勘違いトリップ
※ツイッターで話した安室透トリッパー説から着想を得た話です。でも安室透出ません。
支部にも同じものがあります。


いつも通り目が覚めて、いつも通り朝食をとり、いつも通り大学へ行こうとマンションを出た時、妙なことに気が付いた。
道が違う。真っ先に頭に浮かんだのはそれだった。
私が暮らすマンションは駅までほぼ一本道で徒歩十分程の距離にある。アクセスは良いが周辺の商業施設が少なく栄えているとは言い難い。
しかし今私の目に映っているのは緩やかな上り坂。ぼーっと眺めていると整備された車道を乗用車に続いてバスが通過する。

数秒固まった後、背後にある六階建ての建物を振り返る。マンション名は合っている。外観も間違いない。
一度に中へ戻り、自分の部屋まで引き返す。階数も部屋番号も正しい。しかし両隣の住民の名前が違った。山田と上田だったはずなのに杉下と亀山になっている。
ゾッとして手が震える。いや、元々そんなに交流はないし、急に引っ越して新しい人が来た可能性はある。
鞄からカギを取り出し、先程何も考えずに出てきた部屋のドアを開く。そこは間違いなく私が普段暮らしている部屋だった。玄関には昨日履いて仕舞い忘れたブーツもあるし、廊下には帰ってから片づけようと思っていたスウェットが落ちている。
まるでここに初めて引っ越してきた日のように部屋を隅々まで回る。何の違和感もない自分の部屋だが、ベランダに出てみるとやはり見覚えのない景色が広がっていた。思わず立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。なんじゃこりゃ。

暫くベランダで呆然とした後、ようやく身体に力が入ってきたので立ち上がり、室内へ戻った。
訳が分からなくなったので一旦落ち着こうとテレビを点けた。見知らぬタレントが各地の美味しいものを紹介している。
お茶でも飲もうかな、と現実逃避をしながらリモコンのボタンを押して番組表を開くと知らない番組ばかりだった。なんてこった、ここまで浸食されている。さっきから一体なんなんだ?

テーブルに肘を着くと床に放っていた鞄の中から音がした。探ってみればスマホに「一限休むの?」という友人からのメッセージが届いていた。あ、大学。ていうか待って、連絡取れるじゃん。
慌ててアプリ内に登録されている友人達を確認する。ざっと見た限りは全員いる。知らない人物もいない。

この事実は私の不安を吹き飛ばしてくれた。少し気持ちに余裕ができたので友人には「午後から行く」と返す。疲れたから午前は自主休講しよう。
しかし、ほっとしたのも束の間、お茶を飲みながら友人達とのやり取りやSNSの投稿内容を確認すると所々おかしな部分があった。
聞いたこともない地名や行った覚えのない場所について言及しているのだ。ポアロのケーキ美味しかったね〜!とあるが何の話だこれ。私も店員がイケメンだったとか普通に返してるんだけど、ホントに何の話だ?存在しない記憶が捏造されている…。

暫く考え、スマホで位置情報を確認してみることにした。
薄目でちら、と画面を見てみると東京都米花市米花町と出ている。やはりというかなんというか、ここのマンションの住所ではなかった。これなんて読むんだ?ヨネハナ?コメハナ?
コピー&ペーストで検索をかける。ベイカと読むらしい。路線図で見ると新宿に近いようだが、よく見れば湘南新宿トレインという絶妙に名称が違う路線の停車駅だった。名称どころじゃない、ぽつぽつ知らない停車駅がある。

何より私の大学の最寄駅がない。慌てて大学名で検索をかけたが、似たような名前の他県の大学がヒットするだけで私が通う大学のホームページは出てこなかった。じゃあ皆今どこで一限受けてるんだ?
ドキドキしながら私のマンションがある本来の駅名と大学の最寄駅名でルートを調べる。結果は『該当する目的地はありません』だった。

いよいよ恐ろしくなってスマホを手放す。まるっきり全てが異なるなら未だしも一部は元のままなのだ。これがSF(すこしふしぎ)ってやつなのか?
友人には午後から大学に行くといったが、無理そうだ。最寄駅消滅してるんだもん。

ここまで考えてあるものの存在を思い出した。そうだ、学生証。鞄の外ポケットを開く。専用のケースに収められたカードを見ると『帝丹大学』の文字。どこだよ。
しかしこの学生証は間違いなく私のものだった。名前も合っているし、写真は入学前に撮ったあどけなさの残る自分だ。この写真変えたいんだよね。ついでに学籍番号も同じだった。この際それはもういい。

学生証を鞄に仕舞う。こういう時、どうすればいいんだろう。
位置情報や最寄駅消滅については、私のスマホが壊れた説もまだありえた。でも学生証まで出てきてしまった。時間は経ったが外の景色も変わらず、ベランダから差し込む陽射しに目を細める。暖かい。

放り出したスマホをもう一度手に取り『大学 最寄駅 消滅』『ワープ SF』『元の場所 戻り方』などと思いつく限りのキーワードで調べてみる。出てくるのは眉唾なパラレルワールドの存在やSFものの小説タイトルばかり。
しかし身一つでこんな状況に置かれているわけではない、という謎の事実が私の思考を鈍らせた。怖いけど、家あるし友達いるし。
もしかして寝たら全部元に戻っているのではないだろうか。考えることをやめた私はそのままカーペットの上に寝転び、目を瞑る。
世界のバグみたいなものだろう。あとでネットに「不思議な世界に迷い込んだ話をする」ってタイトルで書き込んでやろう。

意識が浮上し、ゆっくりと上体を起こす。
首を動かすとコキ、と音が鳴った。スマホで時間を確認するととっくにお昼を過ぎていた。あー、大学行かないと。
今日は元々三限が空きコマで四限を受けたら終わりだった。時間的には十分間に合うだろう。
立ち上がると空腹を感じる。途中で何か買って教室で食べよう。簡単に身支度を済ませると廊下に放っていたスウェットを片し、玄関のブーツを仕舞ってから部屋を出る。
しっかりと戸締りをしてから、ついでに両隣の表札を確認した。はい、杉下と亀山。そのまま下の階へ降りてマンションを出る。はい、緩やかな上り坂。

はい、戻ってません。



マンションを背に、腕を組む。
脳内では帝丹大学に行ってみるか?と提案する私と出来るだけここから動きたくない!と主張する私が殴り合っていた。死闘の末、友人に連絡をして近くまで来てもらうことにした。
正直一人でどうにかできる問題ではない。全部話して今後のことを相談しよう、と決意しアプリを開いてメッセージを送る。
今日は大学に行けないこと、話があるので出来れば家の方まで来てほしい旨を簡潔に伝える。今の時間だと彼女は私が取っていない授業を受けているはずなので、メッセージに気が付くのはもう少し後だろう。と思っていたら即返ってきた。授業中にスマホを弄るな。

かなり勝手な話なのだが、ありがたいことに快諾してくれた。了承のスタンプに次いで『ポアロで待ってて』と送られてくる。どこなの…?
しかし今度は見覚えがある。そういえばケーキがどうたらこうたらというやり取りをしていたはずだ。つまり店の名前なのだろう。
こっちへ来てほしいという私のお願いを受け入れた上で指定されたわけだから、恐らく米花町に存在する店。
『米花町 ポアロ』で検索をする。喫茶店のことだったらしい。マップでルート確認をするとここからそう遠くなさそうだが、曲道が多いのでちゃんと行けるか不安である。
マップを開いたまま大きく一歩を踏み出す。よし、このくらいは大丈夫だ。行くぞ。


ポアロを見つけたのは約四十分後のことだった。五回ほど道を間違えてしまったので仕方がない。こうして辿り着けたなら充分だろう。
達成感でいっぱいの胸を押さえながら周囲を見回す。ポアロは大通りに面する小さな喫茶店だった。なんと上は探偵事務所らしい。私、探偵事務所って二回くらいしか見かけたことないんだよね。
私が今抱える問題も探偵に相談したらどうにかなるだろうか?うーん、無理だろうな。

「いらっしゃいませ」

扉を開くとカウンターの向こうの若い女性がにこりと笑った。
中途半端な時間だったので店内のお客さんはまばらだった。お好きな席へどうぞ、と女性に声を掛けられ、カウンターと迷ったが相談の内容が内容なので取り合えず二人掛けの適当な席に座る。
メニューを開くとお腹からぐう、と間抜けが音がした。そういえば朝以来何も食べていない。ナポリタンでも食べるか。あと食後のケーキとカフェラテ。

注文してから、そう待たずに運ばれたナポリタンを一口。予想を遥かに超える味に感動する。
お腹が空いてるから、とかじゃなくて本当に美味しい。店員さんの目を盗んでこっそりポアロについて検索する。評価高、そりゃ美味いわ。
実際にお店を利用した人のコメントはどれも絶賛の嵐だ。食事だけでなく店員さんの丁寧な接客なども人気の秘密らしい。

皆のおすすめメニューなどを読んでいると何件か気になるコメントがあった。毛利探偵に会える日がある、あの毛利探偵に会えた、サインを貰えた等々。
はて?と首を傾げる。毛利探偵って上にあった探偵事務所の方だろうか。これだけ近いのだから店に来るのは不思議じゃない。不思議なのはここで名前が上がるほど知名度が高いということだ。サインを貰うなんてまるで有名人扱いである。

好奇心から『米花町 毛利探偵』で調べてみる。一番上に出たのが探偵事務所のホームページだった。その次が毛利探偵のニュース記事で見出しは日本を代表する名探偵。そんなにすごい人だったんだ。
私も会えたらサイン貰っちゃおうかな、等とミーハー心を疼かせながら彼についての紹介文に目を通す。眠りの小五郎の名で知られ……あ?眠りの小五郎?

指の動きがぴたりと止まる。聞き覚えがある異名だった。なんだろう、懐かしいというか…どこで聞いたんだっけ。
必死に頭の中を探る。探偵事務所の眠りの小五郎…本名は毛利小五郎…?画像検索をするとちょび髭が特徴的な背広姿の男性が出てきた。あれ、この顔知ってる。

その時、来客を知らせるベルが鳴った。バイトの時の癖で反射的にそちらへ顔を向ける。
そこには現在進行形でスマホに映し出されている男性とこれまたやけに見覚えのある小学校低学年だと思われる眼鏡の男の子が立っていた。
わあ、江戸川コナンだ。歩いてる。

[pumps]