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※ストーカー注意報
ある日の昼休み。
同僚が休みだったので、一人寂しくランチをするべく休憩所へお弁当を持って行った。自販機で紙パックの飲み物を買い、空いている席が無く困っていると、男性が一人でテーブル席に座っているのを発見した。
「こんにちは、警護課の方ですか?」
スーツは社内共通だが、グリーンのシャツは警護課のものだ。長身で体格も良い上に、決め手はスーツの襟に付いているボディガードのバッジだった。
自分が声を掛けられた事に気付かなかったのか、数秒後に私に顔を向けると、その男性はとても驚いた顔をしてこちらを見つめた。私の顔に何かついているのだろうか、それとも声を掛けたのがまずかったのだろうか。
だが心配したのも束の間、すぐにまた無愛想な表情に戻り名前を教えてくれた。
「ああ。俺は警護課の内藤。アンタは?」
「私は総務事務課の苗字です。おひとりですか?」
「そうだが、何か用かい?」
「ええ、友達が休んでしまって。良かったら一緒にお昼しませんか? 警護課の話、聞いてみたいです」
「ああ、良いぜ」
内藤さんは二つ返事で快諾してくれたので、私はお礼を言って向かい側の席に腰を掛けた。
お昼を食べながら話を聞くと、警護課は私が思っているよりもそこまでハードな職場ではなく、命懸けでも無いらしい。彼は課の中ではナンバー2で、かなりの実力を持っているが今の地位に満足していないらしく、いずれナンバー1になるんだと誇らしげに言った。
総務事務課は特に面白い話もない。至って普通の事務仕事だ。なので自分が今までドジをした話を少し誇張して話した。最初の頃は言葉をよく噛んだり、電話対応もままならなくて、あまつさえ間違い電話をしてしまったり。そんな下らない話を内藤さんは相槌を打って楽しそうに聞いてくれた。
「もし良けりゃあ連絡先でも交換しねえか?」
「はい、ぜひ」
すっかり気が合った私達はすぐに連絡先を交換した。その後、昼休み終了のチャイムが丁度鳴ったので、軽く挨拶をして休憩所を離れた。
見た目は怖そうだけど、話せば意外と優しい人だった。今まで警護課の人と話したことなんてなかったから新鮮だ。連絡先も交換しちゃったし、これからもっと仲良くなれるかもしれない。
夜、帰宅したら内藤さんから一通のメールが来ていた。『これからもよろしく』といった内容だったので、私も『今日はありがとうございました。宜しくお願いします』と返信をした。
翌日は同僚も出社をしてきたので二人でランチへ行く事にした。外へ出る時に休憩所に目をやると内藤さんが1人でテーブル席に座っていた。しかしこちらに気付くことは無かった。もしかしたら、彼はいつもそこでお昼を過ごしているのかもしれない。もし機会があったら、友達も交えて三人でお昼を食べるのもいいかも、なんて勝手に思い付いてしまう。
夜にはまた、内藤さんからメールが来ていた。『今日は同僚が来たみたいだな、良かったな』という内容だったので、なんだ気付いていたのかと思いつつも、何となく申し訳ない気持ちになった。やはり、あの時一言でも声を掛けておけば良かったかもしれない。
それからも結局、内藤さんと話せない日が続いた。けど内藤さんからは、毎晩のようにメールが届いた。一通ずつの小さなやり取りだったけれど、確実に距離は縮まっていった。少なくとも私はそう思っていた。
しかし、ある時パタリとメールが来なくなった。私からも特に用件はないので送ることは無かった。同じ会社だから、話そうと思えば話せるし、内藤さんもきっと飽きたのだろう。
そうしてメールが来なくなってから一ヶ月。その間も私は内藤さんに話しかけることはなく、少しずつ疎遠になっていった。
二ヶ月後。
私の帰宅と同時に携帯が鳴った。確認すると、知らないアドレスからのメールだった。
メール画面を開いた私は、たった一文に驚いて目を見開いた。
『おかえり』
「えっ…?」
まさに今、私が帰った事を知っているようなシンプルな一言だった。一瞬ドキッとしたけれど、きっと何かの間違いメールだろう。私は気にしないようにしようと携帯を閉じて、仕事終わりの自由な時間をのんびり過ごすことにした。
翌朝、目を覚ましてゆっくりと伸びをする。顔を洗おうと体を起こしてベッドから足を出した瞬間――携帯が鳴った。
こんな朝早くに一体誰からだろう。携帯を開くと昨夜と同じアドレスからのメール。
『おはよう』
「――ッ!」
ドクン、と私の心臓が大きく脈を打った。昨夜のメールが頭に蘇る。いや、そんな、そんなはずはない。
私はぐるりと部屋の中を見回すが、一人暮らしなのでもちろん他に誰も居るはずがない。カーテンを開けて外を見ても住宅街の道路がそこにあるのみで、人は居ない。緊張しながら玄関先へ歩いて行く。ドアの覗き穴から外を見るが、何もない。
ドアの取手に手を掛けて、一度深呼吸をする。意を決して、勢い良くドアを開けた。
「ッ!!」
バサバサバサ、と鳥が空へ羽ばたいていった。一歩外へ出て、アパートの通路を端から端まで確認するが誰も居なかった。
やっぱり気のせいだ。きっとこれも間違いメールだ。そう思う事にして、私は出勤準備をした。
しかしそれは間違いメールなどではなく、私に向けられたメールなのだと、一週間続いてからようやく確信した。
メールが届くようになってから、視線も感じるようになった。私は誰かに狙われている。私の知らない場所で常に見られているのだ。私が気を張り過ぎているだけなのかもしれない、過敏になりすぎなのかもしれない、本当にそうならどれだけ良かったか。
けれどこの一週間、帰宅すれば『おかえり』、寝るときに『おやすみ』、起きたら『おはよう』と必ずメールが届く。まるで、どこかで見ているんじゃないかと思うくらいピッタリのタイミングで。
「名前」
「ひっ!」
突然、後ろから肩を叩かれて驚いた私は、持っていたカップをデスクにゴトンと落とした。中に入っていたお茶がこぼれて次々と書類を濡らしていく。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
肩を叩いた張本人である同僚が、私のあまりの狼狽ぶりに心配の声を上げた。私よりも素早くティッシュを取り、濡れた書類と零したお茶を拭いてくれる。
「ご、ごめん……」
「なんか顔色悪いよ? ちゃんと寝てる?」
優しい声色で心配をしてくれる友達に、胸がキュッと締め付けられる。出来れば相談したい。けれど、余計な心配をかけたくない。実害が出ているわけではない。ただメールが送られてくるだけだ。そう自分に言い聞かせて、喉まで出かけた言葉を飲み込み、笑顔で取り繕った。
「ちょっとボーッとしてただけ。ありがとう」
弱気になったら負けだ。何か対策をしなければ。アドレス変更は少し面倒だ。であれば、フィルターに掛けてしまえばいい。私は携帯のメール設定を開き、英数字の羅列で作られたメールアドレスを受信拒否にした。
気休め程度かもしれないけれど、それだけでも午後の仕事は少し捗った。今日はきっと大丈夫、そんな気がする。
仕事を終えた私は、しかしやはり家に入るのが怖くて、ドアを恐る恐る開いた。玄関に入るが、いつもの様に、直後に携帯は鳴らない。良かった……と安心したのも束の間。
――携帯が、鳴った。
「嘘……」
メールを受信した音が玄関に響く。
私はすぐにドアの鍵とチェーンロックを掛けた。靴を脱ぎ捨てて部屋の奥へ進み、携帯電話を取り出して鞄をベッドに放り投げた。
受信したメールを確認すると、以前とは少し異なる英数字のアドレス。
『おかえり、名前』
いつもの一文に付け加えられた、私の名前。それを見て血の気が引くのを感じた。
……だ、大丈夫。このアドレスもすぐに、受信拒否に設定すればいいんだ。すぐにその設定をすると、受信拒否リストに二つのアドレスが載った。
けれども私の対処も虚しく、翌朝また別のアドレスから『おはよう』とメールが届いた。よく見ると、アドレスのアットマークの後ろは見たことのないドメイン。すぐにそれを調べると、無料のメールサービスという事がわかった。
いくつもの気持ちが悪いメールを私に送り続けてくる犯人は、きっとこのサービスを使って複数のアドレスを作っているのだろう。一応、今しがた届いたメールのアドレスも受信拒否にしたが……きっと無意味だ。
それから、新しいアドレスからメールが届いては受信拒否にしては、また別のアドレスからメールが届くようになった。
メールの内容は、私の処置に対抗するかのように、少しずつ具体的なものになっていった。
『今日は帰りが遅いね』
『ストッキングが伝染していたよ』
『制服の胸元はもう少し閉めたほうが良い』
『寄り道はあまりするな、危ない』
『その髪留め、似合ってるね』
『今日は溜息が多いね、早く休みなよ』
……まるで本当にすぐそばで見ていて、かつ自分の存在をアピールしているような文章だった。
激しい生理的嫌悪感を、感じた。
だが、犯人の挑発はそれだけでは終わらなかった。私の食べたもの、私の行った場所、私の買ったもの。私の会社、私の上司、私の同僚。その名称も中身も全てを把握しているかのように、メールにはその内容が綴られていた。
もう、無理だ。駄目だ。気持ち悪くて仕方がない。吐き気がする。いつどこで見られているのかわからない。怖い。家に居ても仕事中でも気が気でならない。次第に頭の中は、メールの差出人の事でいっぱいになっていった。
警察に相談するといっても、ストーカーは実際に事件にならないと動いてくれないとはよく聞く話だ。友達に打ち明けようかとも思ったが、もし彼女が今度は被害を被ることになったらと思うと、どうしても踏み止まってしまう。
駄目だ、駄目だ、駄目。弱気になったら、負けだ。
メールアドレスを変更して、信用できる人だけに送ろう。
自分で出来る範囲の事は自分でやらなければ。
仕事がようやく終わった頃には、すっかり日が暮れていた。友達は彼氏とデートだと、はりきって定時で帰ってしまった。私も身支度を整えて足早に家路へと向かう。
最寄り駅で降りると急に明かりが減って、辺りに人影は少なくなり、急に心細い気持ちになった。しばらく真っ直ぐ歩いて角を曲がった時、私の物ではない足音が微かに聞こえた。
「!?」
即座に振り返るが、誰も居ない。周辺は静まり返り、電柱の明かりは点滅を繰り返し、何だか心許なく感じる。
私は立ち止まって、深く呼吸をする。決心し、鞄を強く握りしめて一気に走り出した。
コッコッコッコ、と速い自分の足音が閑静な住宅街に響く。
コッコッコッ、カツッ、コッコッ、カツッ。自分の足音の中に、少しズレて別の足音も聞こえた。
――私の後を付いて来ている……!?
さっきまで私の足音に被さるように歩いていたのに、今は私を見失わないように、けれど一定の距離を保って確実に私を追ってきている。
――怖い、嫌だッ! 誰か助けてッ!
走りながら携帯電話を取り出して友達に掛けるが、一向に出てくれない。心の中で友達に悪態を付きながら、別の人に電話を掛けようと電話帳を開く。
けれど頭の中が真っ白で、誰に掛けたらいいのかわからず適当に通話ボタンを押した。誰でもいい、お願いだから誰か、出て!
『――もしもし?』
「あっ、あの、助けてください! 追われているんです!」
『苗字か!? どうした、何があった!?』
この男性の声は――内藤さんだ。彼なら自分の会社の警護課の人だから、幾分か頼りになるかもしれない。涙声になりながらも、縋るような思いで内藤さんに助けを求める。
「今、仕事帰りなんですが、誰かに追いかけられていて……!」
『大丈夫か!? 今何処にいる?』
「も、もうすぐ家に着きます!」
バクバクと暴れる心臓を押さえながら、必死に家へ向かって走り続ける。犯人の顔を見る余裕なんてない。逃げ切ることで精一杯だ。内藤さんが心配して声を掛けてくれるが、あまり頭の中に入ってこない。
『今からそっちに行ってやろうか?』
「だ、大丈夫です……! 今、着きました!」
アパートの階段を勢い良く駆け上がり、携帯電話を首の間で支え、急いで鍵を差し込んでドアを開ける。鍵とチェーンロックはしっかり閉めて、大きな溜息を吐きながらドアにもたれかかった。
「ハァッ……ハァッ……!」
『苗字、どうなった?』
電話口で心配している内藤さんに、私は荒い呼吸を整えながら現在の状況を報告した。
「もう、家に着きました……! 鍵も掛けました、多分、大丈夫です……!」
『そうか、安心したぜ。窓の戸締まりも忘れんなよ』
「はい……突然すみませんでした……」
お礼を言って、電話を切った。
その直後に携帯が――――鳴った。
今さっきまで私を追いかけていたが、逃げられてしまったからメールを送ったのか。
そして私がメールアドレスの変更を教えたのはごく少数。実家の家族、会社の上司、同僚、友達……。
何がどうなっているのか、頭の中がぐちゃぐちゃで考えが上手くまとまらない。
「もう嫌だ……」
私は届いたメールの中身も見ずに、その晩は放置することにした。
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Smotherd mate