end

「ああ、やっぱり遊佐のものだったのか」

美也子の許しを得て振り向いた蔵内は、キーホルダーの話を聞いて納得したように頷いた。既に持ち主が誰なのか何となくわかっていて、ようやく確信できたらしい。逆に美也子の方が驚いた顔を披露する羽目になった。

「なんで私のものだって分かったの?見せたことあったっけ?」
「いや、王子がそうじゃないかって言ってたんだ」
「…………王子君が……?」

ちょっと待って嘘でしょ――その時美也子の脳内に駆け巡ったのはバットにボールを当て一塁に走るもアウトかセーフか分からぬ際どい状況であることを理解し神に祈るような気持ちでスライディングをする野球のユニフォームを着た自分の姿だった。今の彼女の心境を映像化するならそんな感じである。
脳内で審判の声を待つ美也子は「そうなんだ」と出来る限り余分な感情を削ぎ落として言った。

「それで、今は蔵内君が持ってるんだよね?」
「いや、王子が直接遊佐に渡しに行くと言って持って行ったんだ。会ってないか?」
「は!?」

エレベーターホールに響いたその声に、蔵内はびくりと身体を揺らした。美也子は驚かせちゃった、と反省しつつも全身から汗が吹き出すような感覚に見舞われた。王子が自分を捜しているってこういうことだったのか。
王子は三毛猫のキーホルダーが美也子の物であると特定しており、直接返そうとしている。これは最も恐れてきた展開になりつつあるぞと美也子は青ざめた。何故王子は自分の物だとわかったのか、彼はこの件に関してどう思っているのか。


蔵内と共にエレベーターで降下した後、お礼を言ってから彼と別れた美也子は一人あてもなく歩き出した。どんな顔をして王子に会えばいいのか分からない。
何となく足を進めているとラウンジに戻ってきてしまった。先程と変わらず混雑しており、一見しただけでは王子が居ても分からないかもしれない。
何か飲もうかと思ったが、何だか落ち着かなかったのでそのまま通り過ぎようとした時、前を行く人物がよく知った相手であることに気が付いた。

「あっ……!」

思わず声が出てしまった美也子は咄嗟に手で口元を覆った。しかし遅い。彼女の声が聞こえたらしい太刀川が振り返り、二人の視線が交差する。

「よー、美也子。なんでそんな苦しそうな顔してんだ」

そう指摘された美也子はまるで拷問に耐えるかのような苦悶の表情を浮かべていた。太刀川を前にハッキリと感情を表に出してしまうなんて、自分は相当焦っているなと美也子は思った。今は彼に気を回せる余裕はないらしい。
「腹痛か?」と傍に寄ってきた太刀川を一瞥した美也子は持っていた通学用の鞄を開けると中から袋を取り出した。

「太刀川さん。これあげるんで、あっち行ってもらっていいですか」
「なんだそりゃ」

今、彼に構っている暇はない。そんな美也子の心情など知る由もない太刀川は不思議に思いつつも「貰うけどよ」と袋を受け取った。貰えるものは貰う。
袋の中には簡易的な包み紙に包まれた何かが二つ。早速そのうちの一つを開けた太刀川は「おっ、たい焼きだ」と中から出てきたものを確認すると美也子を――正確には彼女の左斜め後方を見て何かに気が付いた。

「あ、王子」

瞬間、美也子はその場に伏せた。太刀川は妹弟子が突然目の前から消えた事実に頭が付いていけず狐につままれたような表情をしたが、数十秒ほど置いてからようやく理解が追い付いたのか視線をゆっくり下げた。

「え……どうした美也子?」
「静かにっ!」

何故か自身の足下で縮こまっている美也子に声をかけると「王子君に気付かれるでしょ!」と小声で怒られる。
注意された太刀川は「ええ……?」と困惑しつつもとりあえず従った。美也子は体の向きを変えて中腰になると丁度自分を隠すように置いてある観葉植物の葉の隙間から反対側を覗いた。そこには太刀川の発言通りきょろきょろと辺りを見回している王子の姿があった。誰を捜しているのかはわかっている。美也子は見つからないよう慌ててもう一度身を伏せた。
緊張した面持ちで屈んだまま立ち上がろうとしない美也子に合わせて「何?」と太刀川もその場に膝をつく。自分に合わせてきた兄弟子に「いや、ちょっと……」と美也子が言葉を濁すと太刀川は彼なりに状況を理解しようと頭をフル回転させた。

「あ、喧嘩か!」

美也子と王子は喧嘩中。たい焼き片手に太刀川が導き出した答えは普通に間違っていた。しかしここまでの美也子の行動や表情を思えば何も知らない彼がそう考えてしまっても仕方がない。

「ったく、お前は不器用な奴だな。ここは俺に任せとけ」
「えっ、何を……!?」

美也子が「違う」と否定する前に太刀川はその場から立ち上がるとまだ近くにいた王子に向かって声をかけた。

「おーい、王子。こっちこっち」

呼ぶな!おい!太刀川!!と心の中で叫びながら美也子は真横にある太刀川の足を何度も叩く。しかしトリオン体なので痛みを感じない太刀川はその程度では止まらなかった。
ラウンジ内は相変わらず騒がしいが、美也子は不思議とこちらに向かってくる王子の足音を聞き分けることが出来た。しかし彼らを隔てるような形で観葉植物のプランターが置いてあったので、美也子には王子の姿が見えなかったし、王子も太刀川の足下にいる美也子に気が付いていないようだった。

「太刀川さん。ぼくに何か?」
「美也子がお前に用があるってさ」

太刀川が下を指差しながら言ったので、王子は自分達の間にある観葉植物のプランターの縁に手を置いて少し身を乗り出すと太刀川の足下を覗き込んだ。そこでは気まずそうな顔をした美也子が随分と小さくなっている。目が合うと王子は「楽しそうなことしてるね」と微笑んだ。まだ心の準備ができていなかった美也子は心臓発作を起こして死にそうになったがギリギリのところで耐えた。

「じゃ、俺はこれで」

おい!責任取れ!太刀川!!と心の中で叫んだ美也子は信じられないものを見る目で去っていく太刀川の後ろ姿を見た。彼の『任せておけ』とは、切っ掛けだけ作ってやるから後は頑張れという意味だったらしい。

「やあ、遊佐さん」

プランターの向こうから、にこりと微笑みかけてくる王子を見て、覚悟を決めた美也子はぎこちなく笑い返す。
そっちに行くね、と回り込む手振りをすると王子は一度そこを離れた。美也子が震える足で立ち上がったのと王子が彼女の目の前へ戻ってきたのはほぼ同時だった。

「実はぼくもキミに用があって捜してたんだ。返したいものがあってね」

キミのものだろう?と手渡されたのは朝から探し続けたあの三毛猫のキーホルダーである。やっぱりこれか――分かってはいたが改めて確認すると色んな感情が溢れだしそうになる。王子の問い掛けに頷いた美也子は「ありがとう」と笑顔を作ったつもりが自分の今の感情と一致しない顔を作ることに限界を感じたのか上手く表情筋を動かせなかった。先程から心臓の音が煩い。

「これって、ぼくが昔渡したものだよね」

その一言で美也子は自分の頬をぎゅっとつねった。

「ゆ、夢……?」
「あはは、夢じゃないよ」

おかしそうに笑う王子を前に、美也子はつねった頬から生身特有の痛みを感じてこれが現実であることを理解した。
王子の言葉を一言一句違わず脳内で反芻する。彼はかつて美也子にキーホルダーを渡したことを覚えていたらしい。美也子は嬉しさで気絶しそうになった。
思わず「覚えてたんだ……」と呟いてしまう。もちろん、と頷かれて美也子は胸が熱くなった。

「でもよく私のものだって分かったね。あの時仲良かった子全員に同じもの配ったでしょ?」
「ああ、同じキャラクターだけどデザインが微妙に異なるんだよ。全員バラバラの方が面白いかと思って、一人一人違うものを渡したんだ。と言っても流石に全部は覚えてないけどね」

小さく笑った王子は美也子の手元を見た。

「でもキミに何を渡したかは覚えていたから」

そう続けた王子と目が合うと美也子は再び自分の頬を強くつねった。

「ゆ、夢……!?」
「夢じゃないよ、遊佐さん」

つねった頬から生身特有の痛みを感じて美也子は「本当だ……」とまたもやこれが現実であることを理解した。
脳内で王子の発言を繰り返し、私にくれたものだけは覚えていた!?と美也子はありえないと思いつつも若干の期待をした。今日死んでもいいかもしれない、とまで思い始めた。

「やっぱり遊佐さんは面白いなぁ」

楽しそうな王子に言われて、美也子は照れ笑いをする。どうやら王子は美也子がキーホルダーを探して駆け巡っていたことなど知らないようだ。
そりゃ、午前中はずっと防衛任務だったんだから当然か。話を聞く暇もなかっただろう、と美也子はようやく安心することが出来た。そしてひたすら浮かれた。

「王子君こそ、いつも面白くて優しくて私は……」

そこで美也子はハッと我に返り言葉を切った。危うく『好き』と言ってしまうところだった。あ、あぶね〜!とギリギリで耐えられた自分を褒め称える。
興味深そうな目でこちらを見てくる王子に「私は?」と続きを促され、美也子は口元を手で隠しながら言った。

「あの、私は人として尊敬してる……よ」
「大袈裟だなあ」

余程おかしく思ったのか王子は声を出して笑った。
目を細めるとそれ、と美也子が握っている三毛猫のキーホルダーを示す。

「大切にしてもらえて嬉しいよ。どうもありがとう」

やっぱり好き――美也子は咄嗟に顔を背けて幸せを噛み締めた。今日は朝から大変だったが、これだけで一日の疲れが全て吹っ飛んだように感じた。王子を見ると元気が出る。
「ところでキミの用って?」と尋ねられた美也子は心の中で勝手な事を言って消えた太刀川への恨み節を吐きながら散々迷った挙げ句「個人ランク戦しよう!」と拳を握ったのだった。

Pumps