バレンタイン事変

※Telescope本編前の話。時間軸は原作の一年前です。



今年の2月14日は木曜日だった。例年通り学校もボーダーもイベント特有のどこか浮ついた空気に包まれている。
学校終わりに一度帰宅し、見ただけでずっしりとした重さを感じるような大きめの紙袋を両手に持ってから本部基地へとやってきた美也子は、太刀川から「業者じゃん」と突っ込まれつつ、この日のために用意していたものを顔を合わせた隊員から順にどんどん渡していった。 
お世話になった、仲良くしてもらった、などと自分なりに基準を決めてある程度相手は絞っているものの、ボーダーの隊員増加に伴い用意する数は年々増えている。しかし毎年のことですっかり慣れている美也子は、さながら工場のライン作業のような素早さと手際の良さで、あっという間に紙袋の中身を減らしていった。
あらかた配り終えた美也子は、随分軽くなった紙袋の中身を覗き込むと、とんでもないことに気が付いた。

「お疲れ様です」

そこに、丁度通りかかったらしい三輪が声をかけてきた。紙袋を覗いたまま固まっていた美也子は、挨拶を返すとそのまま通り過ぎようとした彼を慌てて引き止める。

「これ三輪君へのチョコ。持って帰ってね」
「ありがとうございます」

三輪はお礼を言いながら綺麗に包装された小さな箱を受け取った。こうして美也子からチョコレートを受け取るのは当然初めてではない。
マメな美也子は男女問わず関わりのある全員分をきちんと用意していた。大荷物を持って基地内を回る姿を見かける度に三輪は感心している。
その美也子は空になったらしい紙袋を一枚適当に折り畳むと「はあ……」とわざとらしくため息をついた。

「………なんだよ」

ばっちり目があってしまい、三輪は無視するわけにもいかず渋々訊ねた。美也子は待ってましたとばかりに「聞いてくれる?」と語尾を高めて言う。聞いてほしくて仕方がなかったようだ。

「三輪君、ちょっと耳貸して」

美也子は周囲の様子を軽く窺ってからそう言って手招く。面倒に思いつつ三輪は素直に従った。

「さっき気付いたんだけど、本命のチョコを本命以外の誰かに間違えて渡しちゃった……っぽい」

周りに聞こえないような小さな声で告げられた内容を理解するのに三輪は少しだけ時間を要した。様々な言葉が彼の頭の中を駆け巡る。何を最初に言うべきか、またさらに時間をかけてから、ようやく口を開いた。

「……馬鹿か?」
「わかってる!そんなのは私が一番わかってる!」

三輪が考え抜いてやっと口にした辛辣な一言に、己の愚かさをこれでもかと自覚させられた美也子は右手で顔半分を覆いながら後悔の念に駆られた。

「普通間違えるか?そんなの」
「ラッピングのリボンの色を変えてただけで、見た目と中身は全員同じなの。そうしないと他の人に気付かれるし……」
「じゃあ別にいいだろ」
「よくない。手紙が、くっついてる……」

震え声でそう打ち明けられた三輪は「うわ……」と引き気味に呟いた。思いの外救いようのない展開に流石の彼もどう反応して良いかわからないようだった。
美也子は紙袋に残った最後の一箱を取り出す。三輪が受け取ったものと同じ赤いリボンがかけられていた。本命用は青いリボンが掛かっていること、最後に渡すつもりだったことを美也子はか細い声で続けた。三輪は一瞬、美也子が泣いているのかと思って動揺したが、別に涙は流れていなかったので特に言葉を選ぶことなく話を続けた。

「なんで途中で気が付かないんだ」
「だって、配るのって殆ど流れ作業だから」

相当な数を用意してきた美也子が一人に割ける時間は微々たるもので「お疲れ様です、チョコです」で大体終わったのだ。
二人の間に何とも言えない空気が流れる。美也子にとっては大変な出来事でも三輪からすれば「そうか」としか言いようがない話だった。

「じゃ、お疲れ様です」
「待って待って待って」

サッと踵を返した三輪の腕を素早く掴むと美也子は絶対に離さないとばかりに抱き着いた。三輪の動きは生身なら確実に逃していたであろう速さで、美也子はトリオン体に換装していたことを幸運に思った。

「お願いします。どうにかして手紙を取り戻して口止めもしたいから、誰が持ってるか一緒に探ってくれないかな?」
「嫌です」
「遊佐から貰ったチョコどうだった?って聞けばいいだけだから!」
「そんなこと言ったら、あんたからの本命を狙ってる奴だと思われる……」

それは確かに可哀想だと思った美也子は「ご、ごめん」と謝った。若干心に傷を負った。

「大体なんで俺なんだ」
「三輪君は今一番信頼できる人なので」

今の美也子にとって三輪は間違いなく“本命用のチョコを渡していない”と断定できる相手の一人だった。発言の意味を理解し納得したのか、立ち去ろうとしていた三輪は足を動かすのをやめたので、美也子も腕から手を離した。

「とりあえず大学生以上、高校生、中学生の区切りで箱と中身変えてるから、間違えて渡した可能性があるのは高校生だけかな」
「高校生だけ、って……それでもかなりいるぞ」

三輪はそう言いながら、話の流れで彼女の本命とやらが“ボーダーに所属している高校生の誰か”であることを悟ったが、それが誰なのか特定しようとは思わなかった。正直どうでもいいからだ。

「どうせ殆どの奴に渡してるんだろ?」
「まあ、皆にお世話になってるからね」

ボーダーという組織の特性上、普通に活動していれば殆どの隊員とそれなりに接点ができる。それは三輪も同じだったが、美也子は自分と違って人当たりが良いので、知り合い以上の関係を築く相手が多いのだろう、と勝手に思っていた。

「あ、でも市販のチョコは男の子用だから。ボーダーの男子だけ当たれば大丈夫」
「………?」

意味がわからない、といった顔をする三輪に美也子は「女子に渡すものはいつも手作りなの」と続けた。

「今年はマカロン作ったんだけどすごく上手くいってね、ラッピングも可愛く出来てさ。写真見る?」

言いながら美也子はスマホを操作すると画面を見せた。
本人の話通り相当良い出来なのは写真を見てすぐにわかった。三輪はこれを売り物だと言われて目の前に出されても気が付かないだろう。全体的に随分な気合の入れようで、包装も華やか、ついでに言うと箱の大きさも全く違う。どう見ても三輪が受け取ったものの倍以上はある。美也子は誰に対しても平等なタイプだと思っていたが、男女でちゃっかり差をつけていたらしい。

「ということで、対象は高校生の男子に絞られました」

脱線した話を戻すように美也子はこほん、と咳払いをする。直後、急に現実に引き戻されたのか、自分の手作りお菓子の写真を上機嫌で披露していた先程までが嘘のように沈んだ顔をした。と、思いきや今度はそわそわと落ち着かない様子の彼女に、三輪は「……あの」と口を挟む。

「というか、仮に手紙を読んだとしてもすぐ人違いに気がついて返しに来てくれるんじゃないですか?周りに言い触らしたり見せびらかすような奴はいないだろうし」
「それなんだけど、私、手紙に宛名とか書いてなくて」
「は?」
「告白とかもしてないの。ただちょっとしたファンレターというか、相手によっては読んでも人違いだって気が付かない場合もあると思う……」

三輪は心底呆れた顔をした。もう諦めろと言ってやりたかったが、美也子が「影浦君とか、犬飼君だったらどうしよう。一生言われる」と暗い顔をするので、口には出せなかった。

「本当に嫌……顔合わす度にイジられる……」
「そこまでじゃないだろ。……多分」

件の先輩達を思い浮かべた三輪は、彼らしくない曖昧な返答をした。美也子からちょっとしたファンレターを受け取った彼らがどんな反応を見せるのか分からない。ただ彼らと美也子の関係性を思うと、絶対に大丈夫だと断言はできなかった。苦しそうに唸る美也子に、三輪は何か言葉をかけてやらなくては、と必死に考える。

「……誰が手紙を持っているか分からないけど……まず、陽介はない。もしあいつが持っていたら今頃大騒ぎしてる」
「そ、そうだね、陽介君は自分から言いに来てくれるはず」
「佐伯もない。あいつも今頃騒いでる」
「そうだね、佐伯君も直接確認に来るタイプだし」
 
美也子は何度も頷く。一学年下の佐伯竜司は体育系社会に適合しすぎた結果、勝手に先輩達の良いところを掘り当てるようになったニュータイプの万能手だ。うっかりサッカーを習っていたと話して以来、親近感を抱いたのか美也子を“キャプテン”と呼ぶので彼との会話は部活感が強い。
体育会系らしく先輩の言うことは絶対で、例えば美也子が「取っておいで」とボールを投げたら、佐伯は「はい!」と元気よく返事をしながら走って取りに行ってくれるだろう。もし手紙が彼の手元に渡っていたとしたら、すぐさま美也子のところへやってきて謝辞を述べるはずだ。

「それから……里見もないな」
「そうだね、里見君もすぐに会いに来てくれるはず」

同じく一学年下、銃手の里見一馬は明るく適度にお喋りで、後輩先輩関係なく誰とでもすぐに打ち解けられる性格の持ち主だ。美也子は彼とポジションが違うため佐伯ほどの交流はないが、会えば同じ部隊の先輩かのように気安く話しかけてくれる姿に悪い気はしなかった。
佐伯同様、先輩からファンレターを受け取って胸に秘めたまま終わるとは思えず、美也子を探してボーダー施設内を爆走しててもおかしくない。

何より今名前が挙がった三人は、個々の差はあれど基本的に貰ったものをあとに“取っておく”という選択をしないタイプなので、間違いがあったらすぐに発覚するはずだ。三人と会ってから二時間以上経過しているが、未だ誰からも連絡がないということは、手紙付きのチョコレートを受け取ったのは彼らではなく別の隊員なのだろう。
候補者が一気に三人消え、美也子は少しだけ気を落ち着けることができた。

「この調子で探しにいこう!」
「まあ、気が向いたらな」
「えっ!三輪君!?」

引き止める間もなく三輪は今度こそいなくなってしまった。
美也子はこの先も一緒に探してくれる流れだと思っていたので突然の裏切りに愕然としたが、ここまで話に付き合ってくれただけで有り難いことだと思い直した。
ミスをしたのは自分なのだから、自分の力で解決するのが道理だろう。そう考えた美也子は、手紙を持つ可能性がある隊員達を“早急に確認を取るべき”か“後回しにしても問題がない”かで一先ず仕分けることにした。
時間は惜しいが、闇雲に声をかけて『本命に手紙を入れた』という話が露呈するのは嫌だった。三輪の言う通り手紙の存在を周囲に触れ回る様な者はいないと言い切れるが、美也子が手紙の確認をした数だけ自分に本命がいるという情報を知る者が増えるのだ。最少人数で済ませたい。
美也子はスマホに入ってる連絡先の名前を眺める。出来ることなら蔵内か奈良坂が持っていてほしい、と思った。この二人なら、美也子からの手紙を読んでもすぐに人違いだと気が付いて教えてくれるだろうし、間違いなくいじってこない。
同じ理由で銃手の片桐隆明や狙撃手の宇野隼人も安心できる。美也子に返す時でさえ、他人に知られないようかなり気を遣ってくれるはずだ。
穏やかで相手を慮れる三浦と、あまり他人の事情に関心がなさそうな隠岐も問題ない――この辺りは全員まとめて後回しにしようと脳内で振り分ける。
穂刈は面倒かもしれない。当真も嫌だ。などと美也子が自分なりに分析していると不意に誰かから名前を呼ばれた。

「よ、さっきはありがとな」

呼んだのは荒船だった。側までやってくると「腹減ってたから一気に食っちまった」と言ったので美也子はぎくりとした。ドキドキしながら次の言葉を待つが、荒船は「じゃあな」とそのまま行こうとしたので、美也子は思わず引き止めてしまった。

「それだけ?なんかあの、あれじゃなかった?」
「何があれだよ」
「なんか変なもの入ってなかった……?」
「お前何入れた……?」

途端にランク戦で対峙した時のような表情になった荒船を前に、美也子は言葉選びを間違えたことに気がついたが、他に何と言えばいいか分からず「異常がなかったのなら大丈夫」と更に間違えた言葉を発した。
荒船君は違うみたい――確信した美也子はほっと胸を撫で下ろす。しかしのんびりしてる暇はない。偶然出会ったことで順番が前後してしまったが、荒船より先にまず確認しなくてはいけない相手がいた。

「ね、影浦君ってどこにいるかわかる?」
「カゲ?作戦室か、ランク戦でもやってるんじゃないか?」

特に心当たりはないのか、荒船はそう返した。どうやら一緒に居たわけではないらしい。
急ぎの用かと尋ねられ、美也子は「ううん、……うーん、うん」と肯定とも否定とも取れる曖昧な返事をした。

「大したことじゃないんだけど、とりあえず影浦君にも異常がないか確認したくて…」
「だから何なんだよ、その異常って」

美也子はなんと答えるべきか考えたが、どうしても上手い言い訳が見つからず「今は言えない……」とだけ返して、そそくさとその場を離れた。そのあまりに怪しすぎる様子に、荒船は影浦や他の友人達の身を案じた。

***

影浦へ渡したチョコレートに手紙が付いていたかどうか確認を取りたいが、彼がいる可能性が高い個人ランク戦のブースは人が多いのであまり行きたくない。
かと言って、わざわざ作戦室まで行って影浦を訪ねるなど未だかつて一度もしたことがない行動を取れば「何かある」と白状しているようなものだ。
美也子は通路を進みながら、どうやって影浦と接触するか考えた。メッセージアプリで彼と連絡を取る、という選択肢はなかった。電話や文字で最初からこの件に触れるより、直接会って様子に変化がないかどうか見てから話すかどうか決めた方が、余計な情報を与えずに済む。
荒船は既に渡したチョコレートの箱を開けていたのでやむを得ず事情を暈して話したが、影浦や他の要確認メンバーは貰ってすぐ鞄や袋に入れた状態で放置している可能性が高い。要は箱(そこに掛けたリボンに挟む形で手紙をつけた)、さらに言えばリボンの色さえ確認できれば済む話なのだ。

その辺を適当に歩いていないだろうか、と影浦を探してきょろきょろと辺りを見回していると通路の途中に設置されている自販機の前で、別の同級生を見つけた。

「遊佐ちゃんやん、まだ帰らへんの?」

美也子と目が合うと水上は如何にもな世間話を始めた。そういう彼こそトリオン体のままで、様子を見る限りまだまだ帰りそうにない。
美也子は「やり残したことがあるから」と決して嘘ではない台詞を吐くと思考を巡らせた。
水上の分は学校で配る用として纏めた袋の中から渡したので、恐らく間違えていない。しかし絶対に大丈夫だと言い切ることはできなかった。彼にチョコレートを渡したのは今朝の話で、正直記憶が曖昧だ。
限りなくシロに近いが、確信が持てない。けれど、大して仲良くもない同級生からあの熱量(諸説あり)のファンレターを貰っておいて、こんなに平然と話しかけてくるか?と思ったが、相手はあの水上。
やりかねない――と言えるほど美也子は水上のことをよく知らなかった。ただ、なんてことのない日常会話でも油断するとライアーゲームに発展することだけは知っていた。

「そういや作戦室でな、遊佐ちゃんがイコさん達に渡した分のチョコも見たんやけど」

突然、水上が思い出したように口を開いたので、美也子は驚きで飛び上がりそうになった。まるでこちらの心を読んだかのようにチョコレートの話をし始める彼に美也子は内心、何を言う気だ……?とハラハラしながら「う、うん?」と続きを促す。

「仲良いとか関係なく皆に同じもの渡して差がつかへんようにしとるんやろ?偉いなあ」

その時の美也子は「なんだそんなことか」とほっとする気持ちと「ライアーゲームが始まった」と震え上がる気持ちがせめぎ合っていた。
水上としては日頃の彼女の様子も含めて「ほんま気遣いしいやな」と思って出た程度のなんてことのない発言でも、余裕のない美也子は勝手に深読みをして、勝手に神経をすり減らしていた。
水上は状況的にもほぼシロで間違いないが、心の安寧を保つためにも一応確認しておこうと美也子は周囲の様子を窺ってからこっそりと尋ねる。

「一個聞きたいんだけど良い?」
「おー、何個でもええで」
「ありがとう。私が今朝渡したチョコの話なんだけど、箱にかけてあったリボンの色って何色か覚えてる?」
「リボン?さあ……ちょっと覚えてへんわ」
「そうだよね……」
「開けてすぐ包装はゴミ箱に入れてもたし」
「開けたの!?」
「開けたらアカンやつ?」

「アカン……くない」と言いながら、美也子は想定外の展開に少々焦った。水上は受け取ったものをすぐに開封するタイプではないと思っていたからだ。
しかし先程の会話を思い返してみれば、箱を開けて中身を見ていなければ「差がつかないよう皆に同じものを渡している」なんて発言は出なかっただろう。

「なんかこう、開ける時、妙なことになってなかった……?」
「妙なことって、何が?」
「単刀直入に言うけど気分を害するものが視界に入らなかった?」
「なに、いじめ?いじめの話しとるん?」

水上はバレンタインに貰ったチョコレートの中に気分を害するものが含まれている可能性を同級生から示唆されたのは生まれて初めてだったので、美也子の発言を理解するのにいつもよりも時間を要した。
「俺を標的に据えたってこと……?」と真剣な考察を始めたので美也子は同じくらい真剣な声色で「水上君だけじゃないよ」と答えた。

「みんなに可能性があるから」
「ランダムで気分を害するものが入ってるってどういう状況やねん」
「まあ、単純に確認ミスかな」

美也子は以前ネットの記事で見かけた『ヒューマンエラーを完全に防ぐことはできない』という文言を思い出した。気を付けていても失敗くらいする。

「それで、水上君の分は大丈夫だった?」
「あー、まあ、見た目は普通やった気ぃするけど」
「そっか、じゃあ大丈夫だね。この話は忘れて。絶対に忘れて」
「え〜、怖いこの子……」

念を押されたことで信憑性が増し、ここまで全て冗談だと思っていた水上は美也子への認識を改めた。恐ろしい女。
口元を手で覆うその姿に、美也子は怯えさせちゃった……とここまでの己の言動を振り返り反省した。
そのまま「泣かないで」と水上の背中を擦ると当の本人はけろっとした顔で「泣いてへんわ」と答えた。勝手に人を泣き虫にする恐ろしい女である。



水上と別れた後、さらにチョコレートを渡した数人と出会ったが、皆様子に変化はなかった。一応それとなく聞いてみるが一様に何故そんなことを訊ねてくるのかと困惑するだけである。
美也子はエレベーターを待ちながら腕時計を確認する。まもなく21時を回るところだ。時間を意識して焦燥に駆られる。
今現在、彼女が最も懸念しているのは、手紙が見つからないことでも影浦や犬飼にからかわれることでもなく、王子に何も渡せないまま2月14日が終わることである。
ランク戦シーズンの為いつもより遅くまで残っている隊員も多いが、明日も平日、学校があると考えるとぼちぼち帰宅者が増えてくる頃合いだろう。急がないと王子が帰ってしまう。
手紙の回収は諦めて、手元に残っているチョコレートだけでも渡すべきでは?と冷静に考える。
どうせ中身は同じだし――とこの状況下で最も悔いの残らない選択肢を模索しているとエレベーターから到着を知らせる音が鳴った。
上階から降りてきたエレベーターの扉が開くと中には見知った隊員がいた。

「あ、お疲れ様です」 

こちらに気が付いてすぐ、軽く頭を下げながらそう言ったのは銃手の若村麓郎だった。
美也子も挨拶を返しながら、若村へチョコレートを渡した時の様子を思い出そうとしたが全く覚えていなかった。ボーダーへ着いてすぐ、犬飼達と一緒に居るところへ行ってまとめて渡したことは覚えているが、それこそ流れ作業だったし、後々こんな事態に陥るとは夢にも思っていなかったので仕方がない。

「遊佐先輩?乗らないんですか?」
「あ、乗る乗る」

前で待機していたにも関わらずいつまで立っても動かない姿を不思議に思った若村に促され、美也子は慌ててエレベーターに飛び乗った。
階数を確認され、ラウンジのある階を答えるとすぐに押してくれた。若村はこのまま帰るらしく地下へ向かうと言う。
銃型トリガーを使わない美也子は若村とはあまり交流がなかったが、彼が銃手の先輩である犬飼や香取と共にいる場に居合わせて話をする機会は何度もあったし、その度に真面目で気の利く後輩だと思っていた。何より香取に振り回されているところは昔の自分を見ているようでシンパシーを感じる。
対する若村も周囲に気を配り、敵を作らず、三輪や香取のような気難しい相手とも上手くやれる美也子の立ち振る舞いは、とても参考になると常々思っていた。根本の性格が似ているのだろう。そんな二人を犬飼などは「もっと気楽に生きればいいのに」と思っていたが知る由もない。 
エレベーターのランプが目的の階に点灯する前に、美也子は「ちょっと聞きたいんだけど」と言いづらそうに口を開いた。

「今日渡したチョコレート、なんか違和感なかった?」
「えっ?と……それはどういう……?」
「簡潔に言うとやばいみたいな」
「何が!?」

後輩が困惑する様子に、美也子は簡潔に言い過ぎたかと後悔した。

「というか、いただいたチョコレートまだ開けてないんですよ。今も持ってますけど……」
「え!見てみたい!」
「見てみたい……?」

自分が渡したものなのに……?困惑しつつも先輩に従順な若村は持っていたサブバッグから美也子のチョコレートを探し、取り出した。
リボンの色は赤――丁度エレベーターが目的の階に到着する。
分かりやすくホッとした様子の美也子は、朗らかに笑って「ありがとね」と手を振るとエレベーターから降りた。
それを見送った若村は、あの人良い人だけど時々様子がおかしくなるな……と思った。美也子を知る人間の共通認識である。


***

シフトを確認したところ一番の危険人物である影浦は防衛任務の真っ最中らしい。形振り構っていられなくなった美也子は、今のうちに他の隊員を当たろうとラウンジを訪れた。

「あ、いた!」

突然そんな声が聞こえた。美也子が反射的に顔を向けると出水が駆け寄ってきた。佐鳥や柿崎と話していたらしい出水は、美也子の目の前まで来ると勢いのままに言った。

「美也子さん!今年のチョコ毒入りってマジですか!全部食っちゃったんですけど、これ遅効性ですかね?」

凄い話になってる。
一体どこでそんな話になったのか、と思うも美也子は己の行動を振り返り何となく察した。
出水の後方では柿崎が「美也子は時々突拍子もないことするからな…」と困ったように笑い、佐鳥は「直接聞くまで判断つかないですよね〜」と頷いた。判断つくだろ、と言いたくなる気持ちを美也子はぐっと堪えた。元を正せば誤解を招くような聞き取り調査をしていた自分が悪い。
美也子はここに来るまでに出会った隊員達の顔を思い出す。確かにみんなめちゃくちゃ怪しんでいた。

「や〜っと見つけた、遊佐ちゃん」

すると後ろから、ぽん、と肩を叩かれる。
この声は、と振り返れば予想通り犬飼が立っていた。

「今日くれたチョコの話なんだけどさ、配ったもののどれかにランダムで毒入れてあるんだって?」

デスゲームが始まってる。
何の変哲もないチョコレートを普通に配ったはずが、意図せずゲーム性を加えられてしまった。違う意味でドキドキするイベントが開催されている。

「辻ちゃんが怯えてるんだけど、どうにかならない?」
「どうにかって……」

犬飼が示した方向を見ると辻が笹森の後ろに隠れてこちらを窺っていた。彼もまさかバレンタインにデスゲームへ巻き込まれるとは思わなかっただろう。
美也子が「辻君には心配しないように伝えて」と答えると会話が聞こえていたらしい辻は、一瞬ほっとした表情を見せたが以前として震えたままで、笹森に「先輩は大丈夫ですよ」と慰められていた。どうやら美也子の発言を完全に信じきれないらしい。昔個人ランク戦で別の隊員(男)のフリをして対戦に引き摺り込みポイントを奪った件が尾を引いているようだ。

「ごめんね、こんなことで時間取らせて」
「いや、おれはなんか面白そうだから話聞きたかっただけだし。あ、さっき連絡しちゃったけど、このことだから気にしないでね」

犬飼から言われて美也子が自身のスマホを確認するといつの間にやら画面にはメッセージアプリの通知が表示されていた。よく見ると犬飼以外にも複数の隊員からメッセージが届いている。
内容は様々で『なんの毒?』『脱落者は何人の予定ですか?』『第一の課題とかある?』などと突如として巻き込まれたデスゲームの情報収集を目的としたものから『この腹痛もしかして…』と濡れ衣を着せてくるもの、さらには『ボーダーで一番尊敬しているのは遊佐先輩です』と命乞いしてくる者もいた。
美也子は一旦全員無視した。ざっと目を通した程度だが、手紙について触れている者はいなかったからだ。
どうやら手紙を同封した話は広まっていないらしい。ただ、美也子が何らかの毒を盛った話が広まっているだけだ。デスゲームだと思われているなら、それはそれでもういい。この騒ぎに気が付いていない者の方が気になる。

ため息をつけば、出水の後方に控えていた佐鳥が、あのー、と控えめに手をあげて「ちなみに解毒剤って誰が持ってるんですか?」と聞いてきたので美也子は「誰も持ってないよ」と即答した。
この場にいる全員に「これはデスゲームではない」という人生でもう二度とすることはないであろう前代未聞の説明をした後、美也子はまだ接触できていない隊員達と連絡を取ろうと一旦ラウンジを離れた。
とりあえず人のいないところへ行ってスマホを触ろうと思い、適当に進んでいく。そして通路を曲がったところで意外な光景を目にして足を止めた。迅と三輪が一緒にいる場面に出会したのだ。

「お、いたいた。遊佐ちゃん」

三輪と話をしていたはずの迅は、美也子に気が付くと「ちょっといいかな?」と言って手招いた。
今日はよく呼び止められる日だ、と思ったがデスゲームの主催者だと思われているならある意味当然である。頷きながら、美也子の視線は三輪の方を向いた。この二人が防衛任務や模擬戦以外で一緒にいるなんて本当に珍しい。
近寄ると迅は「遊佐ちゃんに渡したいものがあってさ〜」と手に持っていた紙袋――恐らく本部で貰ったものが一纏めになっている――から何かを取り出した。

「はい、これ。大事なやつでしょ」

そう言って迅は青いリボンが掛けられたチョコレートの箱を差し出した。リボンの部分には淡いピンク色の封筒がついている。それは紛れもなく、美也子が探し求めていた手紙――王子に渡すために書いたもの――だった。
瞬間、思わず声を上げかけた美也子は、その手紙付きのチョコレートの箱が今ここで自分に差し出されるまでの間に起きたかもしれない出来事――迅はこの手紙を読んだのか――を考えてこの場で発するべき第一声を慎重に考える。
そんな彼女の胸中を察したのか、迅は「大丈夫、読んでない読んでない」と手を横に振った。

「いや〜、おれの予知って普段こういう使い方しないんだけど、流石にね」

迅はその先を口にしなかったが、美也子は彼が何を言いたいのかすぐに察することが出来た。成り行きに任せず干渉してきたということは、あまり良くない未来が視えたのだろう。何とか状況を飲み込めた美也子はチョコレートの箱を受け取ると命を救われたかのような勢いで何度も御礼の言葉を口にした。

「迅さんってすごく良い人なんですね。今はじめて思いました」
「今はじめて思いました??」

復唱した迅は「そんなことある?」と振り返って三輪に確認を取ったが、三輪はそれを普通に無視して美也子に「よかったですね」と声をかけた。いつも通りの冷たさを感じる表情だったが、思いの外優しい声色だった。

「三輪君、なんだかんだ言って探してくれてたんだね。本当にありがとう」
「別に。偶然見つけただけなので」

淡々とした様子でそう答えると三輪は、ふい、と顔を背けた。

「って言ってるけど、わざわざ嵐山とか弓場ちゃんに声かけて回ってたよ」

迅がそう言うと三輪はすぐにムッとした表情で「おい」と咎めるように言った。美也子は先輩達に聞いて回る彼の姿を思い浮かべて嬉しく思った。

「ホント秀次は遊佐ちゃんに優しいね」
「そんな、迅さんに優しくないだけで、三輪君は殆どの人に優しいですよ」
「どちらかといえば遊佐ちゃんもおれに優しくないよね?」
 
じとっとした目でこちらを見る迅に、若干冷たくしている自覚があった美也子は「自分はそうは思いません!」と自身を庇った。

「あ、迅さんはこっちを……」
「はは、2回目だね。ありがと」

美也子から紙袋の中に残っていた赤いリボンのチョコレートを受け取った迅は「次は間違えないようにね」と言って、自分に優しくない後輩二人へ別れを告げて去っていった。
美也子は迅の後ろ姿を見送りながら、手紙付きの本命用チョコレートを持つ手が震えていることに気付いた。

「よかったな」

三輪が言う。美也子はもう一度御礼の言葉を口にした。
ここに至るまで色々あったが、手紙は読まれることも必要以上に他人の目に触れることもなくちゃんと戻ってきた。終わり良ければ全て良し。
という空気になってきているが、残念ながら話はまだ終わってない。取り戻したこれを王子に渡さなければならない。そこまでクリアしてようやく美也子のバレンタインは終わるのだ。
美也子は胸を抑えた。手紙を用意して渡そうとしている自分の姿を振り返り、急激に恥ずかしくなってきた。昨日まではイベント効果でテンションがおかしくなっていたので何とも思わなかったが、デスゲーム騒動を経て普段の感覚を取り戻しつつあった美也子には、これが最早とんでもない試練に思えた。

「三輪君お願い……誰が本命なのか教えるからこれ渡してきて!」
「絶対に嫌だ」

強い拒絶だった。

「渡すだけでいいから。よかったら読んでください、みたいな感じで良いから」
「いや、なんで俺があんたの本命に手紙を渡さなきゃいけないんだ」
「確かに」

至極真っ当なツッコミに美也子も納得した――かに見えたが、すぐに狂った提案をし始めた。

「それなら、連名にしておく?私と三輪君より、みたいな。そしたら渡しやすいよね」
「あんた今自分が相当おかしなことを言ってる自覚はあるのか?」

残念ながら無かった。何故なら美也子は既に限界を迎えていたからだ。
それに気づいた三輪は、こちらに手紙と手帳用に持ち歩いている小さなペンを渡そうとする美也子の目の前で指をゆっくり動かすと「何本だ?」と聞いてみたり「そこからそこまでまっすぐ歩いてみろ」と地面を指差しながら指示した。
美也子は飲酒検査か……?と思いつつ素直に従う。若干のふらつきを見せながら指定された範囲を歩いているとポケットの中からスマホの着信音が聞こえてきた。
誰からだろうと画面を見ると王子の名前が表示されていた。途端に叫び声をあげた美也子に三輪はぎょっとする。

「おい、大丈夫か……」
「三輪君、手を、手を握ってて……」
「嫌だ」

何度目かわからない拒絶に美也子の心が傷付くことはなかった。今、彼女の心の大部分を占めているのは14日が終わりかけている焦燥と手紙を読んだら王子はどんな反応をするだろうと不安である。
三輪に「早く出ろよ」と言われて覚悟を決めた美也子は通話ボタンを押した。数秒の間をあけて聞こえてきた声に、美也子は内心緊張で震えていたが、そんな態度はおくびにも出さず努めて普段通りに返した。

「うん、大丈夫。あ〜、デスゲームね……はいはい、それね」
「………!?」

三輪が真横で衝撃を受けている様子を感じながら美也子は電話を続けた。内容は美也子が仕掛けたデスゲーム(勘違い)に関してのもので、面白いことが大好きな王子は「自分は貰えないのか」と催促してきたのだ。流石王子である。これが太刀川なら無言で通話を切っていたところだ。
もちろん王子の分も用意してあると伝えながら、美也子は手元に残った最後の一つを見た。なんとか本懐を遂げることができそうだと安心する。

「じゃあこれから持っていくね。うん、それはまだだけど……一緒にご飯食べながら……え?ご飯?」

その瞬間、美也子は平静を保てなくなった。
夕食について聞かれてまだ取っていないと答えたら、一緒に食べようと誘われた――たったそれだけの話だが、美也子の脳を破壊するには十分過ぎる破壊力を持ったものだった。
それって、どこで……どこで……!?――突然の食事イベント発生に動揺した美也子は、三輪と目が合うと利き手で持っていたスマホを反対の手に持ち替え、肘に掛けていた紙袋から手帳用のペンを取り出す。そしてそのペンを折角取り戻した淡いピンク色の封筒に向かって迷いなく走らせた。

『めしどこかたのむ』

と走り書くとペンと共に三輪へ押し付けるような形で渡す。
奇行としか表現できない美也子の行動に怪訝な顔をしていた三輪は、持ち前の聡明さで瞬く間に文章の意味を理解すると神妙な顔で受け取った封筒に文字を書いて返した。

『食堂』

三輪によって書き記された二文字を見た美也子は、大きく頷きながら電話口の王子に「食堂で待つ!」と元気よく言う。バカのボリュームだ。果たし合いでも始めるかのようなテンションだった。

もう絶対に渡せない姿になってしまったファンレターを手に、美也子は心の中で聞く相手を間違えたなと思ったがそのまま突っ走った。ただ一つ、来年は本命用だけ明確な差をつけようと心に誓った。

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