02
「繭君、記憶喪失って本当?」
夜、お隣の佐野家を訪ねると玄関口でエマちゃんと全く同じ事をエマちゃんにどことなく似てるハーフアップの男の子が言った。背は私より少しだけ低い小柄な子。恐らく年下、中学生だろう。
とても暴走族の頭をやっているようには見えないが、エマちゃん情報(佐野家はおじいちゃんと兄妹の三人暮らし)から推測するに多分この子がマイキーだな、と思いながら「本当だよ」と頷いた。
「オレのこと覚えてないの?」
「うん、ごめんなさい」
「エマのことは?」
「覚えてない」
「じゃあいいや」
「は?」
意味が分からず首を傾げる。
「だってオレのこと忘れてるのにエマのことだけ覚えてたらずるいじゃん。エマも忘れてるならいいや。許す」
「あ、そう?よかった〜」
そのまま「あっはっは〜!」と笑い合う。ぶっちゃけ言ってることは謎理論で意味不明だが、とりあえずわろとけわろとけの精神だ。
暴走族の頭と聞いてちょっと怯えていたが、お隣の万次郎君ことマイキーはいざ対面してみると意外と明るく気さくな雰囲気の子で、とても不良とは思えない外見と性格は私の心にゆとりを持たせてくれた。心の中でほっと息をついてから「これちらし寿司」と家から持ってきた寿司桶を軽く持ち上げるとマイキーは「やった!」と目を輝かせた。可愛い子じゃん。
寿司桶を代わりに持ってくれたマイキーに、なんでマイキーと名乗るのか聞いたら「それも忘れた?エマの兄貴だから」と笑われた。さっぱり分からなかったが勢いで「なるほどね」と深く頷いてしまった。多分ジャ◯子の兄はジ◯イアンみたいなノリなんだとは思う。
「あ、先に兄貴のところ行く?」
「兄貴?」
何のことかわかっていない私に、マイキーは一瞬笑みを消した。しかしすぐに先程と同じ笑みを浮かべると寿司桶を廊下に置いて「こっち」と私の手を引いた。
案内された部屋は真っ暗だった。マイキーが電気を点けると最初に目に入ったのは仏壇だった。
その中央に飾られた写真を見た時、今までとは全く違う、何とも言えない気持ちになった。振り返ったマイキーは無意識に口元を覆った私を見て目を見開いた。
「兄貴のこと覚えてんの?」
「覚えてない」
「じゃあなんで泣いてんの?」
「わかんない」
でも知ってる気がした。視界が滲んでよく見えなくなるのと同時に、立っていられなくなってその場にしゃがみ込むと少ししてマイキーも横に座り込んだ気配がした。そのまま嗚咽を漏らす私の背をゆっくり擦ってくれた。
***
「なんで二人って私のこと君付けで呼ぶの?」
久々に泣いて何だかすっきりした私は、マイキーの勧めでエマちゃんと佐野家の浴室にいた。
お小遣いを奮発して買ったというお高いシャンプーで頭を洗っていたエマちゃんは記憶を探る様に「ん〜」と軽く視線を上にやって唸った。
「年上だしぃ、あと昔の繭君って髪が短くて男の子みたいだったじゃん。エマもマイキーも繭君のことずっと男の子だと思ってたからさ」
照れ笑いをするエマちゃんを見ながら、なるほどと一人納得した。
幼い頃の私は今よりもずっと髪が短く少年のようだったので佐野兄妹から男の子だと間違えられても無理はない。確かに冬でも半袖短パンで登校していたし、下校はいつでも獣道。休日はサ〇エさんスタイルでバットとグローブを持ち歩きながら近所の子供を集めて野球に興じ、おつかいの帰りに野良猫を追いかけて生傷だらけになり、最終的にはその辺に落ちていた良い感じの棒切れを拾って振り回しているような子供だった。思い出すとカーッと顔に熱が集まる。
「恥ずかしい話だよねえ」
「ええ?すっごくカッコよかったよ?実はさ、ウチの初恋は繭君なんだよね」
「そうなの?それは嬉しいな」
湯舟に浸かる私に目をやるとエマちゃんは懐かしそうな顔で当時の思い出を語った。
「繭君は女の子に優しくてさ、エマに意地悪してきた子も倒してくれてさ」
「うんうん」
「何かあったらオレに言えよって、いつも気にかけてくれて頼りになってさ」
「お……うん」
「同じ年の男の子達を手下にして街の平和を守っててさ」
「あいたたた………やめてそれ以上は私に効く」
「えっ…どうしたの!?もしかして頭が痛むの!?」
「羞恥心が私を襲ってる…」
「なにそれ!?マイキー呼ぶ!?」
「呼ばんでいい」
いいと言ったのに頭に泡をつけたまま浴室から飛び出たエマちゃんは身体にタオルを巻くと「マイキー!」と叫びながら走っていった。やめろやめろ。
しかし大きな声を出すことは出来ず、私は浴槽に浸かったままぐったりしていた。頭が痛い、というかぼんやりする。
すぐわかったのだが、どうやら私はのぼせてしまったらしい。
救出後、佐野家のおじいさんが用意してくれた冷えピタを額に貼ってエマちゃんに膝枕をされた私は「アイス食べる?」と聞いてくるマイキーに団扇で扇がれながら天井を眺め続けた。他人の家で何してんだろ。
大変なご迷惑をかけた佐野家から戻った私は、部屋のベッドに寝転がると約一週間振りに携帯電話を開いた。
石段から落ちた私がこの有り様なのでもしかしたら壊れているかも、と覚悟していたが愛用の携帯は記憶の中と変わらない姿をしていた。母に確認すると病院に運ばれた日、私は初めから携帯を持っておらず部屋に置きっ放しにしていたらしい。
となると、ますます意味がわからない。携帯を携帯しないで夜中に一人で神社へ行った理由はなんだ?やっぱり呪いとかやっちゃってた系?
呪いたいほど嫌いな子なんていないけどな〜と溜まりに溜まった新着メールを開いていく。三ツ谷だの何だの知らない名前からのメールもあったが、その殆どが学校の友達からで先生から説明があったのか「怪我したってマジ?心配」「面会できないけど大丈夫なの?」「机に入ってた教科書借りたよ」などと私の安否を気遣うような内容のものばかりだった。
遅くなったがとりあえず知っている子達にだけ一件ずつ返信をしていくとすぐにメールが返ってきた。相手は現役の高校生なのでどいつもこいつも返信が早い。返信の返信に追われ、私の携帯は暫く鳴り続けていた。
適当にメールを終わらせた頃にはすっかり時間が経っていて、もう日付が変わる直前だった。意識した途端、眠気に襲われる。明日は久しぶりの登校なのでもう寝ようかと思った時、受信フォルダの他に『真一郎君』という別フォルダがあることに気が付いた。
真一郎君とは、まさに今日佐野家で聞いた名前だった。あの仏壇に飾られていた写真の人――マイキーとエマちゃんの兄で佐野家の長男のことだ。
なんでフォルダ名によその家のお兄さんの名前をつけているんだ?と不思議に思って開くと当然ながら中身は真一郎君から届いたメールで、その全てに消えない様わざわざ鍵がかけられてる。もう亡くなってしまった人だし、生前はよくしてくれたと思うのでメールを消したくない気持ちは何となくわかる気がした。
軽く見た限りメールの内容は特になんでもない日常のやり取りばかりだ。しかし妙に件数が多い。日時を確認すると三日に一度は必ずメールをしている。
ちょっと、いや、かなり不審に思った。二年前に亡くなった真一郎君は年の離れたお兄さんでマイキーとは10歳違うそうだ。ということは私より9歳上。いくらお隣さんとは言え血縁でもないのに、そんなに年上の人とこんな頻繁にやり取りをするものなのか?
けれど、内容は本当にどうでもいいものばかりだ。「信号待ちしてたらハゲがいた」とか「電車でハゲに挟まれた」とか「エレベーターでハゲと乗り合わせた」とかハゲの話ばっかじゃねーかどうなってんだこれ。ハゲフリークか?
真一郎君から届いたメールだけを見ているから意味がわからないのかもしれない…と思い、送信フォルダを開いて私が送ったはずの真一郎君宛てのメールを探すが、最後のやり取りが二年前だからか中々見つからない。というか、意図的に消しているのだと気が付いた。
私はよくメールをするのでその都度必要のないものは消していくが、それにしても真一郎君へのメールが全く見当たらないからだ。まあハゲの話ばっかりしてるもんな。そりゃ消すわ。
若干諦めつつ送信フォルダを遡っていると一通だけ私から真一郎君へ送ったメールが残っていた。欠伸をしながら開いてみると一文目から『好き』という予想外の文字列が見えて眠気が吹っ飛ぶ。
おっ、告白か?と勢いよく上体を起こしてドキドキしながら短い文章を目で追っていくと『真一郎君の歯並びが好き』と書いてあった。我ながら癖が強い。