Act.20 逆転の開幕〜overture〜
「哀牙さん、KB警備という会社からお電話です」
「あいや、回して下され」
警備会社から電話なんて珍しい。デスクの書類をまとめながら通話に耳を傾けていると、哀牙さんは何度も相槌を打った後、「なんと!」と声を上げながら勢いよく立ち上がった。その揺れで哀牙さんのデスクにあったティーカップが倒れて中身が溢れてしまった。私は慌ててふきんを持って駆け寄り、哀牙さんも胸元の赤いハンカチで拭き始める。
ふと見ると、哀牙さんの手袋まで紅茶が染みていた。電話の邪魔にならないように小声で「失礼します」と一言断り、手袋を取り外す。初めて見る彼の素手は、まさに男性の手というように骨ばっていて、しかし指はすらりと細長く、爪はきちんと短く整えられている。ついまじまじと眺めていると哀牙さんはフッと笑った。我に返り、小声で「洗ってきます」と伝え、その場を離れた。
給湯室でふきんと手袋とハンカチを水に浸け、紅茶のカップを軽く洗う。事務所に戻ると哀牙さんは電話を終えており、メモを見ながら興奮気味に口を開いた。紅茶を零した事などすでに忘れている──いや、零した事に気付いてすらいないといった様子だ。
「名前殿! 今夜、大仕事が入りましたぞ!」
「な、何ですか?」
「高菱屋百貨店に、今、世間を騒がす怪人☆仮面マスクから予告状が届いたそうです! 彼奴の狙う宝石の警備を任されたのがKB警備であり、更にその頂点に君臨する社長──毒島黒兵衛殿が、この孤高の一番星、街一番の名探偵たる我に警備を依頼した次第でありますぞッ!」
哀牙さんの目がとてもキラキラしている。今までの依頼の中でも一番嬉しそうだ。
怪人☆仮面マスクの名は私も聞いたことがある。今年の三月辺りに初めて姿を見せた怪盗で、満月の夜に現れるらしい。その時は高菱屋に展示されている宝石<<エマノンの涙>>を見事に盗んだ、と新聞の一面を飾っていた。今時怪盗なんて居るんだとしか思っていなかったけど、まさか哀牙さんと直接対決する日が来るなんて。
「クックック……この哀牙に相応しき好敵手となるか、今宵のムウンライトのみぞ知る未来ですな」
完全に燃えている哀牙さん。どうやら名探偵の心臓は今、火あぶりになっているようだ。
急な依頼にくわえて時間帯も遅い為、私は無理して来なくても大丈夫だと言われたが、そういうワケにはいかない。私だって哀牙さんの手伝いがしたいし本物の仮面マスクを見てみたい。
というわけで、私も共に戦場──もとい高菱屋へ向かう事を決めた。
時刻は夜の12時。私と哀牙さんは百貨店の五階にある展示場にやってきた。
真四角の部屋の壁沿いには、世界各国から集められた数々の価値あるお宝がアクリルガラスの向こう側に綺麗に並べられている。
そして部屋の中心には重厚なガラスケースで守られている《ボンゴラの宝冠》が、目にした者を魅了するかのように美しい輝きを放っていた。
宝冠の周りや展示室の入口には多くの警備員が配置されており、これだけ人が居ればネズミ一匹通せないだろう。
「これが今回の彼奴の獲物ですな」
「ええ〜そうです! 今夜1時に仮面マスクが現れるようですな! ワッハッハ!」
「毒島殿、貴方は幸運な男ですぞ。この名探偵☆星威岳哀牙が居れば百人力、いや千人力でしょうな! アッハッハ!」
「ところで、そちらのメイドさんは哀牙探偵の付き人かな? ンワーッハッハッハ!」
「ええ、彼女は我が有能なメイド殿ですぞ! ンナーッハッハッハ!」
哀牙さんは依頼主であるKB警備の毒島社長と盛り上がっていた。哀牙さんが異様にテンション高いのはわかるけど、毒島社長は何がそんなに面白いんだろう。
毒島社長は濃灰色のスーツがよく似合う恰幅の良い男性だ。コッテリとポマードを塗りたくられたツヤツヤの髪と、どっしりこさえられたもみあげについ目がいってしまう。見た目はまさに"社長"の貫禄があると言えるが、悪く言えば悪代官っぽい……いや、人を見た目で決めつけてはいけない。
「名前殿、今宵の相手はズヴァリ、強敵と言えましょう。我から離れることなかれ!」
「わかりました! 哀牙さんの邪魔にならないようにします!」
そして一時間後、展示場の時計が鳴り響いた。どうやら1時になったようだ。
いよいよ、仮面マスクが現れる。一体どんな風に宝冠を盗み出すのだろうか。緊張で体が強張り、思うように足を動かない。いつ仮面マスクが現れるかと気が気でなく、哀牙さんと宝冠に交互に視線を移す。
──すると、部屋に何かが投げ込まれた。何本ものスプレー缶だ。床に落ちた衝撃で、中から白い煙と紙吹雪が勢いよく出てくる。煙を吸った警備員たちが次々と倒れていくのを見て、哀牙さんが叫んだ。
「これは催眠ガス! 吸ってはなりませぬぞ!」
「何だって!?」
「クソッ、煙で前が見えない!」
私は咄嗟にポケットからハンカチを取り出して口元に当てた。哀牙さんもハンカチを持っているから大丈夫のはず──じゃない! 確か今朝、紅茶を零した時に使っていた!
「哀牙さん!」
「名前殿ッ!?」
私は哀牙さんの元へ駆け出して、自分のハンカチを彼の口元に押し当てた。胸元を確認する。やはりハンカチが無い。例え警備員や私が眠ってしまおうとも、哀牙さんにだけは唯一立ち向かってもらわなければ。だって彼は、名探偵だから。
「わははははは! こんな遅くまで起きている悪い子が、沢山居るようだね!」
いつの間に展示場へ入ってきたのだろうか、ガラスケースのすぐ傍で怪人☆仮面マスクが高笑いを上げていた。大きな羽の付いた緑色のシルクハット。黄色い飾りのついた赤いシャツの上には、肩に金色のエポレットが装飾されたロングコートを羽織っている。口元だけが見える仮面の下で、彼は不敵な笑みを浮かべた。
仮面マスクは難なくガラスケースを外し、中の《ボンゴラの宝冠》を手に取る。
「《ボンゴラの宝冠》、確かに頂いた!」
突然の登場に驚いて睡眠ガスを大量に吸ってしまった私は、ようやく仮面マスクが現れたというのに急激な眠気に襲われてしまう。視界がぼやけて頭がグラグラする。足元がおぼつかず、もう立っていられない。
既にこの場に起きているのは哀牙さんだけだ。彼だけしか仮面マスクを捕まえられない。
「哀牙さん! 仮面マスクを捕まえてください……!」
仮面マスクと対峙する哀牙さんの背中に向かって叫んだ後、私は意識を手放した。
***
「ハッ!! 仮面マスクは!?」
パチッと目を覚まし、勢いよく身体を起こす。が、額がゴツンと何かにぶつかった。イタタと擦りながら目をやると、同じように額をさする哀牙さんが居た。どうやら私が眠ってしまった後、哀牙さんが介抱してくれていたらしい。それにしても、顔、近すぎませんでしたか。
「ご、ごめんなさい哀牙さん……仮面マスクはどうなりました?」
「クッ……この哀牙、初戦は彼奴にハナを持たせてやる事にしたのです!」
ハナってどっちの"ハナ"だろう。いや今はその疑問は置いておこう。
周りを見回すと倒れていた警備員たちも続々と起き上がり、頭を押さえて呻いたり悔しそうにしている。だが毒島社長はまだグッスリ寝ているようだ。
「彼奴は全員を眠らせて宝石を盗んだ後、窓から空中浮遊をして颯爽と逃げ帰ったのです。卑怯なり、怪人☆仮面マスク!」
「私が寝てしまった後にそんな事が……」
宝冠が入っていたはずのガラスケースには緑色のカードが刺さっていた。「怪人見参」の文字と仮面マスクの模様が描かれている。
せっかく仮面マスクと対峙したのに、手も足も出なかった。悔しさがこみ上げてきて、私は強く決意した。
「……このような敗北は認められません。次は絶対に捕まえてみせます!」
「何とも心強いお言葉ですが、自分を犠牲にするような真似はお止めくだされ。まずはご自身を第一に……」
「でも哀牙さん!」
「名前殿が身を挺して我を優先してくれたのは実に有り難い。んがッしかし! 守る側はいつ何時も我でありたい」
「わ、私だって哀牙さんを守りたいです!」
咄嗟に出た言葉に、哀牙さんが目を見開いた。
わ、私……今とんでもないこと言っちゃった気がする。でも、これが本心だ。
哀牙さんはどんな時も私を優先して守ってくれるけど、私は一人じゃ何も出来ないお姫様なんかじゃない。哀牙さんの役に立ちたい。隣で一緒に戦いたいんだ。
また諌められると思ったが、しかし哀牙さんは嬉しそうに笑って「流石我が見込んだ女性だ」と言った。
「仮面マスクめ、待っておるが良い! この哀牙と名前殿が、次こそは貴様の首根っこを捕まえて捻り上げましょうぞ!」
哀牙さんのみなぎる決意が展示場に響き渡る。
どうやら哀牙さんは全然へこたれていないどころか、好敵手に出会えてワクワクしているようだ。そのみなぎるやる気に感化されて、私も仮面マスクと早く対決したいとウズウズしてしまう。
哀牙さん、私達ならきっと捕まえられますよ。だって哀牙さんは、世界で一番の名探偵ですから。
(20220211)
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Smotherd mate