マジックサマー
 

「あっつ…」

ルイスの夏は暑い。中でもここ最近は猛暑日が続きシノはバテていた。

拭っても拭っても滴る汗に、髪が束になって額やこめかみ、うなじに張り付く。冷たいシャワーも浴びたばかりだと言うのに体はもう熱を籠めている。冷たい水はさっき飲み干したばかり。とにかくシノはこの暑さにうんざりしていた。

「フェン、フェン!…消えたか」

それはソーも同じであった。氷雪を司る大狼の精霊フェンリルの幼生を使い魔にするソーは連日の猛暑で冷房代わりにフェンリルを酷使していた。

無限魔力保持アンド製造機なシノとは違って、ソーの体内に流れる魔力量は魔力保持者の中で平均以上ではあるものの無限ではない。

召喚主から使い魔の間で流れる魔力は常に一方通行で、フェンリルに魔法を使わせて涼を得れば得るほどいつかソーの魔力にガス欠が訪れる。

体という器を持たない精霊は、剥き出しの魔力が輪郭をなぞっているようなもので、主人の魔力が底を尽きて尚、魔法を発動しようとすれば今度は自らの身を削って魔力を放出することになる。
そうして精霊自らの魔力もカラになった時、イコールそれは消滅してしまう時だ。寿命を持たない精霊にとってそれは死と同義である。

フェンリルはそうなる前に召喚の維持を切ったのだ。連日、フェンリルを冷房扱いしていたツケが回ったのである。

対してケット・シーの主人、無限魔力保持アンド製造機のシノが魔力切れのガス欠を起こしたことは一度も無い為、ケット・シーがそれを理由に召喚の維持を切ったことは無い。

「ソーってば精霊使いが荒いよ。フェンリルがかわいそう」
「…暑いからしゃあねえだろ」

ソーという男はシノ以外の人間はもちろん、精霊にも無関心で冷たい男であった。

ソファに項垂れていたシノの隣へ冷え切っていない水を入れたカップを持ったソーが腰をかける。

「…いいこと閃いた。シノ、これ魔法で冷やしてみろよ」
「ええ!どうやって!だめだよ、無理だよ、できっこないよ」
「いいから。水と風の魔法を応用して氷を作るだけだ」

簡単に言ってくれる。
咄嗟の難問にシノは茹で上がった頭を抱えた。

ソーは水魔法と風魔法を応用した氷を操る魔法を得意とする。これは圧倒的魔法センスを持ち合わせているから成せるもので、誰でも彼でも出来るものでもない。果たしてルイスにソーほど氷魔法を使える人間がいるのかどうかも怪しいところ。
ましてやシノはただ尋常じゃない量の魔力を蓄えているだけであって、センスがあるわけではない。あれば今頃Fクラスにはいないだろう。ソーはもちろん異例だが。

「だから、氷魔法って言うのは…」

それからソーの特別授業が始まり、なんとなく氷魔法の仕組みを知ったシノ。

安定した水魔法の発動、そこに風魔法で調整を加え氷を形成していく。さらにソーなら氷の形成過程で自分の思うような形に形成する事も可能だ。

「むむむ…、湧き上がる生命の水よ、舞い踊り吹く風よ、我に力を貸したまえ」

シノが詠唱を何度も唱えるも、なにも起きなかったり、やっと出来たと思えば米粒サイズの氷とも呼べない結晶が出来たり。なかなか一筋縄ではいかない。

「むずかしい…。俺、単体でも滅多に成功しないのに。やっぱ無理だよ、ソーがやって見せてよ」
「だから俺はガス欠なんだって」

ただでさえ魔法実技の成績は下級生より下かもしれないシノ。せっかくの魔力量、まさに宝の持ち腐れだ。しかし、これだけ何度も詠唱を繰り返しているのにも関わらず魔力切れどころかバテさえしないのにはソーも感服していた。

「あ」

そうだとシノが閃き声を上げた。
初めてシノがソーと出会った日、“詠唱だけで魔法が発動できなかった時は精霊に力を貸してもらうんだ”と目の前にいる恋人が教えてくれた。

そしてシノが今いるのは上位の大精霊フェンリルとフェンリルに従えるとされる下位の精霊フラウをモチーフに建築された氷のフェンリル寮、通称F寮。偉大な魔力保持者が精霊たちの恩恵を受け、建築に携わったと聞く。

「氷の大精霊フェンリル、雪の乙女フラウ、どうかぜひ俺に力を貸してください」

彼らがここにいるかどうかは分からない。しかしいつかの日のように、精霊シルフの力を借りて苗から一気に大木へ成長させた時みたくシノは力を貸してもらえないか、“お願い”する事にしたのだ。

ひょこり、シノの両手に握られたカップから水が不自然な飛沫をあげる。

《オネガイきいたら、ワタシたちのオネガイもきいてくれル?》
《ワタシたち、アナタの魔力がホシイ》
《チョットでイイのヨ!わけてくれルなら、ちからをかすワ!》

ぴちょんぴちょんといくつもの飛沫が声を上げた。

「ソー、この声聞こえる?」
「ああ、聞こえてる…」

2人は驚きに顔を合わせた。シノの問いかけに精霊が反応したのだ。
恐らくこの飛沫は知能の高い人型の精霊。彼らはシノとケット・シーの主従契約とはまた違う、対等な契約を結ぼうとしているのだ。

「んー…じゃあ、俺の魔力でよかったら」

《ホントに?アリガト!》
《アリガト!アリガト!》

カップの中から溢れんばかりの勢いでビチャビチャと上がる飛沫たち。その中の一滴がぴちょん、とシノの鼻の頭に触れた。

「わ!」

声を上げたのはシノだった。
最初にシノに触れた一滴を合図に水たちが氷の結晶でできた花かんむりをかぶり、淡い水色のワンピースに身を包んだ愛らしい手のひらサイズの女型のフェアリーに変わっていく。その数は指で数えても追いつかない。

いや、彼女たちは元からそこにいた。恐らくなんらかの原因で魔力を使用して人間の目では目視出来ないほど小さく小さくなって消滅しかけていたのだ。そこにシノが魔力を分け与えるという契約を結んだ事で彼女たちは本来の姿を取り戻した。五十…百はいるだろうか。

彼女たち…氷精フラウは乙女の姿で喜びにシノの周りをクルクル回ったり、跳ね回って久方ぶりの体に舞い上がっている様子。

「めっちゃいる…」
「シノは精霊に好かれやすいみたいだな」

フラウたちはそのまま部屋中を駆け回り外にまで飛び出す。
そして驚く事に駆けていったところからフラウたちの後を追いかけるようにパキキ、とカップの中から始まり家具、床、壁、果ては寮中、氷の筋がフラウたちの数だけいくつも走った。

「ちょちょちょ!待って!氷!そんなにいらない!怒られちゃうよ!」
《ダメヨ!等価契約なんだカラ!》

百を超えるフラウたちに魔力を提供し体を与えた事に対して、カップ一杯の水を冷たく冷やすだけなんて割りに合わない。例えシノが断っても彼女たちが譲らないだろう。

無造作に部屋中、寮中を走る数多の氷のライン。確かに冷房要らずで夏とは思えないほど一気に涼しくなった。

「うわぁ…うわぁ…すごいけど…綺麗だけど…どうしよう…!!」

いつかの旧広場のシノの魔力で一気に育った大木は誰にも知られず、誰にも迷惑をかけることがなかったが今回は違う。

F寮で暮らす生徒はたくさんいる。そして彼らの口から他の寮生や先生達に話が回るのも時間の問題だ。あの落ちこぼれがやらかした、と。

そんな事も御構い無し、どこ吹く風の、暑さの飛んだおかげで機嫌の良くなったソーが笑う隣で、シノは感動と困惑に大忙しだった。

「どうもこうも、こういう契約結んだんだから。フラウたちが落ち着くまでは見てるしかねえだろ」
《アナタの魔力すごいネ!》
《力がすっごく湧いてくル!》

フラウによって生み出された氷はこの夏、秋を迎えるまで、茹だるような暑さを持ってしても、如何なる魔法を持ってしても、決して溶けることが無かった。
これが後に語り継がれるルイスの、真夏のF寮氷漬け事件である。





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