非日常その一
 

赤子の時から俺はよく泣く子だった。
母さんが言うにはお腹が空いているようでも、排泄したので泣いているようでもなかった。
何もないところを見つめて突然泣き出す、そんなことが日に何度もあって母は苦労したと俺が言葉を喋れるようになってからは幾度となく聞かされた。
しかし俺は俺が何故そんなにたくさん泣いていたのか知っている。赤子だった俺には幽霊が見えていたのだ。

物心ついて初めて見たのが同じ歳くらいの男の子の幽霊だった。
公園の砂場で一人で遊んでいた時、一緒に遊ぼうと声をかけられた。断る理由もなく一緒に遊ぼうと返事した。するとじゃあこっち来て、と手を引いて俺をどこかへ連れて行こうとするその男の子に従って後をついていった。だんだん歩いていく内に見たこともないような無人の道を子ども二人で歩いていた。
どこに行ってるの、こんなところ来たらお母さんに怒られるよ、何度も訴えたがその子は無視して俺を引っ張って歩き続けた。
無視されてムッとなった俺はその子の肩を掴んで強引に振り向かせた。

焼け爛れた顔面にヨーヨーのようにぶら下がる眼球、唇の皮は全て溶け剥がれて顎と首は皮膚が伸びてくっ付いて繋がってしまっている。
それはそれは恐ろしい形相だった。俺の手首を掴む顔と同じく焼け爛れた手を振り払い俺は必死になって無我夢中で逃げた。
後日、公園の近くの家が昔大火事に遭って子どもが一人死亡する事故があったと知った。
その子が俺をどこに連れて行きたかったかは分からないが、それが俺の覚えている限りの一番古い恐怖体験だ。
それから小学校中学校と俺は日々そんな恐怖体験に頻繁に遭うようになった。




高校生になっても俺の特異体質は治るわけもなく、毎日幽霊たちに悩まされていた。
幽霊たちは幽霊が見える俺と話したい、遊びたいというのが殆どだった。相手してやればいいじゃないか、と思う人だっているかもしれない。しかし悍ましい姿をした幽霊に毎日毎日追いかけられる俺の気持ちにもなって欲しい。気が気じゃなくなる。

眠ると待ってましたと言わんばかりに無意識状態の俺の体を乗っ取ろうとする幽霊たちのせいで寝不足は当たり前、ご飯もまともに食べられない毎日で俺はいつか幽霊に殺されるんじゃないかとまで思った。
そんな俺の前に、救世主が現れた。

高校一年の四月半ば、俺はこの時には既に保健室の常連になっていた。
いつもの窓際のベッドで仮眠でもとろうと仕切り用のカーテンを開ければ既に先客が眠っていた。

仕方ない、他のベッドへ行くしかないかあとカーテンを再び開ければ頭からだらだらどす黒い血を流し続ける女生徒幽霊がニヤリと俺の目を見て微笑んでいた。

(っぎゃぁぁぁああああっ)

なんとか悲鳴は心の中に留めることが出来たが心臓は持たない。カーテンを勢いよく締め直し人が寝ているのにも構わずベッドへ飛び込んだ。布団を巻き込み被って小さい窮屈なベッドの中で眠っていた先客に抱きつく。

女子だったらまずいなあ、怖い先輩だったらヤバいなあ、普段なら冷静な思考で判断出来たはずだが、そんなこと考える余裕もなかった。とにかく幽霊を俺の視界に入れないよう声を聞かないようとするのに必死で、ベッドの先客の温かい背中にしがみ付いて縋った。




ーーーい、おい
「んーう、んん」
ーーーきろ、ーーろって、
「ゃ、んぅ…なにぃ…」
「おい、起きろ!」
「はっ!」

夢の中でチョコケーキを食べながら緑豊かな野原を青空の下気持ち良く走っていたところ、男特有の低い声に起こされた。割と大きな声で起こされて吃驚したせいで寝起きの心臓がバクバクとうるさい。

目の前には俺を怪訝な表情で覗き込むイケメンが一人。同じクラスの藤崎君だ。
ワイルドな顔立ちに、こげ茶に近い茶色に染められた髪、高身長で学校中女子から大人気の奴。

「お前、同じクラスの宮古だろ?なんで俺のベッドで寝てたん?起きたら俺にひっついて寝てるからビビった」
「ご、ごめん!ちょっと事情が…っ。…てか、俺寝ながらなんか変な事してた?!」

俺が誰が寝ているかも知らずに潜り込んだベッドの先客は藤崎君だったのだ。
しかし問題はそこではなく、藤崎君が言うには俺は寝てたらしい。いや、らしいじゃなくて寝た。しっかり意味のわからない夢を見て俺の記憶のある限り初めてと言えるほど爆睡してた。

これだけ寝ていたなら幽霊たちは喜んで俺の体を乗っ取りに来るはずだけど…、

「勝手に人のベッドに割り込んできてるあたり既に変だけど…かなり気持ち良さそうに寝てた」

と、藤崎君はそう言った。
狭いベッドの中で、シーツに肘をつき頭をその手に乗せて俺の方を向きながら。
この体勢と藤崎君との距離の近さに恥じらいを感じつつも俺の気持ちは初めて幽霊に乗っ取られないで寝れて嬉しい気持ちでいっぱいだった。

「てか俺もう帰るけど、宮古は?」
「教室に?今何限目か分かる?次どこの教室だっけ」
「なにいってんだよ、もう放課後。家に帰るよ」
「えっ、うそ?!」
「嘘じゃねーよ」

ほら、と差し出された藤崎君のスマートフォンを見れば四時を過ぎている。しっかり放課後だ。確か俺が保健室に来たのは二限目の終わりくらいなのに…。六時間くらい寝てたのか、一度も起きずにこんな長時間寝れること、本当に初めてだ。



二人で一旦教室に荷物を取りに帰ってからそのまま一緒に帰ることになった。

「…なんか、顔色悪くない?」
「い、いや…そんなことは…」
「家どこ、送ってやるよ」

校門を出てすぐ、こんなやり取りがあったのだ。
前髪は鼻ぐらいまで伸びてるし酷いくせ毛のせいであっちこっちハネ放題だ。親にも顔見えないからその髪やめてと怒られるくらいなのに、藤崎君は俺の顔色をよく見てくれていた。

俺の顔色が悪い理由、それは俺の隣を老女の幽霊がついて来ているからだ。
どす黒い血にまみれた着物に身を包んだお婆さんは絶対に目を合わせようとしない俺と目を合わせようと顔を覗き込み、藤崎君とは反対側隣をついて来る。

なぜ幽霊とはいつもこんなスプラッタな形相をしているのか。

「まじで顔色やべーよ」

そう言って藤崎君がしっかりと俺の顔を覗き込んだと同時、お婆さんも俺としっかり目を合わせてきた。その瞬間、ニヤリと笑って。

「ぎゃあっ!」
「うっ」

俺はみっともない悲鳴を上げて、藤崎君に抱きついた。半ば突進の勢いで抱きついたせいで藤崎君の鳩尾に入って苦しそうな声を上げた。

「ど、どうしたんだ?」
「ああああのゆ、幽霊がぁあ、お婆ちゃんの幽霊がぁああ…あれ?」
「は?え、なに?ユーレイ?」

藤崎君の制服にしがみついたまま顔をあげて説明する。今俺の隣には幽霊がいると指差して視線を恐る恐るそちらにやった。
すると、着物のおばあちゃん幽霊はいなくなっていた。その道には俺と藤崎くんと二人しかいなくなっていたのだ。

「…消えた」

文字通り幽霊が消えた。
いつもならどんな幽霊でもしつこくしつこく俺について来て生前の無念を晴らしたいだとかで愚痴を聞かせてきたり厚かましいお願いをしてくるのに。あっさりそのお婆ちゃん幽霊は消えた。

…藤崎君に触れた瞬間、消えたのだ。
心配そうに頭大丈夫かと声をかけてくれる藤崎君に、今まで真っ暗闇の絶望の中で生きてきた俺にとって生まれて初めて未来への希望の光が見えたのだった。





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