私が彼と再び出会ったのは、
運命でも偶然でもなく、
きっと必然だったんだ。
First Turn
────見つけた!
髪型も背格好も大分変わっていて、最初は気付かなかった。彼が余程の長身でなければ、きっと見向きもしなかっただろう。
顔つきはしっかりと大人になっていて、すれ違った時はちょっと……いや、すごくときめいた。
人混みを掻き分けて、黒いスーツを着た男性に近づいていく。一歩一歩、近付く度に逸る鼓動。
「内藤君!」
名前を呼ばれた本人はゆっくり振り向き──私と目が合った。鋭い目つき、シワを寄せる眉間、不機嫌そうにへの字を作る口元。けれど確かにそこに残っている、彼の面影。
間違いない、やっぱり内藤君だ。
「久しぶり! 私、苗字名前。中学まで同じだったんだけど、覚えてる?」
「あ?」
だがしかし、彼はしかめっ面を一切変えずぶっきらぼうに一言。……もしかして、覚えてない? 同じクラスだったし会話も沢山したのに、それってあんまりでしょ。まさか、私があんなに頑張った一世一代の出来事すら忘れてたりしないよね。
「ちょっと来て」
「何だよアンタ」
私は内藤君の腕を掴んで、通行人の邪魔にならないように道の端へ移動した。気持ちを落ち着かせて自己紹介をやり直す。
「私、苗字名前! 同じ中学だったんだけど、覚えてる?」
「ああ、何となく覚えてる気がするような、しなくもないような……」
「ちょっと、覚えててよ!」
首を傾げて記憶を掘り返しながら、どっちつかずの言葉を吐く内藤君に向かって渾身のツッコミを入れる。彼は私のノリの良さに大口を開けて笑った。懐かしいな、その笑顔。
「冗談だ、ちゃんと覚えてるって。同じクラスだったよな」
「最初から思い出してよね! もう!」
「悪かったって。久しぶりだな、苗字」
ニッと笑う内藤君は、中学生の頃のヤンチャな雰囲気とは違って大人びていた。目を細くして優しく見つめるその笑顔が、私は大好きだった。
「今は何の仕事してるの?」
「ボディガードだ。苗字は?」
「私はその辺でテキトーに働いてるよ。あ、名刺あげるね」
「サンキュ。これ俺の。今度制服見せろよ」
「盛ってんじゃないよこの変態」
「さ、盛ってねえよアホ!」
「それに私、私服の会社だから」
遠慮のないこの掛け合いが懐かしくて、ニヤニヤが止まらない。貰った名刺をケースにしまいながら、改めて内藤君の姿を目に焼き付ける。
十年近く経った今でも変わりなく、普通に話せるのが嬉しくて堪らない。
なのに、あの日の私の告白を……忘れちゃったのかな。
「そういや、お前に返事してなかったな」
「なっ!?」
まるで今考えていることを見透かしたかのように、内藤くんはサラリと言った。
やっぱり覚えてたんだ──私が中学の卒業式の日に、内藤君に告白した事。
──私は内藤君が好きだった。
卒業式が終わり、別れの挨拶を終えた皆は散り散りとなって最後の通学路に足を進める。
私は内藤くんに話があると言って、一緒に帰ることにした。
最後だから、自分の気持ちを伝えたい。けどどうしてもたった一言が口に出せないまま、沈黙が長く続いていた頃だった。
痺れを切らした内藤君が口を開いた。
『……何だよ、話って』
『あっ、その……私、内藤君が……す、好き!』
『えッ!?』
『じゃ、じゃあね!』
『おいっ! 待て苗字!』
私は彼の返事も聞かず、逃げ出した。内藤君が追いかけ来ていたらと思うと怖くて、振り返らずにただひたすら走り続けた。
マラソン大会でも見せた事のないような素晴らしい走りを披露いたしましたよ、ええ。
「あの時はお前に逃げられたからな」
「あ、はは……」
今まで思い出さないようにと必死に心の奥にしまい込んできた思い出が、私の言うことも聞かず頭の中で鮮明に再生された。
あれから9年も経っているのに、当時に戻ったみたいにドキドキしている。……うう、穴があったら入りたい。
「俺の気持ち、今からでも教えてやろうか」
「え……」
聞いてみたいけど、聞きたくない。
9年も経てば彼の気持ちだって、きっと変わってしまっている。
私だって……気持ちはわからない。今どのような答えが出たって、あの頃にはもう戻れないんだ。
聞くのが、怖い。
「俺はな」
コツ、と靴音を立てて内藤君が歩み寄る。
手を伸ばせば触れられる距離まで来ると、何も言わずに黙ったまま真剣な眼差しで見つめてきた。
彼のこんな表情を、私は知らない。
「お前が……」
「──今更、聞きたくないよ!」
「ぐおぉッ!?」
内藤君が一言発したと同時に、反射的に目の前の体を突き飛ばした。
くるりと背中を向けて"あの頃"と同じように私は逃げ出す。後ろで何か言っている声が聞こえたけど、私は聞こえないフリをして走り続けた。
私はあの時から、全く成長していない。
***
『よオ。昼間は良いパンチだったぜ』
「な、内藤君!? 何で私の電話番号を……ハッ! まさか個人情報の流出?」
『違えよバカ! お前、名刺交換したのもう忘れたのか!?』
「あッ!」
そうか、さっきの騒動は夢じゃなかったのか。
時間の感覚がない。ふと窓から外を見れば、空はすでに赤く染まっていた。手早く名刺ケースを取り出すと、一枚目に内藤君の名刺が出てきた。
寝ぼけた頭を揺らしながら今日の出来事を思い返すと、少しずつ記憶が鮮明になっていった。どうやら私は内藤君と偶然の再会を果たし、昔話を掘り起こされそうになって逃げた後、自室で頭を抱えながら布団に包まっていたらそのまま寝てしまったようだ。
昔の夢を見ていた。
私が内藤君に告白をして、その返事を貰えそうなところで目が覚めた。まだ寝ぼけた状態で電話が鳴り、出てみれば本人で、これは夢の続きなのかとも思った。
しかしこれは現実で、私の思い出の中には無い言葉がポンポンと携帯を通してぶつかってくる。私は何を話せばいいかわからず、混乱して言葉が詰まってしまった。
『苗字、今夜暇か?』
「えっ、な、なんで?」
『飯でも食いに行こうぜ、せっかくだ』
「……受けて立つ!」
『決闘の申し込みみてえな返事すんな!」
ただの食事の誘いなのに、つい気合を入れてしまった。まるでこれから自分より強いやつに会いに行く格闘家のような気持ちになる。
『じゃあ19時に駅で……あ、迎えに行ってやるよ。 お前の家ってどの辺──』
「はいはい19時ね了解じゃあまたね!」
内藤君の言葉を遮り、急いで通話終了ボタンを押した。
私の家に迎えに来るだって? とんでもない! さっきの今で、そんな急な接近は私には危険すぎる!
はあーと大きなため息を吐く。電話だけなのに、何だかものすごく疲れた。でも本番はこれからだ。
時刻を見れば、もう18時前。急いで支度をしなければ!
「内藤君はまだ来てないみたい……」
バッチリ支度を終えて早めに駅に到着した私は、少し時間を持て余していた。いつもより大人っぽい服を着て、そわそわしながら内藤君を待つ。
「そこのニヤけ面してる女」
「へ?」
背後からポンと頭に手を置かれ、振り向く間もなく声の主が私の顔を覗き込んできた。
「待たせたな」
「内藤君!」
「迎えに行くつったのに、途中で切りやがったな」
内藤君は先程のスーツ姿ではなく、黒のテーラードジャケットにパリッとした清潔感あるワイシャツを着ていた。そこに昼間着けていたチェック柄のネクタイは無く、首元が少し顕になっていてドキッとした。
「つうか、すぐそこで呼んでんだから気付けよな」
内藤君が親指で示したのは、ロータリーに何台も停車している車の内の一台。見ればスポーツカーだった。そっか、車で駅まで来たってことは……これから私は内藤君の車に乗る、ということ?
まさかの事態に内心慌てたが、ここで取り乱したら絶対にまたからかわれる。気を取り直し、心の中で活を入れた。
「じゃあ行こうぜ」
「……望むところだ!」
「だから決闘じゃねえって言ってんだろ!」
車に乗る際、小心者な私は後部座席のドアを開けたら内藤君に怒られた。助手席のドアを開けてエスコートされる。恋人のような扱いにどこか気恥ずかしさを感じるが、内藤君はそこまで気にしていないようだった。車内に漂うのは芳香剤だろうか、甘やかな香りにうっとりしてしまう。
「良い匂いだね」
「だろ? これで目当てのコをゲットすんだよ」
「うわっ蜘蛛の巣かぁ……気を付けよ……」
「冗談に決まってんだろ!」
げんなりした表情を見せると内藤君は即座にツッコミを入れた。
目当てのコか……そりゃあ、9年間も恋人無しなわけないよね。内藤君、格好いいし。
う、そんな事考えてたら辛くなってきた。話題を変えよう。
「今日は休みなの?」
「いや、昼までの仕事だった」
「だからスーツだったんだ。お疲れ様」
「おう。苗字は休みか?」
「うん、土日は休み。だから色々買い物してたの」
「そりゃ良かったな。つー事は明日も休みか」
「そうだよ。だから時間は気にしなくていいよ」
「オイオイ、そりゃ誘ってんのか?」
「ち、違うよ! 誤解しないで!」
声を荒らげて否定すると、内藤君はくつくつと笑った。うう、絶対からかわれてる。内藤君の方が一枚上手だ。なんか悔しい。
そんな他愛ない話をしながら到着したのは、あまり人目に付かない場所にある和風の洒落た居酒屋だった。
店内に入り禁煙席に案内してもらう。内藤君は煙草を吸う人だと思っていたけどそうではないらしい。車だからと内藤君はアルコールを断るが、私には飲むように勧めてくる。そういう気配りも、内藤君が大人になった証拠に見えた。
お言葉に甘えて一杯だけ、私はカクテルを注文させてもらった。
運ばれた食事をつまみながら、母校の同級生や先生の話、卒業後の話や身の回りの話、仕事の話に世間話に花を咲かせる。
時計の針が23時を越えた頃、積もる話もやがて底が見え始めていた。
「……で、昼間はなんで逃げた?」
「う」
あの話が出てこなくてすっかり安心していたのに、ここぞというタイミングで引っ張り出してくるなんて。
喉の滑りを良くするように、飲み物を一口流し込む。
「ええと、その……だって、怖くて」
「何がだよ」
「内藤君の顔が」
「ハア?」
私の冗談に内藤君は顔を顰めた。流石に何度もかわされる事に我慢の限界が来たのか、内藤君は早口で捲し立てる。
「いいか、よく聞いとけよ! あの時も今日の昼間も逃げられたから言えなかったけどな!」
「待って、お願い待って!」
私は即座に強く目を閉じて両耳を塞いだ。内藤君は腕を伸ばして私の耳から手を引き剥がし、頑なな意志が見て取れる声音で言った。
「聞けよ」
「……聞いてどうするの?」
「は……?」
「もう何年経ったと思ってるの? 私の気持ちが、今もまだ続いてると……思ってる?」
「……」
微かに声が震えているのが自分でもわかった。
高校に入学してから、内藤君以外の異性に胸をときめかせる事もあった。しかしそれは『恋』というほどの物ではなく、やはり彼への恋情には到底敵うものではなかった。
あの日に諦めた恋心が蘇る事を、私は恐れている。
「……そうかい」
内藤君は聞き入れてくれたのか、ゆっくりと私の腕から手を離した。重い空気が室内の気まずさに拍車をかける。
帰ろうぜ、と内藤君が立ち上がる。私は黙ったまま内藤君の後を付いて行った。
「ご馳走様、内藤君」
「構わん」
駐車場まで内藤君を送り、ここで本当にお別れをしようと決める。けど内藤君は運転席ではなく、助手席のドアを開けて私を誘導する。
「い、いいよ、歩いて帰れる」
「何時だと思ってんだ。いいから乗れよ、別に襲おうなんて微塵も思っちゃいねえよ」
先に釘を差され、返す言葉が見つからない。
助手席に座ると内藤君はドアを閉めて、自らは運転席へ乗り込んだ。そしてエンジンをかけ、私のアパートへ向かって走り出す。
暗く沈んだ街を幾つもの蛍光灯が照らし、私はその光が流れるのをただぼうっと眺めていた。
結局会話らしい会話もなく、やがて私のアパートへ到着した。
「……送ってくれてありがとう、内藤君」
「おう」
私は彼の顔を見ることが出来ず、恐る恐るドアに手をかけてゆっくりと開ける。コンクリートの道路に足をつき、丁寧にドアを閉めた。
きっともう、彼に会うことは無い。
これでいい。これで良かったんだ。
「さよなら」
今度こそもう会わないと心に誓い、蚊の鳴くような小さな声で別れの挨拶を告げた。
今の声が聞こえたわけがないのに、バンと勢い良く運転席のドアが開いて内藤君が飛び出てきた。
大股で近付き、目の前で止まる。見上げずにはいられない彼の背の高さは、今は恐れを抱かせるものに過ぎなかった。
「な、内藤くん……?」
「俺は、お前にちゃんと返事を聞いて貰うまで何度でも連絡する」
内藤君は覚悟を決めたような目で言い放つ。
「何年経っていようが関係ねえ。すでに他に好きな奴が居ようと……俺はあの時から何も変わっちゃいねえ」
月明かりが彼の顔を優しく照らす。心なしか、微かに赤みを帯びているようだった。お酒なんて、飲んでいないはずなのに。
何て返せばいいのかわからない。視線を、逸らせない。
内藤君は言いたいことを言い切ったのか、「じゃあな」と、再び車へ乗り込んだ。助手席の窓を下げて「早く部屋に戻れよ、危ねえぞ」と声をかけて車を発進させた。
私は棒立ちで、彼の車が見えなくなるまで目で追い続けた。エンジン音が聞こえなくなると、やっと金縛りが解けたような気持ちになり、アパートの階段へと歩き出した。
部屋のドアを開けて、背中からもたれ掛かった。
「……なに、を」
彼は、何を言ってるの?
――何年経っていようが関係ねえ――
つい先ほど言われた言葉を思い出そうとすると、顔がカッと熱くなって思わず両手で押さえた。
私は、彼への気持ちを忘れた。吹っ切る事が出来たはずなんだ。
9年も経って、ようやくそこまで辿りつけたんだ。
それなのに、どうして。
あの時、私が声をかけてしまったから?
「バカ……」
どちらに向けた言葉なのか、自分でもわからない。
ただ、胸が苦しくて仕方ない。
もしかしたら私は、蜘蛛の巣どころではなくもっととんでもないモノに捕まってしまったのではないかと、顔を覆っていた手をぎゅっと握りしめた。
(20120113 修正20160814)
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Smotherd mate