Turn.1
最悪な出会い
「……ふぅ。久しぶり、日本」
ガラガラと重いスーツケースを引きずりながら空港のロビーを後にする。やはり人混みはあまり好きではない。ロータリーでタクシーに乗り込み、行き先を運転手に告げる。運転手は礼儀正しく返事をすると、すぐに車を走らせた。
やがて大きな駅を通り掛かったので停めてもらう事にした。運転手に礼を言って代金を支払うと再び空港の方へと戻って行った。
何故目的地に直接行かないのかと言うと、駅の時点でタクシーの運賃が良い値段になっていたからだ。悲しいことに今の私には持ち合わせがあまり無い。それと、久しぶりの日本かつ見知らぬ土地なので少しでも土地勘を付けようと思った。
「地図によると……ここか。時間は……うん、まだある。行こう」
左手首に着けた腕時計を見て時刻を確認し、左手にスーツケース、右手に地図を持ちながら歩き出した。
「やっと着いたけど……うう、びしょびしょ……」
迷いに迷って一時間、ようやく目的地へ着いた。
超が付くほど方向音痴なので時間に余裕を持って出発しておいたが、やはり迷ってしまった。予定時刻より先に着いたのが不幸中の幸いだ。まあ、迷子にはなっていたけど。駅から結構近いはずなのに、おかしいなこの方向音痴っぷりは。
途中で雨が降り出したので私もスーツケースもびしょ濡れになっていた。ケースは水を弾くタイプなので問題ないが、私の方はスーツもブラウスも体に張り付いて気持ち悪い。
目的地であるビルに入る前に、タオルで濡れた体とスーツケースを軽く拭く。絞るとそれなりに水分を吸収していたようだ。
身なりを整えてから目の前のビルに入り、受付に声を掛ける。
「すみません、苗字名前と申します。本日付でこちらに配属されるのですが」
「はい、少々お待ち下さいませ……苗字名前様ですね。二階の控え室でのご予定です。随分と濡れていらっしゃいますが、宜しければ乾燥機とシャワールームをご使用されてはいかがでしょうか?」
「あ、ありがとうございまックシュン!」
抑えきれずに飛び出たクシャミ。受付の人にクスクスと笑われてしまった。
案内された脱衣所へ着くと、受付の人は簡単に使い方を教えて戻って行った。
どうやら私以外誰も居ないようだ。濡れたスーツを脱いで乾燥機へ入れる。大体30分くらいで乾くようだ。
体にタオルを巻いて、仕切られているシャワールームの一番手前の部屋に手を掛けた。簡易なシャワールームだが今の私にはそれだけでも十分ありがたい。シャワーから出る熱いお湯が冷えた体を芯から温めてくれる。
「はぁ……温まる……」
***
「チッ、急に降り出してきやがって!」
急な土砂降りのせいで随分と雨に濡れちまった。だが幸い会社まではそう遠くなかったから濡れ鼠にはならずに済んだ。
俺は濡れた靴が廊下を汚すのも気にせず、慌ただしくシャワールームへ向かう。あそこにはタオルが置いてあるから丁度いい。
脱衣所へ入り、カゴに置いてある丁寧に畳まれたタオルを一枚手に取る。柔軟剤の効いたよくわからん花の香りがするタオルでスーツや頭の水気を取るように拭いていると、奥のシャワールームから水音が聞こえてきた。
誰だ? 外城か? 朝っぱらっからシャワーとは良いご身分じゃねえか。挨拶がてらに嫌味の一つでもぶつけてやるか。
一番手前のドアに手をかけようとした時、ちょうど水音が止まってガチャリと開いた。だがそこに居たのは外城ではなく──
「「――――ッ!!??」」
お、女ぁぁぁあ!?
濡れた体に巻かれたタオルが女の体のラインをはっきりと表して非常にいやらしい。俺は上から下へ視線を動かし……
「……見るなああぁぁー!!」
女の手のひらが勢い良く俺の頬を叩き、脱衣所に大きな破裂音が響いた。
そして俺はたった一発のビンタでKOされたのだった。
***
(最低! 最悪! うわあああぁー!!)
私は急いで着替えて控え室に戻り、先程の出来事を振り返っていた。いや、あれはもはや事件と言っていい。
シャワーを終えて外に出たら、見知らぬ男が居て裸を見られてしまった。あの男もきっとこの会社の人間なのだろう。出来れば二度と会いたくない。
不幸中の幸いといえば裸ではなくタオルを巻いていた事だ。それでも、あまりに衝撃的な事件だったせいで私はいてもたってもいられない。
「うっ……うわああああぁぁ〜!」
「名前ちゃん。な〜に騒いでんの?」
「ぎゃあああ――……って社長ッ!」
頭を抱えて喚いていると控え室に入ってきた男性に声を掛けられた。スマートな体格に見えるが、ちゃんと鍛えられていることがスーツの上からでもわかる。
ニコニコと穏やかな笑みを浮かべる彼こそが私の父の友人であり、この警護会社の社長である。
私は椅子から立ち上がって深々と頭を下げた。
「社長! この度はご縁を下さりありがとうございます! 一生懸命働かせて頂きます!」
「いいよ気にしないで、お父さんの頼みだからね。それより時間だから挨拶に向かおうか。あ、スーツケースは置いといて大丈夫だよ」
「はい、承知しました!」
そして私は社長と他愛ない話をしながらミーティングルームへと向かった。
部屋に入ると机と椅子は後方にまとめて片付けられ、広々としたスペースに体付きのたくましい男性達がずらりと並んでいた。
みんなの前に立たされて、社長に紹介してもらう。
「今日から君達の仕事仲間として働く子だ」
「初めまして、苗字名前と申します。海外でボディガードとしての経験を積んできました。多少のブランクはありますが、今日から皆さんと一緒に働かせて頂きます。よろしくお願いします!」
一礼し、頭を上げて一人ひとりの顔を眺めていく……と見覚えのある顔を発見。妙に長身で坊主頭の真ん中に鶏の様な金髪のトサカ。唯一違うのは、左頬にくっきりとした赤い手形がついていた事。
すると、向こうも私に気付いて大きく目を見開いた。
「あっ! あの時の暴力女!」
「あー! あの時の変態男!」
「変態って言うな! 男なら誰でも……ってアホ!」
「暴力じゃないです! 正当防衛です!」
周りは「なんだなんだ」と私とその男を交互に見ている。
もう二度と会いたくないと思った矢先に再会を果たしてしまうなんて、私はどれだけ運に見放されているのだろう。この変態男が私の仕事仲間なんて絶対イヤだ。
……初日から仕事を辞めたくなったのは、これが初めてだった。
(20120116)
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Smotherd mate