episode1
「腹でも減ったのか」
「腹でも減ったのか」
『そう、お腹、すいたの』
ベッドの上でまだ眠た気な眼をこすりながら、わたしにそう聞いてくれたのは昨日遅くまでバイトだった桃矢君。
帰ってきた瞬間、おかえりなさい、と声をかける間もなく眠りについてしまったからよほど疲れていたみたい。だからわたしは寝てしまった桃矢君の隣で遠慮がちに横になった。
こんな風に至近距離で桃矢君の寝顔をみれるのはわたしだけの特権なんだから。
『お疲れ様、とーや君』
桃矢君が大学2年目で一人暮らしをはじめた小さなアパートに、転がり込むようなかたちでやってきたわたしは、桃矢君と同年代の女の子……ああ、もう女の子っていう年でもないか。
そんな居候のわたしに文句のひとつも言わない桃矢君は、いつもわたしに沢山の幸せをくれる。こっちがお世話になっているのに、いつもありがとな、って言ってくれるの。
優しくて、カッコよくて、お料理も上手で、そんな桃矢君がわたしは大好き。
一ヶ月半ほど前だった。
めったに人を部屋にはあげない桃矢君が仲のよさそうな友人をつれて大学から帰ってきた。これまたイケメンのお友達はイケメンしかいないんだろうか、整った顔立ちの美青年だった。
「まなみって言うんだね、はじめまして」
『は、はじめまして……』
「あ、ごめんね、急で驚かせちゃったかな?」
すごく優しそうな人で、この後すぐ仲よくなったのだけれど、その友人はすぐに桃矢君と2人で話しだしてしまった。
すっかり蚊帳の外になってしまったわたしは何となーく2人の会話を聞いていた。
「折角の誕生日もバイト?」
「別に、今更祝ってもらうこともねぇだろ」
「今年はカレンダーにちゃんとのってる年なのに、…とーやらしいね」
桃矢君は本当にバイトばかりしている。
遊びたい盛りの大学生、お金が欲しいのはよくわかるのだけれど、桃矢君はそんなに遊び人でもないようだし。それに折角の誕生日もバイトなんて、きっと素敵なガールフレンドの一人や二人もいないんだわ。
「まなみきいてた?この日、とーやの誕生日なんだよ」
イケメン君はわたしに話しかけながら、近くにあった卓上カレンダーを持ちだし一枚めくると29の数字を指さした。
「さくらちゃんとおじさんは?帰ってこいとか言うんじゃない?」
「言っただろ、その日はバイトだ」
「その様子だともう断ったの」
「ああ」
さっきの二人の会話に胸がとくんと動いた気がした。
折角の桃矢君のお誕生日、このわたしがお祝いしてあげなきゃ、そう思った。居候のわたしから桃矢君に、日頃の感謝の気持ちをどうにかして伝えたい。以前からずっと考えていたことを伝えるのに、お誕生日はちょうどいい機会だわ。
ただ不安なことが少し、わたしは人に気持ちを伝えるのが不得意だから。
それにお誕生日には欠かせない豪華な料理とケーキも、わたしには作ることが出来ない。
何故って。
「ちょっと待ってろ……あれ、缶々……」
『ねえ早く、』
「痛っ、おい、引っ掻くなっ」
だってわたしは猫だから。
「にゃー……」
言葉は通じないし、疲れて帰ってきた桃矢君を素敵な手料理で迎えてあげることも出来ないし、凝った肩を揉んであげることも出来ない。
これがあたしの宿命なんだって、ちょっとあきらめていたりもする。
ただ感謝の気持ちはいつも変わらない。猫は自分勝手で気まぐれマイペースだっていうけれど、それだけじゃない。マイペースなところもあるけれど、御主人様のことはすごく好きなの。
わたしは猫だけれど、自分の為じゃなくて桃矢君の為に何かしたいって、常に思ってるわ。
本当に大好きなの、桃矢君。
「にやーあ」
ほら、これは甘えるわたし。
「にゃおん?」
けれど実際のところ、桃矢君は、猫であるわたしの心の機微を何故かいつも簡単に読み取ってしまうわ。
撫でてほしいと近よれば撫でてくれるし、おもちゃで遊んで楽しいときはもっと遊ぶか?と何度も相手をしてくれる。気持ちが落ち込んでいればギュッと抱きしめてくれる。
それでも、わたしはやっぱり「言葉」で伝えたいと思ってしまうの。