つごもり
 

「やだ!絶対嫌!行かない!どうしてもって言うならカゲにでも行かせれば?!」
「少し顔を出すだけでいいんだ、駄目か?」
「ぜーったいやだ!おじさん達の相手なんて絶対無理!」

困った子だなと頭を掻く初老の男と、ヒステリックに叫ぶ、少女のような愛らしい顔をした少年。側ではその少年によく似た青年がその一連の流れを見守っていた。

愛らしい顔をした少年は陽光(はるみつ)。家族みんなが待望してやっと生まれた御園家の一人息子だ。初老の男はそんな陽光の父親で、遅くにできた子だからと陽光を溺愛しているため、陽光の我儘を叶えてやらなかった事などこれまで一度もなかった。
今回も例に当てはまる。御園家は数多のファッションやコスメのブランドを複数経営しており、御園家のmsnブランドは世界にも進出するほど有名だった。名の知れた有名な企業とあればそれなりに社交界への招待や付き合いなんかも必然と多くなっていく。
陽光の父親はこれも社会経験の一環と将来msoブランドを継がせるための礎にそう言った場に出て、陽光には慣れてほしいと思っていた。…が、

「ね、パパあ。おねがい」
「困った子だ。…仕方ない、翳。今回もお前が出なさい」
「…はい」

愛息子に甘い声でおねがいされては断れない。陽光の父親は陽光に向けていた優しい声とは変わって命令口調の低い声色でそばにいた陽光そっくりの青年こと翳(かすみ)に声をかけた。陽光が「カゲ」と呼んだのも翳のことだった。翳の字は「カゲ」と読むことも出来るからだ。

「いつもありがと、カゲ」

うるんとした瞳と女と聞き間違うような声の陽光の礼には棘が含まれている。翳はいつだって陽光の代替品。陽の当たらない影のような存在。わざと人をカゲと呼び蔑むところも翳を見下しているからに他ならない。

翳は元々施設育ちだった。両親の記憶はないから物心つく前に父と母に捨てられたのだと認知している。そんな翳が10歳の頃に、自分と顔そっくりの子をつれたおじさんが翳を引き取りたいと施設にやってきた。この二人が陽光とその父親だと翳は後から知るが、二人が施設にやってきたきっかけは「兄が欲しい」なんて馬鹿げた陽光の我儘の為で、それを叶える為に人を一人引き取るなんてさらに馬鹿げてると翳は子供ながらに思っていた。

陽光より歳上で、陽光にそっくりな子供。
そんな都合のいい人間が翳だったから、翳は御園家に養子として引き取られた。

御園家での暮らしは翳にとって息苦しくとても窮屈だった。
しかし翳の帰る場所はここしかない。いつか陽光にもう兄なんていらない、と言われる日が来るまで。一人で生きていく力をつけるまで。陽光親子の言葉には逆らわず、気に入られるよう努力していた。

ずっと、陽の当たらない暗い場所で。




「ようこそお越しくださいました。今夜はぜひお楽しみください」

翳は上等な紺色のスーツに身を包んで陽光の父親の後をついて歩く。陽光が金髪だからと翳もそれに合わせて染めた金の髪を前髪に少しボリュームをもたせてオールバックにすればスーツの色によく映え、美少年だ天使だと称される陽光にそっくりなだけあって、美人な受付嬢らからはじまり、会場内の人々の視線を浴びた。

「翳、私は挨拶回りをしてくるから出来るだけ目立たないよう大人しくしていなさい」
「…はい」

養父の言葉を受けて立食形式のパーティー会場で翳は皿に少しの緑を盛ってちまちま隅っこでぽつんと縮こまりながら食べていた。念の為今日のパーティーに参列している企業の重鎮や幹部、御園家と関わりのある企業の名前やその人らの人柄、経済状況なんかも全て把握してある。いつか陽光がmsoブランドを引き継ぐときのため、翳が陽光を装って人脈づくりをする為だ。

隅にいてもやはり“陽光”は人を引き寄せる顔立ちだから、慣れた様子で翳のもとに訪れた人たちと雑談を交わし“陽光”の株を上げていた。

「陽光も来てたのか。学校ぶり」
「あ…どうも」

ひっきり無しにやってくる客らの相手をするのもいいがこれ以上喋り続けてまた養父に目をつけられるのもな、と翳は早々にバルコニーに出て夜風に当たっていた。そこへやって来て翳に声をかけるのは陽光の学校の先輩。政界や経済界にいくつも名前がある家系の御曹司だ。陽光の学校で、確か生徒会長も務めていたはず。翳は義務教育ではなくなった高校からは学校に通わせてもらっていないから陽光の学校での交友関係を把握するのも一苦労だった。

(確か名前は…)

「雨ノ森(あまのもり)先輩…」
「ああ」

よかった、名前は間違えずに済んだようだ。と翳はほっと胸を撫で下ろした。確か陽光は高等部に上がってから生徒会長のファンクラブに入ったと言っていた。この男があの天使のように美しい陽光も夢中にしたのかと、翳は雨ノ森に品定めする視線を向けた。艶やかな黒髪を翳と同じく全て後ろに流し、整えられた眉に鷲鼻、日本人離れした彫り深い顔立ちと身長の高さは“陽光”よりもこの会場の視線を集めていた。

きっと陽光の事だから彼に対していつもの傍若無人な我儘っぷりは塵も見せずにカマトトぶっているはずだ。

「…雨ノ森先輩が今夜のパーティーにいらっしゃるとは知りませんでした」
「本当は兄が出席するはずだったんだが、体調が優れなかったようでな。その代わりだ」
「そうでしたか」

翳ができる限りの甘い声を出して陽光に似せる。貴方が来ると分かっていたら今夜パーティーに出席していたのは俺じゃなくて陽光だったろうな、と思わず愚痴りたくなる気持ちを翳は飲み込んだ。

「今夜は風が強いな」
「ええ…涼しくてちょうど過ごしやすい気温です」

翳の早くどこかへ行って欲しいという感情とは反対に雨ノ森は雑談を続ける。バルコニーの柵に二人してもたれながら翳はこのパーティーに陽光として来るだけでも気まずいものを、陽光の想い人を前にさらに気まずい思いをしていた。

「陽光、どうしたんだ?そんな余所余所しく敬語でなんか喋って」
「え、あ、雨ノ森先輩は先輩ですし…」

そんな陽光の想い人はぐっと身を翳の方に顔と顔がもう少しでゼロ距離という近さまで寄せると翳を質問攻めにした。さらにさらに翳は気まずい思いをする。いくら交友関係を把握しているといっても陽光の学校での一挙手一投足、言葉遣い全てを把握してるわけではない。
陽光をよく知っている人間ならば“陽光”が本当の陽光でないのを気づくのは時間の問題だった。

(早くこの人から離れないと)

「こういった場だから緊張しているのか?…そんなものしなくていい、俺とお前は恋人同士なんだから」

雨ノ森の言葉は翳の心に雷を落とした。ピシャーンと。

「え、そ、あ、あの」

待て待て待て、陽光からそんな話は聞いていない。あの男の事だから狙っていた獲物が手に入ったならまず一番に自慢してくるはずなのに。
翳は咄嗟に思考を張り巡らせる。しかし今は自分が“陽光”なのだ。雨ノ森の言葉が嘘であれ真実であれ、それに驚いて「待ってください陽光に確認します」なんて返事も出来るわけがない。正解の道を行かねば。ここは雨ノ森を信じて話を合わせるしかない。翳は一つ息を吐いて口を開いた。

「そ、そうですね…僕てっきり緊張してしまってて、ごめんなさい知嘉(ともひろ)さん」
「ああ、陽光…。しかし、今日はなにかいつもと匂いが違うな?いつもより爽やかで…柑橘系の香りか?俺はこちらの匂いの方が好きだな」
「ほ、本当ですか。パーティーなので、控えめな香水に変えてみたんです。来週からこの香りをつけて登校するようにしますね」

翳の言葉は嘘ばかりだった。雨ノ森が思うような緊張はしていないし香水もつけていない。これは翳の素の匂いだった。しかしこう言った手前、帰ったら陽光にあの甘ったるい匂いの香水をつけるのをやめさせなくては。

とりあえず目の前の雨ノ森はうまく誤魔化せそうでよかったとまた翳は胸を撫で下ろした。

「嘘はいけないな、“陽光”」

雨ノ森の言葉に撫で下ろしたばかりの翳の胸はぎゅっと握りつぶされそうになった。

「アルファは鼻が効くんだ。御園はオメガのはずなのに“おまえ”からはオメガのフェロモンを感じない」
「っ」
「それに俺と御園は付き合ってなんてない。会話すらしたことがないのに。恋人同士というのは嘘に決まってるだろう?そして決定的なのは…俺の名は知嘉(ともひろ)ではなく、知嘉(ちか)だ。俺のファンクラブにいるのに間違えるなんてありえない」

嵌められた、と翳はどん底に落ちたような気になった。
翳の目の前の雨ノ森は騙された男の衝撃を受けた表情なんかをしていない。“陽光”が嘘しか言っていないことに気づいた上で新しい玩具を前にした幼子のように、瀕死寸前の獲物をジワジワと嬲り殺す捕食者のように雨ノ森は翳を言葉で追い詰めた。

「“陽光”、お前は一体誰だ?」

そう問う声には好奇心と、もう答えは分かっているが、という脅迫のようなものが感じられた。

陽光がオメガだったなんて、すっかり忘れていたし、これまでの人生で凡人のベータの翳の身の回りにアルファがいたことなんて無かったからたった香りひとつでその違いを見分けられるとは思わなかった。
名前だって、資料には読み仮名なんて振っていなかったし男なのに名前が知嘉(ちか)なんて思いもしない。

しかしいくら言い訳を心の中で並べたとして翳はそれに、そうです。別人なんです。なんて素直に答えられる訳がなかった。
御園家の一人息子になりすますそっくりさん、なんてスキャンダルが出た日には養父どころか気性の荒い養母にまで暴言暴力を力の限り尽くされることだろう。それに、これからの陽光の学校や社会生活、社交界への悪影響を考えればこの事態を切り抜けなければならないのは必然だ。

「僕は御園陽光です先輩。すみませんが僕の勘違いだったようです。この事は忘れて頂けませんか」
「ははっ、おもしろいな、お前。こんだけ詰められてんのに勘違いで済ませようとするか?」
「…はい。なのでこれ以上の詮索はお願いですからやめて頂けないでしょうか」

翳が選んだ道はひたすらシラを切る事だった。
あくまで今の翳は“陽光”だ。なんとか今はこの場を“陽光”として切り抜けるしか道はないと翳は考えた。今さえ乗り越えてしまえば翳が雨ノ森の会う事はもうないだろう。これからのパーティーは雨ノ森が来るときは陽光に出席させよう。
仮に学校で陽光が雨ノ森に今夜のことで問い詰められたら、なにも犯罪を犯しているわけでもない、身代わりになっているやましい理由があるわけでもないから、陽光にヒステリックに当たられること覚悟でなんとか乗り越えて貰えばいい。

「…お前の本当の名前を教えてくれるなら、これ以上なにも聞かない」

そう決意した矢先、さっきとは打って変わった真剣な表情で翳の瞳を雨ノ森は真っ直ぐな視線で射抜くからぐらりと翳は心の中の自分の芯がブレるのを感じた。

「…かす、ーーーー」
「何をしている、“陽光”。来なさい」

思わず名前を口にしかけたところで、翳の声を遮るように翳の養父が室内から翳を呼びつけた。慌てて小走りで養父の元へ駆け寄る翳。
そんな翳を待つこともせずそそくさと踵を返して歩き出す養父の後を追いかけながら、未だ熱い真っ直ぐな視線を翳に向けるバルコニーにいる雨ノ森の方を何度か振り返って、しかし結局なにも声に出さないまま翳はその場を離れた。


(危なかった…)

再び、翳は胸を撫で下ろしたがすぐにその胸に一つの疑問が湧いた。

なにが危なかったんだろう、と。
陽光ではないとバレてしまうかもしれなかったから?…それとも、今までの自分では絶対ありえなかった、安易に本名を教えようとする行為に?


そっと暗い影に刺した、雨上がりの曇天を抜けるような一筋の光に、翳は気づかないフリをした。





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