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翌朝、起床と同時に携帯が鳴った。差出人も内容も分かり切っているが、私はメールを開いた。書かれているのはいつもの朝の挨拶と、私の着ているパジャマの色。カーテンの柄。
そして――
『昨夜は楽しかったね』
「ふふ……」
あれだけ私は必死に、逃げることで精一杯だったのに。犯人は……コイツは、私が怯えているのを楽しんでいる。ああ、追い込まれすぎて頭がどうにかなりそうだ。携帯の電源を落としておけば良かった。そんな事さえ思いつかないくらいに、私は疲弊仕切っていた。
誰が、どこから、何を見ているのか。どうして私がこんな目に合わなければいけないんだろうか。
私はすでに限界を迎えていた。
昼休み、休憩所へ向かうと内藤さんがいつも通り一人でテーブル席に座っていた。テーブルには内藤さんの物だと思われるチェック柄の携帯電話が置いてあった。彼はネクタイもチェック柄だから、きっとチェックが好きなのだろう。
「こんにちは内藤さん」
「おう、苗字か。昨日は大丈夫だったか?」
内藤さんはフッと笑って、安心するような優しい笑顔を向けてくれた。朝の嫌な気持ちがすっと晴れていくような気がした。
「はい。本当にありがとうございました」
「しかし、何だってまた、追いかけられたりなんかしてたんだよ」
「それは……その……」
少し口ごもる。
けれど内藤さんは警護課であるし、何か良い対処法を教えてくれるかもしれない。
私はこれまでに、知らないアドレスからメールが届いた事やその内容を、かいつまんで説明した。
すると彼は険しい顔をして言った。
「そりゃタダ事じゃねえな……。また何かあったらすぐ連絡しろよ。俺だって伊達に警護課じゃねえからな」
「……もしかしたら、お願いするかもしれません」
「ああ、任せとけ」
得意気に話す内藤さんとの会話を終えて、私は再びオフィスへ戻った。席に着くと同時にメールが届いたので、内藤さんだと思って開いたが――いつもの知らないアドレス。
『あの男に頼ったら殺す』
「――――ッ!!」
一瞬、心臓が止まった。
『あの男』とは内藤さんの事に違いない。……先程の会話を聞かれていた? どこかで見られていた? もしくは盗聴されていたのかもしれない。いや、もっと単純に……犯人は、会社にいると考えても良いのかもしれない。けど、"殺す"なんて……。その対象が私なのか内藤さんなのかはわからないが、シンプルな脅迫が、私を得体のしれない恐怖のどん底へ突き落とした。
「苗字!」
仕事を終えて、会社のロビーを出た途端に名前を呼ばれた。ビクッと体を揺らして咄嗟に身構えると、声を掛けてきた相手が鼻で笑った。
「おいおい、ビビり過ぎだろ」
「なっ……内藤さん?」
私は見慣れた相手だとわかって、身構えた腕をゆっくりと下ろす。
「俺も今から帰るとこだ。送って行くぜ」
「……お気持ちはありがたいですが、内藤さんに迷惑です……」
「んな遠い距離じゃねえんだろ? 気にすんな」
ニッと内藤さんが笑う。確かに、ボディガードの彼が一緒に居てくれれば心強いことは確かだが……。心に引っかかるのは、昼休みに届いたメール。犯人は私か内藤さんを殺すと言った。ここで私が内藤さんに頼ったら、彼は――
「大丈夫です! ……ごめんなさい」
私は内藤さんに一礼して駅へと歩き出すが、内藤さんは「待てよ」と私の後ろを付いてくる。こうしている間にも、携帯は鳴り続けている。きっとまた知らないアドレスからのメールだ。通知音がまるで『その男に近付くな』と警告しているようにも聞こえる。
「俺はアンタを心配して言ってるんだ。理由ぐらい話してくれ」
「駄目なんです……!」
このままでは本当に内藤さんは家まで付いて来てしまう。仕方なく私は足を止めて、誰にも聞こえないように小さな声で恐る恐る呟いた。
「内藤さんが、殺されちゃうから」
その言葉が内藤さんにも届いたのか、私の頭にポンと手を置いた。大きな手のひらで優しく私の頭を撫でてくれる。人との些細な触れ合いが、私の冷たく凍った心を溶かすように感じて、少しだけ目の前が滲んだ。
「俺は死なねえし、もちろんアンタも死なねえよ。安心して俺を信じろ」
内藤さんはいつも私が欲しい言葉をくれる。一人で悩む必要なんかないって、そう教えてくれる。
本当は心細くて仕方なかった。助けを求める相手が欲しかった。そこまでの言葉を私に掛けてくれる内藤さんを、私は信じたい。
鞄から携帯電話を取り出し、内藤さんはそれに目を向けた。そして私は彼の目の前で電源を落とした。画面は真っ暗になり、これでメールが来ても電話が来ても私が気付くことはない。私なりの意思表示だった。
内藤さんと一緒に歩く帰り道は何だか安心した。
いつもはびくびくしながら歩いていたけれど、今日は違う。内藤さんと他愛無い話をしていると、私も少し気持ちが楽になった。
結果、何事も無くアパートの前へ到着し、内藤さんに笑顔でお礼を告げる。
「ここで大丈夫です。本当に、ありがとうございました」
「いや、ちゃんと家ん中に入るまで送らねえと心配だ」
「だ、大丈夫ですよっ……」
しかし内藤さんは私の言葉は全く聞かず、強引に玄関先まで付いてきた。流石ボディガードだけあって万全だ。
せっかく家まで送り届けてくれたのにそのまま帰すのも申し訳なく思ったので、お茶でもどうですか、と誘ったら彼は快く返事をした。
「どうぞ、あまり綺麗じゃありませんが……」
「邪魔するぜ」
私はドアを開け、パンプスを脱いで部屋に上がる。けれど内藤さんはドアの前から動かない。
「どうしたんですか?」
返事は無かった。不思議に思いつつも、そうだ、いつもの様に鍵を掛けなければ、と内藤さんの向こう側のドアに目をやると、すでに鍵は閉まっていてチェーンロックも掛かっていた。
内藤さんが掛けたのだろうか、聞いてみても返事はなく、彼はただ黒い眼で私を見下ろしていた。まるで生気を感じられない真っ黒な瞳に、思わず私はぞわりと鳥肌が立った。
「内藤さん……?」
声を掛けると、内藤さんは右手で顔の上部を掴むように覆い、口角をぐにゃりと上げて笑った。くっくっく、と笑う度に肩が揺れる。目の前の人物は、本当に私が知っている内藤さんなのだろうかと疑うほどに、今までの彼とはまるで別人のようで、恐怖を感じる。
「名前、」
静かな声で、私の名前を呼んだ。
「 お か え り 」
その一言に、頭が真っ白になった。
内藤さんは靴も脱がずに大股で私に近づいて来る。それに合わせて後ずさるが、次第に壁に行き当たってしまった。逃げ場がない。すぐ目の前には内藤さんが居る。
もし全く見知らぬ人だったら私は即座に悲鳴を上げて相手を傷付けてでも逃げ出していただろう。だがそれが親しい相手だった場合……戸惑い、現実を疑い、思考停止を余儀なくされる。
「そんな、まさか、内藤さんが犯人……?」
「人聞きの悪い事を言わないでくれよ。部屋に招いてくれるってことはそういう事だろ? 俺を認めてくれるんだろう?」
内藤さんの大きな手がピッタリと私の口元を塞いできて、そのまま頭部を壁に固定される。やっと、自分は今、危険に晒されているのだと理解をした。声を出そうにも出せず、鼻でしか呼吸が出来なくて少し苦しい。その腕をどかそうと掴んでも、力が強すぎて全く敵わない。
息がかかりそうなくらい内藤さんの顔が近付く。狂気を孕んだ彼の笑顔がとても不気味で、心が粟立つのを感じた。
「愛してる名前。これからはずっと一緒だぞ?」
内藤さんは空いている方の手でネクタイをシュルリと解くと、それで私の口を縛って塞ぎ直した。言葉にならない声で必死に呻いていると、内藤さんは私の喉元にぴとりと指先を当て、「静かに」とだけ言ってすぐに指を離す。だが私を黙らせるには十分だった。
それでも何とか抵抗するべく彼を押しのけようと腕を伸ばすが、その腕の自由も奪われ、今度は体を回転させられて、壁と向き合う形にされる。
後ろ手に押さえつけられながら、耳元で囁いてくる内藤さんの声に背筋がゾクゾクした。
「怖いのか? 大丈夫だ、優しくするから。大事に大事に、名前を扱う。骨の髄まで愛してやるよ」
壁と向かい合わせにされているせいで、背後にいる内藤さんの姿が見えず、私はただ未知の恐怖に震える事しか出来なかった。これ以上逆らえば本当に自分の命が無くなるかもしれないと思うと、震える足で自分の体重を支えるのがやっとだった。
内藤さんは私の腰に手を付いてゆっくりと撫で下ろし、スカートの中に手を突っ込んで捲り上げた。驚いて、ヒッと小さな悲鳴を漏らすと、そのままストッキングに手をかけて一気にずり下ろされる。足を上げるように促され、僅かに抵抗するも無理やり脱がされてしまう。脱がしたストッキングで私は後ろ手に縛られて、何ともいえない羞恥心と屈辱で心がいっぱいになった。
ぐい、と私を抱き寄せ、背中と膝裏に腕を回して横抱きにされ、ベッドまで運ばれる。乱暴に降ろされて、衝撃に耐えるようにギュッと目を瞑った。何かが伸し掛かったのを感じ、怖がりながら目を開けると、内藤さんが私に覆い被さっていた。
彼が私の耳元で、恍惚のため息混じりに囁く。
「名前だけが俺に優しくしてくれた。名前が居なければ俺はいつまでも独りだった。名前が俺を救ってくれたんだ。あの日からずっと、ずーっと、名前、お前だけを見ていた。ああ名前、名前、名前、名前名前、名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前
妄愛パラノイア
(20120119 修正20160909)
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Smotherd mate