みめいの咏

 呪術師になったのは、呪力を持ち合わせていたから。
 芸能事務所に籍を置くことにしたのは、スカウトされたから。
 今日の朝ごはんを目玉焼きにしたのは、冷蔵庫を開けた時に偶然卵が目に付いたから。
 好きでもないピンクのボールペンを使うのは、後輩にもらったものだから。
 じゃあ、私が今もまだ呑気に息をしているのは。

 +

 私の分の撮影は恙無く終わり、事務所の後輩の撮影が終わるまで手持ち無沙汰になって、再来週から撮影の始まるドラマの台本に再度目を通すことにした。もう何度目か数えるのもやめてしまった恋愛ドラマの主役である。私としては恋愛系よりもサスペンスやアクションの方が演じやすいのだが、三十を目前にして浮いた話のない私に回されるのは何故か恋愛ドラマばかりだった。こういうのこそ、若い子に回せばいいものを。

 与えられた楽屋で台本を捲りながら、相手役の俳優のことを思い出す。何度か共演したことはあったはずだ。茶髪のイマドキ風の優男。見た目は私のタイプではないし、軽そうでチャラついた見た目通りに良く共演者との熱愛報道が出ている。もっと誠実な男が私は好きなので、性格もタイプではない。

 今も同じ楽屋で私のスケジュールを詰めてくれているマネージャーには絶対に狙われるから気を付けてとオファーを受けた時から何度も言われているけれど、そもそもタイプではないからアプローチを受けても自分が靡くと思えないし、いざ二人きりの場所に無理矢理連れ込まれそうになったりしても撃退できる自信もあった。これでも腕は立つのだ。さして鍛えてもいないような芸能人如きに後れを取るとは思っていない。
 それでも心配なのよ、とマネージャーが言ってくれる言葉は嬉しくもあり、どこか受け止め難くもある。心配をしてもらえるほどに出来た人間であると自分を誇れないし、好きにもなれていない。十年以上の付き合いになるマネージャーに過剰に心配されることへの照れ臭さもあるし、有り難さもあるし、人の感情とは複雑怪奇なものだ。色々な感情がごちゃ混ぜになって、私の中で渦巻いている。

 頭に入ってこない台本を一定のペースで捲るという意味の無いことをしながら、時折誰かに電話をかけているマネージャーの声を子守唄のようにしてうつらうつらとしていると、机の上に置きっぱなしにしていたスマホが震えた。台本を捲る手を止めて相手を確認すれば、五条悟。性格と素行の悪い同期だった。こいつが電話をしてくる時は大抵が急用なので、ため息をつきつつも応答ボタンを押す。

「はい、もしもし」
「あ、弘瀬さん、今ちょっといいですか」
「……伏黒くん? 五条の携帯だよね、それ」
「そうなんすけど、たまたま通りかかったらちょうど五条さんが上に呼び出されて、弘瀬さんに電話かけとけって携帯渡されて。すぐ戻ってくるみたいなんで」
「あいつ、相変わらず人使いが荒いのね。伏黒くんも嫌なことは嫌って言っていいんだからね。扱き使われてるなら、高いものでも奢ってもらいなさい」
「それ、真希さんにも言われました」
「真希もよく五条に使われてるからね……自分の教えてる生徒だからって遠慮が無さすぎるのもどうかとは思うんだけど」

 どちらからともなく時間を潰すために話し始め、共通の知人の話題で少し盛り上がる。五条にこの子を紹介された時はまだまだ真新しいランドセルが大きくて重そうで、相対的にこの子自体はとても小さく軽そうに見えたものだ。今の今まで弟のように可愛がってきたけれど、そんなこの子もあと半年ほどで義務教育を修了し、本格的に私たちの世界に足を踏み入れる。出会いから今までを振り返ってそう思うと感慨深いものがあった。
 この業界では、血の繋がりと家柄は何より重要視される。二十一世紀にもなってお見合い結婚が主流で、古臭い価値観をアップデートすることの出来ない老人たちが主導権を握る狭く薄汚く息のしづらい業界。それを変えていこうとしている五条の意思は評価している。表立って同調するつもりは無いが、この業界に嫌気が差し、改革を望んでいるのは私も同じだ。そして伏黒くんたち若手は、その改革を五条と共に担っていく存在。そういう意味でも少しだけ特別視していた。

 今日は定期報告で高専に立ち寄ったのだという伏黒くんの話を聞いていれば、まだ昼食を食べていないらしい。今から食堂に行くところだったのだと。五条ってば、本当に人使いが荒すぎる。未成年の学生から、指導する立場にある人間が食事の時間を取り上げるだなんて。

「このまま食べに行っちゃいなさいよ。お腹減ってるでしょ」
「いや、待ってないと五条さんうるさそうじゃないっすか。それにそこまで腹も減ってないですし、待ちますよ」
「そう? それならいいけど、お昼抜くと伏黒くんくらいの歳だったら結構キツイでしょ。五条も良く文句言ってたし」
「……五条さんって俺ぐらいの歳の時からこんな感じだったんすか?」
「こんな?」
「おちゃらけてて、適当で、不遜で、ちょっとナルシスト」

 ちょっと、と言葉を濁したところに優しさを感じつつも、思わず言葉につまる。返答を探すようにして過去を思い返せば、もう絶対に戻ってこない日々ばかりが思い出された。

「あー……そう、そうね。そんな感じだったかも……」

 こんな感じ、だったっけ。……違ったかもしれないし、そうだったかもしれない。それでも少なくとも、五条と私はあの頃の方が今よりもずっと仲が良くて、同期全員で笑いあっていて……五条も、私も、満たされていたかもしれない。

 +

 恵まれた子どもだと幼い頃から大人に言われ続けて育った。
 その言葉どおりに衣食住はもちろん家柄や呪力量、術式にも恵まれ、容姿だって文句をつけられる部分がないほどには整っていたし、勉強も運動も出来た。こういっているうちはダメかもしれないけれど、性格もそこまで悪くないと自負している。家族も優しかったし、友人も多かった。

 古くから続く呪術師の家系、それも本家筋に生まれた私だけれども、生まれた時から家督を継ぐ権利は与えられていなかった。そもそも男が家督を継ぐ決まりであったし、女に権利が与えられるのはその家の本家筋の男が全員死んでからだ。年功序列に従って与えられる権利は、兄が二人と姉が三人いる私に巡ってくるとは到底思えなかった。それでも、そういったややこしい権利争いから生まれると同時に殆ど解放されてしまっているのは気楽なことでもあった。
 御三家と並ぶほどの力は持たないといえども、御三家の次に名前をあげられる程度の力を持っていたのが我が家であり、幼い頃から御三家のご機嫌取りをする立場なのだということを言い含められて育てられた。名家の会合に連れられていくことはあれど、そもそも業界の頭に立つ御三家の仲が悪い。自然とそれ以下の家々も発言を慎むことになり、空気は最悪だったことを二十年以上経った今でも覚えている。

 私と五条とは、その頃からの仲だった。名家の子息だけあって高圧的で態度も性格も悪そうなやつだとは思っていたけれど、異性とはいえ同い年の子どもは五条しかおらず、大人たちが最悪な空気の中で互いに皮肉をぶつけ、時には面と向かって罵り合うような会合から二人で逃げ出して庭で遊んだことは一度や二度ではない。大人の腰ほどしか背のなかった私たちであれば沈んでしまいそうな程に深い池を泳ぎ回る鯉を見たり、会合の開かれた邸宅を大人たちに見つからないように歩き回ったりした。幼さの滲む、それでも大切な思い出だ。
 五条の家柄には劣るが、我が家も決して見下げるほどに低い血筋ではなかった。五条の結婚相手としても申し分ないと両家に判断されたのか、私たちが二人でいることは見逃された。婚約者という間柄に収まるよりも早く我が家が落ちぶれたために話は断ち消えたが、今でも時折飲みに行く。同期としても友人としても幼馴染みとしても、良好な関係だと思う。

 私の家は前述したとおりに、落ちぶれた。両親と兄達が死に、一番上の姉は既に他家の長男坊に嫁いで子を生しており、二番目と三番目の姉は駆け落ちした。一番上の姉のことを除けばそれらは全て三ヶ月以内に起きたことであり、我が家が没落したのもその直後であった。他家に嫁いだ姉には相続権など残されておらず、自然と本家筋の末娘であり未婚であった私が家督を継ぐことになってしまったが、どうやら不幸なことが立て続いてしまいすぎたらしい。#name1の名#を出すものは消え、分家筋も皆他家の配下につき、私はといえば悲しいことに味方なんて誰もいない家を一人で継いだ。十六歳になった春のことだ。

 家族を立て続けに失い、継ぐ気もなかった家督を譲られてしまい右往左往する私に手を差し伸べたのは高専だった。入学を少し遅らせるかわりに高専に所属する家督を継いだ名家の子息たちを紹介してくれ、私は落ちぶれたかつての名家の当主としてはなかなかいい線をいっているのではないか、と思うような知識や立ち居振る舞いを身につけた。付け焼き刃ではあったが、それでも一応参列が義務付けられる会合でも角が立たないぐらいの言動はできるようになったし、高専や当時お世話になった方々には今でも感謝している。

 私が高専の授業に参加することが出来るようになったのは、六月の事だった。正規の入学者と比べると二ヶ月遅れで、季節は梅雨。私を除くと三人だという同級生たちはもう仲良くなっているらしく、その中に混ざるのは少しだけ不安だった。今思い返せば、馬鹿な不安ではあるけれど。
 入学までにも散々お世話になった夜蛾先生や、その頃は多忙を理由に時折メールをする程度だったクラスメイトになる予定の五条がいうに、クラスメイトたちは「良い奴」らしかった。不遜で自己中で私が言えたことではないけれど世間知らずの五条と仲良くやっているということは、面倒みもいいのだろう。クラスを示すプレートも何もかかっていない扉の前でそう思ったことを今でも覚えている。不安の中に新生活への期待感があったことも、覚えている。


 私がはじめての恋をした人は、勇気をだして開けたその扉の先にいた。

 +

 伏黒くんに話せるようなエピソードなんてあったっけ、と思っていたタイミングで、電話越しに騒がしい声が聞こえた。五条だ。伏黒くんが嫌そうな声でその名前を呼んで、なんだかごちゃごちゃと喋っている。
 長引きそうだなと思ってその騒がしさをバックミュージックにマネージャーを見れば、彼女はまだまだ仕事の真っ最中のようだった。時間は大丈夫なのだろうと勝手に判断して、膝の上で開きっぱなしにしていた台本をぱたりと閉じる。音に反応したのか、目線がこちらに向いた。誰かと電話なのと尋ねるようなそれに、五条だよと言う。隠すようなことではない。マネージャーだって五条とは旧い仲だ。任務がかち合えば、今でも話はするだろう。
 了解と彼女が頷いたタイミングで、電話越しの騒ぎ声が一旦途切れる。変わりますと言った伏黒くんに軽く挨拶をして、次の瞬間には聞こえるであろう大声で鼓膜が破れないようにスマホを軽く耳から話した。

「ひっさしぶりー!」
「久しぶり。先週もあったけどね」
「先週ってだいぶ前じゃん」
「あんたの時間の感覚どうなってるわけ? そんなところまでイカレてるのね」
「久々に会話する幼馴染みにそのドライな言動はなくない?」
「なくない。ねえ、それで今回はなんの用? 伏黒くんのランチタイムを奪うほどに重大な話なんでしょうね。そうでなきゃ電話切るから」

 テンポのいい掛け合いは二十年以上の付き合いがあってこそのものだ。互いに人見知りをする質ではないけれど、ここまでの気安さを初対面の人間とも醸し出せるかと言われればそうではない。言葉にはしないけれど、良き友だと思っている。
 意識して過去のことを思い出したせいで少しアンニュイな気持ちになりつつも、膝の上の台本のタイトルを撫でた。恋愛ドラマにありがちな、そうとわかる題名だ。綺麗で真っ直ぐでどこか儚い。私の出来なかった理想的な恋。

「結構重要だよ。出来れば面と向かって話したいぐらいにはね」
「それは無理ね。しばらく撮影が入ってる」
「ああ、連ドラだっけ? 相手役結構若かったよね」
「私が年増だっていいたいの? ダメね、五条と話してるとすぐ脱線する。本題に入って」
「じゃあ率直に言うけど、高専に戻ってきてほしい」
「……籍は高専に置いてるわ。冥さんと違って独立したりもしてない」
「それは知ってる。今の仕事をやめて、呪術師一本に絞ってほしいんだよ」
「なんの冗談? もしかしてふざけてる? 私の事、騙そうとしてるの?」
「千里は僕がこんな冗談言うと思う?」

 そう言われてしまうと言葉に詰まった。だんだんとヒートアップしていく私の声に異常を察したらしいマネージャーが書き物の手を止めてこちらを見ている。それには軽く首を横に振って答えて、五条の言葉をもう一度反芻した。

 高専に戻ってきてほしい。今の仕事をやめて、呪術師一本に絞ってほしい。

 そんなことは出来ない。出来るはずもない。私はこれでもそれなりに女優としてもモデルとしても売れているし、五条も話にあげた連続ドラマ以外に映画の撮影だって何本も入っていて、数年先までスケジュールは埋まっているといっても過言ではない。そんな私が突然芸能界を引退しますだなんて言えるわけが無いのだ。
 五条だって、それは分かっているはずだ。

「…………悪いけど、五条の頼みでもそれは無理。今の仕事を投げ出すことは出来ない」
「じゃあ都合がつく時だけでもいいから、高専に来てほしい」
「都合がつく時なんてほとんどないのよ……まあ、分かった。行ける時は行くわ。でも理由は教えて。急にどうしてそんなことを言うのか」

 本当は高専にだって足を踏み入れたくないというのに。あそこは私にとって良い思い出も悪い思い出もつまりすぎていて、卒業して十年近くたった今でも上手く息が出来なくなる。見るもの全てがあの日々に結びついて、どうにもこうにも苦しくなるのだ。
 それでも、私が高専を意図的に避けていることを知っている五条がここまで言うってことはそれなりの事情があるとしか思えない。これで本当にくだらない理由だったりしたら、もう絶交だ。

 私たちの会話の不穏さが気になったのか、先程からマネージャーが私をチラチラと見つめてくる。この子にもまた迷惑をかけることになるが、仕方ない。高専に籍を置いているのはお互い同じだし、申し訳ないけれど美味しいフレンチで手を打ってほしい。
 さて、どんな重い話が来るのかと静かに息を吸って吐く。五条は言い兼ねるようにして暫く押し黙った後、深く息を吸ってから口を開いた。

「傑と戦争になるかもしれない」

 ひゅっと息を吸い損ねたような音が、私の喉からした。
ふたつおりのひとひら