中学三年生の夏は受験一色だと真ちゃんはかつて私に聞かせたけれど、私の周囲は案外そうでもない。幼馴染みや友人たちが不良なだけで自分は一般人である私でもそうなのだから、本人が不良だった真ちゃんの場合は余計にそうだったんじゃないだろうかと予想してみるこの頃だ。正解が明かされることは永遠にないだろうけれど。


 五限と六限の合間の休み時間に、先週圭介に会った時にどうにも理解していないようだった社会の歴史年表を残念としか言いようのない学力でも理解出来るように重要なポイントだけに絞ってまとめ直していく。  休み時間と言えど私に話しかけてくる奇特な人間はこのクラスには二人しかいないし、その二人も給食の時間だけ顔を出してどこかに行ってしまった。そうなってくると暇なので、時間を有効活用したくなるものだ。


 去年の四月に圭介本人から紹介された私から見れば後輩、圭介からすれば友人の千冬は、基本的に圭介を全肯定するような人間だった。結果として圭介の馬鹿が増長されていくのだ。
 飴と鞭の鞭役を担う人間がいなければ、圭介は圭介自身の夢であるペットショップ開業を叶えられないだろうと思って私は鞭役を担っている。

 定期的に開いている圭介との勉強会は、時折私の友人として連れて行く千壽や圭介に着いてくる千冬の介入もあってか特段問題が起きることもなく去年の秋から続いていた。
 私と圭介の間に跨る確執を年下の二人は正確には知らないけれど、察するに余りある事でもあるのだろう。恐らく千壽と千冬のどちらもが欠ければ私たちは糾弾し憎む側と、糾弾され憎まれる側になることも。
 まあ、千壽と千冬の目があって、私がどうにか圭介を傷付けたくないと思えている現状でその可能性は低いと言える。二人きりになる時間を作らないようにしているのは龍宮寺や三ツ谷たちも言葉にせずとも察して協力してくれているし、要は私たち以外の誰かが一緒にいてくれればいいのだ。

 きっと次回の勉強会にも千冬は来てくれるだろう。千壽は日によっては兄と兄の友人がコーチを務めているボクシングジムに通っているから無理かもしれないけれど、あの子も勉強を放置するところがあるからどこかで機会を作ってあげる必要がある。家に泊まりに来た時に教えようにもつい話し込んで後回しにしてしまうから、勉強会という場を作るのは案外得策だった。


 六限の数学から目を逸らすようにしてそんなことを考えつつ、俯きがちになったせいで落ちてきた髪を耳に掛け直す。私たちのクラスを担当する数学教師は真面目で型に嵌ったような人間だから学校随一の不良と仲のいい私のことも敵視してきて、ただでさえも嫌いな数学が余計に苦手に思えて仕方がない。私が敵視される原因とも言える不良二名はそもそも数学の授業なんて受ける気がないだろうし、私一人だけが損をしている。

 いっその事、私もサボってしまおうか。これでも悪ガキの代表と言っても過言ではないマイキーと圭介の幼馴染みであるので、サボタージュは得意だ。もしくは授業を聞くのはやめて圭介のための年表作成を続けるか。圭介は動物の生態なら覚えられるのに、歴史の年表や漢字を覚えるのは苦手なのだ。
 後者の方が圭介のためになって私の時間も無駄にせずに済む気がすると考えたのだが、内職しているのがバレるのも面倒だ。やっぱり教室を出ようかと教科書とノートをまとめて立ち上がった時に、タイミング悪く教師がドアを開けた。七三で分けてワックスで過剰な程に固められた髪が電光を浴びてキラリと輝き、分厚い眼鏡のレンズの奥から神経質そうな瞳に睨み付けられる。

 やっぱり面倒だ。迷わず教室から出ていけばよかった。躊躇した数分が足を引っ張ったとしか言いようがない。

 自分の不運と間の悪さを恨んでため息をついたのがいけなかったのか、キッと瞳が釣り上げられる。

「もう授業を始めるぞ。さっさと席につけ」
「……はい」

 仕方ないから授業を無視して内職に励むか。そこまで真面目な人間でもないので、真剣に授業に取り組むという選択肢は元々ない。そもそも、他にもまだ立ち歩いていた生徒がいるのにご丁寧に私だけ責めてくるような教師相手に真面目に点数稼ぎに勤しむのも馬鹿らしいだろう。


 再びため息をついて、見た目だけでも取り繕うために数学の教科書も机の上に出しておく。そこまで仲が良くも悪くもないクラスメイトたちからも同情の視線を投げかけられたから、この教師が私を嫌っているのは知れたことなのだ。こんなに分かりやすいのは教師としてどうなんだろう。

「それじゃあ予告していた最初に小テストを行う。全員教科書やノートは机の中に仕舞うように」

 ……予告なんてしてたっけ。暫し考えたものの、私がこの人の授業を一切聞いていないのもいつもの事だ。多分聞いていない時にしていたのだろう。いくら苦手な数学とはいえ小テスト程度ならどうにでもなるだろうし、聞いていなかったところでさして問題でもない。

 出しっぱなしにしていた社会の教科書ごと机上のものを筆箱以外机に放り込んで、意味もなくシャーペンの芯が出るかどうかを確認する。そのついでに今日の晩御飯に何を作ろうかと考えた。
 去年の秋に一度オムライスを作ってあげてから卵料理にハマってしまった千壽は、この一年近く延々と卵料理ばかりをリクエストしてくる。そのせいで私もすっかり卵料理が得意になって、機会があって三ツ谷の妹たちにオムライスを振る舞った時にも絶賛されて三ツ谷に悔しがられた。ふわふわとトロトロの間を彷徨う絶妙な塩梅の卵でケチャップライスを綺麗に包むことが特技だと言っても通用しそうだと自画自賛するレベルの腕前だ。

 とは言え、オムライスや卵料理ばかりを出すのも兄に申し訳ないし、そもそも今日はイザナくんが「下僕」を連れてくると言っていたから食べ応えのあるものの方が良い気がする。配布された小テストに記名して問題を一番最初から解いていきながら、イザナくんの言う「下僕」に食べさせるものを次々思い浮かべては打ち消していく。

 「下僕」だのなんだのと言いながら、イザナくんはあの子のことを分かりにくくも大切にしている。懐に入れた人には優しいし、そうでなくとも元々とても優しい人なのだ。その優しい人に優しくされるあの子も優しくて良い子で、弟がいたらこんな感じなのかなあと時折考えたりもする。


 一昨年の冬にイザナくんに紹介されてから細々と交流を続けているあの子こと鶴蝶くんを思い出して、思わず口元が綻んでしまう。千壽と同じように美味しそうに食べてくれる鶴蝶くんにご飯を作るのは作り手の私も楽しいし、もっと美味しいものを食べさせてあげたくなる。

 失敗の心配も少ないし一度に沢山作れるし、折角だから今日は夏野菜のカレーにでもしようか。普段兄と食べているよりも具材を大きく切って少しお高いお肉も使って、きっと沢山おかわりしてくれるであろう鶴蝶くんのために全体的な量もいつもよりも多めにして。


 そうと決まれば、次に考えるのは何を買って帰るかだ。田舎で暮らす母方の祖父母から送られてきた野菜はかなりの量がまだ残っているけれど、昨日兄と焼肉をしたせいで野菜以外は量が心許ない。近所のスーパーで買って帰るとして、あとはデザートにいつも通り三連のプリンも買おう。普段は千壽とイザナくんと私とでひとつずつ分け合っているけれど、今日は千壽が居ないから鶴蝶くんとイザナくんと私とで分け合う形になる。

 兄用の酒のつまみも買い足す必要があるかもしれないと考えているうちに、呆気なく小テストは最後まで解き終わった。やはりそこまで難しい問題でもなかったし、この程度ならば私でもどうにか出来る。見返した限り間違えやケアレスミスもなさそうだし、あとは回収されるまで考え事を続けよう。


 シャーペンの芯を引っ込めて軽く手首を回す。そのついでに溢れそうになった欠伸も何とか押し留めていると、廊下を慌ただしく踏みしめる足音と何かを会話する声が聞こえて、私がそれらに気付いた次の瞬間には文字通り跳ね開けるようにして教室のドアが開かれた。スライド式じゃなければ蝶番が確実にイカれていただろう。

 突然こんなことをする人には少々思い当たる節があるが、この学校、それもこの教室でとなると一人しか思い浮かばない。欠伸は飲み込めたのにため息が溢れた。俯けていた顔を上げてドアの方を見れば、同じように呆然とそちらを見ているクラスメイトたちの顔を何かを探すかのように見渡した後にこちらを向いたその人と目が合う。
 今日も今日とて給食を食べるだけ食べて消えた我が中学きっての問題児の本日二度目の登校だ。まあその身軽さを見るに授業を受けに来たわけではなさそうだが。

「おっ、ナナいた。なにやってんの? テスト?」
「……あのねマイキー、今授業中だからね」
「知ってる知ってる。それより会わせたい奴いるから帰る準備して」
「授業中って言ったでしょ……」

 教師も何も言い出さない中で、マイキーのことを見るのは憚られるのか私に寄せられる視線に辟易しつつも会話を続ける姿勢を見せておく。マイキーは見るからにご機嫌な表情でニコニコと笑って教室に入り、私の机の側まで来て横にかけていた学生鞄を突き出してくるものだから、仕方なくそれを受け取った。

 こうなったマイキーは大抵言うことを聞かないし、人を無理矢理従わせる。意見するだけ無駄だとわかっているので、入口近くで扉に寄り掛かっている龍宮寺を睨んだ。肩を竦める動作だけで返される。

「なーんだ、テストも解き終わってんじゃん。じゃあ早く行こ」
「テストが終わっても授業は終わってないから。ちょっと、龍宮寺もちゃんとマイキーのこと止めてよ」
「ここまで来るとマイキーが言うこと聞かねえのはナナも分かるだろ」
「マイキーに言うこと聞かせるのが龍宮寺たちの役目でしょ……」

 完全に傍観の姿勢に入った龍宮寺に聞こえるようにため息をついて、私が持ったままの鞄に机の中身を適当に入れ始めたマイキーを見上げる。笑顔のお手本みたいに綺麗に笑った後に筆箱にペンや消しゴムを全部閉まってから鞄のジッパーまで締められて、更にはそれごと取り上げられた。鞄を人質にするつもりらしい。

 こうなっては私の味方がいない。こういう時融通の効かないマイキーと放任の龍宮寺。そこに興味のないことに関しては流されやすいと兄から評価される私が加われば、今現在の授業が六限かつ数学であることも重なって、選択肢は二つに一つだ。


 一応許可を取るように教師を見てみたのだが、先程までの私への威圧的な態度はどこへやら、サッと目を逸らされてしまった。ここで授業中だからとマイキーを叱ったり、それこそさっさとテストを回収して授業を始めたり出来ないから生徒に舐められるのだ。露骨に反抗的なのは私だけでも、この数学教師を苦手に思っているのは私だけではないと知った方がいい。
 私が答えを出さずに教師の方を見た事で機嫌を損ねたのか、マイキーは鞄を持ったまま教卓の方へと向かっていってしまう。その手には私の小テストがしっかりと握られていて、勝手に提出してしまうつもりらしい。
 仕方がないので席を立って追い掛けたのだが、これはもう今日中に席に戻ることは出来ないだろう。あまりにも過剰にサボると家に連絡が行って兄に怒られるから嫌なんだけどな。

「そもそも、この前ナナ、数学嫌いっつってたじゃん。勉強なんて場地より出来りゃ良くね?」
「圭介より出来ない人が限りなくゼロに近いぐらい少ないってこと分かってて言ってるでしょ」

 叩き付けるように教卓に私の小テストを提出した後に、マイキーはこちらを振り返って不機嫌丸出しの顔で、しかも大声で私が数学を嫌いだと言っていただのと宣った。最悪だ。次回の授業がもう憂鬱になってくる。どんな風に睨まれて当たられるか分かったものじゃない。

 鞄を持つことにも早々に飽きたのか、三年間一応気を付けて使っている私の学生鞄は龍宮寺に向かって投げられる。無造作に受け取った龍宮寺が重いと零したけれど、それは私たち学生が普通毎日味わっている重さだ。マイキーや龍宮寺たちは給食を食べるか体育の授業を受けるぐらいしか学校に顔を出さないから分からないのかもしれないけど。その点で言えば圭介の方が二人の百倍は真面目で勤勉だ。


 もう一度聞こえるようにため息をついてやってから、教師に向かって軽く頭を下げて相変わらず教卓の前で堂々と仁王立ちするマイキーの背を押す。こうなってしまったからにはさっさと教室を出るに限る。授業妨害も過剰すぎては顰蹙を買うものだし、マイキーの発言によって纏う空気が最悪なものになった教師をこれ以上見ていたくなかった。

 そのまま龍宮寺の傍まで押し出すようにして教室を出て、後ろ手にドアを閉めた。廊下と教室で扉を隔てたおかげで、今までで一番大きいため息が出る。思わず二人を睨みつけたものの、糠に釘だ。平然としているのを見れば分かるが、全く持って響いていない。

「こういうの、本当に今回限りにしてよ。私たちこれでも受験生なんだからね」
「オレらの代でまともに受験しようと思ってんのなんてナナぐらいだって」
「三ツ谷も服飾の専門目指してるって聞いたけど。そうだよね、龍宮寺?」
「らしいけど、普通の受験とはちげーんじゃね? つーか、いちいちオレに話振んなよ……」

 三人でマイキーを挟むようにして並んで廊下を歩いて昇降口に向かう。龍宮寺は鞄を持ち続ける姿勢を見せてくれたので、どうせだから任せることにした。こうすることで龍宮寺に恋をしている幼馴染みのエマにもコイツは荷物持ちですアピールが出来るというわけだ。

 そもそもの話、龍宮寺と私の間にある感情は友情でしかないのだが、恋とは不思議なものでそうと分かっていても嫉妬のひとつやふたつはしてしまう。私もその感情には覚えがあるから、もどかしい関係を続けている二人を微笑ましく見守っている。早くくっつけばいいのにとも思うけれど、恋をしているエマは可愛いし、エマのこととなると冷静さを忘れてしまう龍宮寺も面白いし。


 すれ違った教師がまたマイキーと龍宮寺から目を逸らして結果として私を見てきたので、曖昧に微笑んでおく。両親と兄によく似て顔はピカイチで整っている自覚があるので、面倒な時はこうするに限るとも経験上理解しているのだ。不良二人に連れ回される被害者を気取るわけではないけれど、この二人はもうとっくに恐れられて怯えられているんだから、今更教師に白い目で見られたって気にならないだろう。ある意味信頼を寄せているということだ。

「それで、会わせたい人って誰? マイキーの彼女とか?」
「んーん、違う違う。まあそれは会ってのお楽しみで。ナナ今日チャリで来てる?」
「この前友達に貸したら水没しちゃったから、最近は歩き」
「お前のダチ、ヤバいな」
「普段は普通にいい子なんだけど、自転車でバイクに勝とうとしちゃってね」

 夏場の真昼間だったから良かったけれど、もう少し早い時期の夜だったら確実に風邪を引いていただろう。
 イザナくんのバイクに併走して走って本気でスピードで勝とうとしていた千壽を思い出して、思わず口角が緩む。自転車で川に突っ込んで行った瞬間が衝撃すぎてどうしてそんな勝負に発展したのかは覚えていないけれど、私も咄嗟に後を追って川に飛び込んでしまった。そんな私たちと自転車を引っ張りあげるためにイザナくんも川に入ってきてくれたから、結果は引き分けになったのだ。判定不可とも言う。


 ここ数年で一番笑った数日前のことを思い出して足取りも軽く笑っていれば、マイキーはそんな私を気にせずにじゃあと口を開いた。龍宮寺は会ったことのない私の友人の破天荒さに想像が追い付かないのか半ば呆然としている。

「チャリで行くからオレの後ろかケンチンの後ろ、どっちがいい?」
「……龍宮寺の後ろだとエマに申し訳ないけど、マイキーの後ろはなんか怖い。龍宮寺の後ろにマイキーが乗って私がマイキーの自転車で行くんじゃダメなの?」
「別にオレはケンチンの後ろ乗っても良いけど、ナナはスカートだからパンツ見えるんじゃね? 見ていいの?」
「分かった。龍宮寺よろしく」
「鞄は自分で持てよ」
「それぐらいはするよ」

 幼馴染みにパンツを見せる趣味はないので、スカートの裾に伸びてきたマイキーの手を叩き落として龍宮寺の方を見る。マイキー越しに私を見下ろした龍宮寺も頷いてくれたので一安心だ。

 手を叩き落としたことがお気に召さなかったのかマイキーがぶすくれて文句を言い出したので今度は背を思いっきり叩いて放置しておくことにする。放置がマイキーに効くか否かは一旦置いておくとして、いくら幼馴染みと言えど同級生の女子相手に言うことじゃないので反省して欲しい。もう一人の幼馴染みの圭介がこういう冗談が苦手なだけあって、マイキーのいつまでも小学生みたいなイタズラしかしてこないところが嫌に目に付くのだ。誰に似たらこんなことになるんだか。
 育ちもあってか大人びている龍宮寺もこの件に関しては思うことは同じなようだが、そもそも龍宮寺を筆頭に東卍の面々はマイキーの風のように自由な所にも惹かれているわけだ。つまり、マイキーの制御には向かない。


 私の肩に腕を回して頭を寄せるようにして文句を言い続けるマイキーにきちんと聞こえるようにため息をついてから、現実逃避をするように圭介のために作成している年表の作業の進み具合に考えを移した。
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ふたつおりのひとひら