蔵内に娘だと思われている同級生
「苗字は見てて心配になる奴だよな。俺からしたら娘みたいな感じだよ」

高校二年生の夏にそう言われてから私は『蔵内の娘』になった。
会長こと蔵っちこと蔵内和紀くんはうちの学校の生徒会長を務める優等生。穏やかで聡明で理知的で、大変な心配性だった。どのくらい心配性かというと体育祭で私が脱水症状を起こさないよう事前に飲み物や塩分補給タブレットを用意したり、台風の前日に我が家の窓ガラスの強度や懐中電灯の有無を確認したり、不審者情報が出ると慌てて防犯グッズをかき集めて私に持たせたり、総会で全校生徒に向かって連絡事項を伝えているはずなのに明らかに私と目が合っていたり、交通系ICカードの残高が不足していないか気にして「チャージしてるか?」と聞いてきたり、一週間の気温や天気を細かくチェックして私が快適な日々を過ごせるよう助言してきたり、冬でも短いスカートを履く私を見て「もっと暖かい格好をした方が良い」と毎日のように言ってきたり、なんか色々。しかし彼を心配性だと認識しているのは私だけらしい。

「心配性?別にそんな事ねーだろ」

荒船くんが言った。さらに「用意周到とか、完璧主義ってんなら分かるけど」と続けたので上記のエピソードを話してみると荒船くんは少し間を空けてから合点がいったように頷いた。

「それはアレだな。子離れ出来てないんだろ」
「子離れ……?」

子離れ……?同い年なのに……?と当然の疑問を持つ私に、荒船くんは「会長はお前のこと娘だと思ってるから」と平然とした態度で答えた。
どう考えてもおかしな話だが、うちの学年では私が『蔵っちの娘』であることは周知の事実だった。そして驚くべきことに、蔵っちという人間への信頼感からか、誰もその扱いを疑問に思わない。
写真が趣味の蔵っちが常日頃から私の写真を大量に撮っているのも「成長記録」「毎日がイベント」「子供の成長は早いからね」とか微笑ましそうに言われる始末だ。蔵っちのスマホのカメラロールは黒板消しを綺麗にする私とかコーラを一気飲みする私とかテスト返却後に死んだ目でピースする私とか購買でパンを求めて戦う私とかで埋まっている。撮影技術が高いので全部無駄に盛れていた。是非卒業アルバム用に提供してほしい。
蔵っちとはクラスが違うので本来なら顔を合わせる機会は少ないのだが、彼は心配性なので三日に一度はうちのクラスまで来て私の生存確認をしている。比喩でもなんでもなく本当に生存確認をしている。生きている私を見て「生きてる……」と安堵するのだ。

「苗字はそそっかしくて、目が離せないというか……放っておいたら死ぬんじゃないかと思ってな。今日も無事で良かった」
「朝から言い過ぎだよ」

蔵っちと出会う前もちゃんと生きてこれたよ。
生存確認は済んだはずなのでもう帰れとばかりに手で追い払うと蔵っちは困ったように微笑んだ。違う違う、親に反抗する思春期の娘ムーブしてるわけじゃない。
こんなやり取りを見せつけられてもクラスメイトは冷やかしたり、ひそひそ話をするわけでもなく皆「またやってんな」みたいな顔をするだけで、まるで“よくある日常の一コマ”と言わんばかりに大した関心も持たず普通に過ごしていた。
蔵っちが綾辻ちゃんと二人でいると付き合ってる疑惑が出るのに、私と二人だと「会長はホント親バカだな〜」程度の温かい目と一言で終わるのは誠に遺憾だ。おかしくない?一個下の綾辻ちゃんが彼女疑惑で同い年の私が娘疑惑なのおかしくない?こう言っちゃなんだが、皆はもう少し私と蔵っちの奇妙な関係に興味を持つべきだと思う。

別に私は『蔵っちと付き合っている』と思われたいわけじゃない。冷やかされたり、噂になりたいわけじゃない。そうじゃなくて、なんかこう……おかしくない?高校生の男子が同学年の女子を娘扱いしているんだよ?おかしいよね?この違和感に気がついているのは私だけなのか?おかしいのは私なのか?
と、最初の頃は夜眠れなくなるほど真剣に悩んでいたが最近はすっかり慣れて何も考えなくなった。蔵っちに世話を焼かれて困ることは特にないからだ。
いまでは私も都合良く蔵っちを親として扱うことがある。先週の三者面談ではどうしても家族の都合がつかず、やむを得ず蔵っちを連れて行った。何も聞かされていなかった先生は「同級生を連れてきた奴は初めてだ」と私の行動に仰天し、眉を下げて笑いながらも普通に保護者用の椅子へ座ろうとした蔵っちの奇行に「お前そんな奴だったか?」と困惑していた。連れてくる私も私だが「親御さんの都合がつかない?じゃあ代わりに出席するか…」と納得して着いてくる蔵っちも蔵っちだ。急にアホにならないでほしい。




「苗字、防衛任務のシフト表が出てたけどもう確認したか?」
「あー、まだ見てない」

と答えると蔵っちは「今回は遠征の関係上かなり変則的な組み方になっていたから気をつけろよ」と続けたので「苗字了解〜」とスマホを見ながら頷いた。
本部基地の狭い通路で歩きスマホをする私を咎めるように「危ないぞ」と言う蔵っちの声が耳に入ったので、画面を見たまま空いた手で横を歩く彼の服の裾を掴んだ。蔵っちはそういうことじゃない、と呆れたようにため息をついた。
蔵っちは学校だけでなくボーダーでもこんな調子だった。私達は所属する部隊も任される仕事の内容も全く違うが、蔵っちは学校同様、わざわざ時間を作っては私の様子を見に来ていた。王子隊の作戦室に置いてあるお菓子を「美味しいから食べてみろ」と言って毎回横流ししてくるし、私が苦手に思っている二宮さんの所へ行く時もさり気なく一緒について来てくれるし、新トリガーが開発されたり、新しい戦法が流行ると私が話に乗り遅れないよう必ず情報共有をしてくれる。
それから私がランク戦の実況をすると聞くと頼んでないのに解説役に名乗り出てきて、隣の席で私の実況を聞きながら「よしよし、ちゃんと発言できているな」とでも言いたげな顔で時々頷いてたりする。どうやら授業参観か何かと勘違いしているようだ。終わった後には「分かりやすくて良い実況だった。いつの間にか成長してるんだな、正直驚いたよ」と私の成長を噛み締めている。
程度の差こそあれ、いつもそんな感じで私を構っているので、流石に妙だと思ったのか何も知らない樫尾君に「何故苗字先輩は蔵内先輩から寵愛を受けているんですか……?」と真剣な表情で聞かれたことがある。その時は、久々にまともな感性を持った人間の登場に驚き何も言えずにいる私の代わりに王子君が「父娘だからだよ」と答えて「お二人は父娘だったんですか!?」と真面目な樫尾君を混乱状態に陥らせてしまった。深く反省している。

いつの間にかボーダーでも蔵っちは私の親として扱われ始め、私に何かあると蔵っちにも連絡が行くようになった。それを迷惑がるわけでも困惑するわけでもなく当然のように受け入れる蔵っちは本当に心配性……いや、子離れできないんだなぁと思った。
蔵っちのお小言をBGMにスマホを弄っていると、画面上部にメッセージアプリの通知が表示された。身内から届いた短い文章に、思わず「はあ?」と声を出す。

「鍵忘れたって、あいつ……」
「あいつ?」
「弟」

憎々しげにそう返すと蔵っちは「へえ」と少し意外そうな声を出した。

「兄弟がいるなんて羨ましいな」
「そう?うるさいし生意気だし全然役に立たないよ」
「ハハ、楽しそうじゃないか。俺は一人っ子だから憧れるよ」

私はメッセージアプリを開いて弟に『野宿しろ』と返信を打ちながら、蔵っちの誕生日を思い出していた。

「蔵っちの誕生日って9月だっけ?私4月生まれだから姉だと思ってくれて構わないよ」

言いながら、ちら、と蔵っちの顔を見ると私の提案に「ええ……?苗字が姉……?」と分かりやすく困惑していた。その反応はあまりにも失礼では?

「あのね、蔵っちだから言ってあげてるんだよ。蔵っちはうちのアホと違って役に立つからさ」
「そうか?そんなことないだろ」
「でも蔵っちが役立たずならこの世界の人間は大体役立たずになるよ」
「それは言い過ぎ」

蔵っちは困ったように眉を下げると口元に指を一本立てながら「もう少し静かにな」と優しい声で言った。私は声を落として「蔵っちは謙虚過ぎ」と続けた。

「確かに蔵っちは私に対しては過保護で口煩いし、面倒くさいところがあるけどね。でも、頼りになる良い奴だよ」
「そうか?……そうか………ありがとう。そんな風に言ってくれるのは苗字くらいだよ。苗字こそ優しくて良い奴だな」

絶対そんなわけないのに、蔵っちは嬉しそうに笑った。分かっていたけど蔵っちは私に甘い。私の脳内でイマジナリー荒船くんが「父親ってのは娘に甘いもんだからな」と頷いた。
蔵っちは本当に良い奴だ。背が高くて、イマドキの男子高校生にしては大人びていて、見た目がカチッとしてて、ちょっと表情の機微が薄いから初対面だと冷たく感じるけど、冗談を言ったら普通に笑うし、話し方も穏やかで優しい。問題が起きたら率先して動いてくれて、気配りができて、頼りになって、皆に慕われている。
まさしく模範的な優等生で、褒める気がなくても長所しか思い浮かばないほど欠点らしい欠点は見当たらなかった。強いてあげるなら、ベッタベタの感動ドラマですぐ泣いちゃうくらい涙脆いところと私へ向ける感情が一点の曇りもない『父性愛』であることくらいだろうか。本当に蔵っちはどうかしてる。


***

12月になると遠征部隊の帰還を前に私は県外スカウトへと出発することになった。
途中まで見送りに来てくれた蔵っちは、私の首元でぐちゃぐちゃになっていたマフラーを見て「何をどうしたらこうなるんだ」と苦笑しながら奇麗に巻き直してくれた。

「忘れ物はないか?」
「ないない」
「財布は?」
「あるよ〜」
「ハンカチとティッシュは?」
「持った持った」

蔵っちは大きな旅行鞄を持った私に一通りの確認を取ると「資料はちゃんと読んでるのか?」と聞いてきた。今回のスカウト旅に関する資料のことだ。色々あって今日の朝初めて読んだが大体覚えたし、忘れても端末にデータが入っているのでいつでも見返せる。そう思って「余裕よ余裕」と親指を立てる。

「そうだな。苗字は記憶力が良いし、機転も利く。そういうところを評価されて今回の県外スカウトに選ばれたわけだし、俺が心配しなくても大丈夫だろう」
「そうそう。サクッと十人くらいスカウトしてくるから任せて」

私の軽口に蔵っちは「頼もしいな」と笑った。
まだまだ子供だと思っていた娘の成長を感じて思わずジーンとくる親みたいな空気を出していたので、近くで話が終わるのを待っていた結束ちゃんが困惑していた。ごめんね、蔵っちが私の成長に生きがいを感じてるせいで……。

「向こうに着いたら一度連絡してくれ」
「はいはい」
「同室の結束達に迷惑かけるなよ」
「がってんしょーち」
「ちゃんと皆に挨拶するんだぞ」
「おっけ〜」

出発の時間が迫っていたので、全てに対して雑な返事をして別れる。無視はしてないから大丈夫だろう。
そっと振り返ると蔵っちは困った奴だ、みたいな顔で私を見送っていた。話が終わるのを待っていてくれた結束ちゃんが私の横に並ぶ。

「あんな適当で良いんですか……?」
「いいんじゃない?蔵っちはとりあえず私に色々言いたいだけなんだから」

私のこれまた適当な返しに、結束ちゃんはいまいち納得のいってない顔で「はあ」と呟いた。
親ってのは大丈夫だと分かっていても子供に対して何かと口を出したくなる生き物なのだ。いや蔵っちは親じゃないけど。
でも私の結婚式では親族席に座れるよう手配してあげてもいいし、必要なら蔵っちに向けて手紙を読んでも良い。蔵っちはきっと誰よりも号泣するんだろう。想像するとおかしくて自然と笑えてきた。

[pumps]