十二月二十四日。
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傑が十二月二十四日に引き起こす百鬼夜行に関しての対策は、まあ、それなりに恙無く進んだらしい。五条と楓伝に聞いたことだから詳細は分からないし、恐らく私に知らされることは一生ないのだろうけれど、問題がないのであればそれが最善だろう。介入権を与えられるどころか、当日作戦に参加する許可すら降りなかった私には関係の無い話だ。
あの日。傑と私が会ったあの日が、結局傑が高専に宣戦布告を行った日であった。電話に出ない私に痺れを切らした五条に引っ掴まれて伊地知の運転する車に押し込められ、私は自発的に全てを話した。傑に会ったこと。敵同士だと言われたこと。まだ終わりたくないこと。死んでしまいたいこと。
五条は私の話に相槌も打たず何も言わなかったけれど、話終わってから暫くしてあと少しで高専に着くというタイミングで口を開いた。私は前線に出さないという、それだけだったけれど多分それが正解だ。きっと役立たずにしかなれないだろう。
五条はどんな手を使ったのか上層部も説得して、私は結局十二月二十四日当日は新宿にも京都にも出向かないことになった。作戦に参加する楓によって無理矢理、活動休止前に入れられたモデルとして最後の撮影をするためにスタジオに突っ込まれてしまっている。
先日の騒ぎが芸能界どころか日本中で広まっており、すっかり私は腫れ物扱いだ。ドラマも降板して映画も降りた。十二月いっぱいで活動は休止することになっているけれど、それも実際は引退と同じこと。戻ってくる気はもうない。モデルでいる意味も女優を続ける意味もなくなってしまったのだから、仕方の無いことだろう。
あれよあれよという間に着せられたウエディングドレスは重いし苦しい。結婚する前に着ると婚期が遅れるらしいと一緒に撮影する若い子たちが少し嫌そうに、でも素敵なドレスを着れて嬉しそうに語っているのが聞こえた。私には最早そんなことは関係ないから、どうでもいい話だ。きっと一生涯結婚なんてしない。家も没落していて形ばかりのものだし、継いでいく必要も無いだろう。どうしても必要性が出てきたら唯一の血縁である姪に相談すればいいだけの話だ。
椅子に座ってカメラを見つめ、ほんの少し口角を上げるだけで個人撮影は終わった。世間では私は気が違えてしまったと噂されており、芸能界でもそういった目で見られていることは察している。だから以前は暇さえあれば声をかけてきた若い子たちも私に無駄な気を遣うし、撮影スタッフたちも何も言わないのだろう。どうせあと一週間で終わりなのだ。潤滑な人間関係なんてもうどうでもいい。
最後に全員で集合して撮影をするからと言うことでスタジオに留め置かれて、スタッフに渡されたベンチコートを羽織る。そばに置いてあった携帯を確認すれば、もう十七時を過ぎていた。今日の日没は十六時半。三十分もすぎている。
どこか他人事のように、日没と同時に行われるはずの百鬼夜行のことを思った。私が考えたって勝率は薄いけれど、きっと傑には何かしらの手があるのだろう。傑に勝ってほしいとは思わない。それでもその手がなんだったのかを知りたいとは思った。
傑との全てが終わってしまったあとから、もう何もかもが面倒になってしまった。息をすることも、何かを食べることも、生きることも全部。ほとんど身に染み付いた動きを繰り返すようにして呪霊を祓うことは出来ているけれど、それすらも凄く面倒だ。このまま攻撃の手を止めたら死ねるかもしれないと考えて実際に動きを止めて、同行者がそんな私の動きを見越していたかのように呪霊を祓うことが殆どになってきている。それでも何も言われないのだから、だんだんと飽き飽きしてくる。
五条は結局、私を百鬼夜行に出向かせない理由として私が傑を未だに愛していることをあげた。愛は呪いだ。根に深く絡みついて、枯れ果てたあとも根を蝕み続ける。それに枯れているならまだしも、私の傑への愛はきっとこの先もずっと枯れることがない。私が死ぬほうが早いだろう。
五条が言うに、私は傑を殺せない。その通りだ。この十年間傑を殺す心積りをどうにかこうにかしてきた五条とは違って、私はただただ傑を愛し続けてきた。そんな私が傑に殺されることを良しとすることこそあれど、傑を自分が殺すことを良しとするはずがない。それを五条はよく分かっていた。
気付けば人生の七割を共に過ごしている幼馴染みの顔を思い出す。制服を着て傑と並びあって笑っている時も、教師として真面目な顔をしている時も、あの男は結局私の幼馴染みであり、理解者であった。この先もそうなのだろうか。結局私たちの思想は似通っていて、ここまで行く道を違えることもなかった。では、これから先は?
傑を信じるのとはまた違うベクトルで私は五条を信頼している。私たちは親友にはなれずとも、幼馴染みでなくなることはない。五条への信頼をもってして確実に言い切れることとして、五条は傑を殺せる。五条は最強だ。その座が揺らぐことは有り得ない。傑にだって勝ってしまうだろう。そうして、殺すのだ。
携帯の液晶を撫でる。待ち受けに設定した家のベランダで育てている観葉植物の写真をじっと見つめて、その後に改めて時刻を確認する日没はとうに過ぎた。向こうはどうなっているんだろう。みんな無事だろうか。怪我をしていないといい。あの人は? 傑は? 傑の無事を祈ってもいいのか。許されるのか。どこまでなら許されてもいいことなのだろうか。どこからどこまでが、終わり損ねていても見逃してもらえるのか。
ふと十年前の夏の新宿駅でのことを思い出す。傑の背中に待っていると叫ぶことしか出来なかった、無力で殺したいほどに憎い自分。私を振り返って、それでも待つなとは言ってくれなかった傑。行く道が決定的に違えてしまったあの日。
目を瞑って俯いて、あの時の傑の表情を思い出そうとする。どんな顔をしていたんだっけ。私の言葉に振り返って、驚いたように目と口を開いて、それから。パノラマ写真みたいに記憶が甦ってくる。色褪せた記憶の中で、傑だけが色付いて暖かい。足を止めて振り返った傑の瞳が真っ直ぐに私を見ている。それから、ああ、そうだ。そうだったのだ。
どうして忘れていたんだろう。ううん、気付かなかったんだろう。気付こうとしなかったんだろう。
かけていたパイプ椅子を蹴っ飛ばすようにして立ち上がって、足早にスタジオを出る。タクシーの運送会社に連絡をしてスタジオの玄関口まで一台呼び付けた。五分ほどで着くそうだ。着替えている時間はない。控え室に駆け込んで、荷物のそばに置いてあった簪を引っ掴んでシニヨンに纏められた髪に適当に差した。鞄の中から財布を取り出してベンチコートのポケットに突っ込む。そのまま何か声をかけてくるスタッフも後輩も無視して控え室を飛び出して階段を駆け下りた。
玄関から出たタイミングでちょうど到着したタクシーに乗り込む。撮影途中で抜け出してきたようにしか見えない私の格好を見て驚いた運転手を無視して、行き先を告げた。お願いですから急いでくださいと頼み込む声が震える。一分でも一秒でもいいから、早く行かなければならない。そうしなければ、死んでも死にきれない。
両手を組んで信じてなんて居ない神様に祈る。私たちにはハッピーエンドは訪れない。この先に待つのはバッドエンドだけだ。それでもいいから、なんだっていいから、今はただ傑に会いたい。言わなければならないことがある。言えなかったことを言わなければ。私はそれに気付いてなんていなかった。きっと傑も気付いていなかったのだろう。でもそれじゃダメだ。私たちは終わらなければならない。たとえそれが誰もが羨み祝福するような終わり方でなくたって、終わりを選ばなければならない。
何分たったのだろうか。ふと、傑の呪力を感じた。乙骨くんの呪力も感じる。ぶつかり合ってどんどん大きくなっていくそのふたつに、冷や汗が背中を伝う。早く。お願いだから、早く。
一際大きな衝突のあとに一人の呪力が一気に小さくなる。それを認識した瞬間に止めてくださいと叫んでいた。メーターを確認することも無く財布の中から引き抜いた紙幣を全部叩き付けるようにして目を白黒させている運転手に握らせて、完全に停止する前のタクシーから転げ落ちるようにして飛び降りる。そのまま術式を使って傑の呪力目掛けて飛んだ。高専の敷地内に薄らと張られている結界を強引に破って、侵入する。一般人の前で術式を使ったことも高専の結界を無理矢理破ったことも、どうせ怒られるだろうけど、そんなこともうどうでもよかった。
弱々しい絶えかけの呪力を追って必死で足を動かして走る。ドレスの裾が邪魔だ。重くて動きにくい。幸せを象徴する純白のウエディングドレスも、今の私にとっては足枷にしかならなかった。結局私はおとぎ話の中の理想的なお姫さまになんてなれないのだ。
曲がり角を曲ってその先にいる人を見て、忙しなく動かしていた足を止める。珍しく包帯をとった五条と目が合った。生々しい血の匂いが辺りに漂っていることにやっと気付く。呆気に取られたような顔をしている五条を無視してその側まで歩み寄った。もう走ることはしない。
「話がしたいの」
「千里、お前」
「五条に離れろなんて言わない。ここにいて。……傑と話をさせて。一生のお願い」
「……五分間だけだ」
「ありがとう」
悩むようにしながらも頷いてくれた五条に頭を下げてお礼を言って、それからその前を通って路地裏に入る。血溜まりの中に膝をついて、握り締めたままだった財布は適当に放り投げた。空いた両手で、傑の残った左手を握る。顔半分に飛び散った血を拭うことはしなかった。五条は五分と言ったけれど、五分もきっと残されてはいないだろう。終わりは私たちの足元でぽっかりと口を広げている。
傑の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。変わらないそれに思わず笑ってしまった。それから視線を下に降ろして、足元から傑の血で染め上げられていくウエディングドレスを見つめる。やっぱり私たちには純白は似合わない。また笑って顔をあげた。傑も私を見て口角を上げている。
「よくここが分かったね」
「なんとなく、ここに居るような気がしたから。当たりだったね」
「それは良かった。走るのは疲れるだろう。そのドレスは重そうだ」
十年前のあの日の焼き増しをするようにして会話を続ける。あの日私は傑の顔を見ないようにと俯いていたけれど、今はそうではない。私たちはきちんと見つめあって、全てを受け止めている。終わりへのカウントダウンを止めようと必死になったりなんてしない。
「本当に重いんだよ、このドレス。ちょっと走っただけで息が切れるの。でも、綺麗でしょう」
「ああ、綺麗だよ。簪もやっぱり千里に似合う」
「でしょ? 傑が選んでくれたものが、私に似合わないはずがないのよ」
足先が終わりに浸る。さようならが近付いてくる。それなのに不思議と涙は流れてこないし、この十年間で今が一番と言えるぐらいに落ち着いていた。まるで十年前に戻ったようだ。決して戻れる過去ではないけれど、今の私は十年前の、傑との明日を疑っていなかった私に一番近い。
また笑って、血に濡れた傑の左頬に触れる。血が足りなくて少し青白く冷たい肌の手触りを覚えるようにして、その全部をこの身に刻み込むようにしてそっと撫でた。
「言いたいことがあったの。どうしても言いたくて、全部投げ出してここに来ちゃった。聞いてくれる?」
「聞こう」
「私、もう待つのはやめにする」
私の言葉を聞いて全部分かったように傑が笑って、五条が息を飲むのがわかった。なんで五条が一番驚いているんだ。驚くのは傑であるべきなのに。……まあ、驚かないことぐらい分かっていたけれど。きっとあの時から決まっていたのだ。こうなることも、私たちがこの道を選ぶことも。私たちはそれを心のどこかで覚悟していた。
十年前のあの日、離れていく傑の背中に私が叫んだ時。傑は振り返って、驚いたように目と口を開いて、それから破顔した。眉を下げて、笑ったのだ。どうしようも無い私を窘めるみたいに、慈しむみたいに、愛おしむみたいにして笑った。あの時から私の答えはもう、決まっていた。私たちはその答えを知っていた。
「もう待たない」
「ああ」
「待つだけじゃダメだものね。傑はどんどん先に行っちゃうから、待つだけじゃ追いつけるはずがなかった。やっとそれに気付けたの」
「……千里は変わらないね」
「傑も。傑だって、変わらない。でも私だってちょっとは進歩したの。ほら、冬は寒いから、ちゃんとコートを着てるでしょう。ドレスには合わないけど」
「それでも千里は綺麗だ」
「……うん。ありがとう。嬉しい」
傑の左手の薬指を撫でる。私の左手の薬指にも、傑の左手の薬指にも指輪はない。片や体の四分の一が欠けていて、片や血塗れのウエディングドレスにベンチコートを羽織っていて、見掛けは良くないだろう。何もかもが不完全で不十分だ。不格好で、歪。世間一般からすれば正しくないのかもしれない。
だけど、私たちはこれでいい。この終わり方でいい。指輪の交換も誓いのキスもないけれど、私たちはこうやって終わっていくのが一番いい。
ぽろりと目尻から溢れて頬を伝い落ちていった涙を拭わずに、見つめあってまた笑う。窘めるみたいに、慈しむみたいに、愛おしむみたいに傑が私を見つめて笑う。それだけでいいのだ。なにもなくたって、不完全で不十分で不格好で歪でも、傑がいればそれでいい。
どちらからともなく唇を寄せて触れるだけのキスをして、手を離して私は立ち上がった。座り込んだままの傑に背を向けて、五条の隣に並ぶ。ちらりと私に向けられた五条の瞳に、何も言わずに頷いてみせた。これでいい。言葉なんていらない。
五条と傑の会話を夢現のようにぼんやりとした状態で聞く。ただただ静かに流れ落ちていくだけの涙をそのままに、手を伸ばして簪に触れた。ガラス玉がシャラシャラと音を立てる。五条の言葉に傑が眉を下げて笑う。私も涙は止まらないのに思わず笑ってしまった。
そうして、わたしたちは、おわった。
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乙骨くんと里香ちゃんの会話が進むのを横目で見つつ、ふらりとその場をあとにした。五条からちらりと寄せられた視線は無視して足を進める。
酒に酔ったあとのようにふらふらと足元が覚束無い。それでも記憶を辿って目的地へと向かう。血を吸ったドレスが重くて、だけどなんだか身体が軽かった。そういえば、落としてきた財布はどうしよう。せっかくだから五条にあげようかな。紙幣は全部抜いてしまったけれど、小銭でコンビニスイーツぐらいは買えるだろう。携帯を抜き取ったベンチコートを歩きながら脱いで、適当に放り投げておく。不法投棄には目を瞑ってほしい。私にはもう財布もベンチコートもいらないものなのだ。
携帯に入っている不在着信やら楓からのメッセージやらをひとつひとつ確認していく。七海からも電話が入っていた。楓に急かされてかけてきてくれたのかもしれない。かけ直せなくてごめんねと聞こえるはずもない謝罪をして、どこにいるのか無事なのかと私を心配する楓のメッセージも無視して、階段を上りながら髪から簪を引き抜いた。そのまま髪留めを取って地面に投げながら、綺麗に結われた髪型も崩す。見れた格好ではないけれど、そんなこと気にする必要はもうないのだ。
簪と携帯を両手に持って、不思議と高揚してきた気分のまま意味のわからない鼻歌を歌った。いつの曲だっけ。確か十年ぐらい前に流行った曲だった気がする。今の若い子たちからしたらもうすっかり懐メロというやつなんだろう。ああそうだ、傑と聞いたのだ。恋愛を歌ったありがちで陳腐な曲。大して聞きもしなかったのに、どうして覚えているんだろう。まあもうそんなこと、どうでもいいか。
無駄に長い階段を上りきって、すぐそこに見えてきた桜の木に覚束無い足取りで歩み寄る。今は冬で、当然桜はない。冬に咲く桜もあると聞くけど高専に植えられた桜の木は全て春に咲くものだ。傑と行く道が違えてからは一切近寄っていなかったけれど、記憶の中の景色と何も変わっていない。おかげで迷うことなく辿り着けた。
幹に背中を預けるようにして座り込んで、息を吸って吐く。吐く息が白いのに気付いてから何もおかしくないのに笑えてきてしまって、声をあげて笑った。ああ、おかしい。なんにもおかしくないんだけど、おかしい。どうしようもなく笑える。
一頻り笑ってからまた息を吐いて、悴む指先で携帯の電源を入れた。待ち受けにしている観葉植物は意外と可愛がっていたのだ。たまに水をあげて陽の当たるところに置いておくだけで、少しずつ成長していく。私はそれが好きだった。そっと画面越しに葉を撫でてやって、そのままロックを解除する。楓からのメッセージはまた増えていた。歌姫さんからも連絡が来ている。楓ったら、歌姫さんにまで連絡したのかな。心配をかけてしまう。
メッセージに既読をつけるかどうかを少し迷ってから、結局既読をつけた。そのまま私は大丈夫だよとだけ送っておく。本当に、大丈夫だよ。大丈夫になれたよ。ずっとそばにいてくれてありがとう。それは送らないで、そのままアプリを閉じる。七海と歌姫さんには、五条や楓からなにか伝えてもらえるだろうか。きっと伝えてくれるだろう。そういうところは案外しっかりしているから。
他に誰か何かを伝えておきたい人はいたっけと思って、姪のことを思い出した。年の離れた姉さんが産んで、そのあと数年してから私が引き取ることになった姪。可愛い子だ。あの子は伏黒くんと同い年で、来年には高専に入ってくる。私の唯一残った血縁だから、もしかしたら色々と面倒を押し付けることになってしまうかもしれない。でもそれも、五条と楓ならどうにかしてくれるだろう。無責任でごめんね、と届きはしないことは分かっていて心の中で詫びた。
左手で握っていた簪に視線を落とす。透き通るようなガラス玉が綺麗だ。冬の澄んだ空気の中では一際輝いて見える。月明かりに照らされてキラキラと疎らに光って、まるで私の道標になろうとしてくれているかのようだった。思わず口角があがる。
と、そのタイミングで携帯が震えた。誰からかなんて確認する必要も無い。こういうタイミングが悪い電話はだいたい五条だ。反射的に応答ボタンを押す。
「もしもし」
「千里? 今どこにいる」
「どこって、高専の中だけど」
「何しようとしてる?」
「何って、あはは。ねえ五条、私言ったでしょう」
なんだかおかしくなってきてしまって、声をあげて笑った。左手に握り締めた簪をくるくると回す。ガラス玉がシャラシャラとなる。私の道標がキラキラと輝く。
五条は分かっていてわざわざ私の口から言わせようとするんだから、意地悪だ。酷い人。ううん、思えば最初からそういう人だった。ねえ五条、私あなたのお友達になれて良かった。幼馴染みになれてよかった。
「もう待たないの。待つのはやめたの。やめにするの。傑はどんどん先に行っちゃうから、待つだけじゃ追いつけるはずがなかった。最初っからそうだったのよ」
不思議と寒さを感じない。ふと見上げた空はいくら冬で空気が澄んでいるからって星が沢山見えるわけではなかった。一年生の時の冬の日を思い出す。傑と二人きりの任務で、あの日は酷く冷え込んだ。星が綺麗だった。愛しいと思った。今も思っている。
また笑えてきてしまって笑っていれば、五条が苛立ったように私の名前を呼んだ。どこにいるんだと聞かれたって、どこにいるんだろうか。私は今、どこに。
「あ、そうだ。そうよ。五条、私ね、今、分かれ道にいる」
「は?」
「目の前にね、傑が一人で歩いてっちゃった分かれ道があるの。傑の背中はもうほとんど見えないんだけど、追いつけるわ。絶対に」
「千里、ダメだ」
「何がダメなの? ダメなことなんてひとつもない。終わるのよ。分かるでしょう、五条。物語はいつか必ず終わる。絶対に終わる。私たちの終わり方はバッドエンドなのかな。そうなのかもしれない。でもいいの。それでもいい」
「やめろ」
「やめない。ちゃんと終わりにするの。ねえ五条、知ってるでしょ。傑って実は寂しがり屋なんだよ。私もそうなの。冬の寒い日とか、くっつくと温かいのよ。傑は体温が高いから。私が寒そうにしてるとね、手をね、繋いでくれるの」
「千里!」
なんで五条ったら怒ってるんだろう。ふわふわとする思考の中で、それでも私は冷静だ。動くなだとかどこにいるんだとか投げかけられる言葉を無視して、ずっと私の中で温め続けた傑との想い出を五条にも聞かせてあげる。誰かに話したかったのだ。知ってほしかった。私たち、幸せだったの。幸せなのよ。
それでも五条はずっと怒鳴っている。焦ったようにして私の名前を何度も呼ぶ。本当に、どうしてしまったんだろう。だって待つのをやめるって、そういうことじゃないか。待たない。待つのをやめる。待つだけじゃ追いつけるはずがないから。だから、待たないで、止まっていないで、自分から追い掛けるのだ。そうしなければいつまでも私は追いつけないままだから。
「ずっと死にたかったの。終わりにしたかった。そばにいられないなら意味は無いって思ってたから、ずっと。でも意味はあったのかもしれない。待ってるだけで無駄な十年だったかもしれないけど、この終わり方が私たちにとって一番いいんだものね」
「やめろ、千里!」
「うん、やめる。やっとやめられる。あとはよろしくね、五条。みんなによろしく言っておいてよ」
「千里、」
簪の先を喉に当てる。片手じゃ正確性に欠けるから、携帯を取り落として右手でも握った。自然と祈るような形になる。神様なんて信じていない。そんなものはいない。きっと居ないはずだ。だって私がいくら祈ったって願ったって答えてなんてくれなかった。
だけど私には傑が居る。分かれ道の先で、小さくなった背中が見える。追いつける。待つのはやめて、分かれ道の一本を選んで、終わりに足を踏み入れて、その背に手を伸ばして名前を呼べばいいのだ。
「すぐる」
傑が振り返る。どうしようもないものを見るみたいに、呆れたみたいに口をへの字にして、私を見つめる。それでもすぐに両腕を開いて、眉を下げて傑は笑った。窘めるみたいに、慈しむみたいに、愛おしむみたいにして傑が私を見ている。その胸に飛び込んだ私を強く強く抱き締めて何も言わずに、足元から迫り来る終わりに二人で身を委ねた。
私たちには綺麗な衣装も、指輪の交換も、誓いのキスもなかった。おとぎ話の中の理想的なハッピーエンドもなかった。あるのは血なまぐさくて刹那的で不完全で不十分で不格好で歪で、誰かをの屍の上で成り立つバッドエンドだ。でも、どうしてこんなに幸せなのだろう。ああ、きっと、傑がそばに居るからだ。この世で一番愛おしい人がそばにいれば、終わりなんて怖くはない。
おわりだ。わたしと、すぐるの、おわり。わたしたちの、おわり。きっとこれ以上の正解も、幸せも、ないだろう。
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呪術師になったのは、呪力を持ち合わせていたから。
芸能事務所に籍を置くことにしたのは、スカウトされたから。
今日の朝ごはんを目玉焼きにしたのは、冷蔵庫を開けた時に偶然卵が目に付いたから。
好きでもないピンクのボールペンを使うのは、後輩にもらったものだから。
じゃあ、今日まで呑気に息をし続けていたのは。
それは、傑と終わるためだ。