アレスティオの花嫁

第三章 不幸の真実

  2


 リクは大きな荷物を運び、丁寧に置いて、空を仰いだ。
「のどかだなぁ」
 そよそよと風が吹き、汗を撫でていく。
 リクとエルフリーデは今、北へ延びる街道沿いの小さな村に滞在していた。

 リクたちがこの村に来たのは、3日前のことだ。
 3日前まで、街道を北へ北へと進み、時々小屋へ泊まりながら、リクとエルフリーデはアレスティオ王国を目指していた。エルフリーデはジャスティールが竜に襲われた日からほとんどゆっくり休むこともなく、弱音も吐かずに歩いている。しかし顔色が日に日に悪くなっていくのに休みたがらないものだから、心配なエルフリーデのことが、ことさらに心配であった。
 火を焚き食事を取りながら、リクは地図を広げ、エルフリーデに提案した。
「エル、地図ではこの近くに村がある。二、三日くらい、そこで休ませてもらった方がいい。もう7日も歩き通しだし、顔色も良くないし……」
「いえ、休ませていただくなら、一日で……うっ」
 突然エルフリーデが茂みに駆け込んだ。リクも慌てて追いかける。
「エル!?」
 吐瀉物の酸っぱい臭いが鼻をつく。ある程度吐いたところで、エルフリーデは咳こんだ。どうすればいいか分からず、とにかくリクはエルフリーデの背をさすった。
「大丈夫?」
「ええ……」
 そうは言っても嘔吐するほどである。顔色はよくないし、息が切れている。きっと疲れが溜まっているのだ。やはり村には、数日程度滞在させてもらったほうがいい。
「エル、歩ける?」
「ええ、大丈夫よ」
「ご飯は食べられそう?」
「ちょっと今は……」
「少し休んだら、近くの村に行こう。最悪、俺が負ぶさるから」
「……ごめんなさい」
 エルフリーデの額ににじむ脂汗を軽く拭きながら、エルフリーデの背をさする。村では嘔吐した人によくこうしていたものだ。相手がエルフリーデなので気も引けるが、いまは自分しかいないのだ。しっかりしなくてはならない。
「体調がよくないのは仕方がないよ。ずっと休んでないわけだし、エルのせいじゃない。服は……汚れてないみたいだな。地図では村までそんなに遠くないからすぐに着くと思うけど、無理に我慢はしないで」
「ええ」
 エルフリーデはかすかにうなずいたが、村に着いてベッドに横になれるまでは我慢しそうである。あたりは日が暮れかけていた。

 最寄りの村に到着する頃にはすっかり暗くなっていたので、最初に目に付いた家屋のドアをノックして、出てきてくれた人のよさそうな中年のふくよかな女性に事情を説明した。
「ええ、そういった事情ですので、体調がよくなるまでの間休める宿を探しております」
「まあ、そうなの……。本当に顔色が悪いわねぇ。この村に宿はないけど、ベッドなら貸してあげられるわ」
「ありがとうございます」
「一晩寝てもよくならなかったら、明日はカティさんに来てもらおうかしらね。あ、カティさんっていうのは、うちの村の薬草師の人なんだけど、うちの息子が熱を出して寝込んだときにもお世話になったのよ」
 なるほど、カティという人物は、リクの村で言うところのマリーのような存在らしい。それならば少しは安心できるかもしれない。
 そんなことを考えていると、家の奥の方から中年男性の声がした。
「ロニヤ、客人は気分が優れないのだろう? 玄関先で長話ばかりしていないで、早く寝床に案内してやりなさい」
「あら、そうだわ! いやだわ、ごめんなさいね。すぐ話があっちこっちいっちゃって長くなるのが悪い癖なの。わかっちゃいるんだけどね。すぐ案内するわ、こっちよ、あがってちょうだい」
「ありがとうございます。すみません」
「いいのよ、こちらこそごめんなさい」
 借りた一室にすぐエルフリーデを連れて行き、ベッドに横たえ、荷物を置いた。
 一通りを終え部屋を出ると、ロニヤが笑顔でこんなことを言ってきた。
「お嫁さん、本当にきれいな人ねぇ」
「あ、えっと」
 当然のように言われ、リクは言葉に詰まった。
「その、僕のお嫁さんではないのです。友人で、エル……さんが実家に帰るのに、護衛しているんですよ。女性のひとり旅はなにかと心配ですし」
 廊下を歩きながら、ロルフのいるリビングに向かう。
「あら、そうだったのね。じゃあ、あなたの寝床は別に用意しておくわね」
「はい、お気遣い感謝致します」
 言った後で、それ以上追求されなかったことを感謝した。
 本当はここで、婦人のロニヤの言うことを肯定しておいたほうがよかったのかもしれない。だがバルディアーの顔を思い出してしまったのだ。リクはエルフリーデのことも好きだが、バルディアーのことも好きだった。
「それはそうと、エルさん? と言ったかしら? 彼女は何か食べられそうなの?」
「いえ、何も食べられなそうにないと言っていました」
「そう……それはいけないわね。ジュースくらいだったら飲めるかしら。ねえロルフ、確かまだラズベリーのジュースがあったわよね?」
「ああ、今日たくさん絞ったから、大量にあるぞ。ジャムもある。なにしろ、ジャスティールがあんなことになったからな」
 ロルフと呼ばれた腹の出た男性が、渋い顔で答えた。リクはうつむき、ロニヤが困ったように笑う。
「不幸中の幸いってやつなのかしら。喜んでいいのか悪いのか、よく分からないわね。あ、あなたラズベリージュース飲んだことある? ここ、ラズベリーが特産なのよ。それでジャスティールの商人さんにいつも卸してたんだけど、ほら、ジャスティールがあんなことになったでしょ? それで売れ残りがたくさんあるのよ。このままここで腐らせるのももったいないし、ちょうど良かったわ」
 ぺらぺらと喋りながら、「はい、飲んでみて」とコップに注いだ赤いジュースを差し出され、リクは会釈して受け取り、口をつけた。
「あ、おいしい。僕の地元にもクランベリーがあって、よくジュースとかジャムにしていました。それを思い出します」
「そう、お口に合ったようで良かったわ。あなたのお友だちも飲んでくれるかしら? それにしても、息子もジャスティールに住んでたから、どうなってるか心配よねぇ。無事だといいんだけど」
「あいつのことはいいじゃないか」
「ロルフ」
 ここに来て、初めてロニヤがしかめ面をした。しかしすぐに穏和な表情に戻った。
「ごめんなさいね、あなたには関係のない話だわ。本当にいらないことばかりぺらぺらと喋ってごめんなさい。これをお連れさんに持って行っておやりなさい」
「はい、ありがとうございます」
 リクはジュースを受け取り、エルフリーデを寝かせた部屋へと向かった。その間、ずっとサイの姿が脳裏にちらついた。
(まさか、な)
 ジャスティールは大きな国ではないが、人口が多い。だから民衆に混じって生き残ってるかもしれない。知っている人なら答えられるが、知っているか定かでない人物のことを適当に言うものではないだろうし、サイが彼らの息子とも限らない。
 リクはかぶりを振り、ひとまずは考えるのをやめることにした。エルフリーデの寝ている部屋のドアをノックし、部屋に入ると、横たわっているエルフリーデが顔だけをこちらへ向けた。
「エル、気分はどう?」
「さきほどよりは良くなったわ。心配をかけてしまってごめんなさい」
「マシになったならよかった。ロニヤさんって、ここのご婦人にラズベリージュースをいただいたんだけど、飲めそう?」
「ええ、ジュースくらいだったら」
「ここに置いておくから、気が向いた時にでも飲んで。じゃあ、おやすみ」
 そっと音を立てないようにコップを置き、エルフリーデにほほえみかけた。
「おやすみなさい」
 エルフリーデが小さな声で返すのを聞いて、部屋を出た。

 居間に戻ると、ロニヤが小走りに寄ってくるやいなや、あれこれとよく口を動かし始めた。
「さっきはごめんなさいね。私、息子がどうなったのか気になってて。うちの人ったら意地っ張りなのよ。息子もそういうところばっかりすっかり似ちゃってねぇ。五年前だったかしら。騎士になりたいって言ってきたんだけど、ロルフがそれ聞いて怒って、それで飛び出して行っちゃったのよ。それから音信不通だったんだけど……この間手紙が来てね。正式に騎士に任命されることになったって、私たちふたりにって任命式の招待状ももらったの。私は見に行きたかったんだけど、収穫で手が離せない時期だし……あの子も承知の上だったとは思うのよ。結局こうなってしまったら、行かなくて良かったのかもしれないって。ただ、無事でいてくれたらいいのだけど。ちょうどあなたくらいの年よね」
 聞けば聞くほどに、ロニヤの息子の姿がサイと重なる。
 五年前からロスタムからしごかれながら、共に励み、共に騎士に任命された。年も近くて話が合った。そんな友も、失うのは一瞬だった。
 サイだろうか。もしもサイだったら、言うべきか、言わざるべきか。消息を知りたいと思うものだろうか。あのような死に方だったら知らいほうがいいと思うだろうか。
 結局その日は、リクはサイのことを言えないまま、寝床に着いた。



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