日常その一
 

暑い暑い夏。
ミンミンジンジンうるさい蝉の鳴き声、拭っても拭っても流れる汗、暑い中外で騒がしく遊ぶクソガキ共の悲鳴にも似た叫び声、全てが俺をイラつかせている。俺の愛すべきクーラーちゃんは昨日ご臨終してしまわれたことがトドメだ。

そして今俺は何が悲しいのかベッドの上で男と寝ている。別に厭らしい意味はない。
俺の腕を枕にして俺の腹筋に腕を回し、太ももに足を絡めてがっつりホールドして気持ち良さそうに眠る男のせいで余計暑くてそれにも若干イライラ。

「いろは、起きろ、離れろ、暑い」

俺の胸にくっつく頭を手で押しやる。ボサボサの髪は触れば意外と柔らかい。いろははんーんーと引っぺがそうとする俺に抵抗してさらに顔を俺の胸に押し付ける。

……かわいいけど、仕草はかわいいけど。
いい加減俺も暑くて死ぬ。もう五時間もこの体勢なのだ。朝の七時に突然うちに押しかけてきたと思ったら一緒に寝て、と俺に抱きついてきた。
こいつが女なら速攻ベッドに連れて行ってやるのだが残念ながら男。仕草がいくら可愛かろうが男なのである。
パーマか寝癖か知らないがボサボサの長い髪はいろはの目元を全て隠し、病的なまでに白い肌と痩せ細った体は強く掴むと今にも折れそう。色白を通り越してこいつはいつも顔面蒼白だ。

あらあ、またいろは君来たのねえ。と呑気に笑う母さん。
早く部屋へ連れて行って寝かせてあげなさい。とリビングで一服している父さん。
いろは君また痩せたんじゃない。と俺の胸の中のいろはの顔を覗き込む弟。

こんな時間にアポなしで突然やって来たいろはを咎めるものがうちの家族に誰もいないのは、みんなこいつの不運な事情を知っているからだ。

なんと、いろはには幽霊っていうものが見えるらしい。ただ見えるだけではなく会話も出来るそうなのだ。
その特異な体質からいろはは幽霊たちに付け狙われているらしい。どいつもこいつも生きた人間と会話したい傍迷惑な奴らばかりなようで、人一倍ビビりのいろはは毎日毎日恐怖に夜も眠れない。高校に入学して初めて出会った時のこいつは目の下にパンダのようなクマを作って今にも倒れそうなほどヒョロヒョロのフラフラだった。

だが、俺がそばにいると恐ろしい形相をした幽霊たちがいろはの目の前に現れることはないらしく、二日三日に一度、俺を布団がわりにしにやって来るのだ。
高一の四月に授業をサボる為、仮病を使って保健室で寝ていたらいつの間にか俺のベッドにこいつが潜り込んで寝ていたのが始まりである。

「なみ君がそばにいると何でか幽霊寄って来ないんだ。なみ君は俺専用の効果抜群の御守りだよう、持ち運ぶにはでかすぎるけど」といろははよく言う。
そりゃあ俺といろはの身長差は二十センチある。横幅だってガチガチに鍛えている俺と薄っぺらのいろはじゃ比べ物にならない。

「なみくん、んう」

俺の名前は七生と書いて「ななみ」と呼ぶ。それを舌足らずに「なみ」と呼ぶのはいろはだけだ。今も寝ぼけながら人の名前を呼んでもぞもぞと寝姿を変える。だけど絶対俺からは離れない。終いには仰向きで寝転がる俺の真上に乗り上げて俺を押し倒し抱きしめるように寝る。

こいつ本当は起きてんじゃねえかと思うこともあるのだが、いろはは残念ながら本当に寝ている。この体勢のまま、前に丸半日一度も目を覚まさず俺の上で寝たことがあるのだ。こんな軽い男に乗られて苦しいと思うような柔な鍛え方はしていないがその日は特に何もせず無駄な一日を過ごした。今日もそうする訳にはいかない。

俺には幽霊なんてモノは見えないし、声も聞こえない。だがいろはがそんなモノのせいで今まで苦労して来たのは知っている。だから寝かせてやりたい気持ちもあるが、俺の都合だってあるのだ。ここは心を鬼にしていろはを起こす。

「おい、いろは、起きろ。いい加減起きないと怒るぞ」
「ん゛ー」

ゆさゆさと俺に乗っかるいろはの肩をわりと強めの力で揺らす。
寝起きの悪いいろははそれに強く抵抗してさらに俺に抱き着く力を強める。

「おねがいい、あとちょっと寝かせてえ…」

むにゃむにゃ俺の首元でそう囁くように呟いたいろはは、ゆったりとした動きで両手を俺の頬を挟むように添えるとそのまま口付けてきた。色気もなにもない触れるだけの子どもみたいなキスだ。

いろははキスをすれば大抵のお願いが叶うと思っているようで、よくこうやって俺にキスをする。聞くところによるとこれは無差別らしくお願いの時は誰にでもキスをするなんとも迷惑な困ったちゃんだ。

「あーもう、くそっ」

しかし一番の困ったちゃんはそんないろはをついつい甘やかして起こせない俺なのである。
真上に乗るいろはの頬を挟み返して俺から噛み付くようなキスをする。

「んふ、ありがとお」

いろはのお願いのキスの返事はいつも言葉ではなくキスだ。俺からのキスはイエスの合図というのが俺といろはの中のルール。いろはのお願いに俺はノーを返せた試しはなく、いろはもそれを分かってお願いする。俺からしてみれば見えない幽霊なんかより、平凡で地味な顔のヒョロガリの癖していちいち仕草が可愛いいろはの方が恐ろしい。

俺はいろはを抱え直して抱き枕よろしく二度寝することに決めた。




……

付き合ってはいない。





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