01

遊佐美也子が界境防衛機関『ボーダー』に入隊したのは第一次近界民侵攻後、民間組織としてボーダーが大々的に発足されてすぐのことだった。
東三門が壊滅的被害を受けることとなった直後、突如現れた謎の一団が近界民を撃退し、ほんの僅かな期間で巨大な基地を作り上げてしまった話は誰もが知るところだ。
「ボーダー隊員募集!近界民から街を守るのはキミだ!」などと聞いたこともない単語が飛び出る謎のCMが流れ出し、世間の話題はそれ一色、各報道機関がこぞって関係者へ取材に行くような非日常の存在から醸し出されていた空気を美也子は昨日のことのように思い出せる。

今でこそ市民からの信頼も厚く、所属しているだけでヒーロー扱いされるようなボーダーもその頃はまだ実態の知れない組織で、入隊希望者もずっと少なかった。そんな時だから試験に合格して入隊まで辿り着ける者は極少数で、今はもう辞めてしまった者も含めて全員がお互いを認知し、ポジションや隊の枠を越えてそれなりの交流を持てる程度の規模だった。
だからこそ大した長所も伝手もなかった美也子でもノーマルトリガー最強と言われる忍田真史に師事することが出来たのだ。隊員の数も増え、ランク戦などの訓練設備や体制が整った今のボーダーだったら不可能だろう。実際、本部長として多忙な今の忍田に直弟子を持つ暇はない。

美也子が入隊した当時、忍田には既に弟子がいた。兄弟子に当たる太刀川慶は美也子より二つ年上の高校生だった。
部活に入らず、縦の繋がりを持てなかったせいか特に仲の良い上級生もいなかった美也子にとって太刀川は初めて出来た異性の先輩だった。先輩という生き物についてよく知らなかった美也子はとりあえず太刀川に絶対服従した。要は距離感とか接し方とか何もかも全てが分からなかったのだ。
太刀川が人を揶揄いたがるタイプだったせいで結構な無茶をさせられたこともあったが、先輩とはそういうものだと思い込んでいたので嫌々ながらも従っていた。
兄弟子の為にほぼ毎日飲食物を買いに走る彼女を偶々見かけた古参隊員の小南桐絵に「なんでパシられてるの?」と言われるまでパシリの自覚もなかったし、太刀川は太刀川で美也子は自分のことが大好きなのだと勘違いしているのだから酷い話である。


「美也子、お前昨日の月9観た?」

防衛任務の為に制服姿のまま本部基地へ入ると丁度帰る所だったらしい太刀川に声をかけられた。なんだかいつもいるような気がするが、ちゃんと大学に行っているのだろうかと美也子は不思議に思いつつ行き来の邪魔にならぬよう出入り口から少し移動して返事をする。

「お疲れ様です。観てません」
「そうか〜!いや、すごかったんだよな〜!ネタバレしていい?田中が死んだ!」

ネタバレまでのスピードが早すぎる。良いなんて一言も言っていないのに…と震える美也子を余所に太刀川は嬉々とした様子で田中の死に様を語り出した。田中はエンドクレジットで六番目に演者の名前が載る登場人物だが、そのコミカルな役柄と俳優の名演技から一部では主役以上の人気を誇る脇役だ。美也子は密かに応援していたのでショックを受けた。何がショックって自分の目で観るのではなく太刀川の口から死の詳細を語られることである。

「てかお前スマホ壊れた?感想言い合いたくてさ、昨日放送終わってからすぐ連絡したら未だに無視されているんだが」
「え、ボーダー用ですか?」
「いや、個人用」

やべ、ブロックしてるんだった。ハッとする美也子に気が付かず太刀川は「電話してもずっと通話中だし」と頭を掻く。やべ、着信拒否してるんだった、とまたもやハッとする。
何故そんなことをしているかというと太刀川が苦手だからだ。こうして基地に来れば嫌でも顔を会わせるし、支給されてる端末で連絡を取ることの方が圧倒的に多いので、滅多に使用しない個人用の連絡ツールならバレないだろうと判断した美也子は思い切って太刀川の連絡先を消した。入隊時から続いたパシリと無茶ぶりの積み重ねで彼女にとって彼は所謂『勤務先の苦手な先輩』枠なのでプライベートまで干渉されたくない、というのが理由である。
この兄弟子は戦闘センスは抜群だが、妙なところで抜けているので意図的に仕組まれたことに気がついていないらしい。まだ誤魔化しがききそうだったので美也子はこれ幸いとばかりに「なんでですかね?調子悪いんですかね〜」と嘯いた。

「今後も通じないかもしれないんで、急ぎの時はボーダー用か他のSNSでお願いします」
「そうか、早く買い替えろよ」
「はい」

先月買い替えたばかりだということは隠し、曖昧に笑って返事をすると「でもお前コメントしても反応しなくない?」とSNSの話を振ってきた。美也子が何か投稿する度、太刀川から反応に困るコメントがつくため裏垢を作り、そちらに篭っていたせいだった。
上手い言い訳が見つからず「え〜、ちょっと気付きませんでした〜」とあからさまに視線を逸らす。流石にバレるかと思ったが「まあ、そういう時もあるわな」と納得した。マジかこいつ。

「あと早くチーム決めろよ。どんどん話しかけて友達作れ、な?」

そう言い残すと美也子の返答を聞く前に太刀川は基地を出た。

美也子は現在チームに所属していない、所謂フリーのB級隊員である。別にチームを組みたくないわけではないし、組めない理由があるわけでもない。ただ、ずっと太刀川とやってきた彼女がパシリを卒業して自由になった頃には関わりのある親しい隊員は皆チームを組み終わっていたというだけの話だ。

美也子は攻撃手なので慣れていない相手とは連携し辛い。その上、昔の太刀川の戦い方を真似ていたせいで他者へのフォローがあまり得意ではないのだ。
ある程度隊員同士の連携が出来上がったチームは勿論、コンセプトチームなどとなれば美也子が入るのは相当迷惑だろう。実際まだB級だった頃の風間隊でお世話になっていた時は「なんか先輩邪魔ですね」と二学年下の菊地原士郎にはっきり言われたくらいだ。

元来真面目な気質の為、色々と考えすぎてしまい、自分が足を引っ張るくらいならと気が付けば一人で活動するようになってしまった。それを太刀川は友達がいないからだと思っているらしい。
彼が勝手に師匠である忍田に「あいつ友達いないんですよ」なんて相談するものだから、美也子は防衛隊員歴四年目にして忍田と個人面談をする羽目になった。多忙を極める彼がわざわざ時間を作り「美也子、友達が出来ないんだって…?」と心配そうに訊ねてきた時には羞恥からその場で泡を吹いて倒れるかと思った。彼女はこういった太刀川の妙な気遣いが本当に苦手である。

***


ある日、防衛任務中の部隊以外の正隊員が忍田の指示で一か所に集められた。
滅多にない大規模な集会に一体なんだろう、と思いながら適当な席につけば始まったのは隊務規定違反についての話だった。要約すると今一度防衛隊員であることの意識を持ち直せと言う話だ。恐らく攻撃手の影浦雅人が8000ポイント没収されたことや二宮隊の鳩原未来がボーダーを辞めた件などが続いたので改めて話す必要があると判断したのだろう。

四年も在籍していれば耳にタコができるほど聞いた今更な話なので、頬杖をついて適当に聞き流していた美也子は視界に入る隊員達の後頭部を眺めていた。なんとなく視線をずらすと少し離れた位置に同じ学校の王子一彰を見つけた。
王子君だ、と思わずドキドキする。王子とは一年の時に同じクラスで親しくなり、二年では委員会活動も被っていたので顔を合わせるとよく話した。独特な感性を持ち、人に変わったあだ名をつけるので遠巻きにされることもあるが言葉に毒はないし(何なら影浦の方が嫌なあだ名で呼んでくるから苦手だ)、長年太刀川のパシリを務めてきた美也子にとってその程度の癖は何の問題にもならなかった。何より顔が良い。

うっとり眺めていると感づかれたのか王子が少しだけ顔をこちらに向けた。視線が交差すると王子がにこやかに笑って軽く手を振ってきたので美也子も手を振る。表情こそ微笑む程度だったが心の中では嬉しさからきゃあきゃあと騒いでいた。
やった、王子君と手を振り合ってる!と幸せで胸がいっぱいになっているとタイミング悪く二人の間に位置する太刀川が徐にこちらを向いた。ぱち、と目が合うと手を振る美也子を見て何を思ったか手を振り返してきた。

違う!違う!!
自分達の間に挟まる太刀川に気が付いた王子が肩を震わせながら顔を完全に伏せてしまったせいで、美也子は太刀川と手を振り合うことになってしまった。助けて…誰か…止めて…、と死んだ目をした美也子が小声で呟けば前方に座る菊地原が振り返ったが、瞬時に状況を理解すると何事もなかったかのように前に向き直った。まさに地獄である。


「美也子〜、お前話はちゃんと聞けよ」

話が終わってすぐ周囲がざわつく中でわざわざ寄ってきた太刀川からコツン、と頭を小突かれる。
それが先程の地獄を示しているのだと分かった美也子は意を決して口を開いた。

「あの、大変言いづらいのですが、 別に太刀川さんに手を振っていたわけじゃないんです」
「え……じゃあお前、ひとりで……?」
「違います」

あっ…、と気まずそうな顔で口許を隠した彼にすぐ否定した。どうして人をぼっちにしたがるんだ。
はあ、とため息をついてから先程の真意を説明すると太刀川は目をぱちぱちとさせてから、出入り口の方へ顔を向ける。丁度退室するところだった王子がこちらに向かって笑いかけているのを見て、またすぐ美也子に視線を戻した。

「おいおい、これ俺が恥ずかしいやつ?」
「そうですね、恥ずかしいやつです」

頷くとマジかよ〜と天を仰いだ。この人にも恥ずかしいという感情があるのかと美也子は意外に思った。多分言っているだけで美也子や他の者が持つほどの強い羞恥は感じないタイプだろうが。
太刀川は笑いながら美也子の方を向き直ると「でも付き合ってくれて良い奴だな」と彼女の肩を叩いた。彼のこういうところは嫌いではなかった。

「王子か、お前ちゃんとイケメン好きなんだな。安心したわ」
「はあ…何がですか?」
「忍田さんにも言っておくから」
「何を?」

意味が分からず困惑する美也子を置き去りに「じゃ、あとでな」と軽く手を挙げると太刀川は元気よく去って行った。
訳の分からないことを言うところも苦手である。あとでって何のことだ?と一人残された美也子は眉を顰めた。

TOP