Shrot story
03
 それから俺達は何処へ向かうでもなく、ずっと自転車に乗っていた。
 俺が何かを言おうとする度、奴は遮るように大きな声でどうでもいい話をした。
 数学が嫌いだからとサボり続けていた結果、教師に嫌われたこと。単位が危うくなっていること。更に教師に嫌われたこと。実は調理実習が好きで、料理が得意なこと。裁縫は少し苦手なこと。
 俺はそれらをずっとずっと前から知っていた。でもきっと、俺が知っていることを、奴は知らないだろう。
「……こうやって、二人乗りしてられんのも、もうすぐ終わりか。」
 ぽつりと、小さな声で奴は漏らした。
 自転車の悲鳴に掻き消されそうなくらい、小さな声だった。
 そのか細い声につられて、俺は思わず奴の細い体に腕を伸ばした。
「なにすーー。」
「聞いてくれ、円香。」
 ギィギィと耳障りだった音が止む。今度は奴も俺の言葉を遮ったりしなかった。
「俺、アメリカの大学に行こうと思ってる。ずっと言えなくて悪かった。」
 奴は何も言わない。抱き締めた体は、小刻みに震えていた。
「色々勉強したら、必ずお前のとこに帰ってくる。約束する。」
「……なにそれ、冬獅郎彼氏みたい。」
「お前が傍に居ろって言うんだから仕様がねえだろ。」
「そんなこと言ってない。」
「言っただろ。」
「言ってない。」
「言った。」
 すると奴は小さな震えた声で呟いた。
「冬獅郎の、邪魔をしたくて言ったわけじゃないんだ。」
 俺は目を瞑って、奴の背中に額を擦り付けた。
「邪魔だなんて言ってねえだろ。」
 そうして体を離すと、奴の短い髪の間から、赤く染まった耳が窺えた。
 思わず口元が緩んでしまう。
「邪魔じゃねえから、帰ってきたら絶対俺から離れんなよ。」
「私は冬獅郎と違って離れたりしないよ。」
 奴は悪戯っ子のような笑みを浮かべてこちらを向くと、すぐに眉を下げた。
「待ってる、冬獅郎のこと。待ってるから、頑張ってこなきゃ許さないからな。」
「……ああ。」
 奴は小さく笑って再び前を向く。
 奴が少しずつ自転車を漕ぎ出すと、いつもの朝の音が蘇ってくる。
「あー、数学間に合わなかったなあ。」
「どうせお前の事だから、3限の物理もやばいんだろ。」
「あ、そうだった! ていうかなんで冬獅郎はそんなことまで知ってるんだよ。」
「お前が分かりやすいからだ。」
 エナメルバッグがずり落ちないように、しっかり握る。
「ーー学校、行くか。」
 その言葉を口火に、奴は自転車を加速させた。
 完全にいつもの姿に戻った朝の景色に、先程までのやり取りは夢だったような気さえする。
 しかし、まだ赤い奴の耳を見ると、先程触れた背中の感触が鮮明に蘇ってくる。
「一緒にいよう。」
 奴に届かない声で囁いて、俺は少しだけ奴との距離を詰めた。



end
15.11.18
TOP
ALICE+