二話
あの一件から、私は部屋から出る事を禁じられた。もうかれこれ5日は経っただろう。父上や犬三郎さんが様子を見に来る度に浪士郎さんについて尋ねた。けれどまともな返事は返ってこず、「アイツの事は忘れろ」の一点張り。……そんなの無理に決まってる。
「父上。浪士郎さんの事を教えてくれないなら私は祝言を挙げません。舌を噛んで死にます」
「……全く、お前という娘は……」
父上はほとほと困り果てた様子で大きな溜息を吐いた。浪士郎さんの話も聞かずに取り押さえるなんて許せない。私から真実を話しても信じてもらえない。嫌になるのはこっちだ。
「浪士郎には暇を出した。切腹でないだけ有難く思え。犬三郎殿のはからいだ」
「なっ……!? い、いつですか!? どうして勝手にそんな真似を!」
そんなの初耳だ。あれだけ浪士郎さんを気に入って、剣の腕も認めていたくせに。……じゃあ、もうこの屋敷に浪士郎さんが来ることは無い?
「もうあの男の事は忘れろ。折角未来の婿殿が居るんだ」
「父上は何もわかってない! 本当の事も、浪士郎さんの事も、私の気持ちも!」
「わかっていないのはお前だ! いい加減頭を冷やせ馬鹿娘!」
ピシャリと雷を落とし、父上は荒々しく襖を閉めた。怒られた事よりも何よりも、私は浪士郎さんにもう会えない悲しみの方が強かった。
暇を出したなんて酷すぎる。話も聞かず、一方的に浪士郎さんを悪人に仕立てて、責任を取らせたんだ。
浪士郎さんの話を聞いてから私は、父の目を盗んでは町へ繰り出して浪士郎さんの事を通りすがりの町人に尋ねた。どうやら浪士郎さんの件は町でも噂になっているようだ。
更に驚いた事に、浪士郎さんはこの町から出て行ってしまったという。
……もう何もかもが許せなかった。無実の人を寄ってたかって責めて、居場所を奪って。
そうして、私は決意を固めた。
私は浪士郎さんを探しに行く。そして今度こそ傍を離れない。こんなにも非道な仕打ちをした家と、苗字という苗字は捨ててしまえ。
今までずっと浪士郎さんに助けられてきた。次は私が浪士郎さんを助ける番だ。例え周りから反対されようとも、私は貴方と一緒に居られればそれで良い。
浪士郎さんの事だ、悲観して自害をするようなヤワな方ではない。太刀の強さは心の強さ。きっと私の知らない別の町で生きているはずだ。
「ごめんなさい、こんな事を頼んでしまって」
「良いんですよ。私は名前様のお気持ちを理解しております。どうか今度こそ必ず、恋い慕う方の元へ添い遂げられますように」
「ありがとう、おたつ」
今日は犬三郎さんとの祝言の日。今日という日まで私は随分と慎ましく振る舞ってきた。それも全て、この目出度き日をぶち壊す為。
昔から私の世話を焼いてくれた侍女――おたつに私の身代わりを頼んだ。彼女は密かに私と浪士郎さんの仲を応援してくれていた数少ない味方だ。こんな事をお願いするのは心苦しかったけど、おたつは「お任せ下さい」と笑顔で頷いてくれた。
「そう時間は稼げません。手早くお願い致します」
「大丈夫。絶対に抜け出してみせる。おたつ、今までありがとう」
私の代わりに、白無垢に身を包んだおたつが悲しそうに眉を寄せた。
「名前様、どうかお元気で居て下さい。無理はなさらず、いつでも戻って来て良いのですよ。ここはあなたの家なのですから」
「……ありがとう。じゃあ行ってくるね」
「はい、お気を付けて」
私は旅がしやすいよう軽装になり、脇差しも護身用に持った。一応、剣の心得はあるつもりだ。本当に無謀な賭けだと思う。もしかしたら途中で死ぬかもしれない。それでも、何もせずにこのまま生を終えるよりは遥かにマシだ。
おたつとの別れを済ませ、私は裏庭へ駆け出した。
警護の網をかいくぐり、屋敷から抜け出す事に成功。これまでに何度も抜け出しているんだからお手の物だ。今までと唯一違うのは、もう私はここへ戻らないという事。
足早に屋敷から離れて町外れへ向かう。今の私はどう見たって若い男の旅人だ、問題なし――と思っていると、後ろの方が何やら騒がしい。背中越しにちらりと確認すると……うわっ、まずい、屋敷の者達だ。いくら何でもバレるの早すぎ。
私の存在には気付いていないみたいだ、さっさと逃げよう。
町を出ていざ橋を渡ろうとした時、背後から声を掛けられた。
「お待ち下さい!」
声の感じからして若い。犬三郎さんでないのは確かなので、振り返ってみる。そこには私より幾分か幼い少年がいた。
「名前様ですよね?」
「……違う」
いきなり核心を突かれ、私は軽く冷や汗をかいた。まだ町から出られていないというのに、もう追手がここまで来たのか。しかも私の変装をいとも容易く見抜いて。
「隠さずとも大丈夫、僕は貴女のお味方です」
「……どういう事?」
思わぬ言葉につい、いつもの口調で返してしまった。けれどこの少年に嘘をついている様子はないので、ひとまず橋を渡ってひと目のつかない茂みで話を聞くことにした。
「僕は半助と言います。浪士郎さんの弟子で、あの人をとても尊敬していました」
半助と名乗った少年は、ぽつりぽつりと浪士郎さんの事を話し始める。
「剣の扱いが下手で弱い僕にも、浪士郎さんは諦めずに剣術を教えてくれました。そんな優しい人が誰かを斬るなんて信じられません」
半助くんは私と全く同じ考えを持っていた。この少年は心の底から浪士郎さんに憧れていたのだろう。
「名前様は浪士郎さんを探しに行くんですよね? お願いです、僕も連れて行って下さい!」
「ええっ!? でも君、家の人がなんて言うか……」
「僕は身寄りがなく、ずっと侍屋敷でお世話になってきました。血の繋がった家族は居ません」
……それは悪いことを聞いてしまった。
でも半助くんはそんな事をまったく気にせず、真っ直ぐに私を見つめて言った。
「皆だって浪士郎さんに刀を……いえ、剣術だけでなく色んな事も教わってきたのに、いざという時に藩主という身分に屈してしまった。そんな理不尽が許せないんです!」
半助くんは怒りに震え、その姿はまるで自分を見ているようだった。私以外の人が浪士郎さんの事を思ってくれている、あの仕打ちに対して怒りを覚えてくれていることが今の私には何よりも嬉しかった。今すぐ浪士郎さんに伝えたい。あなたは独りではない、ちゃんと味方が居るんだという事を。
「わかりました。あなたに私のお供を任せます」
「名前様! ありがたき幸せです!」
旅は道連れ世は情けとはよく言うものだ。まだ始まったばかりだけど。
それに、1人より2人の方がきっと楽しい。
「せめて、さん付けにしてくれる? どこで誰が聞いてるかわからないからね」
「わかりました、名前さん!」
「うん。よろしくね、半助くん」
半助くんは年の割にとても礼儀のなっている子だ。もし私に弟が居たらこんな感じかな。
かくして、私は小さなお供と共に浪士郎さんを探す旅に出たのだった。
しかし、その道は決して平坦ではなかった。
別の町へ到着して聞き込みをするも大した情報は得られない。やっと浪士郎さんらしき人の話が聞けたと思いすぐに追いかけるが、既にそこはもぬけの殻。仕方なく再度聞き込みを始める。
浪士郎さんは腕が立つので侍の間では割と話題になっていた。長身の男性で腕の立つ大太刀使い、そんな特徴を伝えればすぐに浪士郎さんの行き先を知ることが出来た。しかし、追いかけても追いかけても、浪士郎さんは既に一歩先へ進んでいたので追い付くことは叶わなかった。
そんな事を3度も4度も繰り返し、季節は春から夏へ移ろいゆく頃だった。
そして私達は、いよいよ日本橋までやって来た。家を出てからかれこれ4ヶ月は経っていただろう。
前の町で旅の商人から聞いた話によると、長身で長い太刀を持った浪人らしき男を日本橋付近で見かけたらしい。絶対に浪士郎さんだ。今度こそ会える、そんな確信があった。
「さて、宿を探さなきゃいけないなー……」
私はきょろきょろとあちこちを見回して宿屋を探す。しかしどこも既に一杯だ。さすが日本橋だ、日ノ本の中心なだけある。日本橋以外の所にも探しに行っていた半助くんが私を見つけ、走り寄ってきた。
「名前さん、宿が見つかりました!」
「本当!? どこにあったの?」
「日本橋に1軒、本所に1軒見つけました。どちらも1室しか空いていないので別々ですが……」
「本所まで行ってくれたの? ありがとう半助くん。大丈夫だよ!」
よくやってくれました、と半助くんの頭を撫でる。子供扱いされたのが気に入らなかったのか、半助くんは照れながら「そんなことより」と私の手をのけた。
半助くんが見つけた2軒の宿の内の1軒は日本橋にある『宇矢六屋』。質素だが寝泊まりに問題ないらしい。もう1軒は本所にある『咲野屋』。少し高いがそれなりに整っているという。
私は宇矢六屋で寝ると言ったが当然の如く断られてしまった。そんな事を出来るわけがない、と半助くんは私を引っ張り、ほぼ強制的に咲野屋に泊まることを決められてしまった。
仕方ない。半助くんの言う通り、ここは厚意に甘えることにしよう。
「では名前さん、また明日」
「うん、またね半助くん」
半助くんと別れて咲野屋へ入る。すでに支払いを済ませていたらしく、すぐに部屋へ案内された。
通されたのは『桃の間』。ここはどの部屋も花の名前が付いているという。値が張るだけあってお洒落だ。室内も部屋名通り、桃の花の掛け軸があった。天井も高くて一人部屋にしては随分と広い。これなら半助くんも一緒に寝れるかも。宿の女中さんに頼んでみようかな。
廊下へ出て、急ぎ足で角を曲がる。すると前方からの人影に気づかず、すれ違いざまに肩がぶつかってしまった。
「あっごめんなさ――って、ろ、浪士郎さん!?」
「ああ……お前、名前かッ!?」
もし姿形が変わってしまって、見てもわからなかったらどうしようと思うことはあった。けれど今私の目の前に居る浪士郎さんは紛れもなく、あの頃の面影が残ったままの彼だった。
突然の再会に驚いて訳が分からず、夢か物の怪の類かもしれないと自分の目を信じられなかったが、それでも逃がすまいと咄嗟に彼の着物を掴んだ。この着物も昔と変わらない。少し薄汚れてしまっているが、小豆のような暗い紫は浪士郎さんの色だ。
浪士郎さんは逃げようとせず、私の顔を神妙な面持ちでただ見つめている。その瞳の奥に携えた優しい宵闇は、今もまだ彼が彼である事を証明していた。
「立ち話もなんだ、付いて来な」
「良いんですか?」
「なんだ、ここで別れていいのか?」
「い、いえ! 行きます!」
歩き出す浪士郎さんの着物を掴んだままついて行く。どうやら浪士郎さんも咲野屋に宿を取っていたようだ。着いた先は『桜の間』という札が掛けられた部屋の前。
「おい、そろそろ離せ」
「あ、ごめんなさい」
浪士郎さんの部屋に入れてもらい、畳の上に向き合って座る。こうして見ると、浪士郎さんは前髪が随分と伸びた。無精髭も生えて、手入れを怠っているのか髪は乱れている。着物も少しくたびれて、まるで浪人のような風貌だ。けど、格好良いところは相変わらずだ。
お互いに話したいことは山ほどある。まず私は、何故自分が此処にいるのか、祝言はどうしたのか、そして半助くんという心強い味方が居ること、全てを話した。
浪士郎さんは時折驚いて目を見開いたり、小さく溜息を吐いたりしていた。私に会えたことがあまり嬉しそうに見えなくて、少し悲しくなった。けどやっと会えたんだから、ここで諦めてはいけない。
「浪士郎さんを探す先々で色んな噂を聞きました。別の藩で仕事をしてはまた別の藩へ行く……まるで根無し草のような生活をしているんですね」
「噂になる程大したことしていない。折り合いが合わなくてな。だが、ようやく次の仕官先が見つかりそうだ」
もう戻るつもりは無いのだろう。私だって今更あの家に戻る気はさらさら無い。
「ちゃんとご飯は食べてますか?」
「まあな。剣の腕のお陰で困ったことはないぜ」
「じゃあきっと、その格好良さに惚れてしまう女子も沢山居るのでしょうね」
「馬鹿を言え。そんな下らんものに用はない」
さも興味が無いと言わんばかりに吐き捨てる。浪士郎さんに女の影が無いことに安心したが、少し寂しくもある。私は浪士郎さんの傍に腰を落として詰め寄った。
「私の事も、もう何とも想っていないのですか?」
縋るように浪士郎さんの胸元に手を添えて上目遣いで見つめる。
「……昔の事だ」
「私はまだ過去の事だなんて思っていません。浪士郎さん、私は今でも貴方をお慕い申しております!」
「やめておけ。家に帰った方がいい」
こんなにも間近で浪士郎さんの顔を見るのは初めてで、どうしようもなく胸が高鳴るというのに、……ああ、困っている。私のせいで浪士郎さんは迷惑している。
それでも私は……
「浪士郎さんを、愛しています」
今までずっと胸に秘めていた想いを震える唇で紡いだ瞬間、浪士郎さんの唇が重なった。強く押し付けるような、けれど柔らかい感触。私は浪士郎さんの背中に腕を回して抱き付いた。それに応えるように、浪士郎さんも私の腰に腕を回し、もう片方の手を後頭部に添えた。
「んっ、浪士郎、さん……」
「名前……!」
何度も熱い口づけを交わし、互いの吐息が交じり合う。噛み付くように唇を吸われたかと思えば、熱い舌がぬるりと口内に侵入してきた。舌と舌が絡み合い、粘り気のある水音を立てる。ゆっくりと浪士郎さんに組み敷かれ、私は心臓がドキドキして壊れそうで――いや、いっそこのまま浪士郎さんに壊して欲しい衝動に駆られた。
「浪士郎、さん……お願いです……」
「……やはり駄目だ、名前。今は……」
思い詰めた表情で浪士郎さんが言い放った。ここまで来て、ようやく両想いになれたと思ったのに。もう私達の間には障害なんて何もないはずなのに。
「……どうしてですか?」
「今の仕事が終わるまで俺は現を抜かしておれん。……わかってくれ」
そう言って浪士郎さんは私の上から体をどけた。今の仕事は、次の仕官先でのものだろう。
こんな風になってもなお真面目な浪士郎さんはやっぱり以前と変わらないままだ。そこが好きでもある。
「わかりました。仕事が上手く行くよう祈ります」
「悪いな。……これでも飲んで今日は休め」
机に置いてある水差しをお椀に注ぎ手渡される。それをこくりと飲み込んだ。冷たい水が喉を伝って熱くなった体を少し冷ましてくれる。
「このまま浪士郎さんの部屋に泊まります」
飲みながらそう言うと浪士郎さんが面倒そうに頭をぽりぽり掻いた。強情なところは変わらねえな、と懐かしげに呟く。
「馬鹿言うな。どうなっても知らんぞ」
「現を抜かさないんですよね? なら大丈夫です、よ……」
……あれ、おかしいな。急に眠気が……。旅疲れだろうか……。
必死に正気を保とうとするが、どうにも頭がぐらぐらとして睡魔に勝てそうにない。
「ごめんなさ……、眠くなっ、て……」
そのまま私は畳の上に寝転がってしまう。襲いかかる睡魔に抵抗しようとするが瞼は重く垂れ下がってくる。やがて私は瞳を閉じて、無防備にその体を畳に預けた。
「すまん……お前に会えたのは嬉しく思うが、今夜の仕事には邪魔だ……」
暗闇に微睡んでいく意識の中、浪士郎さんが私を抱き抱えながら何か言っていたが、はっきりとは聞き取れなかった。
(20170120)
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Smotherd mate