Act.2 今日からメのつく
朝の8時50分。私は二階建ての小ビル――哀牙探偵事務所の前に立っていた。
昨日、いきなり探偵事務所で働かないかと誘われ、迷っていたら月給を聞かされ、その額に満足した私は……見事にメイドとして働く事となった。
仕事内容は、哀牙さんのメイドとして掃除・書類整理・紅茶淹れなどなど。至って普通のメイドの仕事かと思われる。いや、至っても何も普通のメイドなんて現実で見たことが無いからわからないけど。
しかし、ノリとはいえ本当にメイドとして働く事になるなんて後先考えずに決めちゃったものだな、と早くも自分の能天気さを後悔していた。
事務所に続く狭い階段を上り、ドアの前で止まる。ノックをしてから中に入るとデスクに居た哀牙さんが近付いてきた。
「おはようございます」
「おはようござあい! さあ名前殿、早速初仕事ですぞ!」
諸悪の根源(?)である哀牙さんはその頭頂部から流れる金色の髪を揺らし、両手を広げて嬉しそうに私を迎えた。やはり昨日の出来事は夢ではなかったようだ。
「はあ……」
「まずは隣の部屋にてユニフォオムにお着替えくだされ!」
探偵事務所の制服なんてあるんだ……どんなのだろう。昨日見た秘書の桐島さんはリクルートスーツを着ていたけど……いや、やっぱりあれはスーツであって制服ではないと思う。
事務所の奥には扉が二つある。手前が給湯室で奥が休憩室だ。促されて中に入ると、事務所に置いてあるテーブルより二回りほど小さいものや、ソファ、ロッカーが置いてあった。どうやら休憩だけでなく作業室、更衣室なども兼ねているようだ。
「さあれ名前殿、この衣装でメタモルフォオゼをなさって下さい」
「めた……?」
多分『着替えろ』ってことなんだろうけど、この人の言葉はいちいち伝わりにくい。
哀牙さんは三つ並んでいるロッカーの右端から、クリーニング用のビニールに包まれた制服を私に手渡した。二つ折りにされているので、黒っぽい感じとしかわからない。やはりスーツなのだろうか。
哀牙さんが休憩室から出て行ったので、私はビニールから制服を取り出して両手で広げ、確認する……って、な……な……。
「なんじゃこりゃあー!」
広げたその制服は、白いエプロンのついた長いロングスカートのメイド服だった。メイドメイドとは言っていたけど、本当にメイド服を着る事になるなんて! 桐島さんはメイド服を着ていないのに、私だけが着るなんて一体何の辱めだろう。ああそっか、桐島さんは秘書だけど私はメイドだもんね! なるほどわからん!
で、哀牙さんは本気でこれを私に着せるつもりなのかな。訴えれば勝てるかな。ここは探偵事務所と聞いていたけどそれは表向きの顔で、もしかしたらいかがわしい素人者のビデオとかそっち系とか……でも、だったら昨日この事務所に連れてこられた時点でそうなっているはずだし、桐島さんはまともそうだし、考え過ぎだよね。
まだ出会って二日目だけど、哀牙さんの性格上これは本気だと思う。『メイドになってほしい』と言われて私は了承し、契約を交わしたのだ。いざとなれば何とかして逃げ出せばいい。そう自分に言い聞かせて、私はメイド服に着替え始めた。
「あの、着替えました……」
「ほお! 名前殿、よおくお似合いですぞ!」
事務所へ戻ると、私のメイド服姿を見た哀牙さんは両手を大きく動かしながらパチパチと拍手をした。休憩室の姿見で自分の姿を何度も確認したが、違和感ばかりが目につく上に恥ずかしくて仕方がない。何だこれは。羞恥プレイか。個人的な意見を言うならば、ミニスカートじゃなくて良かった。
「我はこの日を夢見ておりました。探偵であるこの哀牙に追従する可憐なメイドが誕生する事を!」
今度は拳を握って大げさに喜びを口にする。
もしかしてこの人、それが目的で探偵を始めたんじゃないだろうか。流石にそれはない……と言いたいところだけど微妙にそんな可能性も拭えない人だ。
「さて名前殿。次はメイドなる言葉遣いをお教えしましょう!」
「はあ……」
これ以上どんな辱めを受けさせられるのか不安で仕方がない。しかし哀牙さんのはしゃぎ様がまるで子どもみたいで、本当に純粋にメイドが欲しかっただけなんだな、と先程のビデオ云々の件に対する心配が徒労に終わって安心する。どっちにしろ、メイドが欲しかったと言ったり、出会い頭に感じた『ヤバそうな人』という印象はちっとも揺らがないのだけども。
「まず、名前殿が名乗る際には『やあれ、我こそが可憐にして清廉なるメイド、苗字名前でございます』と仰って下され!」
哀牙さんは両手でスカートの裾をつまみ上げて少し膝を曲げ、そして戻す、という優雅なジェスチャーをした。それ、映画やドラマで見たことあるけど、こんな日本のなんちゃってメイドじゃなく、ヨーロッパあたりのドレスを着た淑女の方が相応しいんじゃないかな。
「無理です」
即答。しかし哀牙さんは怯むことなくチッチッと指を振る。
「良いですか名前殿。何事も始まりは挨拶から」
「普通の挨拶じゃ駄目なんですか?」
「最初にビッグ・イムパクトを与えてこそ我が探偵事務所のメイドたる証。さあ恥ずかしがらず!」
どうして挨拶にイムパクトが必要なのだろうか。そして哀牙さんが私に何を求めているのかひとつもわからない。今までの会社とは打って変わってふざけた要望ばかりをぶつけてくるこの新しい上司は、一体全体何を考えているのだろうか。
「それとも、こんな事すら出来ない……と申しますかな?」
お、おう。煽ってくれるじゃないですか。
その失礼な言葉に小さく額に青筋を立てながら、スカートをガッと掴んでたくし上げた。
「わ、我こそは……!」
駄目だ、勢いでやってしまおうと思ったけれどやっぱり恥ずかしくて言葉が出てこない。この場をやり過ごす為には致し方ない。が、私は絶対にこんな挨拶を外ではしない、絶対に!
「『やあれ』が抜けてますぞ、名前殿!」
「や、やあれ……!」
「声が小さいですぞ!」
急にスパルタ指導になる哀牙さんが小憎たらしい。だがそんな事で引き下がる私ではない。数々のブラック会社で鍛えられた鋼のメンタルがあるのだ。ここで引き下がれば女が廃る。
「やーれ! 我こそは」
「『やーれ』でなく『やあれ』ですぞ!」
やかましいわ! 出来るかこんな恥ずかしい挨拶!……とは言えず控えめに、無理です出来ません、と早くも引き下がって女を廃らせた私だけど、哀牙さんは容赦なく追撃する。いいえ名前殿ならば出来ますとも、我が見込んだお方なのですから、と言われても何をどう見込んだのか知りたい。
その時、事務所のドアが開いた。桐島さんが遅れて出社してきたのだ。
「「あ」」
私と桐島さんの声が重なる。
見られた。私のメイド服姿を、見られた。
そういえば今日は居ないな、もしかして休みかなーと思っていた私にとって、このアクシデントは大打撃だった。
ガクッと膝から崩れ落ち、そのまま四つんばいになって頭を垂れる。このまま私だけにスポットライトを当ててくれればまさしく悲劇のヒロインだ。
桐島さんはそんな私の傍にしゃがみ込んで、肩に優しく手を置いた。
「苗字さん……」
「桐島さん……」
「似合ってますよ!」
桐島さんはグッと親指を立ててサムズアップ。すいません、それフォローになってません。
ああ、穴があったら今すぐ入りたい、もしくは哀牙さんを埋めてしまいたい。
仕事の初日からとんでもないな、と私は情けない溜息を吐いた。
(20120124 修正20160821)
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Smotherd mate