※原作沿いですがラストが異なります
※オリジナルキャラが登場します
※浪士郎さんの過去を捏造しています
一話
私はこしらえた握り飯を竹の皮に収めて丸め、さらに小さな風呂敷で包む。
準備を終え、いざ台所から出発。目的地は彼の元。逸る鼓動を押さえながら足を進めると、そう遠くない距離にある目的の建物が見えてきた。
……あ、居た! 見つけた!
私が探していた人物は、入り口の所に座って刀を手入れしていた。
「浪士郎さんおはようございます、精が出ますね」
「……名前か。やはり来たな」
「今日は浪士郎さんが来ると聞いていたので」
私と浪士郎さんが居る場所は、藩主である父の屋敷内にある道場。
1年前、父は浪士郎さんの剣の腕前を見込んで召し抱える事を決めた。それから浪士郎さんは侍屋敷に住み、交代制で苗字家に来てくれたり、皆に剣術を教えている。
「これ差し入れです。塩たっぷりのおむすび!」
「いつも悪いな。しかしお前さん、他にやることねえのか? 若い娘なら別の楽しみもあるだろうに」
苦笑しながら風呂敷と水筒を受け取っておむすびを食べ始める。そんな事を言いながらちゃんと食べてくれるんだから。顔は怖いけどやっぱり優しい。
「美味しいですか?」
「ああ。少し塩がキツイな。鍛錬後に食えば丁度良かったが」
「そっか。次は気を付けます」
もう何度も浪士郎さんには差し入れをしているのに未だに失敗は絶えない。それでも浪士郎さんはいつも全部平らげてくれる。
「あ、口元に付いてますよ」
浪士郎さんの口元にくっついてる米粒を取って、そのままぱくり。怪訝な顔をしていた浪士郎さんは事の流れに気付くと照れ臭そうに口を開いた。
「お前なあ……」
「何ですか?」
ニコニコと笑顔で返す。浪士郎さんが呆れる理由はわかっている。端から見てもバレバレだろうし、浪士郎さん本人もとっくに気付いているに違いない。でもお互いそれを口にはしない。
今はただこんな日がずっと続いて欲しい。それ以上のものは望まない、ただ浪士郎さんの隣に居たい。
剣術の鍛錬が始まり、私は扉のそばに座ってそれを眺める。真剣に刀を振るう浪士郎さんがとても格好良くて、体の内に熱が溜まるのを感じた。嬉しいはずなのに胸が苦しい。矛盾する心と体の反応には相変わらず慣れない。
次は組手に変わり、浪士郎さんと1人の侍が対峙する。浪士郎さんの太刀はとても長いので、木刀も同じく長いものを使っている。けれどその長さは不格好という言葉とは程遠く、むしろ浪士郎さんの佇まいの良さを引き立ててくれる。
浪士郎さんの一閃が相手から一本取る。素人目で見ても浪士郎さんは群を抜いた強さだ。
もし私が悪漢に囲まれたら、浪士郎さんはあの太刀さばきで助けてくれるのかな。そして、『全く、お前は俺が付いてねえと駄目だな』とか言われて、私と浪士郎さんは……って、私は何を……!
「なに1人で百面相してんだ」
「はヒィッ!」
急に声を掛けられて素っ頓狂な声を上げた。視線を上に向けると浪士郎さんが私を見下ろしていた。
「な、何でもありません!」
「お前を見ていると飽きんな。その辺の歌舞伎より面白い」
「どういう意味ですか! 失礼ですね!」
拳を振り上げて抗議するが、全く悪気がない様子でくっくと笑う。もしかして私、子供扱いされてる? 歳はそこまで離れていないのに心外だ。
「まあとにかく。見るのは構わねえが、怪我だけはするなよ」
「はーい」
頬を膨らませながら返事をすると、浪士郎さんは訓練に戻って行った。
父には「いい加減嫁ぎ先を決めろ」と口うるさく言われるが、どうにもそういう気になれない。けど浪士郎さんに出会ってようやく私は身を固める決意をし始めた。が、当の本人は私をじゃれてくる子犬程度にしか思っていないのだろう。うう。辛い。
午前の鍛錬を終えると、午後は来客が来るという父上の言葉に従い、私は部屋で待機させられた。
部屋でジッとしていてもつまらない。抜け出して浪士郎さんに会いに行きたいけど、今は父上のお供をしてるから連れ戻されるに決まってる。
バレないように陰から覗く程度なら大丈夫かな。ついでに来客の顔も見てみよう。
庭に出て来客用の茶室へ向かう。窓が開いていたので、気付かれないように植え込みに身を隠す。目を凝らして室内を確認すると、父と、父の少し後ろに正座している浪士郎さんの姿が見えた。来客の方は歳若い男性と、その父らしき男性の2名。屋敷で何度か見かけたことがある。確か釜瀬さん、とか言う方だったような。それなりの家柄で、父同士も草鞋を脱ぐ仲だ。ご子息の方も、何度か浪士郎さんに剣術を受けていた。
「それでは、名前さんは釜瀬家に嫁いで下さるという事で宜しいかな?」
「うむ。ふつつかな娘だがよろしく頼む!」
……は!? 今なんて言った? 聞き間違いでなければ、『嫁ぐ』とかいう単語が聞こえた気がする。まさかあの親父、私の嫁ぎ先を勝手に決めたな! 誰が言うことを聞くもんですか!
家出だ。家出しよう。浪士郎さんと駆け落ちを……でも浪士郎さん、黙って話を聞いていた。やっぱり私のただの片想いで、浪士郎さんは私の事なんてなんとも思っていなかったんだ。
……何でこんなに、胸が締め付けられるように痛いんだろう。秘めた気持ちを打ち明けられずに終わらせるなんて、悲しくて泣きそうなのに、涙は一粒も出ない。
私は無気力なまま頭を垂らしながら、とぼとぼと自室へ戻った。
複数人の足音が廊下から聞こえてくる。それは私の部屋の前で止まると同時に、襖の向こうから声を掛けられた。父上だ。
「名前、お前に会いたいという方がいらっしゃってる。出て来い」
「すみません父上。今は気分が優れませんので、どうかお引き取り願って下さい」
「何を言っとる。良いから出てこんか」
私の言葉も聞かず不躾に襖を開く父上。
こ、この親父は……! 全く、複雑な乙女心も考えて欲しい。
廊下に立っていたのは父上と、釜瀬家父子の3人。そこに浪士郎さんの姿は無かった。あえて席を外したのだろう。その気遣いがまた私を苦しめるというのに。
「こちらは釜瀬 犬三郎(かませ けんざぶろう)殿。お前の婿殿になる御方だ! 良かったな〜」
「何故勝手に決めるのですか。私は……っ」
「名前。犬三郎殿は願ってもいないお方だぞ」
確かに願っていない。だから結構です……なんて本人を前にして言えるわけもない。私は口をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せながらこの場をやり過ごそうと試みる。
ツンとした態度で、機械的にハイと返事をする。犬三郎さんは隣に立つ父上殿に、迷惑だろうからそろそろ帰りましょう、と提案していた。
「ハッハッハ、犬三郎殿の男前っぷりに照れているのだ! お気になさらず!」
「本日は名前さんの顔を見ることが出来て良かったです。明日また参ります。具合が良くなっている事を祈ります」
どう見たって仮病なのに、そう言われると少し申し訳なくなる。父上は犬三郎さん達をお見送りしろと五月蝿いので、一緒に門の前まで付いて行った。
犬三郎さん達の姿が見えなくなった後、すかさず私は父上に異議を申し立てる。
「父上、これは一体何なのですか! 私は何も聞いていませんよ!?」
「良いではないか、釜瀬家は申し分ない家柄だ」
「私の気も知らないで……どうして今まで見合いを断ってきたか、父上だって……」
「これも苗字家の為だ。どこの馬の骨とも知れん奴にお前を譲るわけにはいかん」
馬の骨とは浪士郎さんの事だろう。剣術であれだけ世話になっているくせに酷い言い草だ。
「父上の痴れ者っ!」
父上に罵倒を投げ飛ばしてその場から脱兎した。今は浪士郎さんに会いたい。彼を探さなければ。
「コ、コラ! 親に向かって何という――」
背後で父が何か言っていたが、私は振り向くこと無く屋敷内を走り回った。
浪士郎さんを探し回ってあちこち探すがどこにも見当たらない。もう帰ってしまったのだろうか。近くに居た侍方に聞いてみる。
「浪士郎なら本日は侍屋敷に戻りました」
「そうですか……」
「声を掛けたのですが、気付かずに行ってしまいました。何か考え事をしていたみたいです」
考え事とは、もしかして私の事だろうか。自意識過剰かもしれないけど、もしそうなら少し嬉しい。しかしこの嬉しさはなんとも皮肉めいている。
浪士郎さんは明日も来るはずなので、今日のところは一旦心を落ち着かせて、明日話す内容を整理しよう。
翌日。
私は早朝から屋敷の門前で、浪士郎さんが来るのを待っていた。
考えはやっぱりまとまらなかった。でも伝えたいことはただ1つ。それと浪士郎さんの気持ちが知りたい。このまま浪士郎さんとの積み重ねた思い出がただの記憶になるのは嫌だ。
憂鬱な気持ちで溢れていると目当ての人物がやって来た。浪士郎さんは私の姿に気付くと何故か鼻で笑った。酷い。でもそんないつもと変わらない態度に安心する。
「おはようございます、浪士郎さん」
「おう、わざわざ出迎えてくれたのか」
2人で屋敷内に入り、少し人気のない場所で内緒話のように小言で話を始める。
「出迎えはありがたいが、今後はあまりこういう事をするな」
浪士郎さんの突き放すような物言いにチクリと心が痛んだ。やっぱり浪士郎さんは私と距離を置こうとしてる。
「浪士郎さん。私、嫁がされちゃうんですよ……良いんですか?」
「釜瀬家と言や、ここらでも有数の商家だ。相手にとって不足なしだろう」
「不足しかありません! 浪士郎さんまでそんな事を言うんですか?」
家柄とか身分とか、そんなもので今後の人生が左右されるなんて馬鹿げてる。そんな古い因習にどうして私が振り回されなければいけないの。……我儘を言っているのはわかっている。でも、だったら私は藩主の娘として生まれたくなんかなかった。
「私は、周りから反対されたとしても好きな人の元へ嫁ぎたいんです」
訴えるように浪士郎さんをジッと見つめる。それなのに浪士郎さんは口をつぐんだままで、私と全く目を合わせてくれない。さっさと諦めろと言っているように見える。
「浪士郎さん、私はこんなにも貴方を――」
「いい加減黙れ。お前が不用意な事を口走れば、俺は明日のことも知れないんだ」
私の言葉を遮って浪士郎さんは冷たく言い放った。
そんな事を、言われると思わなかった。浪士郎さんならきっと、いつもみたいに笑って私の悩みごと受け入れてくれると思っていた。
浪士郎さんはすでに昨晩の内に決断したんだ。もう別の道を歩き始めようとしている。その道に、きっと私は居ない。
視界が滲んで、気付けば私の頬に一筋の涙が伝っていた。その後も続いてボロボロと涙が溢れてくる。辛くて、苦しくて、今にも胸が張り裂けそうだ。拭っても拭っても止まらない。
「名前さん、こんな所に居たんだね」
植え込みをかき分けながら、昨日ここへ来た人物、犬三郎さんがやって来た。泣いている私を見るやいなやギョッとして足早に近づいて来る。
「大丈夫かい? 何かあったのかい?」
「い、いえ、何でもありません。失礼します」
第三者の介入によって話は無理やり終点を迎え、私はその場から走り去った。もう今はきっと、何を言っても無駄なんだ。
***
「困りますね、私の許嫁を泣かせるのは」
「すまん」
名前が立ち去った後、犬三郎は浪士郎に向き直って責め立てる。浪士郎は顔色1つ変えずに平然と言葉だけの謝罪をした。
「いくら私の剣の先生とはいえ、名前さんを虐めるのは許しませんよ」
「アイツが泣いていた理由は聞かないのか?……いや、聞いていたんだろ」
沈黙。それは肯定と捉えて相違ない。事実、犬三郎は時機を見計らってここに登場したのだ。
犬三郎という存在がここまで表舞台に出てこなければ、名前はまだ幸せで居られた。
「フッ、悔しいんでしょう」
「……何?」
「アンタはいつもそうやってわれ関せずとしているが、本当は俺を斬りたくて仕方ないんだろう」
浪士郎の眼前にいる男の雰囲気が変わる。昨日名前の父親と対面した時とは全く異なり、高圧的で憎々しい態度に変貌した。
「俺はアンタに剣じゃ勝てないが、アンタは俺に身分では勝てない。だから身分を使ってアンタから大事な物を奪ってやるのさ」
「貴様……!」
「指くわえて見てな。名前が自分以外の男に抱かれて、アンタの事を忘れちまう瞬間をな!」
声高に笑いながら犬三郎は去って行った。
全ては藩主と名前に気に入られる為の演技だった。そして、その原因の一角には浪士郎が存在していた。
犬三郎の姿が見えなくなった後、浪士郎は1人悩んだ。このまま犬三郎と名前の祝言を許して良いのか。いや、良い訳がない。望まぬ婚姻をさせられ、好きでもない男に尽くさなければいけない名前を思うと余りに不憫で怒りを覚える。その怒りの矛先はあのいけ好かない男、釜瀬犬三郎、そしてあと一歩の所で勇気が出ない自分自身だ。
覚悟を決め、帯に差した太刀の柄を掴んで名前の部屋へ向かった。
襖の向こうから何やら言い争いのようなものが聞こえてくる。浪士郎の頭に嫌な予感がよぎり、声も掛けず乱暴に襖を開けた。
そこには犬三郎に無理やり組み敷かれ、着物を肌蹴させ、息を荒くしている名前の姿があった。
「何をしている、貴様!」
顔を歪めてぐしゃぐしゃに泣く名前の姿を見て浪士郎は頭に血が上り、太刀を抜いて峰の部分で犬三郎の後頭部を思い切り殴りつけた。
「ぐうッ! な、何をする……っ!」
犬三郎は呻きながら後頭部を押さえ、浪士郎を睨みつける。
「浪士郎さんっ!」
名前は泣き顔から笑顔を取り戻し、浪士郎の名を叫んだ。窮地にある自分を助けに来てくれた救世主にも思えた。
「クソッ! ふざけるなよ、後悔させてやる!」
「ッ!!」
犬三郎は声を荒げながら浪士郎へ向かった。浪士郎は素手の相手を斬るわけにもいかず反応が遅れる。犬三郎は、浪士郎が構えている太刀の刃を掴むとそのまま自分の腕を斬らせた。
「きゃああっ!」
「な、何をしてやがる……ッ」
犬三郎の腕から赤い血が滴り落ちる。浪士郎はわけがわからず困惑していると、犬三郎の反対側の拳が浪士郎の顔を殴りつけて、そのまま一緒に床に倒れ込んだ。
「誰か……誰か来てくれ! この侍が私を殺そうとしている!」
犬三郎は屋敷内に響くような声量で助けを求めた。騒ぎを聞きつけて次々と人がやってきては悲鳴を上げる。やがて、名前の父もそこに現れた。
「犬三郎殿!? ろ、浪士郎! これは一体!?」
「浪士郎という侍が、私と名前さんの仲を妬んでいきなり斬りかかって来たんです!」
犬三郎は浪士郎を貶める嘘を平然と吐く。それを信じない者はいない。周りに居る者達はその言葉を聞いて浪士郎を取り押さえた。
「待って、父上! そんなの嘘です! 浪士郎さんは私を助けてくれたのに!」
名前は慌てて否定するが、父は勿論、誰一人聞く耳を持たない。浪士郎は連れて行かれ、名前は女中達に押さえられてしまった。必死に腕を伸ばすが届かない。
「浪士郎さん!」
名前を呼ばれた浪士郎は一度だけ振り返り、名前と目を合わせた。だがすぐに前へ向き直って他の者に引っ張られる。そして廊下を曲がって姿が見えなくなった。
「嫌だ……こんなのって無いよ……」
名前は膝から崩れ落ち、目の前が真っ暗になった。
(20170120)
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Smotherd mate