Shrot story
01
「遅刻だ! 早く来い!」
 外から聞こえた威勢の良い声に、溜め息を吐きながら傍らにあったエナメルのバッグを拾い上げ、制服のネクタイを締め直す。
 その間にも、奴が外で俺を急かす様に自転車のベルを打ち鳴らす音が、途切れることなく響いていた。
「急げ冬獅郎、このままじゃ遅刻だ! 1限目は数学だぞ。」
 玄関を出ると同時にベルの音が止み、先程よりは些か落ち着いた奴の声が鳴った。
「言っておくが、寝坊したのは俺じゃなく、お前だ。円香。」
「そんなの、言われなくても分かってるよ。いいから、早く後ろに乗れ! このままじゃ私の単位が危ない!」
 やれやれと息を吐きながら、錆びきったシルバーの自転車に腰掛ける。
「荷物、落とすなよ。」
 言うと同時に、奴は自転車を漕ぎ出した。
 ペダルを漕ぐ度ギィギィと悲鳴を上げる自転車なぞ気にも掛けず、ぐんぐんとスピードを上げていく。
 この、ブレーキが壊れていてもおかしくない程ぼろい自転車に跨りながら、ずり落ち掛けたエナメルを肩に掛け直した。
「なあ。」
 毎日毎日、奴の古びた自転車で、奴の危ない運転で、スリリングな通学をしている俺達は、所謂幼馴染と言われる間柄だった。
 物ごころついた頃にはすでに隣には奴がいて、奴の隣には俺がいた。
 特に「一緒にいよう」という意識があった訳でも無い。それは奴も同じことだったーー長い付き合いだ。それくらい、見ていれば判る。
 それでも、俺達はずっと一緒にいた。
 一緒にいて居心地が良かったし、意識して離れる必要もなかった。それが最大の理由かもしれない。
「何さ! 今忙しいんだけど!」
 何処からか、車のクラクションが聞こえる。
 耳の横を風が通り抜ける音と、ざわざわと囁く木々の鳴き声。
 おそらく一本横を通る大通りからの人の行き交う音や、車のエンジンが唸る音も、耳を澄ませば鮮明に聴く事が出来た。
 それらの多彩な音に負けじと、奴は声を張り上げる。が、どうにも錆付いた自転車の発する音ばかりが耳につく。
「……進路、決めたか?」
 どうせ聞こえまいと先程より小さな声で言うと、ピタリと喧しい自転車の悲鳴が止んだ。
「……なんで。」
「あ?」
「ああ、いや。えっと、そういう冬獅郎はさあ、決めた訳?その、進路。」
「ああ。」
 ピタリと止まった自転車。
 風の唸りもペダルの悲鳴も、同時にピタリと止んで、先程までの遅刻ギリギリの喧しい朝は何処かへ行ってしまった。
「そっか。そうだよね。もう、こんな時期だし。決めてるよね。」
「……俺、留ーー。」
「うん、知ってる。」
 奴はやけに低い声で吐き出して、再びペダルを漕ぎだした。
 だが、先程のような威勢の良さは消え、悲鳴も3割程度に落ち着いた。
「おい。」
「……。」
「何考えてんだよ。そっち、学校じゃねえだろ。」
 何を言おうと、奴は聞く気が無いらしい。
 俺の跨るこの自転車は、奴の意志に従って、そろそろと脇道へ入っていった。
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