01

ない、どこにもない。
いつもと変わらない朝、教室に着くなり机の上に鞄の中身をひっくり返した美也子は、犬のアクリルキーホルダーがついた自宅の鍵を握り締めながらその場で固まってしまった。

「遊佐〜、なんでお店広げてるの?」

そんな彼女の様子に真っ先に気が付いたのは元チームメイトの国近で、背後から腕を回して美也子の背にぴとりとくっつくと「わたし、これほしい」と机の端に置いてあるパウチに入ったチョコレート菓子を指で軽く突いた。
美也子は空いている手でそれを取ってやりながら「キーホルダーがなくなっちゃった……」と泣き出しそうな声色で言った。彼女の手元で揺れている赤いスカーフを巻いた犬のキャラクターを見ながら国近は不思議そうに目を瞬かせた。

「キーホルダーって、ついてるじゃん」
「これじゃなくて、もう一個の……」
「もう一個?ついてたっけ?」
「ついてたよ〜!猫のやつ!」

美也子の自宅の鍵には二つのキーホルダーがついていた。一つは今も残っている犬のキャラクターで、もう一つが糸目の三毛猫だ。鞄から教科書やノートを取り出しながら、そういえば今日は両親共に帰りが遅いのだと思い出し、家の鍵を持ってきていただろうかと何気なしに確認したら、猫の方が消えていた。

「どこで落としたんだろ……、いつから無いんだろ……」
「床に落ちてない?」
「ない、と思う」

言いながら美也子は床を見た。彼女が膝を折るのに合わせて、後ろにくっついていた国近も身を離すと一緒に屈む。
残念ながら探し物は見当たらず「ない……」と絶望的な顔で呟く美也子の頭に国近の手のひらが乗った。

「よしよし、かわいそうにね〜」
「同情するなら一緒に探して」
「おっけー、代理人呼ぶね。今ちゃ〜ん、遊佐が呼んでる〜!」

どうやら彼女にそこまでのやる気はないらしい。立ち上がった国近はチョコレート菓子のパウチ片手に、自分の代わりとして廊下側の前から二番目の席に座る今を呼んだ。
明らかに元気のない美也子を見て「どうしたの?」と心配そうに尋ねてくる今に、国近が簡単に状況を説明する。状況も何もキーホルダーを無くしたというだけのシンプルな話なのだが、美也子はまるで宝物でも落としたかのように狼狽えていたので、本当にそれだけなのかと今が疑問を抱くのは当然のことだった。

「そんなに大事なものなの?」
「……う、ん………まあ……貰い物だから」

今からの質問に、美也子は少し言いづらそうに頷いた。貰い物といっても自宅の鍵につけているようなキーホルダーだ。そこまで高価なものではないということは、実物をよく覚えていない二人にも分かった。
ただの貰い物にしては妙に深刻そうに受け止める美也子の様子に何かピンときたらしい国近が、にやにやとした笑みを口角に浮かべる。

「おっ、その反応はぁ〜?さては男の子に貰ったな〜?」

その瞬間の美也子の顔は、本人でも自覚があるほどひどくわかりやすいものだった。すかさず今が「そうなの?」と美也子に視線を向ける。

「そんでもってぇ、相手はいまも好きな男の子だなぁ〜?」

美也子は目を泳がせながら「どうかな〜」と答えた。完全に言い当てられた反応である。
推理ゲームで鍛えた洞察力を駆使した国近が「当てちゃったか〜、わたし名探偵だからな〜」と満足そうに頷く横で、ほんのり頬を染めた今が「それは確かに大事ね」とグッと拳を握った。

美也子が無くした猫のキーホルダーは、1年生の冬に王子から貰ったものだった。家族旅行のお土産として彼が友人達に買ってきたもので、当然ながら貰ったのは美也子だけではないし、何なら王子は渡したことを忘れているかもしれない。そのくらい傍から見れば大したものではないのだが、美也子にとってはちょっとした宝物だった。
常日頃から持ち歩く通学用の鞄やスマホケースに付けると気が付かないうちに紛失する可能性が高いので、使用頻度の低い自宅の鍵に付けていたというのに、その結果がこれである。
ありえない、ありえない、ありえない――美也子は迂闊すぎる己を強く責めた。自分はファン失格である。すっかり落ち込んでいる彼女の様子に、これは重症だと察した国近と今は自然と顔を見合わせた。

「元気だしてぇ、ほら遊佐が好きそうなイケメン見つけたよ。写真見る?」
「見る」

迷うことなく即答した美也子は、差し出された国近のスマホ画面を食い入るように見た。彼女はただの恋する女子ではなく欲にまみれた素直なポンコツなので仕方がない。イケメンは見たい。
呆れ顔の今が「二人揃ってホント面食いなんだから……」と言うのを聞きながら、美也子は国近がSNSで見つけたイケメンより王子の方がカッコいいな、と思っていた。人となりを知っている身近な人物だからこそ余計魅力的に思えるのだろう。
そんな彼から貰った大切なものを無くしてしまった――急に現実に引き戻された彼女は再び気力を失くし「もう早退してもいいかな」と国近の肩口に顔を埋めた。

「ねえ、もし昨日までに校内で無くしたのなら落とし物として届いてるんじゃない?」

今のその発言に、真っ先に「それだ!」と反応したのは国近だった。彼女の肩から顔を上げた美也子は、校内の落とし物を保管している事務室を思い浮かべた。
学校内で見つかった落とし物は、職員玄関横の事務室にて保管されている。保管期間は届いた日付から三ヶ月で、最後に自宅の鍵を使ったのは一週間前。その時には間違いなくキーホルダーは二つ揃っていたと美也子は記憶していた。

「よ〜し!早速行ってみよ!」
「今から?HRまであと10分もないわよ…」
「私達なら5分で戻れる!気がする!」

国近と美也子がそう言って今の腕を片方ずつ掴めば「私も!?」と困惑した声が上がる。
幸い3年生の教室も事務室がある職員玄関も同じ1階だ。昇降の必要がないならHRには間に合うだろう、と判断して三人(一人は無理やり)は廊下を走った。殆どの生徒が教室へ向かう中を逆走するその姿は中々目立つものだったが、気にしている場合ではない。途中、村上とすれ違ったので口々に「おはよう!!」と叫ぶように挨拶をしながら、目的地である職員玄関へ駆け込む。

原則、事務室への生徒の立ち入りは禁止されているため、用がある場合は受付の小窓から呼びかけるようになっている。美也子と国近が揃って「すみませ〜ん!」と元気よく声をかければ、事務員の年配の男性が「はいはい」と小窓を開いた。
落とし物のリストを見せて欲しい、と話せば男性は慣れた様子で黒いバインダーを差し出した。遺失物一覧と題されたそれは数枚あるうちの一番上が最新のもので、落とし物の特徴と共に届いた日付と時刻、見つかった場所が手書きで記入されている。美也子と国近はリストを覗き込むと上から下まで確認してから同時に後ろで腕を組んで待つ今を振り返った。

「今ちゃん、届いてないよ!?」
「今ちゃん、どうしよ〜!?」
「いや、知らないわよ……」

美也子はわっ、と顔を両手で覆った。国近が「今ちゃん言い過ぎだよ〜!」と美也子の肩を抱き寄せれば「何も言ってないわよ」と至極冷静で真っ当なツッコミが返ってくる。

「そもそも学校で落としたのかどうかも正確には分からないんだから……家の鍵につけてる物なら家の中か、玄関付近にあるんじゃないの?」
「なるほど、それは一理ありますな〜。どうですか遊佐さん」
「実は今思い出したんですが、三日前に特に使いもしないのに所構わず鍵を振り回していた記憶があります」
「何をしてるのあんたは……」
「むしゃくしゃして、つい………」

美也子は目を逸らしながら答えた。
それは美也子が太刀川に対して強い殺意を抱いた日――弧月で斬り付けようとまで思い悩んだ日――の翌日で、どうしても怒りが収まらず何か別のことをして気を紛らわせなくては正気を保てなかったのだ。その日の彼女は学校でもボーダーでも我を忘れそうになる度にひたすら鍵を握って二つのキーホルダーを振り回していた。王子から貰ったものを視界に入れることで心を落ち着けようとしていたのかもしれない。ある程度の冷静さを取り戻した今の美也子にその時の自分の思考を理解することは出来なかったが、どう考えてもそれが原因だということだけは分かった。
大事なものじゃないんかい、と国近に肘で小突かれて美也子は気まずそうに身を縮こまらせる。今は「じゃあ校内もありえるわけね」と続けると二人の代わりに借りていたリストを事務員の男性に返却した。

「まあ、とりあえず昨日までに行った場所全部見てみればいーじゃん?」
「そうね。ほら、戻るよ」

何の手掛かりも掴めなかった美也子はがっくりと肩を落とし、二人より少し遅れて歩き出す。このペースではHRに間に合わないので行きとは逆に今が美也子の腕を引いた。
すっかり意気消沈した様子の美也子に、今は気休めとわかっていても「大丈夫よ、見つかるから」と励ましの言葉をかけた。しかしこんなにもショックを受けるなんて、相当好きな相手なんだな、と彼女は意外に思った。
無事に教室の前まで戻ってくると中へ入る前に「美也子、ちょっと」と今が声をひそめて言った。

「その無くしたキーホルダーって、やっぱり太刀川さんに貰ったの?」

やっぱりってなんなんだ――美也子は少しばかり口を尖らせて「違うよ」ときっぱり否定した。聞こえていたらしい国近が笑い出す。

「遊佐はぜーんぜん太刀川さん好みじゃないもんね」
「そうだったの…!?」

けらけらと笑う国近とは対照的に驚いた顔をする今に、美也子は何故いつも皆勘違いするんだと思っていたが、最近になって理由は何となくわかってきたので過剰な反応はしなかった。この際ハッキリ否定しておきたいが「私の好みは王子君です」などと正直に言えるはずもないので、美也子は「髭はちょっと…」と指で小さく罰を作るだけに止めておいた。
廊下から教室の様子を覗き見た彼女は、放課後まで学校で過ごすことを想像して億劫になる。

「もう帰りたい。今ちゃん帰っていい…?」
「ダメよ」

ダメだった。
やる気が出ない美也子に「頑張れ頑張れ」と今と国近が手を叩く。それはどう見ても幼稚園で拗ねる園児と宥める保育士の図だった。

「ほら、応援してるよ〜?頑張れのハグしてあげる!」

抱きついてきた国近を受け止めると美也子は深いため息をついた。

「応援するなら一緒に探して」
「探すよ〜!今ちゃんが!」
「あんたも探しなさいよ」

こら、と代理人に叱られる国近と抱き合いながら、美也子は今すぐ早退したい気持ちでいっぱいになった。彼女の長い一日が始まる。

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