今宵、魔王失脚の時
 

「壺三倍分の闇の精気に猛毒蛇一匹、蝙蝠の羽根を二枚、人の睾丸に山羊の心臓を一つずつ…」

床には大量の本やミミズがはったような文字が殴り書きされたメモが散らばり、魔獣の頭蓋骨がいくつか壁にインテリアとして飾られ、本来本が収納されるべき棚には特殊な液体に漬けられたいろんな種族の内臓がボトルに入ってさも当然のようにそこにある。
いかにも怪しいその木造の小屋は広いはずなのに散らかっているせいでなんとも狭苦しく、窓もない為息苦しい。

その小屋の中心で直径一メートルほどの魔法陣を床に描き、自身を真っ黒のローブで包んだ男がぶつぶつと呟きながら材料を魔法陣の中に放り投げ入れる。
魔法陣に放り込まれたそれらは眩い青白い光を放ちながら飲み込んでゆく。

「ヨレマウヨクゾマ…ヨレマウヨクゾマ…」

全ての材料を放り込み終わり締めに怪しい呪文を繰り返す。
その呪文に応えるかのように魔法陣は一際眩い、周り一面何も見えなくなるほどの光を放った。

数分後、その光が収まり魔法陣を確認するとそこにいたのは素っ裸の男であった。

宇宙を連想させるような真っ黒の髪、そこから生えるのは渦のように伸びた山羊の角。琥珀色の強膜に縦に鋭い楕円形の黒い瞳孔はまるで蛇である。小柄なローブの男の二倍はある体格は大木のように逞しい。

裾を床に引きずるほどのブカブカの黒いローブに身を包んだ男はサフランという名の魔術師である。
と言っても人間ではなく種族で言えば魔族にあたる。しかし身体は人間と大差ない。

そんな魔術師サフランが行ったのは魔族召喚の儀である。
新たなる魔族を生み出し魔王様のお役に立つのだと日々サフランはこうして魔族を召喚しているのだ。…と言ってもそれは建前で本音は報酬目当てである。

「今回は人型か、名前はそうだなあ…あ、バロックにしよう」

悩んだのはたった二秒ほど。
そこらに落ちている本のタイトルを見て決めた。

魔法陣の中で全裸で突っ立っている男に自分の着ていたローブを脱いで被せてやる。
サフランにはサイズが大きすぎて手足も見えないほどだったローブはバロックには少し短いようで裾から褐色の足が膝下から見えていた。

「いいか、お前の名はバロックだ。僕の名はサフラン。僕はお前の生みの親だから、お前は僕の言うことを聞かなきゃいけない。
バロック、お前は今から魔王城に行って魔王様にご挨拶してくるんだ。行けば魔王様がお前に役目を与えてくれる」

サフランの仕事は新しい魔族を召喚、そして生まれたそれを魔王城に誘導することだ。
これまでにも何体もの魔族を魔王様の元へ送っている。
サフランが召喚する魔族はとても優秀な者ばかりでサフランにとってそれは唯一の自慢だった。
それになぜか人型でも獣型でも獣人型でも、皆サフランが召喚するのは美形ばかり。

先日二百年ぶりに魔王に謁見した時サフランは「お主、自分が醜男ゆえ召喚するのは美形ばかりなのか」と嘲笑われてしまったほど。
サフランは醜男だと言うほど醜い容姿はしていないし、特になんの特徴もないどこにでもいそうな平凡顔である。単純に魔王の好みの顔ではないだけだ。

今回そんな魔王を見返すため醜い容姿の魔族を召喚してやろうとこの儀に挑んだ訳だが生まれたのは今まで召喚してきた中でも群を抜いて美形のバロック。
召喚において容姿や性格などは召喚者の意思は反映されないと分かったのがいい収穫だったとサフランは気持ちを切り替えてバロックを見送った。



その日の晩、魔王が治める魔族領に激震が走った。
数多の魔族達の頂点に立つ魔王が何者かに殺されたという。
領地内を何百羽もの魔鴉たちが飛び回り魔族たちに知らせている。一度迷いこめば道を知らぬ者は生きて帰れない魔の森にオンボロ小屋を建てて暮らすサフランの元にも魔鴉が飛んでその号外を知らせに来た。

「なんて事だ!なぜよりにもよって今日なんだ…その話が本当ならバロックはどうなったんだ?!今頃バロックは魔王城に着いて魔王様からお役目を頂いているはずなのに!」

魔族の容姿の美しさと強さは比例する。美しければ美しいほど恐ろしく強いのだ。魔王軍はそれはそれは美形ばかりで人間の国を一人で塵に返すことが出来る者ばかりだと聞く。

バロックはサフランが今まで召喚してきた魔族の中で一番美しい。きっと実力もそれに見合ったものだ。これからきっとたくさん活躍していくことが期待されたのに。そして今回の報酬は今までにないくらいの豪華な報酬をもらえるはずだったのに。

サフランは頭を抱えながら魔族領にしか生息しない毒蛙やら羽虫やらを煮出して作った紫色のドリンクを硬いソファに腰をかけて飲んでいた。

「サフラン!!出てこいサフラン!!」

すると突然ボロ小屋の扉が怒号と共にガンガンとぶち壊す勢いで叩かれた。ノックというには荒すぎるそれにサフランは驚いて飲んでいたドリンクを飲み込めずむせてしまう。

「一体なんだいなんだい喧しいな」
「いるんなら早く開けろ。魔王様がお呼びだ、今すぐ魔王城へ馳せ参じよ」
「どういうことだい、魔王様は死んだんじゃあ…?!」
「いいから黙ってついてこい」

扉を開けた先にいたのは下半身だけ鋼の鎧に身を包んだウルフだ。今は獣人型をとっており大型の狼の姿で二足歩行をしている。凶暴な魔族の中でもさらに凶暴な種族だと恐れられている。
サフランは半ば拉致されるかのように飛行において最速のモンスタードラゴンに乗せられて魔王城へと誘われた。




一刻もしないで連れて来られたのは魔王城、王の間。
部屋を割くように敷かれた赤い金の刺繍が施された敷物は玉座まで続きサフランはそこに跪いていた。

頭を地に下げたサフランの目線の先には変わり果てた魔王が転がっている。死ねば美形も台無しだ。
そして本来魔王が座るべきその玉座にはよく知っている人物が足を組んでサフランを数段高い位置から見下ろしていた。壁に沿うようにズラリと整列する魔王軍の警備兵たちの視線を一斉に浴びながらサフランは口を開いた。

「…僕は、お前に、魔王様の元へ行って、お役目をもらえ、と言ったはずだ。なのに、なぜ、お前は、魔王様を殺しているんだ?!」
「…成り行き」

玉座に座るのは魔王城に見送ったばかりのバロックだった。

全魔族に共通するルールがある。
強い者が頂点に立つ、というモノだ。
そのルールに乗っ取り言うならば、バロックは魔王より強かった。魔王の座が明け渡された今、次の魔王はバロックで決まりなのだ。
ウルフが言った魔王様とはサフランの目の前で血みどろになって死んでいる魔王の事ではなかった。バロックの事を言っていたのだ。

初めて聞く腹に響くその低い声と言葉にサフランはこれからどうしようと悩んだ。
いくらルールがあるとはいえ先代魔王派の魔族がきっとサフランを許しはしないだろう。

きっと僕は魔王暗殺の実行犯を召喚した魔術師として何百年も牢に閉じ込められるのだ。
ああ、どうしよう、

「…王には王妃がいる、サフラン。魔族召喚はやめて、私の妻となりこの国の母となれ」

魔族領からニンゲンの国に亡命して、ニンゲンとして生きていこうかとまで考えた。幸いニンゲンにも魔法使いと呼ばれる人種がいる。今すぐ身支度を整えて出て行こう、と思った矢先の言葉だった。

「…は?なんだって?僕に、この僕に、なんになれって?」
「妻だ。三日後、新たな魔王の姿を見せる為全魔族をこの城に集める。その時、私の隣にいろ」

僕はいつも通り魔族召喚の儀を行っただけだ。
なのに魔王は死んで、僕の息子とも言える召喚したばかりのバロックが魔王になり、しかもこの僕に妻になれだなんて。

事態は大きく早く動きすぎてどこから突っ込めばいいか分からない。
そんな僕の無言を肯定と受け取ったバロックは微笑み、警備兵たちは雄叫びを上げ諸手を挙げて喜んだ。

「魔族は、強い者がより優れているのだろう?私は魔王よりも強い、当然サフランよりも強い。弱い者は強い者の言うことを聞かねばならない。そうだろう、サフラン?」

ああ、どうしよう、
とりあえずたんまり報酬を頂いて今すぐ帰りたい。





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