Shrot story
02
「おい。」
 川沿いまで自転車を走らせた奴は、一言も発することは無かった。
 声をかけても返事をしなければ、自転車が止まることも無い。
 らしくない。
 奴は、一人で重たい空気を背負い込んで、ギッギッとペダルを漕いでいる。
 らしくない。
 元々、奴はこんな事をする女ではない。
 気に喰わない事があれば、噛み付かんばかりに反論をし、反抗する。
 らしくないのだ。奴は一人で沈黙を背負うような奴ではない。
 慣れない状況に俺は戸惑いを隠し切れなかった。
 焦る俺の耳に、数百メートル先の土手の下で、幼い子供を連れた母親と子供の祖父母と思われる人物が、楽しそうに笑いあっている声がぼんやりと入ってきた。
「……おい、円香。」
「冬獅郎。今日、学校さぼっちゃおうよ。」
「数学の単位とやらはどうする気だ。」
「……そんなのーー。」
 どうでもいいじゃん。
 奴の声と、ガシャンという音が重なった直後、身体に痛みが走ったーーと言っても、大した痛みではない。
 何事かと顔を上げれば、生い茂る草と、傍らに横たわる奴。そして、くるくると車輪が回転したまま横たわる自転車が視界に入った。
 転んだと分かるまで、然程時間は掛からなかった。
 だが、奴の背負う沈黙と転んだ理由は、いくら時間を掛けたところで、何も分かりはしなかった。
「……なんだよ。」
「……。」
「おい。」
 何も言わず、沈黙を守る奴に、次第に苛立ちが募っていく。
「おいってーー……!」
 顔も合わせない奴の肩をぐいと引き寄せ、視線を交わそうとすると、意外にも奴は真っ直ぐとこちらを見つめてきた。
「するんでしょ、……留学。」
「……あ、ああ。」
 くるくると回り続けていた自転車のタイヤが、徐々に速度を落とし、やがて止まった。
 すると、奴はかたく結んでいた口を開いて、大きく息を吸い込んだ。
「ーーっなんで……。」
 大きな声を出されると予想したものの、予想に反して、出て来たのは蚊の鳴くような消え入りそうなものだった。
「なんでって……。」
 そのことに動揺しながら、奴の顔を見る。今にも泣きだしそうにして、顔をくしゃっとさせた。
「私……、冬獅郎とはずっと、ずっと一緒にいられると思ってたのに……!」
 思いもよらぬ言葉だった。奴は苦しそうに続ける。
「冬獅郎は、ずっと傍にいてくれるんだと思ってた……。」
 それきり、奴はピタリと黙った。俯いていて表情は見えなかったが、どんな顔をしているかは、先程見せた表情から容易に想像出来た。
 こんなことを言われたのは初めてで、あんな顔を見せられたのも初めてだった俺は、今のこいつに何を言ってやればいいのか分からない。
 ぎゅっと唇を固く結ぶと、奴はガバッと顔を上げこちらを見て、にんまりと笑ってみせた。
「なーんてね。何処へでも行けよ、冬獅郎の人生だし。」
「な……。」
 突然の豹変ぶりに面食らっている俺をさておき、倒れていた自転車を起こし、奴は言った。
「なあ、乗れよ!たまには学校サボって何処か行くのも悪くないだろ。」
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