07

帰りはケンチンに家の前まで送って貰った。初めは混乱して片言でしか話せなかったというのに、すっかりケンチンに慣れた私は、彼が見えなくなるまで「バイバーイ」と両手を大きく振り続けた。あの子にならエマちゃんのことを任せられる。


「おかえり」

家のドアを開いたら、何故かマイキーが玄関マットの上で胡座をかいていた。
これはまた母が怒るんじゃないかと思いつつ「ただいま」と返事をする。しかし家の中に両親がいる気配はない。
私の疑問を察したマイキーが「二人は買い物行っちゃった」と答える。あんなこと言ってた割にめちゃくちゃ信頼してるじゃん。暴走族の頭に留守番任せないだろ普通。

「ごめんね、面倒押し付けて」
「いや、オレは元々繭君に聞きたいことあったから」
「なに?」

一呼吸置くとマイキーはじっと私を見つめた。

「あのさ、繭君ってもしかしてわざと……」

そこまで言いかけて止めた。いつもと違ってやけに真剣な雰囲気の彼は、そのまま続きを言わなかった。
私は靴も脱がずに次の言葉を待った。暫しの間、沈黙が続く。
結局彼は「やっぱりいいや」と首を横に振った。

「それよりタケミっち、どうだった?」
「え?うん、すごく良い子だったよ。なんていうか、ちょっと気になる感じ」
「ああ、兄貴に似てるからだろ」
「そうなの?そうなんだ…」

靴を脱ぎながらタケミっち君の顔と仏壇の写真を思い浮かべる。似てるか?顔じゃなくて性格が、ってこと?それを記憶喪失の私に言うのは不親切ではないか。
などと色々考えていたら、ケンチンのバイクに乗せてもらった時、気になったことを思い出した。

「ねえ、マイキーは身体に墨入ってるの?」
「ないよ、見る?」

マイキーはそう言うと私の返答を待たずにおもむろに服を脱ぎ出した。
待て待て待て違う誰もそこまでしろとは言っていない。この場で証明しろなんて言ってない。他人の家の玄関で何をしてるんだ。
私が止める間もなく、マイキーはあっという間にパンツ一枚になった。脱ぐのに躊躇いが無さすぎるだろ。酒入った忘年会の一発芸じゃねーんだぞ。

「繭君の頼みでも恥ずかしいから下はちょっと……」
「いいよ、大丈夫だよ。恥じらいは大事にしな」
「うん」

言いながら脱いだ服を拾い集めて渡すと彼は素直に頷いた。
マイキーは本当に暴走族の頭なのか。私は皆の総長をパンイチにしてしまったわけだが大丈夫だろうか。ケンチンは怒らないだろうか。
いそいそと服を着込むマイキーを黙って見守る。やることがないせいか、あまり考えないようにしていたのにタケミっち君との会話を思い出してしまった。

「ね、昔の私ってどんな子だった?」
「なに、急に」

着衣を直したマイキーは私の唐突な質問に首を傾げた。

「記憶がなくなる前の……石段から落ちる前の私って…何考えてた?」
「さあ?オレは繭君じゃないからわかんね」
「それな」

幼馴染だからって何でも知っているわけではない。結局は別の人間なんだから、それこそ血縁でも相手のことを真に理解することはできないだろう。
そりゃ分かるわけないか、と諦めて「変なこと聞いてゴメン」と謝っておく。
謝罪を受けたマイキーは何度か目を瞬かせた。

「オレさ、小学生の頃は繭君の髪型真似したし、靴もコップも同じの買ってもらった。繭君が楽しいって言ってたからピアノも音楽室で触ってみた」

そうして突然、思い出話を始めた。
え?と間抜けな顔をする私を置いてマイキーは話し続ける。私には彼に関する記憶が全くないので、どれも初めて聞く話だ。

「それから繭君が勧めてくれた本も図書館行って三頁目くらいまでは読んだし、面白いって言ってた映画もオープニングは観た」

全然読んでないし観てなくない?

「なんでだと思う?」

解答権が回ってきた。
なんで、と言われても答えは一つしか思い当たらない。じっくり考える必要もなく、すぐに口を開いた。

「興味があったからじゃないの?」
「うん、正解」
「やった」

よし、と拳を握る私を無視してマイキーは続ける。

「兄貴もそうだけど、カッコいいと思った人の真似すればその人になれると思ったからさ」

真っ直ぐ私を見て言った。彼の言うカッコいい人には私も含まれていたらしい。

「でも難しいよな。繭君はなんでもひょいひょいやっちゃうけど、オレには同じ事出来なかった」

私と同じことできる人は結構いると思うけど、とは口にしなかった。
記憶がないせいか彼の言うことはよく理解できなかった。エマちゃんも同じような話をしていたが、二人と違って私は自分をカッコいいと思ったことはない。

「私のどこがそんなにかっこいいの?」
「あー…、野球で負けたらキレて場外乱闘始めたり、エマのことからかってきた奴が飼ってる犬殺そうとしたり、妙な因縁つけてきた奴の鼻へし折ったり、ランドセル狩りしたり」
「ごめんそれ誰の話」
「小学生の時の繭君」

そんなに酷かったのか私。幼少の自分のエピソードに普通に引いてしまい「やべー奴じゃん 」と他人事のような感想を言えば「繭君沸点低いからな」とマイキーが笑う。どこか昔を懐かしむような笑い方だった。

確かに昔の私は切れやすいタイプだったかもしれない。成長してからは抑えることを覚えたけど、小学生の頃は礼儀も何も知らない未熟者で暴力は何でも解決すると思っていた。
……怖いな……うちの母親は自分の娘を棚に上げてよくマイキー達と付き合うなとか言えたな。あの人結構親バカなんだな。

「でも繭君はいつも誰かの為に怒ってたよ」

時々例外もあったけど、と目の前の男の子は続ける。
全然覚えていないけれど、ランドセル狩りはどう考えても例外だろうな。

「繭君は誰かのために一生懸命になってくれる人だった」

それは自分に言い聞かせるような言い方だった。

「繭君昔さ……小学校入る前くらいに、オレが木から降りられなくなったと勘違いして、絶対受け止めてやるからジャンプしろ!って言って下で両腕広げてくれたの覚えてる?」
「全然まったく。それどうなったの?」
「なんか面白いから飛び降りたら、本当に受け止めてくれた。スゲーと思ったよ」

マイキーは当時のことを思い浮かべているのか、おかしそうに笑う。記憶のない私としては面白いからで飛び降りないで普通に降りてきてほしいと思った。

「オレもエマもその時からずっと繭君のこと頼りにしてる」
「つまり?」
「つまり繭君はめちゃくちゃカッケェーってこと」

そう言ったマイキーは憧れの人を見る幼い子供のような目をしていた。
めちゃくちゃカッケェーか。自分に対して、そう言ってくれる彼の名前を呼ぶとその黒い目がこちらに向いた。

「私、本当に何も覚えてないんだけどさ」
「うん」
「真一郎君のこと大好きだったと思う」
「うん」
「真一郎君が死んで、きっとすごく辛かったんだと思う」
「…うん」

知ってる、と小さく頷いたマイキーを見てから、そこで一旦口を閉じる。頭の中では自分の勝手な憶測がぐるぐると回っていた。
この先を言うべきか否か。迷っている時間と同じ分だけ沈黙が続く。十分すぎるくらい間を空けてから「あのさ」と話し始めた。

「みんなに内緒にしてたみたいだけど、毎月第三土曜はカウンセリング受けてた。何に使う気だったのか知らないけど最近ホームセンターでロープ買ってた。あと石段から落ちたのは多分……」
「繭君、もういいよ」

途中でマイキーの手が伸びてきて、私の口元を覆った。私は全然良くなかったのでその手を掴んで退かす。

「あのね、多分なんだけど私、真一郎君が死んでから寂しくて仕方がなかったみたい。家族も友達もマイキーもエマちゃんもいたけど耐えられなかったみたい」
「もういいって」

マイキーはこんな話を聞きたくなかったと思う。そりゃ私が彼でも聞きたくない。どう考えてもオチが暗そうだもん。
半ば無理やり私の口を塞ごうとする手を掴み、力付くで引き離す。
手を握りあった私達はそのまま指相撲を始めた。私には必勝法があるので、人差し指を動かしてマイキーの親指をねじ伏せると「卑怯じゃん!」と抗議の声が上がった。うるさいこれは戦術って言うんだ。無視して話を続ける。

「でもそれは記憶をなくす前の私の感情であって今の私の感情じゃないから、もう大丈夫だよ」

何が『大丈夫』なのかは言わなかった。でももう大丈夫。
迷ったけど、やっぱりこれだけは言っておかなくてはいけない。この先誰かが、それこそマイキーだったりエマちゃんだったりケンチンだったりが気が付いて、タケミっち君みたいに心配してくれる可能性があるから、ちゃんと声に出して言って安心させてあげなくてはいけない。

「私ってば、頼りになるカッケェー繭君だからさ。なんかあったらマイキーとエマちゃんを助けなきゃいけないじゃん?」

私はめちゃくちゃカッケェー繭君。マイキーがそう言うならそうなんだろう。
じゃあそれでいい。もう記憶なんて戻んなくて良いんだ。要らないものは捨てたし、カウンセリングももう行かない。

あの暗そうな導入からまさかそう続くと思っていなかったのか私の大丈夫宣言にマイキーは面食らっていたが、口角を上げた私に釣られたように安堵の笑みを浮かべた。
彼が「うん」と頷くと自然と競い合っていた指が離れ、瞬きをしている間に緩く抱き締められたので私も背中に手を回す。

「真一郎君のお墓参りに行きたい」

独り言のように呟くと「いーよ」と返ってくる。

「明日行きたい」
「いいよ。オレも一緒に行く」
「ありがとう」
「どういたしまして」

明日は学校をサボって朝からお墓参りに行く約束をした。抱き合ったまま「良い天気だといいね」と呟く。

久しぶりにとても晴れやかな気分になった。
真一郎君のお墓参りに行ったら、今思っていることは一度全部忘れよう。難しいことは考えないで、折角タケミっち君が助けてくれたんだから、私は新しい自分になったつもりで毎日楽しく過ごせるようにしよう。小学生の頃のようにちょっとしたことでキレないようにしよう。心穏やかでいよう。

そう決心して迎えた次の日。朝から土砂降りだった。マジでキレそう。