目からビームが出る女とクロロ
あのビーム女はいつも大きなサングラスを掛けていた。
グレーのレンズから女の丸い目が透けて見えていたが、その瞳がどんな色をしているのかは分からない。

女の名前は知らない。正確には知らないのではなく忘れた。
初めて会った時にお互いに自己紹介をしたが、あの女の名前には興味がなかったので覚えていないのだ。
ねえ、とかやあ、とか適当に声をかければ自分とそう年も変わらないあのビーム女は振り向くし、君と言えば会話はできる。つまり向こうが俺の存在を認識さえしていれば名前なんて知らなくとも何の問題もないわけだ。
俺の興味はあの女の念能力にしか向いていない。

「本当に良かったんですか?」
「もちろん。気にしないでよ」

笑みを浮かべてそう言うと向かいに座るサングラスの女は、申し訳なさそうにお礼を言ってきた。なんてことはない。自分が奢るからと食事に誘っただけだ。
この女は放出系の念能力者だ。知り合った、というか姿を見かけたのはほんの数週間前のことで、偶々仕事先にこの女がいた。パーティーの客として居合わせたこの女は俺達が起こした騒ぎを知るとサングラスを取って目からビームを出して壁を破壊して自分用の逃走経路を作って一人逃げていた。遠くからその光景を目にした時、正気じゃないと思った。何故その能力を選んだ?
それからまた偶然が重なり、このビーム女がもう一つ転移能力を持っていることを知った。使い勝手が良く便利な能力だと思い、女に近づいた。幸いにも向こうは俺がパーティー会場で騒ぎを起こした張本人だと気が付いていないらしい。そりゃそうか、真っ先に壁破壊して逃げてたからなこいつ。

それから転移能力を奪うために面倒だが時間をかけて、意外にもガードが固いこの女と親しくなり機会を窺った。そして今日、食事に誘ったのだ。この女は金がないようで、昨日もこのレストランの前でうろうろしていると思ったら、近くのパン屋へ向かい「夢のため夢のため…足が動けば問題ない…」と呟きながらそこで恵んでもらったらしい一切れのフランスパンを大事そうに齧っていた。怖かった。
だからこそ、食事を奢ると言えば申し訳なさそうにしつつもあっさりと着いてきたのだ。極貧生活でも送っているのだろうか。その割には普段から着ているものはしっかりしていて清潔感がある。何より身に着けている腕時計やイヤリングはかなりの高級品だと一目でわかった。金ないならそれ売れよ。

まあ、そんなことはどうでもいい。さっさと貰おう。
既に盗む手順の一つはクリアしている。食事に誘ってすぐに「歩くの面倒なんで飛びましょう」と言われて女の能力で店の裏までワープしたのだ。どうやら肩を掴めば自分以外の人間も一緒に連れて行くことができるらしい。
適当に理由をつけて後で使わせる予定だったので、こちらとしては勝手に披露してくれて好都合だ。あとはこの食事中に必要な手順を踏ませれば簡単に転移能力は手に入る。
こちらの思惑は悟らせぬように、この時間は親切な人間を演じることにした。

「そのサングラス、食事の時くらい外したら?」

女の目を隠しているサングラスを見ながら言う。別にマナー云々を注意したいわけではなく、単に気になったから言ったのだ。

「なにか意味があるのかい」
「目を見られたくないんです」

ビームが出てくるからか。
ついさっきもワープした先にいた鳩をビームで蹴散らしていた。自分が言うのも何だが危険すぎて流石に引いた。こいつ頭おかしいだろ。
なんて俺が思っているとは知らずに女は会話を続けた。

「クロロさんこそ、いつも本を持っていますね」
「はは、読みたいものが沢山あってさ」

このビーム女の前でだけいつも本を数冊持ち歩くようにしている。今日も三冊手に持っていた。
時間が足りなくて参っちゃうよ、と口にすればビーム女は「本がお好きなんですね」と感心したように頷いた。
そこまで話したところでテーブルに料理が運ばれてきた。目の前のビーム女は腹が減っているだろうにがっつくことはなく、俺にもう一度礼を言ってから行儀良く食事を始めた。大した店でもないというのに随分と食べ方に気を遣っていて、細かい所作から育ちの良さすら感じる。サングラスかけたままだけど。


「君こそ本が好きだからいつもベンチで読んでいるんだろう?」
「いえ、あれは好きで読んでいる本じゃなくて、弟に薦められたというか、押し付けられたというか…だからとりあえず読んでいるだけなんです。必ず感想を聞かれるので」
「弟さんと仲が良いんだね。二人兄弟?」
「いえ、五人兄弟なんです。兄が二人に姉と弟が一人ずつ」
「へえ、楽しそうでいいね」

適当な相槌を打つ。何の意味もないどうでもいい会話はこの程度で十分だろうか。
周りの客の様子を窺ってから、先程よりも小さめの声で言う。

「そういえば君、ハンターを目指しているんだよね。今期の試験はもうすぐだけど、受けるの?」
「ああ…、考え中です。なんていうか、まだまだかなって」
「何が?」

全部です、と落ち込んだような声色で続けて女はため息をついた。聞くところによるとこの女は既に二回試験に落ちているらしい。へえ、あんな簡単なものに受からないなんて向いてないんじゃないか。まあ頭おかしいから仕方がないな。

「全然駄目なんですよね、私。念まで使えるのに…向いてないのかなって」
「そうかな。君とは最近知り合ったばかりだけど、それでも十分プロになれる実力と素質があるように見えるよ。特にほら、君がさっき使っていたアレ、とても良い能力だよね」
「アレですか?ふふ、アレって昔、弟と遊んでいた時にふざけて使っていたやつを再現したんです」
「へえ、そうなんだ」
「いつか本当に使えたらいいなあ、ってずっと思ってて」

どこか懐かしそうに話す女を見ながら、考える。ワープ能力の元になったものを昔遊んでいた時に使っていた?かくれんぼか?
何の遊びでそう思ったかは知らないが、確かに誰だって子供の時に一度はワープができたら良いと憧れるだろう。特に変だと感じることはなく、話を進めた。

「アレって制限なしに何度も使えるの?」
「いいえ、一日四回までです。でも四回分に分けて使うはずのオーラを全てこめて一回分にして距離を伸ばすこともできるんです」
「なるほどね。一回分にしたらどのくらいまで行くの?」
「その時は最大で一キロですね」

転移能力にしては案外範囲が狭い。だが聞く限り他の制約もそんなに難しいものではないようなので、こんなものかと思う。その場から離れたいだけなら十分だろう。
しかしまあ、俺が念能力者だと知っているのによく自分の能力をペラペラと喋れるな。バカか。
ちら、と自分の腕時計で時間を確認する。残りは十五分、そろそろ店を出て仕掛けないと。
ビーム女に目をやると皿の上のものは綺麗に片付いていた。食べるのは早いらしい。さらには俺が時計を見ていたことに気が付き、「もう出ましょうか」と向こうから口にした。初めてこの女に好印象を抱いた。
会計を済ませて外へ出ると女が深々と頭を下げてもう一度お礼を言ってきた。気にしないで、と返しながら当たり障りのない会話をしつつ人通りが少ない道へ誘導して、周囲に人影が無くなったのを確認したところで腕に抱えていた本をわざと落とす。

「あら、大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう」

落とした本は四冊。自分の足元に落ちた本を女が拾って俺に差し出し、ぴたりと動きを止めた。サングラスから透けて見える女の目は、俺が自分で拾い集めた三冊の本に向けられていた。

「…この本って」

言いかけたところでぐらりと女の身体が傾く。サングラスが外れて一瞬、ガラス玉のような丸い瞳がこちらを見た。初めて見たブルーの瞳は中々綺麗だった。
やっぱり弱い。念がそこそこ使えるだけで本人の身体能力は大したことないな。気を失った女の掌を拾ってもらった本の表紙に合わせてから壁に寄り掛かるようにしてその場に置いていく。あの女も一応は念能力者だ。直に目が覚めるだろうし、この辺りは治安も良いので放置しても大丈夫だろう。死にはしない。死なれては困る。

***

「団長、何で扉の前に突っ立ってるの?」
「今から盗ってきた能力を試すんだ。中々良い能力でな」
「ふーん」

錆びた扉の前にいる俺にマチは興味なさげに返した。近くで見ていた他の連中は俺の盗ってきた良い能力とやらが気になるようで早くやってくれ、と騒ぎ出す。まあ、待て。
そうだな、試しにこの扉からアジトの外まで飛んでみるか。団員の視線を受けつつスキルハンターを発動した。
あのビーム女のページを開いて聞き出した通りの制約を遵守し、使ってみる。瞬間、爆音が響いた。
一瞬の出来事だった。何とも言えない熱さを感じて反射的に閉じた目を恐る恐る開けてみるとそこにあったはずの錆びた扉は綺麗さっぱり無くなっていて、長い廊下の先から外の光と風が入ってきた。わあ、すごい、風を感じる。

「………………」
「……は?」
「……え?」
「何今の?え?ねえ、何今の?」
「団…長……?」
「良い能力…?」

そう、扉が吹っ飛んだ。なんという威力だろうか。たった今起きたことを説明するとつまりなんていうか、あの、凄まじい勢いで俺の目からビームが出てきたのだ。やったな、とりあえずここから外までは飛べるぞ。
俺はこの日のことを、驚きと笑いを堪えるような顔で俺を見てきた団員達のことを一生忘れないだろう。

なんてことだ、間違え…いや、俺はあのビーム女に騙されたのだ。あの女、何も知らないバカの振りして俺の目からビームが出てくるように仕向けるなんて。
俺を見て爆笑するノブナガやシャルに『騙された』なんて知られたらもっと馬鹿にされるだろう。それが嫌で、つい震える左手で片目を隠しながら「良い能力だろう…」とか言ってしまった。良いじゃん!それ超良いじゃん!とウボォーさんが吹き出しながら言ってきたので物凄く惨めな気分になった。何が良いんだよ、ふざけてるのかいい加減にしろよ。
俺は心に大きな傷を負った。誰にも何も言わずに黙ってアジトを去った。もう暫くはあそこに帰れない。笑われる。
そして沸々とあのビーム女への怒りが湧いてきた。騙しやがって。そう、俺は騙されたんだ、決して間違えたわけじゃない。

何とかもう一度あの女に会おうとあいつに出会った街へ戻ったのだが、危険を察知したのか偶然かいつの間にかいなくなっていた。面倒だが捜すしかないだろう。
しかし、よくよく考えてみれば俺はあの女について何も知らなかった。初めて会ってから二週間弱、色んな話をしたはずだが念能力にしか興味がなかったので殆ど聞き流していた。覚えているのはハンター志望で五人兄弟であるという事くらいだ。念でも使われたのかというくらい聞いたはずの女の名前は出てこなかった。名前さえ分かれば調べようもあるというのに、こんなことならちゃんと記憶しておけばよかったと今更ながら後悔する。
何時間もかけてようやくファミリーネームが苗字だったことだけ思い出した。ここまで出てこないとは、俺は本当にビーム女本人には興味がなかったのだろう。あいつ頭おかしいから仕方がないな。

ようやく分かったファミリーネームで調べて見る。電脳ネットが画面に示したのは有名な大富豪だった。ファミリーネームは苗字。
自己顕示欲の強い男でメディアへの露出も多い。少し前には大統領選挙に出馬していたほどだ。五人の子供がいて、息子が三人に娘が二人。長男は父親の会社の副社長で長女はその秘書をしていて次男はカジノ経営、三男は逮捕歴まであるバカ。唯一次女だけがどこで何をしているのかわからない。噂じゃハンターを目指しているというが実際のところは誰も知らない……って、まさか。
そこまで目にして、その次女について調べる。何でも良いと手当たり次第に探った結果、一枚の写真が見つかった。そこには苗字の長女ともう一人、噂の次女が大きなサングラスを掛けた姿で写っている。偽名の可能性もあったが、やはりあの女はバカだったらしい。ふっと笑いが漏れた。

待ってろ、あのくそビーム女。絶対に許さないからな。

[pumps]