ピンクと赤と

 夜中の着信なんてだいたい蘭からなんだけど、今日は蘭じゃなかった。
「……りんど?」
 半分寝ぼけたまま握りしめた携帯電話。
『ナマエ、兄ちゃんが大変。直ぐに来て』
 携帯電話の向こうから聞こえたのはやはり蘭ではなくて竜胆の声。蘭が大変だなんて言われてしまえば、微睡の中でも胸がザワザワとざわめき立つ。
「らん?」
『なんか、ビョーキみたくて苦しそうなんだけど、俺もー酔っ払っててマジ無理だから助けてよ』
 信じられないカミングアウトにびっくりして飛び起きた。さっきまでの微睡みなんてどこにもない。
「え、病気?」
 蘭が「病気」だなんて言われてしまえば居ても立っても居られないわけで、ベッドの上に起き上がり私はパジャマのまま携帯電話を片手にベッドから降りた。
『とにかくお願い。俺めっちゃ吐いててトイレから出れないから兄ちゃんの事頼むよ。エレベーター上がればすぐ来れるだろ?』
「うん。行くね?」
 竜胆の言う通り、竜胆と蘭が二人暮らしをしている部屋はウチのマンションの上の階にある。
 とにかく蘭が心配な私は、パジャマのままサンダルを引っ掛けて家を出た。マンションのエレベーターホールへと向かう最中、どんどん鼓動が早くなる。
 竜胆は酔っ払ってまたトイレに籠ってるみたいだけど、蘭の病気については何も聞かされていない。ただの風邪でお熱が出ちゃってとかならまだしも、なんかすごく重大な病気だったらどうしよう。エレベーターがたどり着き、彼らの部屋へと向かう間、不安な気持ちはどんどん膨れ上がってゆく。二人が住む部屋の前に来る頃には、不安が緊張に代わり指先を冷やした。
 あんなに慌てて電話してくれたんだから、鍵開いてるかな?という僅かな期待を胸にドアノブに手をかけた。
 ドアノブは傾いて、重たい扉を引くと、ドアが開く。
 玄関にはピンク色した花びらがいくつも散らばっていた。
 竜胆がまたパーティでもしたのかな?ちゃんとお片付けしないとダメじゃない。でも、今はお片付けよりも蘭が心配だ。具合が悪いのなら部屋で寝ているのかもしれないと予想して、蘭の部屋へと向かう。蘭の部屋のドアをノックをしてみても反応はない。
「蘭?大丈夫?」
 声さえ聞けば蘭は私だって分かる自信があるから、声をかけながら蘭の部屋のドアをそっと開いた。そこにはやはり蘭が居て、蘭の部屋にも淡いピンク色した花びらが散らばっている。それは蘭が横たわるベッド周りに近づく程沢山散らばっている。可愛い色した花びらに重なる、蘭の花も落っこちていた。
 淡いピンク色した蘭の花。
 それは蘭の部屋にはとても不釣り合いだけど、蘭の花はとても綺麗。
「蘭?具合悪いの?お熱ある?」
 声をかけながら蘭に近づく私に気づいたらしい。蘭が、ベッドの上で寝返りを打ちこちらを見た。思っていたほど顔色は悪くないのが見て取れて、安心しちゃう。
「オマエ、なんで?」
「竜胆から、蘭が病気ってさっき電話あって……」
「なんだよそれ。別に、病気なんかじゃねーからさっさと帰れよ」
「蘭?」
「せっかく美人と楽しく飲んで帰ってきたのに、ナマエの顔なんか見てたら具合悪くなりそーだから帰れって言ってんのっ……っぐ、……うっ」
 いつもの様な悪態を吐く蘭が、苦しそうに嘔吐いてる。やっぱり具合悪いんじゃない。
「蘭、苦しいなら吐いちゃったら楽になるかもよ」
「こっち来んなっ……くっ、ぅ、ぇえっ」
 口元に両手を持っていった蘭の手元からはらりと舞い落ちる淡いピンク色した蘭の花。それを目の当たりにした私の思考は停止する。
 そんな、そんな事ってある?
 竜胆と笑い合って読んでた週刊誌の記事の、都市伝説のような病気の話。なんだっけ?詳しい事は覚えていないけど、片思いを拗らせちゃうとお花を吐いちゃうっていう病気の話。
 片思いの相手に伝えられない気持ちをお花に代えて吐き出せるなんて、すごくすごく羨ましい病気だなって思ったからそこだけ覚えてる。
 私の実る事なんてない初恋を、お花に代えて吐き出す為には私もこの病気に伝染したい。
 お花。このお花に触れたら、移るんだっけ?
 半信半疑のまま、蘭が吐いた花びらに触れようとその場に膝を折った。
「やめろ、触んな!」
 声を荒立てる蘭。このさいなら、またぶたれてもいいから、蘭の静止は無視して、蘭が吐いたのであろう淡いピンク色した蘭の花に手を伸ばした。
「サプライズの準備中だったのかな?こんな可愛いお花がたくさんのベッドなんて、今度の女の子も喜ぶね。薔薇の花ならテレビで見た事あるけど、蘭の花なんてとても蘭らしいじゃない」
 心にもない褒め言葉を、蘭に向ける。今まで彼の近くでたくさんの女の子を見て来た。私が羨望の視線を向け続けた彼女達は、私に哀れみの視線を落として蘭の隣に並ぶんだ。今度はどんなに素敵な女の子がやって来るのだろう。あの蘭が片思いをしてしまうなんて、きっと、とんでもなく素敵な子なんだろう。
 掌にそっと掬い上げた蘭の花は、私が好きなピンク色をしている。これ、ひとつだけでいい、私も欲しい。そして、ひとつだけ、私も私のお花を吐いてみたい。
「もー、邪魔しちゃ悪いから帰るね。竜胆に、酔っぱらってイタズラで呼び出すのヤメテって……っう、……ぷぅ、ぇええっ」
 竜胆への文句を伝えてる途中で、急にお腹の中から湧き上がってくるもの。それは、私がずっと胸の内に秘めてきた蘭への恋心。蘭は今きっと初めての片思いに苦しんでいるのだろうけど、私はもう十数年もの間、蘭に片思いをしている。この拗らせ加減は、蘭なんか私の足元にも及ばないだろう。そんな私の口から出てきた花は、皮肉にも真っ赤な花びらの胡蝶蘭の花だった。
 吐いた花まで蘭の花なんて拗らせきっているなと、自嘲の念を抱いて抱きしめた二つの胡蝶蘭。蘭のピンクと、私の赤が並んでる。私達の恋の花も似ていたのに、私の初恋はもう行き場を失くしている。
 私がこの花を吐かなくなる時なんて、来るのだろうか?

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