04
時計から鳴るけたたましいベルの音で目が覚めた時、私はベッドではなく床にいた。あの後いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
欠伸をしながら床に落ちていた青色の折り紙を拾ってゴミ箱へ捨てる。束ねた雑誌も回収日まで邪魔にならないよう部屋の隅に置いておく。
久しぶりに登校すると友達やクラスメイトに囲まれた。メールの文面通りみんな心配してくれていたらしく、ちやほやしてもらえて嬉しかったが、それも昼休みまでの話で放課後になれば最早怪我のことなど誰も覚えていないのでは?と思うくらい普段通りだった。まあ軽傷だし仕方がない。
いつもなら放課後は寄り道をしてから帰路につくが、睡眠時間が少ないせいか久々の学校だったからか、今になってどっと疲れが出てきたので今日のところは真っ直ぐ家へ向かうことにした。
途中まで一緒だった友達と別れて駅を出ると携帯で時間を確認しながら開店前の飲み屋や飲食店が立ち並ぶ裏通りを行く。この辺りは夜になれば賑やかだが、今の時間は人通りが少ない。本当はあまりこの道を使うなと言われているのだが、まだ明るいし、近道なので気にせず歩を進める。
少し先にある自販機の横で、人が座り込んでいることに気が付いた。歩き続けていると足音で向こうも私に気が付いたのかこちらに顔を向け、ばっちり目が合った。ちょっとクセのある長い黒髪に、つり目の男の子だ。どこの学校かわからないが学生服を着ているので多分同年代。全然知らない顔だった。
ここで何してんだろ、と少しだけ不思議に思った。誰か待っているのかと思ったが、学生が待ち合わせに使うにしては何もない場所(ちょっと行ったところにコンビニがあるくらい)だし、そもそも大抵の学生はこの道を使わない。
パキ、と軽い音がしたので何かと思えば、彼が手に持っている炭酸飲料の缶が少し潰れていた。
「久しぶりじゃねえか」
喋った。
吃驚して足を止める。こちらを見つめる彼は想像通りの低い声で、少し開いた口元から牙みたいな八重歯が覗く。これは誰に向かって投げかけられた言葉なんだろう。
「相変わらず間抜け面してんな」
私じゃないな。うん、私じゃない。
目はばっちり合ってるし、他に誰もいないけど私は間抜け面じゃないので私じゃない。再び足を動かそうとすれば、彼は馬鹿にしたように鼻で笑いながら続けた。
「話聞いたぜ?死んだかと思ったワ」
デカい独り言だなあ。
ちょっとやばい人みたいなので刺激しない様、何も反応せずにそのまま静かに横を通り過ぎる。缶が潰れる音が聞こえてきたのはそのすぐ後だ。
「繭!何無視してんだテメェ!!」
「えっ、私?」
名前を呼ばれたことに驚いて振り向くと私の足下目掛けてぺしゃんこに潰れた缶を投げつけられた。急に威嚇してくるじゃん。コワ〜。
立ち上がって額に青筋を立てている沸点の低そうな彼は、反応を見るに知り合いらしい。独り言じゃなかったのか。
しかし全く見覚えのない子だ。知っているフリをするにも情報が足りないのでここは正直に白状しようと「ごめんなさい、記憶喪失なのでキミのこと覚えてないんです」と頭を下げれば、「あ?何言ってんのお前?」とIQ3くらいの表情で返された。信じられないとか驚いているとかじゃなくて本気で意味が分からないという顔だった。こいつは恐らく何を言っても理解しないタイプだ。私には分かる。
めんどくさそうな奴に絡まれたな、と頭を掻く。どうにか覚えているフリをしてやり過ごしたいが、名前も知らないんじゃ厳しい。キミの名は?と聞いても素直に答えてくれなさそうだし。
どうしたものかと視線をやると目の前の怖い彼は不機嫌そうな目で私を見下ろしていた。
「ねえ、生徒手帳持ってる?」
「んなもん持ってねーよ」
「じゃあ何か名前がわかるものある?」
「ぜってぇー悪用するから渡さねえ」
全然信用ないじゃん、どうなってんの?
逆によく声かけてきたな、と現状を打破する方法が浮かばずに困惑していると彼の後方から、彼と同じ学校の制服を着た金髪(正確には金と黒のツーブロック)の男の子が手にコンビニの袋を持って現れた。
金髪君が「バジさーん」と謎の単語を発すると目の前の怖い彼が「おー」と振り向いた。今のうちに逃げようかと足を動かすと金髪君が私の存在に気が付いた。
「あ、繭ちゃん。ちわーっす」
また知らない子が私の名前を知ってる。
駆け寄ってきた金髪君に「怪我大丈夫ですか?」と聞かれたので「う、ウス……」と小さく頷いたら、なんだこいつ?と言いたげな顔をされた。この子は私の違和感に気がついたようで、眉を顰めて私の目の前に立つ長髪の彼を見る。
「あの、繭ちゃん、なんか様子が変じゃないっすか?オレらのこと全然知らないって顔してますけど」
「あ?こいつはいつもこんな顔だろ」
すげえ悪口言われてる。
とりあえず早く解放してほしいので金髪君にも記憶喪失で諸々覚えていない旨を伝えると彼は信じてくれたらしく「マジっすか!?」とエマちゃんに匹敵するくらい大きなリアクションを見せてくれた。
「じゃあ場地さんのこともオレのこともわかんないんすか!?」
「うん」
「嘘だろ嘘。こいつ嘘しかつかねーぞ」
さっきからこの信用の無さはなんなんだ?私は彼に何かしたのか?
私の思考を読み取ったのか長髪の彼はこちらを指差しながら「スイカの種飲み込んだらへそから芽が出るって言ったり」とかつて私から受けたらしい被害を語り出した。そのくらい許してくれよ。金髪君も困ってるだろ。「あ、はい…」ってなってるだろ。
「ちょっと、金髪君」
「金髪君……?オレ?」
「そう、ちょっと来て」
「なんすか?」
ちょいちょい、と手を動かして金髪君を呼ぶと後輩気質なのか口答えすることなく側に寄ってくる。
この子は私より年下で間違いないだろう。一瞬、この子が私を神社で助けてくれた子なのかと思ったが、それにしては随分と他人事のように怪我の具合を尋ねてきたので多分違う。長髪の怖い彼を見ながら、話が通じそうな金髪君にこっそり尋ねる。
「ねえ、あの子何君って言うの?」
「えっ、場地さんですけど……」
「バジサン君?変な名前だね」
「オイ聞こえてんだよ殺すぞ」
やばい聞こえてた。
「だってこの子が……」
「オレっすか!?」
「人のせいにしてんじゃねえテメェ!」
眉を吊り上げたバジサン君に容赦なく胸ぐらを掴まれる。コワ〜、男女平等かよ。
見かねた金髪君が割って入り「繭ちゃんは怪我人なんで……」と止めてくれるが、バジサン君に「怪我関係ねえだろ!」と一喝され、「確かに…」となっていた。確かに。
人のせいにするのはよくないな、と思い直して乱れた襟元を直しながら金髪君に「ごめんね」と謝罪しておく。
「キミは何君って言うの?」
「えーっと、松野千冬です」
「千冬君ね、バジサン君のフルネームも教えてくれる?」
「場地圭介さんです」
「ばじけーすけ……」
どこかで聞いた名前だな、と思った。
『ばじ』はちょっと何言ってるかわかんないけど『けーすけ』はどこかで聞いた、というより見た。
その時、私の脳裏に今朝ゴミ箱に捨てた青色の折り紙が浮かんだ。次いで、裏面に書いてあった謎の文章を思い出す。
「あっ……、けーすけ!?」
「なんだよ」
「あのゴミの子!?」
「お前マジで死にてぇのか?」
青筋を立てたバジサン君がそう言いながら指の関節を鳴らす。危ないと思ったのか千冬君が私を庇うように間に入り「繭ちゃんは怪我人なんで……」と宥めてくれるが、バジサン君に「だから怪我関係ねえだろ!」と一喝され、またもや「確かに…」となっていた。確かに。
「千冬君、ちょっと」
「ハイ!」
「私、バジサン君のことなんて呼んでた?」
「名前で呼んでました」
「呼び捨て?」
「ハイ」
そこまで確認をとってから、圭介に向き直ると彼は心底呆れたような顔で私を見ていた。そんな顔させてごめん。
「全部思い出したよ、圭介ごめん」
「嘘つくなお前」
本当に信用がないし、実際思い出してないのでこの件に関しては彼が合っている。
横から千冬君が「繭ちゃんは怪我人なんで…」といつものフォローをしてくれたが全然聞いていなかったし、やっぱり怪我は関係ない。
「嘘ついてごめんね。お詫びにジュース買ってあげようか」
「いらねーよ」
「お金あったかな?」
「聞けよ」
無視して自販機の前に立つ。鞄から財布を取り出し、中身を見る。小銭あるかな、と指で確認していると白い紙がひらひらと舞った。
圭介の不機嫌そうな「おい」という声を聞きながら地面を見るとレシートが落ちていた。
「ゴミくらい捨てとけ」
「千冬君、言われてるよ」
「あ、ハイ!」
「お前に言ってんだよ!!」
私が圭介に怒られている間に千冬君が落ちたレシートを代わりに拾ってくれていた。「これ捨てていいんすか?」と聞かれたので一応見せてもらう。
印字されている日付を見ると私が石段から落ちた夜の前日だった。家から程近い場所にあるホームセンターで、ロープを購入している。
「なんだこれ?」という低い声と共にレシートに影が落ちる。前から圭介の手が伸びてきて乱暴にレシートを奪われた。
「お前ロープなんか何に使ったんだよ?」
「わかんない。綱引きとか…?」
「は……?」
私のボケに千冬君が困ったような顔で横に立つ圭介の様子を窺う。圭介はぽかんと口を開けた後、自身の頭部に手を当てながら言った。
「お前…頭、大丈夫か……?」
むかつくなコイツ。