兄とそれから私の喧嘩の腕は、そこらのチンピラとは違って実戦で身に付けた型も何も無いものではない。それぞれ柔道剣道空手ボクシングその他諸々の、一つ一つあげていけば習っていた期間こそ短いが、かなりの情熱を注いで修めていった武術を組み合わせてのひとつの「技」及び「型」だ。私たち流の武術である。
私はまだ小学五年生の女児であり、力も弱く体も完成していない。兄もデブで力はあるが、まだまだ未発達な体だ。自分で言うのもなんだが、私たちは私たちの体が完成に近付くにつれこの先もまだまだ強くなるだろう。
特に兄は日夜喧嘩に明け暮れ、実践を経てその力を増している。私はあくまでも護身のために武術を修めただけであるため、売られた喧嘩はまだしも、こちらから喧嘩を売るような愚かなことはしない。なので兄よりは些かペースが遅くはなるが、これでも日々の鍛錬は欠かしていないため、強くなる余地はまだまだあると自負している。
しかしそんな未完成な私たち兄妹は、現時点でほとんど完成に近いまでの精度のあるものを揃って持ち合わせていた。相手の強さを推し量る、強者ならば当たり前に持ち合わせるこれもまたひとつの「技」、技術といえるものだ。私たちは某漫画に因んで「人間スカウター」と呼んでいる。
その「人間スカウター」が、今私の両脇に立つ物騒な兄弟にずっと反応して止まらないのだ。こいつらは危険だ離れた方がいいと本能的な部分が叫んでいる。だから私はこの兄弟から一秒でも早く離れたかったのに、このザマだ。立ち上がって兄の元に駆け寄るよりも、この兄弟が私を制圧する方が早いだろう。
兄を罵倒したことによりまた引っくり返したように騒いでいる胸を抑えて深呼吸を繰り返しながら、兄弟と兄の出方を伺う。実力で言えば、拮抗しているのではないだろうか。身内の贔屓目なしにみても兄は強い。私もこの状況から逃げる為ならば、目立つのは嫌だが兄に加勢するのも吝かではない。そうなればお互い二人だ。勝つことは出来ずとも、多少の傷を負えど逃げることは出来るだろう。兄の配下の馬鹿共は残念だが多分この兄弟には良い勝負が出来ても勝てないため、今は戦力外。
デブと物騒な兄弟とそれから可憐な私、四人に向けて大衆の視線が先程から向けられている。何もしていないから恐らくサツは呼ばれないだろうが、どちらかが暴れでもした瞬間に誰かしらが通報するだろう。そうなると厄介だ。私と兄には切り札があるためお縄に着くことはないが、物騒な兄弟に逆恨みでもされたら溜まったものでは無い。
なので出来れば、ここは穏便に済ませて欲しい。不良三人額を突合せて穏便に済ませるだなんてことありえない気もするが、期待はしている。先程までもたれかかっていたポールに引っ掛かっている特服を手繰り寄せながら、ゆっくり立ち上がる。恐怖か緊張か震える膝に手を当てて、何度かまた深呼吸をしてから背筋を伸ばした。
それを合図にして、膠着状態だった兄と兄弟が口火を切る。
「やっと来たのかよデブ」
「オレはデブじゃねえ。それよりテメェら、なに人の妹に手出してんだ」
「は? 妹? なんだ、オマエら兄妹かよ。似てねえー」
あっおいデブ、折角私が関係は濁らせていたのになんではっきり言っちゃうんだよ。早速余計なことをしたデブを睨み付けている間にも、似てねえ似てねえとお兄さんは私とデブとを見比べてケラケラ笑っている。そりゃね。お兄さんと弟さんは顔立ちがそっくりだから、デブと私は全然似てないように見えることだろう。でもアルバムの中のデブがガリだった頃の写真を見ると分かりやすいぐらいに似ているので、多分私も太ればああなる。太る気は一切ないからそんな姿見ることは永遠にないだろうが。
何がお気に召したのか依然として笑い続けるお兄さんに弟さんが呼びかけながらも、ドン引きした顔をしている。なるほど、ボケの兄とツッコミの弟らしい。私たち兄妹と一緒だ。
そしてデブはと言うと、似てんだろとぎゃあぎゃあ喚きながら憤慨していた。いや鏡見た事あるか? 私はデブとは違ってぱっちり二重だし顔も小さいし鼻も肉に埋もれていない。今の私とデブを見て初見で兄妹だと判断できる人間は居ないだろう。痩せてから出直してこいデブ。
「ほら見てみろ、似てんだろうが! な⁉︎」
先程までの剣呑な空気は何処へやら、腹を抱えて笑うお兄さんとその横で引いている私と弟さんの方へデブはずかずか近寄ってきて、私の肩を引き寄せて弟さんの方へ向き直る。笑い続けて話にならないお兄さんから比較的冷静に見える弟さんに矛先を移したらしい。厚かましいデブめ。誰が見たって私とアンタとじゃ似てるようには見えないんだよ。
デブにいきなり詰め寄られた弟さんは傍目に見てもめちゃくちゃビビっていて、えぇ……と引き気味になりながら懸命に言葉を探している。こんなデブの心を傷付けないようにしてくれるんだから案外優しい人だ。物騒なことに変わりはないが。
「ちょっとデブ、そんな絡み方すんのやめなよ。いまは全然似てないよ私たち」
「オマエまでそんなこと言うのかよ! めちゃくちゃ似てんだろ!」
「やめろって、離せよデブ! 似てないって言ってんじゃん!」
こんなデブに似てるってここまで言われるってもしかして私への嫌がらせかな? 六本木の兄弟に話をつけるって名目でここに連れてこられたはずなのに、今じゃあ私とデブが人目をはばからずに口喧嘩をし、お兄さんはとうとう笑いすぎて地面に膝をついており、弟さんはもう目が死んできている。観衆たちもベクトルの違った私たちのヤバさにドン引きしたらしく、周囲からは人が消えつつあった。兄の配下の馬鹿共はここに来ないあたり、まだ何か食べているのかもしれない。食い意地の張った馬鹿共が。お前たちの長だろうが。今すぐ止めに来い。
ぎゃあぎゃあとデブと言い合っていれば、ようやく笑いの波が引いたのか、お兄さんが立ち上がる。目尻に溜まった涙を拭いながら、にっこりと笑って見せた。……う〜ん、嫌な予感。兄と一緒に思わず黙って一歩引く。
「こんなに笑ったのはじめてかも。息出来なくて死ぬかと思ったわ」
満足気に頷きながらお兄さんは手を差し出す。お手ってこと? 兄は芸を仕込まれたデブではないからそういうのは向かないんだが。それでも芸を望むんなら仕込みまでに暫く時間が欲しい。肉厚なデブの背中を叩いて、ひとまず応じるように促す。伝わったらしく、兄は何故か少し照れたようにお兄さんの手の上に自分の手を置いた。何照れてんだよ、キモ。
「は? ちげーよ触んなデブ。顔赤くしてんじゃねーよ気持ちわりいな」
いやほんと促しておいてなんだけどキモイよこのデブ。鳥肌立ったとお兄さんは腕を摩っていて、同情を禁じえない。私だったらビンタかましていただろうから、お兄さんは初手で殴らなかっただけまだ優しい。弟さんなんてもう話についていけずに黙ってしまっているし。
しかし、今のが兄にお手を求めていたのでなければ何を求めていたんだろうか。キモイキモイとお兄さんは苦言を呈していて、私もそれには同意するが、ではお兄さんが何が欲しいのかがわからない。首を傾げていれば、あっとデブが声を上げて口を開いた。何か思い当たることがあったらしい。
「腹減ってんのか? これはオレの昼飯だから絶対やらねーからな」
「テメェと一緒にすんなデブ!」
私を離してまで手に持っていた紙袋をそっと抱き締めた兄に私まで鳥肌が立った。食に固執し過ぎててキモイ。ほんとにキモイ。全人類自分と同じような食欲を持ち合わせていると思ってるんだろうか。勘違いも程々にしろ。
兄とお兄さんが今度は額を突き合わせるようにして言い争いを始める。ほとんど身長が同じだから本当に額が触れ合わんとばかりの距離で二人して喚いており、二人よりも身長が低い私と弟さんは置いてきぼりだった。思わず顔を見合わせる。お互い苦労しますね。
うんうんと二人でアイコンタクトを交わして頷きあっている間にもデブとお兄さんの言い争いは苛烈さを増し、とうとうデブは私に紙袋を投げるようにして預けてお兄さんの三つ編みの片方を引っ掴んだ。お兄さんも負けずに兄の肉に包まれた頬を張り飛ばす。そのまま乱闘騒ぎに縺れ込み、お互いを引き摺るようにして路地裏に消えていった。
「えー……」
「……オレたち置いて行かれたけど」
「……お腹空いてます?」
置いて行かれたもの同士、暫く見つめあってから私の手元の紙袋に目を落とした。
+
「そうそうそれで、兄ちゃんってばめちゃくちゃ勝手なんだよ! オレが喧嘩してる時も直ぐに乱入してくるしさ!」
「ねー、ほんとに! あのデブも私が残しておいたデザートとか勝手に食べて、食べないんだと思ってたとか言ってくるんだよ! 勝手すぎるよね!」
「な! ほんと下の苦労が分かってないんだよ!」
「そう、ほんとにそう!」
先程のファーストフード店からそう離れていない公園のベンチで、弟さん──竜胆くんと兄の買い込んだハンバーガーやらポテトやらを勝手に食べながらお互いに上の兄弟の愚痴で盛り上がる。お互いに一癖も二癖もある兄を抱えているせいか話が盛り上がり、気付けば敬語もとっぱらって長年の友のように語り合っていた。私はここまで対等に話せる人に出会ったのは初めてである。兄や両親は家族なので除外。
この公園に来る前に、これ以上余計な輩に絡まれたくなくて特服は兄の配下の馬鹿共に預けてきた。適度なところで兄のことも拾っておくように言ったので、多分五体満足で帰ってくることだろう。出来ればカロリーを目一杯消費して帰ってきてほしい。幅を取り過ぎてるから痩せろデブ。
お互い少し遅い昼食を終えた後、ゴミを纏めて捨ててからブランコに乗り込んでまだまだ愚痴を言い合った。休日のおやつ時で遊びに来ていた子どもたちがブランコに乗りたがっていたから素直に譲ってやり、今度はシーソーで声を張り上げてまた愚痴を言い合う。竜胆くんはいくら口では文句を言ってもお兄さんのことが大好きらしく、今度はシーソーに乗りたがった子どもたちに場所を譲ってやってベンチに戻ってくる頃には、愚痴混じりの惚気に変わっていたけれど。因みに私は惚気なんて欠片も出てこないので、デブの愚痴というか悪口ばかり言っている。
「や、でも、竜胆くんやっぱりお兄さんと似てるね。目の辺りそっくりだし、お兄さんのこと釣り眉にしたら竜胆くんになりそう」
「あー、眉毛のことはよく言われる。でもお前らも……うーん……似てないな」
「あいつ今はもうただのデブだもんね。似てるって言われてもあんまり嬉しくない。でもね、アルバムとか見ると小さい頃は結構似てるんだよ。デブがガリだった頃ね」
「想像出来ねー」
「だよねー。今もう目あんの? 顎どこ? ってぐらいのデブだし」
竜胆くんはケラケラ笑ってベンチの背もたれに腕を回す。笑い方も兄弟でそっくりだ。そのまま何を食べたらあんなデブになるのかという話になり、最終的に話が回りに回って今度ゴリラの赤ちゃんが産まれたら上野動物園に一緒に見に行くという話で落ち着いた。
自然と携帯番号を交換しようという話になり、両親と祖父母、それから兄の携帯番号とメールアドレスしかなかった携帯に一人分の情報が増えたことを少しむず痒く思いつつ、ポケットに普段滅多に使わない携帯を仕舞う。誰かと携帯番号を交換したことも無い私は色々手間取り、竜胆くんに笑われたけれど今ならそれも笑って流せそうだった。
「竜胆くん、私の友達第一号だ」
「えっ、ガッコとかでダチつくんねーの?」
「作んないっていうか、デブがあんなだからみんな離れてっちゃうっていうか。デブの舎弟以外とは学校じゃ話せないんだよね」
「あー、舎弟はダチとは違うもんなあ」
「うん」
「オレが最初のダチか……じゃ、動物園以外にもどっか遊びに行こーぜ!」
「えーっ、いいの⁉︎ 行く! 遊びに行く!」
にかっと笑って最高な提案をしてくれた竜胆くんの両手を思わず握って上下に振り回す。一回約束したからには絶対遊びに行くからねとまくし立てれば、呆れたように頷いてくれた。
兄に拉致されて六本木に来ただけなのに、まさかお友達が出来て、お出かけの約束まで出来るだなんて思っていなかった。早く帰りたい二度と六本木になんて来たくないと思っていたけれど、全部撤回する。今日六本木に連れてきてくれてありがとうお兄様。今度唐揚げとコロッケ買ってあげよう。
そろそろいい時間だから駅まで送ってくれるという竜胆くんに甘えて、何処に行きたいかなんてことを話しながら二人で歩く。道中リーゼントの不良数人がバッと頭を下げて道を譲ってきたけれど、私も竜胆くんも慣れた光景なので何も言わなかった。六本木で幅を利かせているのは本当らしい。まあ今日の目的だった兄のチームと灰谷兄弟との関係に関しては、兄とお兄さんがどうにかしてくれたことだろう。私は竜胆くんとお友達になれたのでそこはもう興味が無い。勝手にしてくれ。
駅について、兄のことはどうするのかと聞かれたけれど、先に帰ると答えておく。六本木まで来ることは出来たんだから、帰ることだって出来るだろう。それに多分馬鹿共が何とかしてくれる。忠誠心のある馬鹿共なので、兄を置いて帰ってくるようなことはしないはずだ。うん、私は帰ってもなんの問題もないな。
また連絡するねと手を振って竜胆くんと別れる。竜胆くんは今からお兄さんのところに行くそうだ。まだお兄さんがデブと喧嘩していたらメールで教えてくれると言っていた。心配は別にしていないがそこはご厚意に甘えておくことにする。
切符を買って改札を抜けてホームに向かいながら、足取りが軽くなる。今日は最高の一日だ。
+
兄が帰宅したのは、私が帰宅してから四時間ほど経ってからの事だった。竜胆くんからのメールで依然として喧嘩を続けていることは知っていたが、それから更に続けていたらしい。馬鹿共に肩を貸されて帰ってきたボコボコの兄は私が先に帰宅したことに文句を言っていたが、ここでも抜かりなく馬鹿さを発揮して私に任せたファーストフード店の紙袋のことは忘れてしまっていたようだった。何か言われても私たちを置いていった兄が悪いと言いくるめるつもりでいたが、夕飯前に騒ぎたくもないので一安心。
文通友達への手紙を書いていた私の部屋に乗り込んできたデブは、風呂に入れよと言っても無視して我が物顔でクッションを抱き込んで床に座り込む。最悪だ。お気に入りのクッションだったのに、血塗れの不衛生な格好で抱き締められたことにより廃棄が確定した。キレそう。あとで兄の部屋のクッション全部奪おう。
怒りも顕にデブを無視して手紙を書き続けていれば、兄はそんな私の態度に慣れた様子でベラベラと勝手に話し出す。蘭に変なあだ名をつけられたと声に怒りを滲ませているが、私としてはデブがお兄さんのことを名前で呼んでいることの方が驚きだ。殴り合いの喧嘩で二人の間に謎の友情が生まれてしまったらしい。
しかしこの馬鹿デブがおかしいと思うあだ名は素直に気になる。手を止めて回転椅子を回して兄に向き直り、続きを促す。
「ガリ男だって」
「デブ男じゃなくて?」
「高賀リオだから、ガリ男だってよ」
「高賀リオ、たかがりお、がりお……えっ、割とセンスあるじゃん」
「オレがガリ男だとオマエはガリ子になる」
「センスないよ! なんでもっと抵抗してくれなかったの⁉︎」
ガリ子は困る。全然可愛くないし、デブとお揃いだ。しかもこのデブがガリ男って、誰だって二度見どころか三度見するだろう。ガリ男とガリ子ってコンビ感あるし、本当に困る。てかマジでこのデブがガリ男っていうのがない。デブでいいじゃん。
椅子を蹴っ飛ばすようにして立ち上がって地団駄を踏んでお兄さんのつけたあだ名を批判していたら、階段を駆け上がってきた母がドアをばん! と勢いよく開いて家で暴れないでと怒鳴られた。兄が悪いんだよと言っても暴れていたのは私だからとこんこんと怒られ、兄は私までおかしな呼ばれ方をされかねない変なあだ名を付けられるしで、もう踏んだり蹴ったりだ。
お友達が出来たことと差し引いても良くてプラマイゼロだろう。悲しすぎる。本当についてない。文通友達への手紙が愚痴ばかりになってしまいそう。自分だってろくなことを書かないのに私の手紙が気に入らないと今度会った時に手紙を持ち出してきて文句を言うから嫌なのだ。はあと思わずため息をつけば、本当に反省しているのかと母が目をつり上げる。
……もうほんと、最悪。
デブに交わればデブになる