Act.1 おいでませ探偵事務所
「はあ〜……」
私の名前は苗字名前。花も恥らって枯れだす2X歳。たった今仕事を辞めて来たばかりだ。
私は本当に職場に恵まれない。最初の職場では上司のセクハラ。次の職場では社長の運営ミスによる倒産。さらに次の職場では陰湿な嫌がらせ。さらにさらに次の職場では毎日がエブリデイの如くサービス残業。今回に至ってはまっくろくろすけも助走をつけて逃げ出すレベルのブラック会社。
今までの会社を凝縮させたかのような職場に嫌気がさし、限界が来ていた私は社長に退職届を投げつけたのである。
「次の仕事、見つけないとなー」
肩を落としてあてもなく歩いていると、足元で何かきらりと光った。……ん? 何だろう。それを拾い上げ、しげしげと見つめる。
「これは……ルーペ?」
何故こんな所にルーペが? 考えたところで全く想像がつかない。とりあえず誰にも踏まれない場所へ置いておこう、とルーペを持ったまま安全そうな所を探す。
するとやたら周りをきょろきょろ見ながら歩いてくる男の人が目に入った。タキシードを着て首元には大きな赤いリボン、刈り込み頭の上にギザギザの金髪。足元を何度も確認しては少しずつ私の居る方向へと近づいて来るので、まさかと思いながら声を掛けた。
「すみません。もしかしてコレあなたのですか?」
「やや! それこそが我が探し求めていた大事なアイテムではありませぬか!」
手に持ったルーペを見せると、その男性は目を大きく見開いて自分のものだと言い切った。彼は礼を言いながらルーペを受け取ると、胸ポケットから取り出した真っ赤なハンカチで丁寧に拭き、右目に装着した。……装着?
「貴女のような可愛らしいレディに拾って頂けるとは……この哀牙、光栄の極みですぞ!」
なんだか変な人に話しかけちゃったな、さっさとどこかに置いて逃げれば良かった。今からでも早めに退散しないと面倒になりそうな気がする。
「では私はこれで」
「あいや待たれい! 我が名は星威岳哀牙。誇り高き名探偵にございます。されば貴女の名前をお聞かせ願えますでしょうかな?」
「……苗字名前です」
「名前殿! 名前までもが美しくあらせられますな。この哀牙、名前殿にぜひ御礼をしたい所存。さあ参りましょう、誉れ高き地上の楽園、哀牙探偵事務所へ!」
「結構です」
やっぱり変な人だ。見なかったことにしようと踵を返す……が、即座に腕を捕まれてしまった。そのままドナドナよろしく引きずられて行く。
「さあいざ!」
「離して下さいよおぉ〜……!」
私の話も聞かず強引に、彼はもと来た道を進んで行った。
「名前殿、本当にありがとうございました!」
「はあ……」
私は哀牙さんの探偵事務所へ招かれ、来客用のテーブルに向かい合って座っていた。秘書らしき方に美味しい紅茶とお菓子を出して貰い、少し感じていた空腹感が満たされる。お礼なんてこれで十分なんだけどな。
「名前殿、何かお困りの際には是非、この哀牙探偵事務所へお立ち寄りくだされ! ズヴァリ、美しきスイリが貴女にも真実を囁くでしょう……」
つまり私が依頼をする際は何かしら特典がつくなり割引して貰えるなりするって事だろうか。まあ、私が探偵事務所にお世話される事なんてこの先ないだろうけど。
カップに残った紅茶を飲み干し、今度こそ退散しようと立ち上がる。
「そろそろ失礼します。美味しい紅茶とお菓子をありがとうございました」
「まあまあ、もう少し紅茶を飲んでいかれてはいかがかな?」
「お気持ちはありがたいのですが、急がなければいけないので」
そう、ズヴァリ職探しだ。……あれ、なんか口調が移っちゃった。しかし、そそくさと逃げ帰ろうとする私の前に哀牙さんが立ちはだかった。どういうつもりだろうか。
すると彼は、右目に装着したルーペを取り外し、自分の目をレンズいっぱいに拡大させながら品定めをするように私を眺めてくる。ぎょろりと動く眼がちょっと怖い。
「ムム……ズヴァリ! 貴女は今職を失ったばかりのニイトにございましょう!」
ギクッ! どうしてバレたんだろう!? まさかこれが『美しきスイリ』ってやつ!?……と思いっきり顔に出してしまったせいで、流石に哀牙さんも気付いたのだろう、得意気に鼻を鳴らした。でもニートではないよ! 働く気はあるもん!
「ふむ。ここで一つ哀牙から提案が」
「結構です」
「話も聞かずに却下とは愚の骨頂! 良いですかな名前殿!……貴女さえ良ければ我が探偵事務所で働きませぬか?」
「……え? 本当ですか?」
予期せぬ美味しい話に、つい食いついてしまった。私の好感触な反応を見た哀牙さんは既に雇う気満々のようで、話を先走らせる。
「クック、では明日から早速! 出社は9時ですぞ名前殿!」
「ま、待ってください! まだ決めたとは……そもそも、何の仕事をするんですか?」
「今月限りで我が探偵事務所の秘書、桐島殿が巣立つ――フライアウェイですな。その時、親鳥が出来るのはただ一つ! それはプリテイニュウフェイスを見つける事!」
『もっと出来る事が他にあるのではなかろうか』。心の中でひっそりとツッコむ。
新しい勤め先が難なく決まるのは有り難いけど、気がかりなのはこの人が所長であるという事だ。
なんとも個性的な上司であると同時に、過去のブラック会社での経験が私に嫌な予感をもたらす。また似たような問題が起きてすぐに退職、なんていうのはもうご免だ。
返答に迷っていると、秘書の桐島さんと思しき女性が私に近付いて耳打ちしてきた。
「ちなみに月給は……」
……え、そんなに!? ぼそぼそと小さな声で桐島さんが私に伝えた額は、今まで働いた会社の中で一番高額だった。
ええい、こうなったらもう腹をくくるしか無い。駄目だったらまた新しい仕事を探そう、そうしよう。
私が決意の表情で哀牙さんへ右手を差し出すと、哀牙さんも手袋を着けた手で握り返してくれた。
「よろしくお願いします!」
「クックック、これにて契約完了! では仕事の説明をしましょう!」
私と哀牙さんは再び椅子に腰を掛けて向かい合い、今度は真面目な話を始める。哀牙さんは手を組み合わせながら肘をテーブルにつき、口角を上げた。
探偵事務所での仕事なんてどんな内容なんだろう。ドラマみたいでかっこいいかも。諜報とかもしちゃうのかな。それはちょっと夢見すぎか。
「それで、どんな仕事なんですか?」
今までに経験したことがない職業なので心なしかワクワクする。でも桐島さんの代わりということは、探偵じゃなくて秘書かな。
「貴女には、当探偵事務所の可憐なるメイドになって頂きます!」
かつてない予想外の言葉が飛び出して、私は椅子から転げ落ちた。
(20120123 修正20160820)
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Smotherd mate