一体どこに落としたんだろう――大人しく席に着いたものの全く授業が身に入らない美也子は、昨日までに立ち寄った場所、正確には三日前に鍵を振り回していた覚えがある場所をひたすらノートに書き出していた。下駄箱、一階の廊下、図書室、校庭、ボーダーまでの道中、東隊の作戦室、ラウンジ、個人ランク戦のロビー等々。自宅の可能性も高いが、一先ず全てを回る必要があると判断した彼女は、長期戦の予感に小さく息を吐いた。
「美也子!どうしたの、元気ないじゃん」
授業終わりの10分休みに廊下をとぼとぼと歩いていた美也子に声をかけたのは隣のクラスの加賀美だった。すぐそこのトイレから出てきたらしい彼女は「倫ちゃん……」と自身の名を弱々しく呟く美也子をくすりと笑うと「なに?お腹すいたの?」と問い掛ける。
「私、今日は何も持ってないんだ。ごめん」
「うん、お腹はすいてないから大丈夫」
どうやら加賀美は美也子を相当な食いしん坊だと思っているらしい。
小さく首を振った美也子は落とし物を探していたのだと話した。スマホを取り出し、王子から貰ったキーホルダーと同じ猫のキャラクターの画像を検索すると加賀美に「これのキーホルダーなんだけど」と画面を見せる。
「あれ、これって…なんかどこかで見たような……」
「ホントに!?」
突然舞い込んできた希望に、まだ午前中だと言うのに早くも死にかけていた美也子の瞳に光が差す。
「どこだったかな……」
「思い出して!倫ちゃんなら出来る!倫ちゃんはやれる!」
美也子に両肩を掴まれて暗示をかけられた加賀美は首を傾げながら暫し記憶を探る。
「そうだ、確か半崎君がこれについてなんか言ってたような?」
「半崎君?……半崎君か……」
後輩の名前を確かめるように呟きながら美也子は加賀美の肩からそっと手を離す。荒船隊の半崎義人は二学年下の狙撃手で、美也子は彼と『対面』での交流は殆どなかった。
全くの無関係ではないのでお互いの連絡先は知っているが使ったことはない。話すことはないし、積極的に関わりを持たなくともボーダーでの任務に支障はないからだ。よりによって半崎か、と美也子は少し迷った。
半崎が何か知っているなら話を聞きたいが、まともに連絡を取ったことすらないのにいきなりキーホルダーの件でメッセージを送るのも失礼な気がするし、自分のことなのだから加賀美に任せるのも変だ。美也子は数秒悩んでからやっぱり本人に直接話を聞きに行くことにした。
「次の休み時間に半崎君のところへ聞き込みに行くから、倫ちゃん仲介してくれる?」
手を合わせて頼めば、加賀美は特に迷うことなく「別にいいけど」と了承した。
「でも美也子達って同じゲームしてるんでしょ?仲良いんじゃないの?」
「普段チャットでしかやり取りしないから、直接は気まずい」
「そういうもん?」
「そういうもんだよ」
加賀美の真似をして頷く。彼女の言う通り美也子と半崎は同じゲームで遊んでいる。それはオンラインのバトルロイヤルゲームで、美也子は普段あまりゲームをしないが半年ほど前に国近に誘われ、ボーダーでの戦闘に通じるものもあるかもしれないと思って始めたのだ。
彼女達以外にもそのゲームをプレイしているボーダー隊員は多く、その中でも半崎は同じギルドに所属する仲間だったが、美也子と彼がやり取りをするのはゲーム内のチャットだけだ。
「それに私、昨日マップ読み違えて最後までみんなと合流できなかったから多分怒られるんだよね」
「美也子ってゲームでも道に迷ってんの?」
加賀美に笑われ、美也子は「ゲームって難しいんだよ」と視線を逸らした。
***
休み時間になると美也子は誰よりも早く席を立って教室を出た。階段で待ち合わせた加賀美と共に1年生の教室がある階へ向かう。
たった10分ほどの休みでも教室を離れる生徒は多く、美也子達が階段を上っていけば東隊の奥寺常幸がボーダー外の友人と立ち話をしている姿が目に入った。奥寺は二人を見るなり不思議そうに目を瞬かせていたが、時間は限られていたので美也子は軽く挨拶だけして加賀美と共に半崎のクラスへ急いだ。
この階の廊下を歩く生徒は当然ながら皆1年生だが、美也子達はそこまで注目を集めずに進むことが出来た。女子が身につけているスカーフの色は学年を問わず同じ色で、違いと言えば上履きに申し訳程度に使用されている学年色くらいのものなので一見して上級生だと気づかれることは少ないからだ。
しかし他学年のみで構成された空間に足を踏み入れることがどれだけ居心地の悪いことなのか美也子は十分理解していたので加賀美の存在は心強かったし、新入生だと一目でわかる状態で堂々と訪ねてきた烏丸はやはり相当な猛者なのだと入学式の日を思い出した。
C組の教室まで着くと美也子はすぐに入り口付近で話していた女子達に頼み、半崎を呼び出してもらう。帽子を被っていない生身の半崎は普段と印象が違うので美也子は中々見つけることが出来なかったが、クラスメイトは慣れたもので真っ直ぐ彼の元へ進んで行く。彼女らの後姿を追っていくと半崎は教卓の近くの席にいたようで、一言二言話してから入り口で待機する美也子と加賀美の方を振り向いた。
彼の目がこちらの姿を捉えた瞬間、その口が動いた。生憎、菊地原のような聴覚は持ち合わせていないので全く聞こえなかったが、美也子はその表情から彼が「うーわ、ダル……」と呟いたことを確信した。
渋々といった感じで席を立った彼は、近づきながら二人に挨拶をすると「なんすか?」と気怠そうに用件を聞いた。先に口を開いたのは加賀美で、美也子が探し物をしていると彼女のスマホ画面に表示されたキャラクターの画像を見せながら言う。
「ほら、半崎君この猫について前に何か言ってたでしょ?なんだっけ?」
「ああ、このぶっさいくな猫」
画像を覗き込む半崎に対して美也子は心の中で「不細工じゃないし…」と反論した。
「うちの姉貴がグッズ集めてるって話でしょ。遊佐先輩の探し物なんて知りませんけど」
「えっ、そんな話だったっけ」
「そんな話っす」
「うわ、ごめん美也子〜。収穫無しだ」
申し訳なさそうにこちらの手を握る加賀美に、美也子は慌てて首を振ると「いいの、付き合わせてごめんね」と彼女の手を握り返した。加賀美の断片的な記憶はきっかけに過ぎず、ここへ来ることを選択したのは自分なので彼女は何も悪くない。そう思って美也子はもう一度彼女に謝った。
「半崎君も時間取らせてごめんなさい。あと昨日は合流できなくて、すみませんでした…」
「ああ、それ。大変でしたよホント」
「ごめんなさい……」
「別にいいですけど」
ついでに昨夜のことを謝罪すれば、すぐにゲームのことだと察した半崎は眠そうな三白眼を美也子に向けたまま頭を掻いた。
二人が共にプレイしているゲームではナイフや刀などの近接用の武器もあるが射程が最も重要とされ、銃撃戦がメインとなる。しかし美也子は単純にゲームのセンスがないのか射撃の腕はドがつく下手くそで、接近戦になれば操作を間違え武器を捨てて丸腰で挑む始末だ。路地裏のチンピラより泥臭い戦い方である。
結局美也子は味方が負傷した際にアイテムを使う回復役に収まり、そんな役職はないというのにチームでは衛生兵と呼ばれている。マスタークラスの攻撃手がゲームで衛生兵になるとは流石の半崎も予想出来なかった。
そして困ったことにこの衛生兵は一度はぐれると中々合流できない。生まれたての野生動物かと心の中で突っ込みながら現在地を尋ねれば、その度に「草原」「丘」「崖」というシンプルなワードだけが返ってきて、マップを見ていた半崎はそういうことじゃない…と困惑した。すぐに国近が慣れた様子で質問を重ねて位置を割り出していたので、最初は太刀川隊で使われている暗号か何かかと思ったほどだ。
それまで半崎はさして交流のない美也子のことを『隙のない優等生』と認識していたが、ゲーム内で仲間として接するようになってから初めて荒船隊の先輩達が彼女のことを『ポンコツ』と評価する心を理解した。彼の中での美也子のポジションが攻撃手からポンコツ衛生兵に書き変わったのはそれから三日後のことである。
半崎は「やっぱ怒ってるよね」といった顔でチラチラこちらを窺う美也子に「オレ別に怒ってませんよ」と続けた。
「まあ、でも、サブマスなんだからしっかりしてくださいよ」
「はい…」
美也子は一応、半崎達が所属するギルドのサブマスターである。真面目な彼女はマメにログインし、衛生兵なりにチームに貢献することでプレイ歴半年にも関わらず大抜擢されたのだ。
だからこそ美也子は自身の方向音痴を重く受け止めていた。でも難しいんだ、南東がどこなのかわからないんだ――美也子は芸能人の謝罪会見よりも悲痛な面持ちで「すみませんでした…」と頭を下げた。
その様子をこっそり教室の中から眺めていた笹森と太一は「なんか怒られてる……?」「可哀想……」と心配そうに囁いたが、美也子達には聞こえてなかった。
「遊びじゃないんすよゲームは」
「遊びでしょ?」
きょとんとする加賀美に、少し間を空けてから半崎はどこか可哀そうなものを見るような目で「あー…」と言いづらそうな声を出す。
「加賀美先輩にはわかんないっすよね……」
「何を〜?ちょっと生意気じゃない?」
「ダルいんで暴力やめて下さい」
半崎の額を軽く小突いた加賀美は暴力判定に「スキンシップよ」と小さく頬を膨らませた。
次の授業の教科担当が歩いてくるのが見えた半崎は「時間、やばくないっすか」と教室内の時計を指で示す。これはまずい、と二人は半崎にお礼を言って教室へ戻ろうと足を動かした。
去り際に彼から「明日からイベント戦なんで遅刻しないでくださいよ」と言われた美也子は「気をつけます」と頷き、キーホルダーが見つからなかったら無理だけど……という本音は飲み込んだ。こんなこと言ったら絶対怒られる。