episode2

魔術師の生まれ変わり




 28日の朝、ああもう明日かなんて思いながらわたしは散歩をしていた。
 色々なお祝いのし方をわたしなりに考えてみたけれど、結局自分が動物であることを理由に何も実行にうつせないでいた。

 この辺りが縄張りでよく会うオス猫にいつも通りのアプローチをされながら、いつも通りの道をとぼとぼと歩く。すると前から中学生くらいの男の子が、こっちを見つめて歩いてきた。
 普段ならここであ、猫だ!なんて騒ぎ出す子が多いんだけれど、この子は騒ぐことなくどこか落ち着いている。慣れた様子でわたしを撫でる男の子は日本人離れした色の白い少年だった。

『ありがとう』
「どういたしまして」

 わたしを撫でるのにしゃがんでいた少年は、すっと立ち上がってまた歩き出した。

 あれ、待ってちょっと今、どういたしましてって言ってたわよね?

『ちょっと待って!ねえ!』
「ん?」
『あなた、わたしの言ってる事がわかるの?』
「ああ、わかるよ」

 人に話しかけてくるなんて変わった猫だ、なんて言いながらその男の子はわたしの目をみてクスッと優しそうに笑った。
 わたしからしたら、そのくらいの年でそのしゃべり方の方が変わってるわよ。

「何か用かな」
『お願いがあるの!』
「?」
『わたしの言葉を伝えて!』

 これならわたしのこの想いを伝えられる、わたしのかわりに手紙か何か文章にして桃矢君に渡せば、いつものお礼が出来る。念願のバースデーカードがわたせるかもしれない。

 桃矢君はいつもわたしの伝えたい事を感じとってくれている。けれどやっぱり、しっかりと、ハッキリと、人間の言葉で、文章で伝えたい。
 わたしはその男の子に理由やら経緯やらをおおまかに話してみた。

「それなら少し考えがある」
『本当、』
「家に来て欲しいんだが」
『………あなたの家の猫にはなれないわよ?』
「そんな事はしないよ、さあおいで」

 いったい何を言い出すのかと思えば、その男の子はわたしを抱こうと腕をさし出した。でも悪い嘘や冗談を言っている訳じゃない、そう思ったからわたしはその腕にすり寄った。




「あれ?エリオル、その猫ちゃんどうしたの?」
「拾ったんだよ」
「かっわいーっ!わたしにも抱かせて!」

 連れて行かれた先は、由緒正しそうな神社だった。
 お寺の子か、と思っている間にその男の子はずんずんと何処か家のような所へ入っていった。
 その男の子の家でなぜか可愛い女の人に、美人ね!と撫で回されながら、わたしはその男の子、エリオル君というらしい男の子と話しはじめた。

「少しだけ魔法をかけてあげよう」
『………何の冗談』

 エリオル君がわたしの首輪に触れると、何だかその首輪がぽかぽかとあったかくなったような感じがしてすごく気持ちよかった。
 というか魔法ってなんなのよ、ありえない。

「ルビー、食べものを持ってきてくれないか」
「はーいっ」
「にゃー!」

 いったい何をするつもりなのか全然わからない。だからわたしは精一杯の睨みをきかせてエリオル君を睨んでみた。

「こわがらないで」
『………………』
「イメージしてみてごらん、人間になった自分を」

 それは何度も夢にみた、人間になるってこと。

 想像することは誰にだって出来る、けれど動物がヒトになるなんて現実には絶対にありえないことだった。

 ただ想像だけは何度も何度もしたことがある。
 たとえばありがとうって自分の口から人間の言葉で言いたいとか。疲れて帰ってきた桃矢君に素敵な手料理をふるまってあげたいとか、そんな事。
 そして想像する度、わたしには一生出来ない事だと落ち込むのはもうわかっているのに、それを繰り返してしまう。
 大好きだよって、どんなに思ってもそれはちゃんとは伝わらない、わたしが猫である限り。

 そう思った瞬間だった、何かが光って風がふいて、そして身体が浮いた。ばたばたと腕を動かしてみても身体は宙に浮いたまま。わたし死んじゃうんじゃないか、って本気で思っていたらさっきエリオル君が触れたわたしの首輪がまたあったかくなって、妙な解放感。

「きゃっ!」

 風がおさまったと思えば、どしん、と自分の身体が床についたのがわかった。

 あれ、ちょっと待ってよ、どしん?

「猫ちゃーんっ、持ってきたわよ!……ってあれ?」
「ありがとうルビー、それはテーブルに」
「そのこ猫ちゃん?」
「ああそうだよ」

 これを、と目の前のエリオル君にかけられたのは真っ白なシーツ。そしてやわらかいシーツがするりと肩から落ちそうになったのを、わたしは咄嗟につかんでいた。
 ん、つかむ?

「あなた、人間になってもすっごく美人!キレイね」
「…………人間?」
「ほらほら、鏡かがみ!」

 その女の人に腕をひっぱられて歩き出したわたしの脚は、あきらかに人間の脚。
 ひっぱられている腕も、もちろん人間の腕。

「ねっ?とってもキレイでしょ」

 鏡にうつしだされていたのは、その女の人と見たこのないヒトの姿をしたわたしだった。
 訳がわからなくて自分の顔に手をあててみると、毛がなくて、同じ動きをしている鏡の中のわたしはすごく驚いた顔をしてわたしを見つめていた。

 わたしだ、わたしなんだわ。

「お腹すいてる?たくさんお菓子持ってきたの」

 そしてその女の人はすごく嬉しそうにエリオル君の名前を呼んだ。呼ばれたエリオル君は優しく微笑んでわたしに話しはじめた。

「少し昔のわたしなら、ずっと人間の姿を保てるように出来たんだが……今は無理でね」
「?」
「あなたが願えば、今みたいに人になることが出来る。しかしずっとは無理だろう、体力がなくなればまた猫に戻ってしまう」

 少し話を聞けば、信じられないけれどこの男の子は昔有名だった魔術師の生まれ変わりだという。
 だから、と納得するのはちょっと難しかったけれど、いまの人間になったわたしの体をみれば信じられなくもなかった。

「気をつけて、人間の身体は慣れないでしょうから」
「…………ありがとう、」

 正直突然のことすぎて混乱していたわたしを安心させようと、笑顔でたくさん話しかけてくれるエリオル君とルビーと呼ばれた女の人。

 魔法だなんて、そんな信じられないような方法で、わたしは人間の身体を手に入れたのである。



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