二次審査には幻海自慢のゲーム機が使用された。多数の筐体が並べられたゲームセンターさながらの本格的な室内と霊能力者として高名な幻海の俗っぽい一面を目にした志願者達は、初めこそ面食らったようだったが、一次審査と異なり簡単な説明を受けた後は納得したのかこの一風変わった審査内容に文句をつけることはなかった。
「帷。ここはもういいから、あんたは次の準備してきな」
「でも……今良い感じで……!」
 審査とは全く関係のない野球ゲームに熱中していた帷は画面から目を離さず手を動かしながら言った。娯楽の少ない山の生活で、この部屋は幻海と帷の密かな楽しみでもある。
 幻海は各ゲームで高得点を叩き出す志願者達を見ながら帷にしか聞こえないくらいの声で言った。
「この審査でも思ったより残りそうだ。もう少し人数を絞りたいからね。あの森を通らせるよ」
 筐体から目を離した帷が「はあ」と察しの悪い返事をする。
「それで私は何をするんですか」
「脱落者を助けてやんな。どうせ十人も出られないだろうからね」
 幻海の言う『森』というのは、寺から随分離れた位置にある未開の地だ。樹木が多く深い森で磁石はきかず、遊歩道なんてものも当然ない。少し道を外れると元の場所に戻ることは難しい上に、危険な動植物や幻海が外で捕まえてきた妖怪達の縄張りもある。普通の人間なら、まず無事に出てくることはできないだろう。
 多少霊感がある人間と妖魔の類にも対応できる霊能力者はまるで違う生き物だ。二次審査を終えた後、残った過半数は恐らく前者だ。

 幻海の指示を受け、帷は一足先に寺を出て三次審査の会場となる森へ向かうことにした。
 烏の姿で飛んでいけば楽だし早いが、帷は人の姿のまま向かうことを選んだ。自転車に乗りたかったからだ。寺の裏手に止めてある赤い自転車を様々な角度から見ると、帷は何度もうんうん、うんうん、と満足そうに頷いた。
 この赤い自転車は、幻海の手伝い(肩叩きや草むしり、今やっている審査の手伝いもそう)をして貰った僅かな小遣いを何年も貯めてようやく買うことが出来た大切な自転車だった。別にそんなことをしなくても帷が欲しいと言えば自転車くらい買ってくれる人間は他にいるのだが“自分の力で手に入れた”という事実がより一層この自転車を価値あるものにしていた。
 目的地までは距離があるので近道を選んだ。とんでもない悪路だったが帷は気にしなかった。少し経った頃、行く手を遮る大きな石を乗り越えて自転車全体に衝撃が走るも怯むことなく進み続けた。
「あ、あれ?」
 しかし二、三百メートルも進まないうちに走り方に違和感を覚えた帷は慌ててブレーキを掛けた。一度自転車から降りて恐る恐る後輪のタイヤに触れてみると妙に柔らかい。
 突然のことに「どうして……」と帷は戸惑ったが、そもそも山道をそこらで売ってる普通の自転車で走ろうとする方がどうかしている。彼女は常識と想像力が足りないので分からなかった。
「どーしたの?」
 途方に暮れている帷の後ろから明るい声が聞こえてきた。振り向けば、見たことのない少女が小首を傾げて近付いてきた。長い髪をポニーテールにした快活そうな少女だった。ここを訪れる若い女性など静流くらいしか知らない帷は、珍しいなと思いながら口を開いた。
「タイヤの空気が抜けたみたいなんです。ほら」
「あれま。パンクかね?この辺自転車には向かない道だもんね」
 言いながら後輪のタイヤに触るとポニーテールの少女は「あちゃ〜」と目を瞑った。
「手で押していくしかないね。山道だし運ぶの手伝おうか?」
「平気です。ご親切にどうも」
「いえいえ」
 ポニーテールの少女はひらひらと手を振った。
「ところで今日はどういったご用件で?選考会ならもう始まってますけど」
「ああ、いやいや、あたしは参加者じゃないのよ」
 帷は「なら霊障の……」と言いかけてやめた。目の前の彼女は普通の人間とは少し違っていたからだ。見た目は人間そのものだが、彼女が纏うそれは人間のものではない。けれど妖怪ともまた違う、不思議な存在だった。
「ん〜、まあ、簡単に言うと選考会の応援?リーゼントの悪そ〜な顔した奴、まだ残ってるかな?」
「二人いますね」
「二人もいるの!?」
 世はまさに大不良時代。帷はリーゼントの二人組を思い浮かべると後で寧子にも教えてやろうと心の中でこっそり誓った。

「そういや自己紹介がまだだったね。あたしはぼたん」
「帷です」
「帷ちゃん……って、あの帷ちゃん?」
「そうです」
 なんのことかさっぱり分からなかったが帷は迷いなく肯定した。長年神様として周囲から丁重に扱われてきた彼女は自己肯定感が異常に高く、いつだって根拠のない自信に満ち溢れていた。
「帷ちゃんのことは知ってるよ。そっか、今は師範のところで暮らしてるんだもんね」
 ぼたんは納得したように軽く手を打った。
「じゃあ言っちゃっていいね。あたし霊界から派遣されてきたんだ」
「へえ、ぼたんちゃんって霊界の方なんですか」
「そーそー。上司命令で休日出勤さね」
「上司ってエンマ大王ですか?」
「んにゃ、コエンマ様」
 帷がああ、と短く返すとぼたんはやや迷う素振りを見せた後「帷ちゃんには特別に話しちゃおうかな」と誰もいないというのに内緒話をするように声を潜めた。
 ぼたんによると此度の選考会には奥義破りを専門にしている乱童という妖怪が志願者の中に紛れ込んでいるらしい。霊能力者や修験者から奪い取った奥義を人間相手に使っているとされ、問題視した霊界は潜入調査として霊界探偵を選考会に送り込んだ。
「霊界探偵って、彼女結婚する時やめたじゃないですか」
「いやいや、今の霊界探偵は浦飯幽助って男の子だよ」
 浦飯幽助、とぼたんに教えられた名前を帷は小さく呟く。いつの間にやら霊界探偵は代替わりしていたらしい。彼らに関する記憶は真田黒呼の結婚式を最後に帷の中で更新されることはなくなったので全く知らなかった。
「ま、とにかく。その乱童ってやつは相当危険みたいだから幽助が心配になっちゃってね。こうして来ちゃったってわけ」
「ぼたんちゃんて優しいんですね」
「いやあ、あたしは霊界探偵助手だからね。仕事よ仕事」
 口ではそう言っていたが、ぼたんの声色には温かみがあった。
「……と、長くなっちゃったね。帷ちゃんも仕事中でしょ?邪魔してごめんね」
 ぼたんはそう言うとじゃあね、と手を振って踵を返した。帷はその背中に向かって「ぼたんちゃん」と声をかける。
「そっちは寺とは反対方向ですよ」
「あらら?」
 指摘されたぼたんは恥ずかしそうに「ここ広いから迷っちゃうね」と続けた。


 ぼたんと共に寺まで戻ると既に人の気配はなくなっていた。幻海は二次審査の合格者を引き連れて森へ向かったようだ。入れ違いになってしまったぼたんに「次の審査は闘技場でやると思いますよ」と伝えて一先ず居間に案内すると帷は慣れた手付きでお茶とお菓子を用意した。来訪者への対応は昔から帷の役目だった。
 ぼたんと暫し談笑した後、帷は空気の抜けた自転車を元の場所に戻してから三次審査が行われているであろう森へ向かった。今度は初めから烏の姿で行くことにしたのであっという間に辿り着いた。
 上空から様子を窺うとあちらこちらから悲鳴が聞こえてくる。とっくの昔に審査は始まっていたようだ。帷は悲鳴を上げる志願者を見つけるとすぐには助けず少し待った。悲鳴と言ってもただ驚いて声が出ただけで、なんだかんだ自分で解決できる者もいるからだ。
 しかし大抵の者は間を置かずに「助けてー!」と叫んだ。帷は少しだけがっかりしたが、気持ちを切り替えて側に降り立つ。
「大丈夫ですか?」
 突然現れた喋る烏に対する脱落者の反応は、殆ど全員が同じものだった。違ったのは気絶している者だけだ。
「私が元の場所まで連れて行ってあげますね」
 帷が目を見てそう言うと彼らはそれまでの反応が嘘のように皆素直に付き従った。

***

 帷が脱落者を全員山から降ろし、へとへとになって戻った頃、幻海達は闘技場ではなく湿地帯にいた。
「あんた今までどこ行ってたんだい」
 人間ではなく烏の姿で戻ってきた帷を見るなり、幻海は呆れた目で言った。いなくなったペットに対するような言い方だった。
「どこって……、森で皆さんを助けてたんですよ」
 帷がむっとして返すと幻海は自分の発言を思い出したのか「ああ、ご苦労さん」とだけ言った。
「それだけ?もっと他に言うことあるんじゃないですか〜」
「頭に止まんじゃないよ」
「あれ帷ちゃん。可愛らしい姿」
 幻海の頭の上に乗ったまま文句を言う帷に気づいたぼたんが近付いてくる。
「お陰さまで幽助が無事に乱童を打ち破ったよ」
 そう言ってぼたんは右手でぐるぐる巻きにされた何かを軽く持ち上げた。何かと思えば噂の乱童らしい。帷は一寸法師みたいだと思ったが口にはしなかった。
「桑原くんボロボロじゃないですか」
 何気なく視線をずらした帷は少し離れた位置でリーゼントの桑原が倒れていることに気が付いた。立ち上がれないほどの重傷を負っていたが、幻海の霊波動で折れた骨は奇麗にくっつけたそうだ。医者も既に手配してあるらしい。
 ボロボロでもリーゼントだけは崩れずしっかり形を保っているのを確認すると帷は「良かった」と頷いた。何が良かったのかは彼女にしかわからない。
「それと奥義継承者は幽助に決まったよ。帷、あんたが世話してやんな」
 その言葉で女性三人の視線は自然と一人の少年に集まる。
「烏が……喋りやがった……!」
 霊界探偵だという浦飯幽助はこの場にいる誰よりも喋る烏に驚いているようだった。脱落者と同じ反応をされて帷はつまらなく思った。一部の地域では一言喋るだけで涙を流して喜ばれたものだというのに。
「あんたの先輩だよ。修業以外ではこの子に従ってもらうからね」
「そうですよ。ここで暮らすなら私に絶対服従してもらいます」
 幻海の頭から幽助の頭の上に飛び移った帷はふんぞり返ってそう言った。
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