10
降りた先は想像よりずっと狭い空間だった。天井の高さの割に圧迫感を感じるのは、窓どころか出口すらないからだと気が付く。
ハズレの部屋かもと思いつつ、部屋の端にある台座に近寄る。その上にはタイマーが一つだけ置いてあった。どうやら三次試験の残り時間を示しているようで、現在71時間31分18秒。すぐ側の壁には『合流の道、他の受験生と合流しながらゴールを目指さねばならない』というボードがついていた。
他におかしな仕掛けがないか、きょろきょろと部屋を見回す。部屋の角に監視カメラが一台設置されていた。あれで恐らく受験生達の動向を観察しているのだろう。
いえーいとカメラに向かってダブルピースをすると私から見て左の壁面に設置されたスピーカーからブツッという音が響いた。
『……45番。準備ができたなら早くタイマーを装着したまえ』
スピーカーから試験官らしき男性の声が聞こえてきた。あくまで淡々とした言い方だったが、若干呆れているようにも感じた。私としては「頑張ります」という試験への意気込みを表現したつもりだったのだが、遊んでいるように見えてしまったみたいだ。
彼の言葉に従ってタイマーを左手首にはめる。何かが動くような低い音と共に振動を感じて視線をやると壁の一部が動き、扉が出現した。
『ここはどちらかと言えばアタリのルートだ。君は運が良いな』
ククク、と小さな笑い声が聞こえてくる。私はもう一度壁にかけられたボードの文字を読んだ。
「これってつまり合流した受験生と協力してゴールを目指すってことですか?」
『さあ?そこは君の判断に任せる』
試験官は最後に『健闘を祈る』とだけ言い残してマイクを切った。
私の解釈ではなく“判断”に任せるということは、協力するもしないも自由というわけだ。簡単に準備運動をしてから扉を開ける。
「え?」
開けた先は、なんと滑り台になっていた。試験官の言葉を思い出す。運が良いってそういうこと?塔の一番下までこの滑り台が続いているのなら、なるほど確かにアタリのルートかもしれない。
早速手すりを掴んで腰を下ろす。そのまま滑り降りようとして、一旦やめた。ただ滑るだけで済むだろうか。罠があるかもしれない。
じっと遠くを見つめる。かなり長さがあるのか先の方は暗くてよく見えないが、角度は緩やかで、塔の構造を考えるとこの滑り台は螺旋状になっていそうだ。
壁に挟まれ、天井はまあまあ近い。こういった状況で仕掛けるなら可能性が高いのはワイヤートラップだ。
他の受験生と比べれば私は子供で座高が低いのでワイヤーがあっても引っ掛かりにくいだろうが、それでも安心はできない。この角度なら流石に首が飛ぶことはないだろうが、当たる箇所によっては致命傷だ。
念には念を、と上体を寝かせて滑り降りる。そのせいで思ったよりスピードが出た。速い。しかも長い。
ドキドキしながら全く終わる気配のない滑り台を滑り続ける。一体これでどうやって他の受験生と合流するのだろう。時間差で後ろから誰か滑ってくるのか?それとも前が詰まっててぶつかっちゃうのか?
などと思いつつ特に何もないまま順調に滑り降りていくと、遠くに光が見えた。近づくにつれ、どんどん大きくなるその光の先には滑り台が続いていないことに気が付き、慌てて上体を起こす。しかし一歩遅かったのか私の身体は止まることなく光の向こうに落っこちた。重力に従って地面に一直線となったが、なんとか怪我なく着地することができた。
「なんだお前!?」
ぎょっとしたような男性の声が耳に入る。
そこは最初に降り立った部屋よりもずっと広い空間だった。人の気配を感じて振り返ると、声を上げたと思われるハゲ頭の受験生が動揺しつつも臨戦態勢を取っていた。私が突然上から降ってきたので驚いたんだろう。
壁が動く音がしたのでハゲ頭を警戒しつつ顔を上げると、私が落ちてきたと思われる穴が塞がろうとしていた。この部屋には他に出口はない。恐らく何かしらの条件を満たせば扉が出現するんだろう。
ということは、この人と戦うのかな。
ハゲ頭の受験生こと294番に向き直る。念は使えないようだが相当強い人だと思った。今は私が勝つだろうが、彼が念能力者になったら勝負は分からなくなる。
一旦距離を取ろうと足を動かす。武器とか持ってきてないけどどうしようかな、と戦闘プランを考えていると意外にも294番は構えるのをやめた。そして小さく両手を挙げて敵意がないことを示すと「丁度良いところに来てくれたぜ」などと言い出した。
「試験官!オレはコイツと組む!もう一度扉を出してくれ」
294番は壁のスピーカーに向かって言った。プツッという音の後スピーカーから『なるほど……』という試験官の声が聞こえた。
『45番もそれでいいかね?』
「いいえ。私、先を急ぎますんで」
「オレも先急いでるんだよ!」
294番が唾を飛ばしながら言った。試験官は私の意向を確認したが尊重する気はないようで『準備ができたらこの先に進んでくれ』と勝手に話を進めた。壁が動き、扉が現れる。
扉には『この先試練の間。二名以上での参加必須』という注意書きがあった。ロックが掛かっていたようで、少し間を空けてからガチャッという解除音がした。
「いやぁ〜!お前が降りてきてくれて正直助かったぜ!下手したらここで残り時間過ごす羽目になるんじゃないかと冷や冷やしてよォー」
「じゃあ恩人の私には絶対服従でお願いします」
「このガキ調子に乗りやがって……」
294番は額に青筋を浮かべると私に向かって、けっ!と悪態をついた。彼を無視して扉を開けると細長い通路が続いていた。罠には注意しつつ、進んでいくと吹き抜けのような不思議な空間に辿り着いた。
中央には上から伸びる太い鎖で四隅を固定し、吊るされたステージがあった。空中格闘リングみたいな感じだろうか。しかし私達がいる場所からそこへは足場が続いておらず、飛ぶにしても距離があり過ぎて行けそうにない。
上を見てもステージを支える四隅の鎖がどこから繋がっているのかは分からなかった。下も真っ暗で何も見えない。試しに近くの壁の一部を破壊し、破片を下に落としてみたが何の音も聞こえなかった。ここから下まで相当な高さがありそうだ。
すると私達の真正面、ステージを挟んだ向こう側の通路にぞろぞろと人が現れた。皆似たような格好で頭巾を被って顔を隠し、手錠をはめていた。
そのうちの一人(体格的に恐らく男性)が監視カメラに向かって何か言うと遠隔操作でもしたのか全員の手錠が外れる。
「よく聞け受験生!」
先頭の一人が代表して声を上げる。自由になった手でバサッと頭巾を取ると素顔は顎髭が特徴的な男性で、挑戦的な笑みを浮かべていた。
言われてますよ、とばかりに隣の294番を見ると「お前もだよ」と前を向くように注意された。学校の退屈な集会みたいだと思った。
「我々は審査委員会に雇われた試練官である!お前達はここで我々七人と戦わなければならない!」
試練官とやらを名乗る男性の話に対して、特に驚きや恐怖はなかった。それよりも三次試験まで来てようやく対人戦かと意外に思う気持ちの方が強かった。
試練官の男性が話を進める。今から私と294番は中央の空中格闘リングで試練官七人全員を一度に相手にしなくてはいけないらしい。私達の勝利条件は二つ。相手を全員戦闘不能にすること、二人共が生きていること。つまりどちらか一方が戦えなくなったら、その時点で受験生側の負けとなる。
だから『二名以上での参加必須』なのかと扉の注意書きを思い出して納得した。共に戦う受験生の存在は試練官七人を相手にする上での心強い味方となるが、同時に勝利への足枷にもなる。
「説明は以上だ!何か質問はあるか?無いなら橋を渡って中央に来てくれ!全員が揃ってから一分後に試合を開始する!」
試練官がそう言うと、彼ら七人と私達二人のいる足場からそれぞれ中央へ向かって橋が伸びた。
294番は「今のうちに作戦立てるか」と私を見る。私はそれを無視して「質問あります!」と元気に手を挙げた。
「これをやったら失格!みたいな禁止事項はありますか?何をしてもいいんですか?」
橋を渡る試練官に向けて、というより、この会話を聞いているであろう三次試験の試験官に向けて言った。狙い通り、壁の端に設置されたマイク付きの監視カメラから返答があった。
『受験生側の武器の使用は自由。反則行為に値するものはない。対戦相手の生死も問わない。つまるところ何でもありの試合だ』
「本当に?本当になんでもありですか?あとからケチつけるのナシですよ?」
『何をする気か知らないが、試練官側が提示した勝利条件さえ守れば君達の勝ちだ』
簡潔な答えだったが、とても参考になったので監視カメラに向かって「わかりました。ありがとうございます」と頭を下げる。
横で聞いていた294番は「デスマッチってわけだな」と面倒そうにため息をついた。
「となると連中は真っ先にお前を狙うはず……。よし、オレが倒すからお前はとりあえず自分の身だけ守れ」
「そんな、無理しないでください。あなた一人の身体じゃないんですから……」
「誤解を招く発言はやめろ」
294番は場を和ませるための冗談と捉えたのか「さてはお前、結構余裕か?」と笑った。冗談ではなく私は本気で彼の身を案じているのだが、上手く伝わらなかった。人と人とのコミュニケーションって難しい。
中央に集まった試練官達を見る。揃いの頭巾を取っていて、素顔が露わになっていた。七人全員男性で、年齢も人種もバラバラだ。審査委員会に雇われたというだけあって、レスラーのような体格の良い者もいれば、中肉中背の、そこらの一般人と変わらないような者もいる。
これが何でもありのデスマッチであることは当然わかっているだろうが、彼らの中に不安の色を浮かべる者はいなかった。どういった人選か知らないが腕っぷしには自信があるようだ。それでも受験生へのハンデなのか、念能力者は一人もいなかった。
これなら私が負けることはない。294番に向かって「一応私も作戦考えたんですけど……」と指をもじもじしながら言うと「なんだ?」と続きを促される。
「全員下に落としましょう」
という私のシンプルな提案に、294番は至って真面目な顔で「なるほどな」と素直に頷いた。
「確かに倒したやつをそのまま放置してると邪魔になるしな。気は進まねーが、その方がやりやすい」
下を見ながら続ける。落ちたら間違いなく死ぬ高さだ。私は294番が対戦相手を殺したくない、などと言う人ではなくて良かったと思った。彼と合流できたのは偶然ではなく念能力の効果だろう。
294番は私に武器は持っているのか尋ねてきた。首を横に振ると彼は思案顔を見せる。私は武器代わりに使えそうなモノがないかボディバッグを漁った。
「オレの得物を貸してやってもいいが……少々癖があってな。素人にゃ扱いづらいかもしれん」
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ。良いもの見つけました」
そう言ってボディバッグから食事用に用意していたプラスチックのフォークとスプーンを取り出す。あるもので工夫しろ、という育ての父の教えを思い出し、懐かしい気持ちになった。
294番は使い捨てのカトラリーをまるで護身用の武器か何かのようにしっかりと握り締めた私を見て「急所を狙えばこれでもいける、か……?」とまるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。若干の困惑が見て取れる。
別に急所を狙わなくてもオーラを纏わせればプラスチックのフォークだって立派な武器だ。しかし念についてペラペラ話すわけにはいかないので「お待たせしちゃってるので早くいきましょう」と橋を指差して話を逸らした。294番はすぐ我に返り、覚悟を決めたように力強く一歩を踏み出した。
鎖で吊るされただけのステージは私達が乗ってもびくともしなかった。もっと揺れたりするかと思ったが、見た目よりもしっかり固定されているらしい。ステージを支える四本の鎖は近くで見ると思っていたより太く安定していた。
全員が揃うと元の場所から伸びていた橋が音を立てて引っ込んだ。退路を断たれたようだ。
ステージには私達から見て右側の中央に小さなモニターが設置されていて、開始まで残り一分と表示された。暫くその表示のままだったが、三十秒を過ぎた辺りで画面が切り換わり、一秒単位でのカウントダウンが始まった。残り十秒になった頃には、誰もモニターを見ていなかった。
広いステージだったので試練官と私達の間にはそれなりに距離があったが、試練官側は待ちきれないのかじりじりと差を詰めてきた。294番が庇うように私の前に出る。私は自分から一番近い、左端にある鎖の側に寄って硬をした。他の守りを捨てて右足にありったけのオーラを集める。
カウントダウンが終わると同時に開始の合図なのか、モニターから『ビーッ!』という機械音が鳴った。誰よりも素早く動き、すぐそこにある鎖を蹴りで破壊した。
鎖が砕ける音と共にステージは激しく揺れ、ガタン!とか、ガラッ!とか、色んな音を立てて傾く。数名がバランスを崩して転んでいた。そのうち一人が悲鳴をあげながら下へと滑り落ちる。
平行だったステージは支えを一本失ったことで斜めに傾いていたが、思ったより角度はつかなかった。私以外の全員がそれぞれ声を上げ、この状況が生まれた原因を求めて鎖を見る。その隙に今度は右端に移動し、そこの鎖も同じ要領で破壊した。
「うわーーっ!?」
二本目の鎖を破壊するとステージは先程の比にならないほど激しく揺れ動き、大きく傾いた。ほぼ垂直である。落ちないように周で強化したフォークをステージに突き立てた私と違って、何の備えも心構えも出来ていなかった試練官達は叫び声を上げながら為す術なくボトボトと下へ落ちていった。
「45番!テメェ!!」
下から怒号が響く。
開始から二十秒経ってステージに残ったのは、私と私の真下で破壊された鎖の固定台に足をかけてなんとか踏ん張っている294番だけだった。二本目の鎖を破壊してすぐ助けるつもりだったが、自力で生き残れたらしい。すごい人だ、と感心する。
294番は「むちゃくちゃなことしやがって〜!!」とキレながらも変わった形状の刃物をステージに突き立てて三点確保をしていた。
「やりましたね!作戦通りです!」
「こんな作戦立ててねぇだろうが!!」
「でも全員落とすって……」
「こんな落とし方すると思わねぇよ!!」
結構スタンダードな落とし方だと思っていたが、違ったらしい。294番には文句を言われたが、まともに戦うことなく開始二十秒ちょいで全員場外に落とすという理想的な形で決着がつき、私としては大満足の結果だった。
様子を見ていたらしい試験官の『すぐ橋を架けるから待っててくれ』という声が辺りに響くと試練官側の橋が伸びてきた。次はあちらに進むらしい。
「この状況でどうやって橋に行けってんだよ……」
「上まで登ってそこから飛び移りましょう!」
「簡単に言うんじゃねぇよ。こんな取っ掛かりのねぇところ登れるか!」
「じゃあ私が上から引っ張り上げますよ。ちょっと待っててください!」
私の身体を支えているフォークよりもさらに上の位置に、同じく強化したスプーンを突き立てた。動かないことを確認した後、今度はフォークを一旦抜き、さらに上へと突き立てる。それを交互に繰り返して登っていくと、真下にいる294番に「揺らすな!破片を落とすな!」と注意された。ステージの破片が落ちてきて彼を襲っているらしい。
とはいえ破片を出さずに登り切ることは不可能なので、せめて事前に備えられるよう「落石注意!」と言いながら登ったら「うるせぇ!」と返ってきた。そんなことを言われても。
あまり時間をかけないように急いで一番上までよじ登る。大きなステージのため相当な厚みがあり、傾いてはいるがゆとりを持って座れるくらいの幅があった。
そこに腰掛け、ボディバッグを開ける。蛍光ピンクの縄跳びを見つけたのでロープ代わりに使おうと下へ垂らす。
「これに掴まって下さい!」
垂らした縄跳びの持ち手がステージに当たり、ペチッと軽い音がする。294番は揺れる縄跳びを呆然と見ていた。全然長さが足りてなかったからだ。ギリギリまで伸ばしても、せいぜいステージの半分くらいまでの距離しか届かない。294番がどんなに手を伸ばしても掴めそうにない。
「すみません、残りは自力でー!」と叫ぶと294番は呆れたように「いやまあ……期待はしてなかったけどよ……」とため息をついた。怒られなくてよかった。
完全に諦めたのか、294番は私がやったようにステージに刃物を交互に突き立てて登り始めた。ごちゃごちゃ言っていた割にそのスピードは私よりずっと速かった。
あっという間に縄跳びに手が届くところまで登り進めると耐久性に不安があるのか、数秒迷ってから294番は恐る恐る縄跳びを掴んだ。確かに見た目こそディスカウントストアで売れ残っているような安っぽい縄跳び(キラキラのラメ入り)だが、周を使っているのでロープより安定感があるはずだ。
声をかけてから縄跳びをゆっくり引っ張る。294番が「離すなよ!絶対に離すなよ!」と言ったのでフリかと思ったが、判断がつかなかったのでそのまま引き上げた。
「あー……死ぬかと思った……」
無事に上まで登り切った294番は、持ち前の身体能力で橋に飛び移るとぐったりとした顔でそう呟いた。お疲れ様です、と返すと294番は橋を進みながら「お前もな」と苦笑した。
「まあでも、お前が機転を利かせてくれたおかげで予想より時間を取られずに済んだぜ」
お礼を言われたので「先を急いでるだけですから」と答えたら、最初のやり取りを思い出したのか「そりゃそうだな!」と笑われた。色々あったが、なんだかんだ遺恨が残る結果にならなくてよかったと思った。
橋を渡り切ると通路があった。先の方に扉が見える。次はあそこを通れば良いらしい。294番が迷わず歩き出したので後に続く。
扉の前まで行くとロックが外れる音がした。294番は私を振り返ると「この調子で次も頑張るか」と言った。
「先に自己紹介といこうぜ。オレはハンゾー!お前は?」
「私は、」
と言いかけたところでパカッと私の足元が開く。理解する間もなく足場を失い、私の身体は当然のように落下した。
「キャーッ!!?」
「45番!?45ばァーん!!」
ハンゾーさんの声を聞きながら慌てて堅を使うと思ったよりも早く地面についた。斜面になっていたようで、止まる間もなく下へと滑り降りる。最初は真っ暗だったが人感センサーライトでも使っているのか、ひと呼吸おいてから明かりがつき始めた。周囲が照らされたことでようやく状況を理解する。また滑り台かい。