01
目が覚めた時、最初に見えたのは白い天井だった。
私は何故だか病院のベッドの上に居て、何故だか体中に擦り傷やら打撲痕があって、頭には包帯が巻かれていた。でも見た目ほど重症じゃないのか、手も足も動いたのでベッドから降りて体操をしていたら同室のおばあさんが「あんたダメだよそんなことしちゃ!!」と叫んでナースコールを連打した。怒られたので悲しくなってしまった。
その後、看護師さんがすっ飛んできてベッドに戻される私の代わりに同室のおばあさんが「早くこの子の親御さん呼んで!」と病棟中に響き渡るような大声で叫んだ。起き抜けに体操は相当まずかったらしい。
看護師さんの呼び掛けですぐに眼鏡をかけたお医者さんと血相を変えた両親がやってきて、何か色々言われたがその時点では話の内容はよくわからなかった。ただみんながとても心配してくれていたことだけは理解できたのでとりあえず謝っておいた。
私がずっとアホ面をしていて、いまいち状況が呑み込めていないことに気が付いたのか、眼鏡をかけたお医者さんが何故私が病院にいるのか親切に話してくれた。
どうやら私は昨晩、自宅から離れた場所にある神社の石段から転がり落ちたらしい。「覚えてる?」と聞かれて首を横に振った。全く記憶にない。
「一緒に落ちた子はお友達?」
「一緒に落ちた?」
オウム返しした私に、眼鏡のお医者さんは「キミを助けてくれた男の子がいるんだよ」と続けた。
それは私よりちょっと年下の不良っぽい男の子で、私を病院に運んでくれたのも彼らしい。石段なんて打ち所が悪ければ死んでいたかもしれないのに、奇跡的に軽傷で済んだのはその男の子が身を挺して守ってくれたからだ。
私と違って意識がハッキリしていた男の子は簡単な検査を受けた後、引き止める看護師さん達に「オレ特別頑丈なんで大丈夫っす!」と言い残して私の両親が来る前に帰って行ったらしい。
意識の戻った私に軽い問診をした後「明日また検査するから」と言って眼鏡のお医者さんと看護師さん達は病室から出て行った。残ったのは私と両親と心配そうにこっちを見ている同室のおばあさんだけだ。
「なんで夜に抜け出して神社なんか行ったんだ?」
「さあ?覚えてない」
父からの質問に曇りなき眼でそう答える。吃驚するくらい何も覚えていないから許してほしい。そんなの私だって知りたい。
「神社で助けてくれた子、金髪の中学生くらいの子なんですって。心当たりある?」
「全然」
「そうよね、万次郎君じゃないみたいだし」
母がため息をつきながら口にした名前には聞き覚えがなかったが、特に反応しなかった。
「でも不良っぽい子なら万次郎君の友達じゃないか?」
「そうね、エマちゃんの同級生かも。聞いてみましょ」
先程からアホ面を続けている私を置いて、両親は勝手に話を進める。
万次郎もエマもどっちも知らない名前だった。でも二人の会話を聞く限り私と歳の近い子達で、親も知っているくらい親しい仲のようだ。
流石にこれ以上聞き流すのはまずい気がしたので恐る恐る「あの」と口を開く。
「エマとか万次郎とかさっきから誰のこと言ってるの?」
「え?ああ、なんだっけマイキーって呼んでたっけ?マイキー君とエマちゃんだよ。お隣の佐野さん家の兄妹」
「知らない」
「え?」
「誰のことか分からない」
「幼馴染でしょ?」
「そんなのいた?」
私のその言葉に両親は固まった後、顔を見合わせてからナースコールを連打した。同室のおばあさんも「あんたそれ記憶喪失じゃないの!?」と参戦してきてナースコールを連打した。壊れそう。
どうやら私は記憶喪失らしい。
色んな検査をしたが大きな異常は見つからず、恐らく頭を打ったショックによるものだろうと言われた。親と共に長時間難しい説明を受けたが、要約すると具体的に何が原因なのか、無くなった記憶が戻るかどうかは現時点では全く分からないってことだ。
記憶喪失と言っても本当に一部のことだけぽっかりと抜けてしまっているだけで、自分の名前や生年月日、住所、電話番号、家族のことや学校の友達のこと、病院のお世話になる前に受けた授業の内容は覚えているし、幼い頃の記憶もちゃんとある。ただ、石段から落ちた当時の状況と隣の家に住んでいるという幼馴染の兄妹のことだけがどうしても思い出せなかった。
一部の記憶がないだけで日常生活を送る上での不便はないので、軽傷だったこともあり私は一週間程度の入院で自宅へ戻ることが出来た。
そんな私の元へ最初に現れたのは噂の幼馴染兄妹の妹の方だった。
「繭君、記憶喪失って本当!?」
私の部屋に入るなり、そう言ってぎゅっと両手を握ってきたのは金髪の大人っぽい雰囲気の女の子で、着ている制服から察するに私が3月まで通っていた中学の生徒だ。わざわざ家まで訪ねて来てくれたというのに、残念ながらその顔には全く見覚えがなかった。
「ウチのことわかんない?エマだよ!」
「ごめんなさい」
「……まあ、無事でよかったけどさ……本当に心配したんだよ」
ぐす、と鼻を啜る音が聞こえてハッとする。私から手を離したエマちゃんが顔を背けるのを見て、泣いてるじゃん可哀そうに……と他人事みたいに思った。
私の為に泣いてくれているのだと分かっているので、テーブルの上に置いてあったボックスティッシュを差し出す。エマちゃんは一枚ティッシュを取ると鼻をかんだ。ゴミを捨てて、ふう、と息をついてから顔を上げるとニッと笑う。
「でもさ、最初に病院に運ばれたって聞いた時、マイキーが切れちゃって大変だったんだよ?」
「なんで?」
「繭君がどっかのチームの誰かに突き落とされたって思ったからだよ!でも繭君のおじさんとおばさんがそういうのじゃないって教えてくれたから何とかなったけど、また抗争でみんな怪我しちゃうところだったんだから」
「へー、そうなんだ」
疑問符を浮かべながら暢気に返す私に「わかってないじゃん……」とエマちゃんは頭を抱えた。ごめん記憶喪失だから。
チームとか抗争とかよくわからないが、私が天性のドジっ子だったせいで危うく何の罪もない多くの人々の血が流れるところだったらしい。危ない危ない、お父さんお母さん迅速な対応ありがとう。
「マイキーのことは覚えてる?」
「しっかり忘れてるよ。誰?」
「ウチのお兄ちゃん。繭君が記憶喪失って聞いてショック受けてるから優しくしてあげてね」
「任せて。私ほど優しい人は中々いないよ」
「……繭君、実は覚えてない?」
「忘れてるよ。まあ、人格はそのままみたいだから」
「ふ〜ん。良かった、記憶ないって聞いたから別人みたいだったらどうしようかと思った」
エマちゃんが嬉しそうに笑うので私も釣られて笑う。私は約16年この性格でやらせていただいているので安心してほしい。
「今日の夜ならマイキーも家にいるから、来れそうだったら遊びに来て。入院中は家族以外ダメって言われて会えなかったからさ、すごく会いたがってるよ」
「え、そうだったの?」
エマちゃんの話によると私が記憶喪失だと診断されてから、家族以外は面会謝絶となっていたらしい。道理で誰も見舞いに来ないわけだ。同室のおばあさんに「あんた友達いないの?」と心配されたんだぞこっちは。おばあさんのお友達(他の病室の人)に「あたし達がいるじゃん?」と励まされたんだぞこっちは。煎餅食べながら年金の話してたんだぞこっちは。結構楽しかったよ入院生活。
暫くお話をした後、エマちゃんはお隣に帰って行った。玄関を出てこっそり覗いてみると『佐野』という表札がかけられたお隣は随分と立派なお宅だった。エマちゃんのおじいさんが道場をやっているらしく、私も昔は稽古をつけてもらっていたという。
言われてみれば確かに道場で色々やっていた記憶はあるのだが、それがお隣かどうかは定かではない。記憶喪失のせいで忘れているのか単純に覚えていないのかよく分からなかった。
「後でお隣行っていい?マイキーって子に挨拶してくる」
家へ戻ってから台所で食事の準備をしていた母に言う。返事を待たずに私はテレビのリモコンを取るとリビングのソファーに身を沈めた。
「…良い機会だから、もうあの子と付き合うのやめたら?」
母は独り言のようにぼそっと言った。数秒間を置いてからそちらに顔を向ける。テレビをつけていたら聞き逃していたかもしれない。
「心配なの。今回は違うみたいだけど、あの子達が原因で何かあったらって思うとね」
何故母がそんな酷いことを言うのかと言えば、エマちゃん曰くマイキーは何とかという暴走族の頭だからだ。なんでそんなキャラの濃い子を忘れてるんだろ私。
確かに私が親ならいくら幼馴染とはいえ暴走族をやってる子とは仲良くさせたくないかもしれない。エマちゃんも突き落とされたとか抗争がどうとか言っていたが、暴走族と仲良くしている事で変な恨みを買って襲われる可能性もある。
でもそんなことを言う割に母は「退院祝いのちらし寿司を作りすぎたから佐野家に行くならお裾分けしてこい」なんて私に寿司桶を持たせる。この人ツンデレ?大人って不思議。