アレスティオの花嫁

第三章 不幸の真実

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 混乱のジャスティールの都市から離れたリクは、周囲の安全を確認し、ひとまず息を切らせているエルフリーデを座らせ、彼女の前にひざまずいた。
「妃殿下、報告がございます。遅れてしまい申し訳ありません」
 自分で自分が震えているのが分かった。
「その、バルディアー陛下のことですが……」
「亡くなったのですね」
 震えているのは声なのか身体なのか、それとも世界の方なのか、それすら分からなくなるほどに動揺しているリクに反して、エルフリーデの声音は落ち着き払っているように思えた。そのおかげか、リクも幾ばくかは心を落ち着けることができた。 
「……はい」
「あなたの姿を見て、すぐに分かりました」
「そうだったのですね。その……バルディアー陛下は、最期まで国民やエルフリーデ妃殿下のことを案じておいででした。バルディアー陛下をお守りできず、エルフリーデ妃殿下や国民のみなさんになんとお詫び申し上げればよいか……」
「いえ。このような事態、誰にも予測できなかったことです。あなたが気に病むことはありません」
 バルディアーは心からエルフリーデを愛していたのだと、今さらにして染みた。そして今のところは気丈さを保っているエルフリーデもまた、バルディアーを愛していたことだろう。リクは手のひらに爪が食い込むほど拳を握った。
 しかしいつまでもここで足踏みをしているわけにもいかない。リクだけならばともかく、エルフリーデを着の身着のままの状態で野宿させるわけにはいかない。五年前のあの時とは状況が違うのだ。無理にでも気持ちを切り替えようと、リクは顔を上げた。
「エルフリーデ様、近くに無事な様子の村があります。今はひとまずそちらに向かって、休ませて貰いましょう。よろしいでしょうか?」
 エルフリーデはすぐにはリクの問いかけに答えなかった。少し思案したのち、小さくうなずく。
「わかりました。行きましょう」
 エルフリーデは答えるなり、リクが促すまでもなく立ち上がった。彼女のことは、ここまでたくさん走らせた。疲れているだろうに、その様をまったく見せないエルフリーデにこのときばかりは感謝した。
 村に到着してすぐ宿を取り、寝て起きるまで、どうしたかも思い出せないほど、めまぐるしい出来事に疲れていたのだと気づくこともなかった。


 翌朝、朝食を取りながら、ようやくこれからのことを考えられる程度に思考がはっきりした。いろいろと考えなければならないことはあるだろうが、今はエルフリーデのことだ。リクはまだごまかせるだろうが、エルフリーデの服はボロボロになってしまっている。それでも装飾品から、それなりの身分だということは見てとれてしまうだろう。これからどうするにしても、この服のまま動くのは支障が出そうだ。
 簡素な食事を終え、リクはエルフリーデに服を買いに行くと告げ、部屋を出た。
 小さな雑貨屋で無難で地味な服を買う。雑貨屋の人に確認しながら、エルフリーデに合いそうな大きさのものを手に取った。
「でも、ジャスティールも大変だったみたいですね。昨日はたくさん人が逃げてきたもんだから、何事かと思ったんだけど、まさか竜に襲われるなんてねぇ」
 こわいよねぇ、と身を縮こまらせる主人に、そうですね、と曖昧に笑って返した。
 ということは、エルフリーデがここにいることが分かれば、亡命した人たちはエルフリーデに庇護を求めるのかもしれない。それこそがエルフリーデの仕事だと言われればその通りなのだが、今はそっとしておきたい気持ちもあった。
 宿屋に戻り、エルフリーデに買った服を渡し、部屋の外で待つ。待っている間も、様々なことが頭を巡った。あの時、どうにかしてバルディアーを助けられたのではないか。なぜ動けなかったのか。なぜ自分だけが生き残ったのか。そのように自分を責めることばかりが浮かぶ。エルフリーデがいてくれているおかげで、生きていることに意味があるようにも思えるが、そうでなければ今ここでこうしていることが、幸運なのか不運なのか、さっぱり分からない。
 着替えを終えたエルフリーデが部屋から出てきた。店主に予算の範囲内で適当に見繕ってもらったものだが、大きさは丁度いいようでホッとした。
「待たせましたね、リク」
「とんでもございません。良かった、似合っておいでで。エルフリーデ妃殿下はいかがでしょうか、そちらのお召し物は? その、肌触りなどはやはり、普段お召しになるものには劣ると思われますが……」
 リクも簡素な宿に戻ってきてからすぐに着替えたのだが、なにせリクに支給されていた制服は肌触りの良いものであった。そのことが市井の服を着て、非常に実感された。騎士見習いの身分でさえそれなのだから、王妃ともなると殊更だろうと思ったのだが……。
「悪くはありません。いつもの格好よりかは動きやすいですし、これでしたらどこぞへ移動するのにも苦労はしないでしょう」
「ようございました、ありがとうございます。して、エルフリーデ妃殿下、これからどうなさいますか? ここにはジャスティールから亡命した人たちもいくらかいるようです」
「やはりそうですか。無事な方たちがいたのですね。それでしたら、ここの代表の方とお話がしたいです」
「かしこまりました。ではそのように手配いたします」
「急がなければ……」
 伏し目がちに呟いたエルフリーデの独り言が、嫌にリクの耳に残った。

 エルフリーデと村長の家に赴き、簡単に挨拶を済ませ、「すぐに終わる話ですので」とエルフリーデが切り出した。
「ジャスティールからの難民を、こちらの村で受け入れていただきたいのです。難民たちは、労働力として使っていただいてかまいません」
「そうですか。まあ受け入れられない数ではありませんし、みなさんの面倒はこちらで見させていただきますよ」
「ありがとうございます、村長様。どうか、よろしくお願いいたします」
 エルフリーデと村長は、互いに深々と頭を下げた。用事を終えたエルフリーデが、嫌に早足なのが気になる。
「亡命した方々は、これで大丈夫でしょう。リク、私は一刻も早く、この村を発ちたいのですが、よろしいですか?」
「ご命令とあらばそのようにいたしますが、休まれなくてよろしいのですか?」
「ええ」
「ちなみに、どちらに向かわれるご予定で?」
「今のところこれといった目的地は定まっておりませんが……そうですね。地元に戻ることも検討してみるのがいいかもしれません」
 地元――アレスティオ王国までは遠いが、途中に町や村が点在しているので、エルフリーデを休ませつつ戻ることは可能だ。
「かしこまりました。では、そのつもりで明朝出発しましょう。ひとまずは一番近い村を目指します。よろしいですか?」
「はい、お任せします。それと」
 春の木漏れ日がじっとリクの目を見つめる。
「道中なにかと不便かと思います。私のことは今後、エルと呼んでください。堅苦しい話し方はお互いやめにして、もう少し砕けた話し方にしましょう」
「かしこまりました、エルフリーデ妃殿下」
「ほら」
「あ、も、申し訳……すみません」
「これまでのことがあります。慣れぬやもしれませんが、かつてのようにお話してくだされば結構ですから」
 かつて。ルドラとリクとでエルフリーデをジャスティールに送り届ける旅をした時のことだろうか。あの時は世間知らずだったし、エルフリーデがアレスティオの王女ということさえ知らなかったから、そうできたのだ。確かにリクが騎士に任命されたのはつい昨日のことだが、リクもエルフリーデも互いに立場を重んじる言葉遣いをしてきたのだ。五年もそうしてきたことを突然変えるのは難しい。
「分かった、善処しよう。しかしエル、あなたもだ。あなたももう少し、民が話すように話したほうがいい」
 エルフリーデは少しリクを見つめ、「その通りですね」とつぶやいた。
「失礼しました。いえ、ごめんなさい」
 表情は相変わらずほとんど動く様子がないものの、冗談のようなものを言えるのだから、思ったよりもエルフリーデは大丈夫かもしれない。リクにはそう感じられた。



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