やはり弧月
※Telescope本編開始前。プライベッターに載せていたものと同じ話です。
ボーダーの戦闘員達は各々の技術を磨くために日夜訓練に励んでいる。その内容は当然ながらポジションによって異なるが、攻撃手の訓練方法は至ってシンプルで『個人ランク戦で猛者達と戦う』一択だった。
訓練室で近界民に新技を披露することもあるが、プログラムされた動きを繰り返すだけの相手より日々考え方の変わる生身の人間を相手にする方がずっと勉強になる。一回でも多くの戦闘をこなすことで経験を得て、対策を覚え、自信に繋がる。攻撃手は皆そうやって成長してきたものだ。もちろん美也子も例外ではなく、普段から先輩も後輩も関係なく相手をしてもらっていたし、お互い苦手だなんだと言っている影浦とも暇さえあればよく手合わせをした。
その結果、美也子は訓練生を除く殆どの攻撃手と模擬戦の経験があるが、一人だけ滅多に――というかここ最近は一切――戦うことができない相手がいた。それが二宮隊の攻撃手で一学年下の辻だ。
彼は異性、特に同年代の女子が苦手で、日頃から接しているチームメイトの鳩原、氷見以外とは挨拶もままならない。美也子が「おはよう、今日は寒いね」などと声をかけようものなら頬を赤らめて「あぃ、……ふっ……!」と必死にペコペコと頭を下げながら逃げていく。
誰に対してもそんな状態なので、辻は可能な限り女性隊員との個人ランク戦を行わないようにしていた。最近では約束した相手としか戦っていない。
以前は対戦を申し込まれたらとりあえず引き受ける、といった具合に隙だらけだったので、美也子は周囲に協力を仰ぎ米屋や南沢のフリをして辻に対戦を申し込み、逃げる彼からポイントを奪い取ったものだが、二宮から厳重注意を受けてそれも出来なくなり、辻本人も学習して不用意にパネルを触らなくなった。
そのため辻とだけは、かれこれ一年以上もまともに戦っておらず、美也子は彼への対策を見い出せない状態だ。
それを香取に話したら「棒立ちなんだから対策もクソもなくない?」と言われて、美也子は「確かに」と頷いてしまったが、鳩原曰く辻は慣れれば女子相手でも普通に接することができるそうなので、いつかはまともに模擬戦を行える日が来るのだろう。
と、美也子は思っているが、個人ランク戦のロビーで顔を合わせた辻は、今日も相変わらず焦った様子で何やらゴニョゴニョと口ごもり、美也子から視線を逸らすと近くにいた同学年の三浦の陰に隠れるよう移動した。
「遊佐先輩お疲れ様です。あ、辻くんもお疲れ様ですって言ってますよ」
「直接の会話禁止なの……?」
美也子の問いかけに対して、隠れていた辻は慌てて否定しようとしたが、いざ美也子と目が合うと緊張したのか三浦の耳元で「そういうわけではないです……って言って!」とお願いした。丸聞こえである。
人の良い三浦が、辻の言葉をそのまま口にするのを見て美也子は昔のお姫様みたいだな、と思った。美也子のような下々の人間は辻のような高貴な人とは口が利けないらしい。
「辻くん、全然私に慣れないね」
「遊佐先輩、綺麗だから緊張しちゃうんですよ。ね、辻くん」
三浦がそう言って微笑めば、後ろの辻は小さく肩を揺らしてから「そ、それ……」と頷いた。
上手いことを言う、と思いつつ美也子は機嫌を良くした。三浦は言葉選びが上手い。穏やかな物言いで不快にさせることなく場を収めてくれるので、ボーダーのような集団で重宝される人材だ。
このままランク戦をするという二人を見送り、美也子は一人ロビーのソファーに腰掛けた。誰か暇な人いないかな、と手すきの隊員を探す。
訓練生達に声をかけられて暫く談笑していた美也子は、視界の端で辻が個人ブースに繋がる階段を降下している姿を捉えた。いつの間にやら三浦とのランク戦は終わっていたらしい。
しかし三浦の姿はどこにもない、と思いきや彼はすぐに別の隊員と個人ランク戦を開始したようで目の前の画面にその姿が映し出された。
三浦と対戦するつもりだった美也子は出遅れたなと思いつつ、折角なので辻に先程の模擬戦の感想でも聞こうかと訓練生達に断りを入れてから彼の方へ向かう。
前から行ったら逃げられるだろうか、と美也子なりに考えた結果、見つからないよう辻の背後に回ることにした。
辻くん、と声をかけると全くこちらに気付いていなかったらしい彼は、美也子の声を聞くなり「え!」と驚いたような声をあげながら大きく身体を揺らした。二人の距離が存外近かったせいで、美也子の胸に辻の左肘が当たる。
「…………!す、すみ、ま……せ…!?」
「あ、ごめんね。私が急に近寄ったからぶつかっちゃった」
朗らかに笑いながら謝罪をする美也子とは対照的に、辻は己の左肘をぶつかった時と同様に緩く曲げたまま身を硬直させていた。まるで辻の周りだけ時の流れが止まっているかのようだ。
そのままさらに数秒ほど間をあけてから、辻がトリガーを起動すると彼の使用武器である弧月が形を表す。柄を掴むその手は見てわかるほど震えていた。
「……………す……っ……」
「辻くん?」
「責任……!取ります……っ!」
「辻くん!?」
くぅぅ……、と唇を噛み締めながらそう宣言した辻はこれでもかと目を潤ませていた。今にも涙が溢れてきそうである。泣いてる……なんで……と困惑した美也子が「責任って何……!?」と聞き返す間に辻は弧月を抜刀していた。展開が早い。
「この、この肘が………!今から斬ります!」
「辻くん落ち着いて!そんな昔の罪人が受ける刑罰みたいなことしないで!」
辻を宥めながら、素手で彼を止められる自信がなかった美也子は自分も抜刀した方がいいのか悩んだ。このままではここで個人ランク戦が始まってしまう。
刺激しないよう言葉を選びながら美也子は「大丈夫だから刃物(弧月)をこっちに渡して」と自殺を試みる相手を説得するかのように優しく言って右手を差し出した。大きく首を横に振った辻は、半泣きで声を震わせる。
「遊佐先輩は……!辱められたんですよ……!」
「いや、武家の娘でも自分に過失があるって言うよあんなの」
言葉が重い。美也子が先程まで話していた訓練生達も二人を取り巻く空気がおかしいことに気がついたのか、何か揉め事かとハラハラしながら遠巻きにこちらを見守っている。早く解決しないと――困った美也子は「いいから早く弧月ちょうだい」と再度言葉をかけた。弧月が欲しくてたまらないかのような言い方である。
「で、でも……何かしらの、責任を取らないと……!」
「じゃあどうする?責任取るって、結婚でもする?」
「え!?……あ………ぃ…………」
「冗談……辻くん?え、辻くーん?」
結婚というワードに強い衝撃を受けた辻はスローモーションのようにゆっくりと静かに膝から崩れ落ち、うつ伏せの状態で弧月と共に床に倒れ込んだ。あまりにも綺麗に倒れ込み、そのまま微動だにしない辻の姿に、自分達の個人ランク戦はもう始まっているのかと美也子は動揺した。
もう一度、少し控えめに名前を呼ぶが反応はない。肩を叩こうかと手を伸ばしたが、いや、直接触れるのはまずい――とこの状態に至るまでの経緯を思い浮かべた美也子は、一先ず辻の弧月を奪い取ると刃先で彼の背中をつんつんと突いた。ぴくり、と身体が動いたのでちゃんと生きているようだ。耳まで赤くした辻を見て、この子は本当に繊細な子なんだな、と心配になった。