まいごの深層心理
 

「山口。お腹空いてるんでしょ。これあげる」
「小椋(おぐら)!え、いいの!ありがと」
「どーいたしまして」
「でも俺がお腹空いてるってよく分かったね」
「顔に出てたよ」

マジでか!と大口開けて小椋があげたばかりの一口サイズのミルクチョコレートをあーんと食べるのは山口だ。そんなに顔に出てたかー、恥ずかしいなー、小椋ってエスパーなんかと思ったわーと1人でコロコロ表情をいくつも変えながら彼は言う。

あながち、山口の言うエスパー線は外れてはいない。なぜなら、山口のその隣には2頭身くらいの、手のひらサイズのデフォルメされた子犬が腹を満たしたことで満足したのか、幸せそうにふよふよ宙を浮いているのを、今この瞬間、小椋は見ていたからだ。

…何言ってんだコイツ、と。
意味分からない、と言う人がいてもちろん当然だろう。しかし、その意味の分からないモノが何の変哲もない、いたって普通の男子高校生である小椋には実際に見えてるんだから、なんと言われようとそれはもうどうしようもないのだ。

そして小椋にだけ見えている奇妙な得体の知れない生き物のようなそれがそばについているのは山口にだけではなかった。
いつも穏やかなクラスのマドンナ、早川さんにも、品行方正で超真面目な委員長にも、誰にでもそばには、絵に描いたような小さい動物から、妖精やユニコーンといった空想世界でお馴染みのファンタジー生物がいる。

彼らは…山口で例えると、愛らしい子犬のこと。犬種は柴っぽい。色は茶色だ。マドンナの早川さんには意地悪そうな狐だったり、委員長には気性の荒い熊だったりがそばについている。
みんな、種族関係なく大きさは多少の個体差はあれど手のひらサイズである為、視認する分には小椋の生活に多大な支障をきたすことはない。…まあ、つまるところ、簡単に説明させて頂くとその茶柴の子犬は宿主である山口のリアルタイムの心境や状態を表すのだ。

…些か簡潔に言い過ぎただろうか。それとも手のひらサイズの人形みたいなそれらが人の心をまるまる写すなど、馬鹿げた事を抜かすものだと思われるか。

とにかく、だから小椋はその山口に宿る、腹をぐるぐる鳴らしてとてもお腹を空かせた様子だった茶柴の子犬を見て山口は今、お腹が空いてるんだな、と把握することが出来たわけだ。

ーーなんだか、人の心の中を読んでいるようで申し訳ない気持ちにもなるけれどーー

小椋は心の中でそっと言い訳する。

心獣(しんじゅう)ーー…、小椋が勝手に人の心を写すソレらの事をまとめてそう呼んでいるのだが、小椋に言わせれば、直接に人の心を読んでるわけではなく、心獣を通して間接的に人の本心に触れているから人の心を勝手に覗くと言う意味では、罪悪感というものを直接感じることもあまりなく。
なんなら自分の人生をより良いものにするべく、豊かな人間関係を築けるよう小椋は利用していた。

ーー言い訳したものの、それは建前で申し訳ないなど小椋はおくびも思っちゃいなかった。

(人の心を把握するぐらいしないと、この世の中、俺みたいな人間はやってけないからね)

小椋は容量のいい人間とはお世辞にも言えない。本当はドジで、目立つ特技がある訳でもない、人の目を惹く容姿をしている訳でもないただの影が薄い平凡な男子高校生だ。スクールカーストで言えば下位の方。下手な真似1つすればすぐに学校という狭い世界の中、格好のイジメのターゲットにされるだろう。そうならない為にも、悲惨な未来を避けるべく小椋は常に人の心を読み、流れに身を任せ生きていた。

クラスでは一部の人間の前ではおちゃらけで明るい性格の人気者、山口の心を写す子犬も、いじめられっ子の前では獰猛な捕食者になるし、周りの人間からは根っからの超真面目な性格だと思われてる委員長も、何かにつけて委員長だからと教師生徒関係なく面倒ごとを頼まれている度に心獣の熊が教室中を駆け回りこれでもかと暴れ散らす。

(敵は作らないに越したことはないよなあ)

彼らがいつ小椋に牙を剥くかは分からないのだから。
友人にはよく、小椋って人のこと見てるよな、と言われる事の多い小椋。実際は人間ではなくいつもすぐそばにいる心獣を見ていた。

ちょうど、その時ガラリと扉を引いて教室へ入ってくる生徒が1人。

(あ、獅子尾(ししお)クンだー…)

休み時間、彼は次の授業が始まる前にただ自分の教室へ戻ってきただけだと言うのに圧倒的に優れた容姿と、何者も寄せ付けないクールなオーラを纏っているから、それだけで周りから畏怖の視線や女子からの蕩けた熱い視線を送られていた。

異国出身の母親と、日本人の父親の間に生まれた獅子尾は、金色のさらりとした髪が日本人離れした彫りの深い目鼻立ちクッキリ整った顔によく合っていて、小椋も獅子尾の事は男から見ても到底同い年の男子高校生とは思えないほどかっこいいと常日頃から思っていた。

獅子尾の格好良さや、人気は止まることを知らず。
これは小椋にしか分からない事だが、誰にだって分け隔てなく優しいクラスのマドンナ早川や、強気な口悪いギャルの赤阪ですら、孤高の美男子、獅子尾に対しては…正確には彼女らの心獣が互いを牽制しあいながら、我こそはと獅子尾の心獣にベッタリいつもくっついている。

(早川さんの心獣…また他の子蹴落としてら。こっえー…)

人間の早川は、4、5人の女子だけの輪で小椋から見れば楽しくガールズトークで盛り上がっているところだ。一般的な女子高生のありふれた休み時間の過ごし方だろう。しかし、そのすぐそばで女狐の早川の心獣がケキャキャと悪どく笑いながら言葉巧みに他の女の子たちの心獣を傷つけては見下し高笑いしていていた。あれがクラスの男たちの憧れの女の子の本性なんだろうと知った時はそれはもう恐怖したものだ。
小椋も心獣を見て人の流れを読み生きてる手前、あまり人のことは言えないが表と裏、外面と内心であんなに真逆な人間もいるんだなと学んだ。


ちらり、と小椋は自分の席についた獅子尾に視線をやる。獅子尾の席は小椋より前方の席である為、よく目につくのだ。

(やっぱり獅子尾クンはかっこいいなあ)

獅子尾のどこが格好いいって、前述した通り容姿はもちろんなのだが、それとは別にこれも小椋にしか分からない事になるが、彼の心獣はまんま獅子尾を表したような、クールな雄ライオンの姿をしているのだ。日によっては10体以上の女の子たちの心獣に引っ付かれてる事の多い獅子尾の心獣。分かりやすくするために獅子尾の心獣をレオと呼ぼう。

獅子尾は女子たちからの好意に気付いているのだが、ほんっとうに興味がないようで、事務的な会話はすれど、可愛らしい子に話しかけられようとほとんど無視。日常的に女子と雑談1つする事なんて滅多になかった。男どもからしてみればなんとも羨ましく贅沢で勿体ない、獅子尾のそんな行為。

そんな男子からのやっかみすらも獅子尾がこれっぽっちの関心もない事を小椋はレオを通して知っているから、獅子尾という人間を憧れていた。

まわりの目や声に左右されず、ブレる事なくいつも真っ直ぐ堂々としていて、しっかり自分を持っている。いつもいつも人の心獣ばかり伺って、人の輪から逸れないよう追い出されないよう生きてる自分と大違いだと小椋は常々思っていたのだった。


(…あ、あのタヌキの心獣…まただ)

国語の授業が始まり、先生が黒板に書いていくのをみんなが必死でノートに写す中、小椋もそれに漏れず黒板を見るのに顔をぱっと上げた時だった。前方に座る獅子尾のそばにいるレオにただ一匹、べったりとくっつく、ぽってりした見た目の鈍臭そうな狸が目に入った。

小椋は大体、クラスメイトの心獣たちの特徴は覚えていて、どれが誰の心獣かはある程度分かるのだがあの狸だけは一体誰の心獣なのかは分からない。決まって狸は小椋のふとした時に現れて、ああやってよく、というか毎度毎度レオに両腕両足全て使ってしがみついていた。

他のクラスの、獅子尾の事が好きな子の心獣なのだろうと小椋は推測しているがあの狸のレオ、獅子尾への好意は他の誰よりも群を抜いている。早川や赤阪の心獣たちがレオの周りで醜い争いを繰り広げながら集っているのを我関せずただ一匹熱いハートをたくさん飛ばしてレオにくっついているのだ。

まあ、それだけなら他の女子たちのレオにくっつく心獣となんら変わりないから気にならないのだが、なんと驚くことにあの誰の心獣にも動じないレオがその狸にだけはどうやら心を許しているらしく、狸を受け入れているのだ。

他の心獣には見向きもしないレオが狸…ポン吉と呼ぼう。ポン吉の過度なスキンシップに、レオに嫌がる素振りは全く見えずなんなら些細ではあるが優しく受け入れているようにも見える。ポン吉が手を繋ぎたそうにすればその手を差し出し、ハグしたそうにすれば胸をそっと、ポン吉が飛び込みやすいよう広げるのだ。

(あれは、獅子尾も心の内ではあのポン吉の宿主を好意的に思ってる、って事かな…)

老齢の女の先生の、教科書を一段落ずつ読みあげる少し嗄れた声をBGMに小椋は片肘ついて手のひらに頬を預けぼーっと獅子尾とレオ、ポン吉を眺めていた。その様子はただただつまらない授業を受けているふつうの男子高校生だ。誰も、特異なものが小椋に見えているとは到底思わない。

(…だれだろ、あのタヌキの宿主)

何故だか少し、小椋はおもしろくないような気がした。証拠に少し眉間に皺が寄る。

「…あ」

小さく、誰も気づかない蚊の鳴くような声をぼそりをあげたのは獅子尾だった。その声を聞き拾ったのは奇跡か、はたまた現在進行形でずっと獅子尾を観察していた賜物か。なにか文字でも写し間違えたんだろうか、派手な容姿ではあるが授業態度は至って普通の獅子尾は拍子に消しゴムを落としたらしく、しかもそれがたまたまコロコロ転がって小椋の足元までやってきたのだ。

小椋は当然、それをバッとすかさず拾って消しゴムを拾うのにななめ後ろ、つまり小椋の方を振り向く獅子尾に手渡す折、その獅子尾と目があった。

どきり、と高鳴る心臓。同性でもこんなにクラクラするのだから、本当に美形というのは恐ろしい。整いすぎて粗を探したくなる程だが、穴が空くほど見つめてもきっと獅子尾の顔貌に粗を見つけるのは小椋にとって砂場で一粒の白胡麻を見つける並に無理な話だ。

「は、はい。獅子尾クン」
「…」

(あ、やばい。引かれたかな)

咄嗟の出来事に素早く反応し過ぎたかも、と小椋は反省した。しかし条件反射的に体が動いてしまったのだから、仕方ない。心無しかクラスの女子から冷たい視線をいくつか浴びている気がする。

しかし獅子尾は、そんな小椋の一瞬を吹き飛ばすかのようにフッと笑った。

「…わり、ありがと。珠狸(じゅり)」

(うわあ、その笑顔はダメだろ!)

いーえ、と表面上返したものの、今のほんの一瞬のやり取りは授業そっちのけで小椋の脳内で反芻される事となった。

ーーはい、獅子尾クン
ーーわり、ありがと。珠狸
ーーいーえ…

俺、ちゃんと受け答え出来てたよな、変じゃなかったよな、でもクールな見た目と普段からして、あの笑顔はほんと卑怯だ!ギャップがすごい、イケメンすぎる!ていうかもうイケメンって言葉すら安っぽ過ぎてなんて表現したらいいか分からない、とにかく獅子尾クンかっこよすぎるよ、しかも自然に俺の下の名前呼んだ、俺が女の子ならイチコロだ今ので!

ぐわあと押し寄せる荒波みたいな感情に小椋はあっちやこっちやと流されてしまいそうになった。その為、実際レオのそばでゴロゴロと赤面してのたうち回るポン吉の事など当然視界に入る訳もなく。

「ーーまわりの人に目線を向け過ぎると自分の気持ちに気付かない…人間とはーー…」

教科書に載っている、お偉い先生だか誰だかのコラムを読み上げる老齢の女の教師の声が、なんだかやけに小椋の耳に残ったのだった。




……

もちろんポン吉の宿主は小椋くんですよ。小椋珠狸くん。





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