかけてゆくと、ベッドの上のお布団がこんもり丸くなっている事に気付いたらしい竜ちゃんが、さらに足音を立てないようにそっと抜き足差し足となった。明らかに蘭ちゃんに気をつかえるようになった竜ちゃんに、少しの成長を感じながら竜ちゃんの後ろをついてゆき、二人並んで小さなソファに座った。小さいとはいえ。私と竜ちゃんと蘭ちゃんなら三人でなんとか座れるサイズ感のソファに、お兄ちゃん一人分のスペースを開けた竜ちゃんが、目の前のローテーブルに小さな紙袋を置いた。
「なあに。これ?」
「ババアが、ナマエにって」
「ババアじゃなくてママね」
「ナマエもババアって言ったじゃん」
ニシシっと歯を見せて笑う竜ちゃんはまんまるなレンズの眼鏡の向こうで蘭ちゃんとおんなじ色した綺麗な瞳を細めてる。
「それは竜ちゃんが……」
先月、小学三年生になって生意気が過ぎてきた竜ちゃんに言い返そうとした言葉を途中で飲み込む。口が達者な蘭ちゃんに負けず劣らず私を丸めこもうとしてくるようになった彼に説明したところで同じ事の繰り返しだ。
彼らが褒められない事とわかってて母親をババアと呼ぶのは、それを毎度訂正する私を楽しんでいるだけだもの。
「ママからのお土産なんて嬉しいなぁ♡」
気を取り直して、竜ちゃんが持ってきた紙袋へと手を伸ばす。予想よりずしりと重たく感じられた中身を取り出してみると、透明のプラのパックの中に緑色の鮮やかな葉っぱに包まれた白いお餅が三つ並んでいる。
「かしわ餅じゃない。そうか、こどもの日だもんね」
「こどもの日になんでこんな餅なんだよ。オレ、ケーキのがいい」
ぷーっと頬を膨らませてみせる竜ちゃんの気持ちはわからなくもない。ケーキは美味しい。でも、かしわ餅も美味しい。
「こどもの日にママが持たせる位だから、なんか縁起が良いんだと思うよ。私はそういう難しい事はわかんないけどさー」
「ナマエ大人のくせになんも知らねーんだな。カシワの葉っぱはシソンハンエーなんだよ」
「なにそれ。竜ちゃん、すごい!ものしりー♡」
素直に褒めてあげると、鼻を鳴らして自信満々に胸を張る竜ちゃんが可愛い。
「ソレ、朝ジジイが言ってたヤツじゃん。ばか竜胆のパクり野郎」
むくりとベッドから起き上がった蘭ちゃんが、ぐしゃっとなった長い前髪をかきあげながら言った。
あーあ。またそういう言い方するから、兄弟喧嘩が始まりそう。
「うるせー。兄ちゃんだって兄ちゃんのくせにお昼寝とか赤ちゃんみてー!はっずかし」
「はぁ?テメェこそ赤ちゃんのくせに馬鹿言ってんじゃねーよ。表出ろ!」
いやいやいや、小学生の兄弟喧嘩なんて可愛いものじゃない惨状が目の前で始まってしまった。これを止める?私に止められる予感がしない状況を眺めながら、かしわ餅の入ったパックをテーブルの上に置いて開く。
「シソンハンエーのためにかしわ餅食べたいんだけど、足が痺れてお皿取りに行けなくなっちゃったぁ。お手伝いしてくれる優しいオニーサンどこかなー♡」
「オレ!オレ、お皿取ってくる!ナマエはいいこにそこで待ってろよ」
急にぴょこぴょこ飛び跳ねてからお皿を取りにキッチンへ竜ちゃんが駆け出す。
「竜ちゃん、ありがとー♡」
優しく頼もしい小さな背中に声をかけていると、ぎしっと小さなソファが揺れた。
「ほんっと、オマエもよくやるよなー」
私の魂胆も、それに騙されちゃうであろう弟も、全てお見通しって顔した蘭ちゃんが私の隣に座った。そして目に入りそうな前髪をなんだか可愛らしいピンでパッチンと止める。
「お褒めに預かり光栄です♡蘭ちゃんも食べるでしょ?シソンハンエー」
「もちろん」
足が痺れて動けない私の代わりにキッチンからお皿を運んできてくれた優しいオニーサンの手には、揃いの皿が三枚。
生意気盛りの喧嘩っ早い男子小学生だって、ほら、本心は、ね。そういう事だ。
今日も灰谷兄弟に挟まれて美味しいオヤツの時間になりそうです。