ゴミ捨て場で拾った制服に身を包んだ帷は、同じく皿屋敷中の制服を纏った桑原と共に歩いていた。中学生にしては大柄で、堂々とした歩き方、何より顔立ちに迫力があるせいか、周囲の人々は桑原に気付くなり示し合わせたかのように端へ避けていく。その様子に、帷は故郷にいた頃の自分を重ねて少しだけ懐かしい気持ちになった。
「それで、修業のあてはあるんですか?」
「まあ……なくはねぇ」
桑原は神妙な面持ちで言った。帷の目には、なんだかリーゼントが萎んでいるようにも見えた。
先日コエンマからの指令を受けた後、桑原と幽助の二人は二ヶ月後に開催予定のとある武術会にゲストとして招かれたらしい。もちろんのただの武術会ではなく、妖怪が集う何でもありの大会だ。これは帷が寺へやってきた幽助本人から聞いた話だった。
“招かれた”というが、断ればその場で殺されていたはずなので殆ど強制参加だ。そしてこの大会での敗北は、ゲストの二人にとっては死を意味する。ゲストに選ばれるのは裏社会にとって邪魔な人間だということを帷は知っていた。
彼らが大会参加を決めてから数日、今以上に力をつけるため、幽助は早速幻海と修業を始めたが、桑原は一人で試行錯誤していたようだ。
旅費を貸してくれ、と家を飛び出して以来、弟の様子の変化を察した静流から「行き詰まって無茶をしないように見ててやってほしい」と頼まれたのは昨晩のことである。二つ返事で引き受けた帷は、寺を離れて桑原の元まで文字通り飛んできた。
彼が幻海を頼らなかった理由は、選考会を突破出来なかった自分が姉の紹介という形で幽助と共に指導を受けるわけにはいかないから、というものだった。彼の矜持が許さないらしい。
そして今は、桑原の先導で修業に付き合ってくれそうな人物の元へと向かっていた。
「なんで帷ちゃんまで来るんだよ?」
「私は静流ちゃんに見ててやってくれと頼まれたので」
「ヘッ、ガキ扱いしやがって」
「私達の方が長く生きてますからね。仕方ないですよ」
帷が言うと桑原はちらりと視線を向けた。頭の中では、静流が帷を紹介してきた時の会話を思い出していた。
「帷ちゃんって妖怪だったんだな……」
「いやぁ、びっくりですよね。妖怪って意外と身近に潜んでますよね〜」
「なんでそんな他人事なんだよ」
どの立場から発言をしているのだろうか。
「でもそうだよな。確かに、居るところには居るんだよな」
言いながら桑原はこの短い期間で遭遇した妖怪達を思い浮かべた。
「まあそれは置いときましょ。それで、その修業に付き合ってくれそうな人って、どんな人なんですか?悪い人だったら私が桑原くんを守らないと」
意気込む帷に、桑原は「そら頼もしいな」と揶揄うように言った。
「でも悪い奴じゃないぜ、きっと。この間妖怪退治で一緒になったんだがよ、妖怪にしちゃ、まあまあ話の通じそうな奴なんだわ」
「妖怪なんですか?じゃあ無理です。自分の身は自分で守ってください」
「諦めるの早すぎんだろ」
「だって私が操れるのって基本は霊力のない人間か私よりも弱い妖怪だけですから。返り討ちにあいますねこりゃ」
操るって言ったこいつ。桑原は予想外の単語に驚き、つい言葉が出なかった。
「残念ながら殆どの妖怪は私より強いんです」
帷は明るく言った。全く残念そうに思っていない声色だった。
「そういうのって、どうやって見分けんだ?妖気か?」
「妖気も参考になりますけど、わざと抑えている奴もいるので信じ過ぎない方がいいですよ。でも言語がしっかり理解できて、人間に近い容姿をしている妖怪は大体強いですね」
桑原は乱童や白虎を思い浮かべた。なるほど確かに、乱童には手も足も出なかったが、白虎とはそれなりに渡り合うことができた。単に以前よりも霊気を扱えるようになったからだと思っていたが、妖怪のランクも関係していたのだろう。
「けどよ、それなら帷ちゃんも強いっつーことになんねーか?見た目は普通に人間で、会話もできるだろ?」
「いえいえ、私は頭が良いだけのただの烏なので」
頭の悪そうな答えだと思ったが、桑原は気を遣って「お、おう……」とだけ返した。帷は「私って謙虚ですね…」などと自分を強く褒め称えた。
「帷ちゃんって毎日楽しそうだよな」
「はい、とても充実した日々を送っていますよ」
言い切られてしまい、桑原はもう笑うしかなかった。
「あそこだ」
桑原が歩みを止める。辿り着いたのは何の変哲も無い学校だった。校門の横に『私立盟王高等学校』と学校名が記されている。
「え、学生なんですか?」
「おう、見た目は普通の人間でな。浦飯曰く普段は学校に通ってるらしい」
「へー、変な妖怪ですね」
「いやオメーも似たようなもんだろーが」
学校に近づくにつれ、騒がしくなっていく。丁度下校時間のようだ。帷は眉を顰めた。
「……学校って相変わらず人が多くて動物園みたいですね。ざわざわしてて話しにくいでしょう。場所を変えません?」
「そうだな。んじゃ、その辺の奴に頼んで呼び出すか」
「桑原くんだと迫力がありすぎて話しかける前に逃げちゃうと思いますよ」
力強く一歩進んだ桑原の肩を掴んで止める。帷の言葉を裏付けるかのように、偶々通りがかった盟王高校の生徒が桑原を見てびくりと肩を揺らした。わざとらしく目を逸らすと足早に去っていく。
「……そんなにか?」
「私はあなたの顔好きですけどね」
「えっ!……いや、ワリィな。オレにはもう心に決めた人がいるんだ」
「へえ、そうなんですか?」
「すまねえ!帷ちゃんも可愛いとは思うんだが……」
「大丈夫ですよ」
何故か振られたようになっていたが帷は気にせず桑原の肩を優しく叩いた。
「とりあえず私が頼んできますよ。その妖怪の名前は?」
「蔵馬。……あーっと、学校じゃ南野だったか?」
「南野ね。呼び出してもらえるよう頼んでくるので桑原くんはゆっくりお話ができそうな場所を探してきて下さい」
「じゃ、来る途中に公園あっただろ?そこに行ってるぜ」
手を上げて応えると帷は一人で正門へ近付いた。盟王高校の生徒達は他校の制服を着た帷に気がつくと物珍しそうに見ていた。そのうちの一人を帷はすぐに呼び止める。
「南野って名前の生徒さんを呼んで頂けます?桑原がそこの公園で待ってるって。すぐ来てねって」
一方的にそう話すと、帷は満足げに頷きながら、頼んだ生徒の反応を待つことなく踵を返して桑原がいる公園へ向かった。人間に頼み事を断られたことはない。
***
「桑原くん、私ジュース飲みたい」
「へいへい」
怠そうに返事をした桑原は、自分の今の気持ちを宣言するだけして自販機の前で動かなくなった帷の側に行く。
「この一番高いやつが良いです」
「遠慮しらねーのか?」
帷は遠慮などしたことがなかった。今まで関わってきた人間の多くは、帷の歓心を買おうと何でもしてくれたからだ。
桑原は「しょーがねえな」と呟きながら自販機に小銭を入れた。話をしているとなんとなく、言うことを聞いてやりたいと思えてくる。そんな何かが帷にはあった。
指定されたジュースを購入してやると帷は大袈裟なくらい喜んだが、一口飲むと「美味しくない。残りはあげます」と残念そうに手渡してきた。桑原はこの女ぶん殴ってやろうかと思ったが我慢した。
「あ……」
「どうした?」
ふいに、帷が何かに反応する。きょろきょろと辺りを見回してから、公園の入口に目をやった。数秒して、人影が現れる。
「こっちですよ〜」
その人影に向かって帷が手を振る。向こうもこちらに気がついて、近付いてきた。桑原が目を凝らしてみるとそれは待っていた人物――蔵馬だった。桑原が傍へ行こうと足を動かしたので帷も続く。帷は蔵馬の顔を知らなかったが、彼が公園へやってきたことは妖気で察することができた。
「ワリィな、呼び出しちまって」
お互いの顔がはっきりと分かる距離まで近づくと桑原が声をかける。しかし返事はなかった。蔵馬の視線は帷に向いていた。帷の顔を目にした時、蔵馬は驚かずにいられなかった。
彼の脳裏に浮かんだのは古い友人の姿だった。帷と友人が重なる。それは、ほんの一瞬のことだったが、蔵馬は思わず友人の名を呟きそうになった。
「……?二人知り合いか?」
その妙な空気を真っ先に感じ取ったのは桑原だった。
「さあ?私は知らないですけど」
帷が不思議そうに首を傾げる。蔵馬はハッとした様子で「ごめん」と謝った。
「彼女は?」
蔵馬の目が桑原の方を向く。説明を求められ、桑原は帷の肩をぽん、と叩いた。
「帷ちゃん。姉貴のダチだ」
「はじめまして。静流ちゃんの友達の帷です」
「え……はじめまして……」
蔵馬は困惑した。姉ではなく姉の友人で、しかも妖怪。なぜ彼は姉の友人(妖怪)を連れてきたのか。
「じゃあ私はジャングルジムで遊んでますので。話が纏まったら教えて下さい」
しかも何処か行った。口を挟む隙もなく、帷はさっさとジャングルジムの方へ走っていった。元気いっぱいだった。桑原の「落ちねぇよう気をつけろよ!」という声に「はーい」と軽い返事をしながら、帷は早速よじ登り始める。
「帷ちゃーん」
蔵馬との話が纏まり、桑原がジャングルジムの方に向かって呼び掛けた頃、帷は天辺で座っていた。しかし桑原達がこちらへやってくることに気がつくとその場に片足で立ち始めた。見事なバランス感覚である。
「桑原くん、みてみて〜」
「危ねぇから止めろって!」
次の瞬間、帷は天辺から飛び降りた。桑原は息を飲んだが、危な気無く着地した。思いの外、静かなものだった。
桑原は「すげー運動神経」と呟くが、頭の中ではそれが運動神経なんて言葉で片付くものではないことを理解していた。
「あなた、蔵馬さんでしたっけ。結局一緒に修業するんですか?」
「ええ。人間の身で妖怪と渡り合っていくには、彼はまだまだ心配ですからね。付き合いますよ」
帷の問いかけに蔵馬が答える。
「一応、大会が始まるまでは秘密だからな。浦飯とかにはまだ喋んなよ」
「任せてください。私は秘密を守る女です」
親指を立てる帷を見て桑原は強い不安に駆られた。こんなに秘密をボロボロ喋りそうな奴を見るのは初めてだ。
「ところで蔵馬さん。さっきからじろじろと何見てるんですか?」
自分への視線に気づいた帷が言う。街中で目があった相手に因縁をつける不良のような言い方だった。
桑原はその時の帷の目にたじろいだが、蔵馬は特に動じなかった。
「すみません。あなたに似た妖怪を知っているから、つい」
「へぇ、そうなんだ」
どうでも良さそうな声を出す。帷はそのまま何も言わなかった。疑問が解消され、蔵馬への関心を失ったようだった。
てっきり「どんな妖怪ですか?」などと探られるだろうと思っていた蔵馬は拍子抜けした。あまり他者に興味がないのだろうか――蔵馬はもう一度帷の横顔を盗み見た。
よくよく見れば、彼女と友人は別に似ていなかった。顔の造形はもちろん、あの特徴的な耳もない。そこらの人間と変わらない至って普通の身体付きで、共通点といえば、せいぜい髪色が同じというくらいだ。外見から彼を連想させる部分は一つもない。
ただ、一瞬過ぎった。彼らは同族なのかもしれない、と蔵馬は思った。
「私ってあなたの知り合いに相当似てるんですねぇ」
また見つめすぎていたらしい。桑原と話していた帷は、蔵馬の方を向くと肩をすくめた。
「いや、そうでもないさ」
蔵馬は呟くように言ってから、申し訳無さそうに笑った。
「よく見ると全然似ていませんでした。でも雰囲気が近いのかも。なんにせよ、もう二度と会えない相手だったから、少し驚いたんです」
「そうですか。じゃあ今日は私に会えて良かったですね」
「え?ああ……、うん」
「私もお役に立てて嬉しいです」
「………………」
変わってんな、という感想が浮かんできたが蔵馬は口には出さなかった。妖怪から見ても帷は中々変わっている。