新世界より
暖かいな、と思ったのと自分が一定の間隔で揺れていることに気がついたのはほぼ同時だった。
この揺れは車とか電車じゃなくて誰かが歩いていて、私はその誰かに抱えられている、といった感じだろうか。
一体誰が?そもそも私はもう18歳だ。軽くもないだろうに。
ゆっくりと目を開いた。今まで眠っていたようだけどまだ眠い。
二度寝したい気分だけど、自分を抱えているのが誰なのか確認しなきゃ、と眠気を我慢し視線を上に向けると厳つい顔の男の人と目が合った。

………誰だ!?

私の知り合いにこんな野性味溢れる強そうな人はいない。しかも目の色が緑だし、顔立ちはどう見ても日本人じゃない。
ええええ、いやいやなにこれ!?まさか誘拐!?とりあえず誰か助けて!!
と叫ぼうとして唖然とした。

「あぁう〜!…あ…?」

声が出ない、じゃなくて言葉にならない。私は喋れない…………歯がないからだ。
どういうことだ、何でこんな…とにかく降ろしてほしい!ちょっと怖いけど男の人を叩いてみる。
ぺちぺちっと随分弱そうな音がでた。恐る恐る視線を手に向ける。
私の手は小さな赤ん坊の手だった。

男の人は目を覚ました私を見て、何ともいえない複雑そうな顔をした。
しかし足を止めることはなく歩き続けている。この人は誰なんだろう。
私は若返って赤ん坊になったのか、それとも生まれ変わったのか、もしくはどこかの赤ちゃんに乗り移ってしまったのか。
一つめは未だしも(それでも十分おかしいが)後の二つはありえない。私は死んだ覚えはないし乗り移るなんて、そんな幽霊みたいなことできるはずがない。
なんて考えていたら、男の人は急に立ち止まって私に何か話しかけてきた。

「〜〜〜〜?〜〜〜」

全く聞き取れない。
耳が悪いわけじゃない。なんか言語が違う気がする。これ英語でもないと思うんだけど、どういうこと?
多分、私が知らない国の言葉なんだろうけど何を言っているのか全然わからない。
男の人は相変わらず複雑そうな顔をしている。それでも歩みは止めず、私に何か話しかけると一つの単語を繰り返した。
様子からして自信はないけど多分「ごめん」か、それに近いことを言っている気がする。何が?「誘拐してごめんね」みたいな?

いや、待て。私はさっき自分が赤ん坊になった理由を三つ上げ、一つめ以外はありえない、としたけど実は二つめか三つめなのかもしれない。
ひょっとしたら私は生まれ変わったか乗り移ったかして赤ん坊になり、この人は、赤ん坊になった私の“お父さん”だったり……?
いや、駄目だわからない。しかもなんか眠くなってきた。
赤ちゃんだから疲れたのかな、と考えることを放棄した私はゆっくりと目を閉じた。
できれば目が覚めた時、元に戻ってるといいな。

***

今度はすっきりと目が覚めた。
最初に視界に入ったのは薄汚れた天井。元の色は白なんだろうけど所々シミや傷がある。
あれ?いつの間に屋内に来たの?と思った時、黒い髪に黒い目の中学生くらいの男の子と目が合った。だから誰だよ……。
男の子はしばらく私を見つめると後ろを振り向き何かを言った。
それに反応する人の声が聞こえたと思ったら、先ほどの厳つい男の人・お父さん(仮)と赤茶色の長髪の女の人が視界に映った。

増えてる、知らない人増えてる!とか心の中で叫んでる間にも三人は何かを話している。
集中してよく聞いてみたが、やっぱり何を言っているのかわからない。
ただ、彼らの様子からお父さん(仮)は女の人に頼み事をしていて女の人は難色を示し、男の子は無表情で時々何か言う、って感じだろうか。

あれ?と思った。お父さん(仮)は女の人に何を頼んでいるのか。それは女の人に難しい顔をさせる内容である。
歩いている時に彼は「ごめん」もしくはそれに近いニュアンスの言葉を発していた。今だって話しながら私をチラチラを見てる。話の内容はほぼ間違いなく私関連。
暫くして、女の人は溜め息をつくとゆっくりと首を縦に振った。お父さん(仮)は心底安堵したような顔になると女の人に何かを言い、そして私を見た。

コートを着ているからはっきり判断できないけど、この人マッチョだ。
しかも横にいる女の人と男の子が随分と小柄に見えるから、相当デカイんだろう。というかこんな大男に私は運ばれたのか。ミスマッチ過ぎる。

お父さん(仮)は緑色の目を細めると大きな手で私の頭を撫でた。
そして私に向かって何か言うと手を離し、そのまま背を向けてどこかへ行ってしまった。女の人もそれに続く。
ドアの開閉音が聞こえた。唯一、私の視界に残っていた男の子は相変わらずの無表情で、私に向かって何かを言うとそのまま彼も居なくなってしまった。

少しして女の人が戻ってくる。手に哺乳瓶を持っていてミルクをくれた。
女の人に抱き抱えられた時、周りには誰もいなかった。
オムツを換えてもらって部屋がすっかり暗くなっても、お父さん(仮)は戻って来ない。

…あの、もしかしてお父さん(仮)帰ってこない感じですか?

[pumps]