09
「シグネ、……シグネ」
ハッとして目が覚める。誰かに名前を呼ばれた気がして目を擦ると片膝をついたクラピカが私の顔を覗き込んでいた。
「おはよう、もう朝だぞ」
「おはよ………今何時?」
「あと五分で午前七時だ」
「……あと一時間は寝れるじゃん〜」
“目的地には朝八時到着予定”というビーンズさんの言葉を思い出し、唸るように声を出す。その場でごろっと寝返りを打ち、毛布を頭から被って目を閉じると「色々支度があるだろう」とクラピカが容赦なく毛布を剥ぎ取った。
渋々起き上がる私に、クラピカは回収した毛布を綺麗に畳みながら「向こうで顔を洗ってくるといい」と言った。世話の焼き方がミザイストムに似ている。
「しかし、何故椅子の上ではなく床で寝ていたんだ?」
「椅子で寝てたけど途中で落ちたの」
欠伸をしながら答えるとクラピカは私が椅子から落ちる姿を想像したのか「なるほど」と苦笑していた。
殺人の濡れ衣を着せられそうになった後、私は眠る場所を求めて彷徨い、最終的に301番と対峙した窓の側で眠った。始めは三人掛けの長椅子の上で横になって眠っていたのだが、四時頃に頭から転げ落ち、そのまま戻ることを諦めて床で熟睡したのだった。身体が痛い。
大きく伸びをする私に、そういえば、とクラピカが口を開いた。
「キルアが近くにいたが共に行動していたのか?」
「?ううん、別々だったよ」
何故キルアの名前が出てくるのか分からずに首を傾げる。クラピカはここに来る前に一人で歩いているキルアに出会ったそうだ。昨晩一緒にいたはずのゴンの所在を尋ねたところ、キルアは「ゴンは知らねーけどシグネはあそこで寝てるぜ」と言ってそのままスタスタ行ってしまったらしい。クラピカはその言葉に従って進んだ先で床で熟睡する私を見つけ、起こしてくれたわけだ。
キルアとは別行動だった、という私の話を聞いたクラピカは「なら、起きてから偶然君を見かけたんだな」と納得して頷いた。
私も一緒に頷いて、昨晩のことを思い浮かべる。ゴンとキルアはネテロ会長とゲームをしに行ったはずだが、途中で別行動になったのだろうか。
「やーっと起きたか寝坊助」
枕代わりに使っていたボディバッグを背負い直しているとレオリオがやってきた。明らかに私に向けられたからかいの言葉に「まだ一時間も前だよ」と返すと「あと一時間だろーが」と小突かれた。学校に行くわけでもないのに一時間前に起きる必要があるのだろうか。
「オレとクラピカは今から飯食いに行くんだ。待っててやるからお前も早く顔洗ってこい」
トン、と背中を軽く押される。クラピカに「もしゴンを見かけたら連れてきてくれ」と言われたので「わかった」と頷いて顔を洗いに行った。
身支度を済ませた後、キッズ用携帯のランプが点滅していたので確認するとミザイストムからメールが届いていた。内容は『おはよう。調子はどうだ?腹が立つからといって自分から喧嘩を売ったりするなよ。揉め事を起こす受験生は試験官に嫌われるぞ』とのこと。
メールを見て昨晩の301番との出来事を思い出す。返信を打つのはやめてクラピカ達のところへ戻った。
食堂は昨日より賑わっていた。一晩明けて、休息を取れたおかげか皆穏やかな雰囲気だ。
食事は変わらずセルフ形式だったが、昨夜とは異なり朝食仕様の軽いものが並んでいた。
オレンジジュース片手に料理の前で悩む私とは対照的に、クラピカとレオリオは一巡しただけで欲しいものを選び終えると席について食事を始めた。
「よー、シグネ」
主食も主菜も副菜も無視してデザートコーナーに行くとキルアがいた。
おはよう、と返すとキルアは「お前床で寝ててめっちゃウケたわ」とおかしそうに笑った。傍にゴンはいなかった。
「ゴンと一緒じゃないの?」
「んー、まあ。あいつまだどっかで寝てんじゃねーの」
キルアはデザートだけを皿に盛りながら言った。言い方からして、やはり二人はあの後別行動になったみたいだった。
ふーん、と返すとキルアは「お前みたいに床で寝てたりして」とからかうような笑みを浮かべて言った。一瞬、喧嘩でもしたのかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。
私もデザートを取り、クラピカ達と同じテーブルにつく。ゼリーとバターケーキだけを食べる私に、二人は「偏食は良くないよ」とか「チビのままだぞ」とか言ってきたので「育ての父は背が高かった気がするから大丈夫」と言ったら「養父の身長が高くても君には関係ないのでは」とクラピカに真剣な声色で言われて返す言葉もなかった。それはそう。
レオリオは一つ隣のテーブルでスイーツバイキング状態になってるキルアにも同じようなことを言っていたが、キルアは目も向けず「あっそ」とだけ言ってケーキやらプリンやらを食べ進めていた。
「キルアって甘党なの?」
「別に?家じゃこういう食い方出来ねーからやってるだけ」
私の記憶の中にあるキルアの家(多分)を思い浮かべる。とても大きなお家だったから、きっとテーブルマナーとか色々厳しいんだろう。
キルアは「過干渉なんだよ、うちの母親」とうんざりしたように言った。話を聞いていたクラピカが「それだけ大切に思われているんだろう」と諭すように言うとキルアは「そーかもね。どーでも良いけど」と興味なさげな声色で答えた。その態度が気になったのかクラピカはまだ何か言おうとしたが、意外にもレオリオが止める。
「まー、思春期ってのは母親が嫌いになるもんだからな。オレはキルアの気持ちもわかるぜ」
「はあ?……もういいよ、オレの話は。それよりシグネは?」
「え?」
「お前んちの親ってどんなの?」
急に振られて答えに詰まる。キルアは自分についてこれ以上深堀りされるのが嫌で私に話を振ってきたのだとすぐにわかった。私だって覚えてないから深堀りされたくないのに。
「ええと……厳しかった、よ??」
「なんで疑問形?」
「つーかなんで過去形?」
キルアとレオリオからツッコミが入る。過去形の意味に気づいたクラピカが「レオリオ、それは…」と眉を顰めるとレオリオはハッとして謝ってきた。そこは別にどうでもいいので「大丈夫だよ」と言いながらボディバッグから取り出したファスナー付きのプラスチックバッグ(食品保存用)にバターケーキを入れる。
「って、おいシグネ。お前いくら育ち盛りだからって持って帰るのは行儀が悪いんじゃねーか……?」
「違う。これは私じゃなくてゴンの分」
流れるような動作でバターケーキを持ち帰ろうとする私を見てレオリオが少し言いづらそうに指摘してきたので即座に否定する。いくらバターケーキが美味しいからって私もそんな恥知らずな真似はしない。
到着予定の八時まであと十五分ほど。しかし未だゴンが食堂へ現れる気配はない。ということは、彼はまだどこかで眠っているんだろう。今起きたところでゆっくり椅子に座って朝食をとる時間はない。朝食抜きでは元気が出ない。
「だから試験中でも食べられるようにこっそり持っていってあげようと思って」
「お前、内緒で飼ってる犬じゃねーんだからよォ」
レオリオはハハッと笑った。動物が苦手な私にとって内緒で犬を飼うなどフィクションの世界でしか起こり得ない話だったので反応に困った。
「しかしシグネの言う通り、そろそろ起きないとまずいな。捜しに行ってくる」
クラピカがそう言って席を立つと「オレも行くぜ」とレオリオが皿に残っていたパンをかじりながら言った。面倒見の良い人達だな、と思った。全く捜す気がない私とキルアは座ったまま「いってらっしゃい」とのんびり食事を続ける。
二人が席を離れてすぐ、背後から風を切る音が耳に入った。
私目掛けて何かが飛んできたようで、振り向かずに上体を左に傾け、右手で飛んできた何かを掴む。食事用に用意されていたテーブルナイフだった。取ったナイフをくるっと回しながら後ろを確認すると少し離れたところに針だらけの301番がいた。あいつか。
標的を見定めてナイフを投げ返す。301番は危なげなくキャッチした。すると何のつもりか再びナイフが飛んでくる。もう一度投げ返すとさらに投げ返され、謎のラリーが続く。
朝から何なんだ、と煩わしく思う反面、不思議と懐かしくもあった。メンチさんが包丁でジャグリングをしていた時と同じような懐かしさに、もしや私達は日常的に刃物を投げ合うような仲だったのでは、と思い至る。なんて物騒な仲だろう。
このままではいつまで経っても終わらないので、私の手元に何度目かのナイフが届いた時、わざと301番とは真逆の方向へ投げた。常人には目で追えない速度で飛んだナイフは、音を立てて食堂の壁に突き刺さる。ワンテンポ遅れて気付いた他の受験生がぎょっとしていた。
また何か投げてくるかも、と警戒するが、301番は飽きたのか席に座って何事もなかったのように食事を取っていた。なんだあいつ。もしかして構ってほしいだけ?
私達のやり取りをしっかり目で追っていたキルアは「あいつ飯とか食うんだ〜」と意外そうな顔で言う。ロボかなんかだと思っていたらしい。
***
『皆様大変お待たせ致しました。目的地に到着です』
というアナウンスが飛行船内に響いたのは昨夜聞いた到着予定時刻を大幅に遅れた九時半近くのことだった。あと一時間寝れたじゃん。
キルアと共に窓に張り付いて外の様子を見る。高い塔に近付いている、と思ったら飛行船はそこの天辺に止まろうとしていた。
「あ、キルア!シグネ!」
後ろからバタン、と扉が開く音がすると同時に、慌ただしい足音と共にゴンが飛び出してきた。キルアが「おせぇーよお前」と呆れたように笑う。ゴンは慌てた様子でリュックを背負うと「もしかして着いた!?」と私達の隣に来て窓の外を覗き込んだ。どうやらさっき起きたようで、ゴンは「寝過ごしたかと思って焦った〜」と安心したように笑った。クラピカとレオリオは彼を探し出せなかったらしい。
こんなところにいたんだ、とゴンが出てきた部屋を覗き込む。トレーニングルームのような広い場所だった。私の後ろで「気づいたら寝ちゃってさ〜」とゴンが明るく言っている。キルアはきっとゴンが何処にいるか分かっていたんだろう。私は朝食を終えた後キルアに誘導されてここまで来たので、彼はいざとなったらゴンを起こすつもりで私と待っていたんだと思った。
三人で乗降口まで向かう。まだドアは開いていないようで、集まった他の受験生達と共に待っているとぐう〜と大きな音が聞こえてきた。ゴンのお腹の音だった。
恥ずかしそうにゴンがお腹を押さえる横で、キルアが私を見る。私も今がチャンスだと思ってボディバッグからバターケーキが入った袋を取り出し「あの、これ」とゴンに渡した。
「食堂でゴンの分も取っておいたの。よかったら食べて」
「えっ!本当に!?」
ゴンは大きな目を丸くさせると「ありがとう!!」と嬉しそうにバターケーキの袋を受け取った。
美味し〜!と幸せそうにケーキを頬張る姿は自然と周囲の注目を集めていて私は少しばかり居心地が悪かったが、想像以上に喜んでもらえたことに達成感でいっぱいだった。キルアが「ゴンはなんでも喜ぶし、なんでも美味いって言うぜ?」と茶々を入れてきたが気にしなかった。
ゴンは三切れ分のバターケーキをぺろりと平らげると私に向き直り、邪気のない笑顔を見せた。
「本当にありがとう!シグネって優しいんだね!」
お礼と共に言われた言葉に、ぱか、と口が開く。優しいなんて初めて言われた。ドキドキしながら「う、うん……うん……?」と返す。優しいって言われた時の返し方がわからない。
私にとって優しい人というのは、他人へ有益になる何かをしてあげる人のことだ。見ず知らずの私を気遣ってくれた80番のような人のことだ。
私はただ、ゴンが朝食を食べられないのは可哀想だったから何か持っていってあげようと思っただけだった。それだけのことでゴンは私を優しい人だと思ってくれたらしい。他人から優しいと思われるのは、私が考えていたよりもずっと簡単だったみたいだ。それとも私に周りには、今までそんな風に言ってくれる人がいないだけだったのか。
黙り込む私を見てゴンが「どうしたの?」と首を傾げた。キルアが「壊れた?」と言いながら私の頭を何回か叩く。電化製品の間違った直し方を私で実践するのはやめてほしい。
別に壊れてない、と容赦なくこちらに襲い掛かるキルアの手を受け止めて言った。
「優しいなんて初めて言われたからびっくりしただけ……」
「そうなの?シグネは優しいのにね」
ゴンはきょとんとしていた。また言われてしまった。
恥ずかしくなって視線を逸らす。離れたところに301番を見つけた。
どうやら彼はこちらをずっと見ていたようだ。目が合ったので「どうだ?私はちゃんと友達を作ろうとしてるぞ」と誇らしげに胸を張ってにやりと笑ってみせると301番は不愉快そうに眉を顰めた。
その反応に、やっぱりと確信する。あいつ、さては友達いないな。
ミザイストムからのメールを読んだ後、私は私なりに301番について分析していた。彼は自分に友達がいないから同じく友達がいない私にシンパシーを感じていたのだ。私が「友達を作りに来た」と言った時に強めの解釈違いを起こしたのは、彼が創り上げた『友達を作らないシグネ』らしかぬ言動への失望と共に、きっと一人取り残されて裏切られたような気持ちになったからだ。
なるほど、そういうことね、と納得する。見せつけちゃったか〜、私の協調性の高さ。これが本当のシグネなんだよね。
丁度乗降口の準備ができたようで前の受験生達がドアに向かってゆっくりと進み出す。優しい、私は優しい、と機嫌良く後に続くとキルアが「壊れた?」とまた後ろから私の頭を叩いた。壊れたとしてもそれじゃ直らないよ。
私達が降ろされた場所は先程窓から見えた塔の天辺で、何もないし誰もいないところだった。一体どんな試験を行うのか予想もつかない状況に、受験生達の目は説明を求めて自然とビーンズさんの方へ向いた。
ビーンズさんは飛行船から受験生全員を降ろし終えたことを確認すると「ここはトリックタワーと呼ばれる塔の天辺です」と口を開いた。ここが三次試験のスタート地点らしい。受験生は皆黙っていたので、聞こえるのはビーンズさんの声と風の音だけだった。
「さて試験内容ですが、試験官の伝言です。“生きて下まで降りてくること。制限時間は72時間”」
それだけ言うと、ビーンズさんを乗せた飛行船は塔から飛び立っていった。謎解きかな?
残された受験生達は皆思い思いに散らばる。端まで行って下の様子を窺うと塔の側面は窓一つなく、飛び降るという選択肢は高さがありすぎて現実的ではなかった。二次試験のマフタツ山の時みたいに下は白く霞んでよく見えない。
ここからは無理、と皆が早々に諦める中、一人の受験生が外壁をつたって降り始めた。ロッククライマーらしい。ゴンとキルアと一緒に彼が降りる様子を見守っていたが、残念ながら途中で怪鳥に襲われてしまった。あーあ、と怪鳥の群れに狙い撃ちされる受験生を眺める。
正直、堅を使いながら滑り降りれば
景色が良かったのでキッズ用携帯で写真を撮りながら塔の端を歩いていると、一瞬、踏んだ床が動いたように感じる場所があった。周囲を窺う。皆壁から降りるのは無理だととっくに理解していたので、こんな端にいるのは私だけだった。
屈んで床に手をやり、どこが動いたように感じたのか探す。気のせいかと思ったが、手のひらを押し当てると確かに床が動く場所があった。グッと手に力を入れると床はカコン、と音を立てて下へと動いた。やはり塔の内部に通じる隠し扉になっている。
その隠し扉は人ひとり分が通れるくらいの幅しかなかった。ここに両足を乗せて、体重を掛けると扉がひっくり返るわけだ。
考える前に私は隠し扉に両足を乗せた。床がガコン、と音を立ててゆっくりと動いた。
無事に塔の内部へと降り立ってから、私は「あ、こういう時は情報共有をするのか」とゴン達のことを思い出して後悔した。
仕方がない、切り替えていこう。