Second Move
今日は仕事で出張。
私は印刷会社でデザイナーとして働いている。今回の仕事は、西鳳民国の王大統領を起用したポスターを作るという大仕事。
今日はまずスタジオで撮影の見学をし、その後はデザインの打ち合わせ、夜は懇親会の予定だ。私みたいな一般人が他国の大統領を目の前にする事が出来るなんて、光栄に思う。
スタジオの受付で社名と名前を告げ、首から提げるタイプの関係者用プラカードを渡される。案内されて付いて行くと、重そうな扉を開いて室内へと促された。
「こちらがスタジオになります。右側の席でご覧くださいませ」
「わかりました。ありがとうございます」
中に入るとすでに王大統領は撮影中だった。初めて見る外国の大統領の姿はまるで非現実的で、ついまじまじと眺めてしまう。
大統領は何とも言えない威厳があり、まさに一国を担う者といった重々しさが感じられる。周りにはボディガードが付いているけど、あんなに筋肉ムキムキでガタイが良いのなら護衛なんていらないんじゃないかな。
「すごいなあ……」
今回の出張は、私のデザインチームのリーダーが来る予定だった。が、急遽別の仕事が入ってしまった為、サブリーダーである私が抜擢されたのだ。
自分が担う仕事の一端をこうして実際に見ることが出来るなんて、少し誇らしくも思う。最初は自分にこんな大役務まるのかと不安だったけど、やっぱり来てよかった。
珍しい物を見るようにあちこち見回していると、見慣れた姿がそこにあった。
「えっ、あの人……内藤君!?」
王大統領の周りに居るボディガード達の一人に、内藤君の姿を見つけた。サングラスをかけているけど多分彼だ。あの長身と特徴的な髪型は他人と間違えようもない。ボディガードとは聞いていたけど……まさか大統領を警護する程だったなんて。
「あ、まずッ……!」
視線を感じたのか、彼も私に気付いた。
サングラス越しなのにどんな目付きで睨んでいるか想像がついてしまう。ぎこちなく頭を下げて目を逸らすけど、彼はきっとまだ私を睨んでいるだろう。そう思うと体が固まってしまい、指先一つ動かす事すら躊躇っていると、関係会社の方がやって来た。
「苗字さん、いつもお世話になっております」
「あっ、どうも華宮さん。こちらこそお世話になっております」
自然と椅子から立ち上がり、挨拶を交わす。
華宮さんはうちの会社と友好的にやり取りして下さる方で、チームリーダーも彼女を気に入っている。
「本日はリーダーが急な仕事の為、代わりに私が来ました。よろしくお願いします」
「はい、伺っております。早速で申し訳ないのですが、打ち合わせに入りたいと思います。もしまだ撮影をご覧になりたければどうぞ」
「いえ。大丈夫です」
内藤君の視界から消えるチャンスを逃す訳にはいかない。華宮さんに先導してもらい、スタジオのドアへ歩き出す。
まだ背中に痛い視線を感じる気がしたけど、気のせいということにしておいた。
***
「では、そういう形でいきましょう」
「はい! 頑張って作らせて頂きます!」
打ち合わせによりポスターデザインの方向性が決定し、本日の仕事は無事に終了した。王大統領の写真データは後日送って貰えるそうだ。
「それでは苗字さん、この後行われる懇親会の会場は坂東ホテルになります」
「えっ、そうなんですか?」
そのホテルは私が宿泊予約している所で、聞けば王大統領も利用しているらしい。……ということは、ボディガードの方達も同じホテルなのかも。
――嫌な予感がする。
もし"彼"に会ってしまったらどうしよう。……こんな時、臆病な自分が嫌になる。どうしようもこうしようもない、その時はその時だ。ホテル以前に会場で会う可能性だってあるのだから。
懇親会の時間になり、ホテルのロビーで待ち合わせていた華宮さんと合流する。はやる胸を抑えつつ、活を入れ、いよいよ会場へ足を踏み入れた。
会場に入った瞬間、目に入ったのは綺羅びやかなシャンデリアと盛り沢山の料理が所狭しと置かれたテーブル。絨毯は分厚くてフワフワだし、ドレスコードの方も多くて、自分が場違いの存在に感じる。
「あの、これは……?」
「普通の懇親会の予定でしたが、今回は王大統領の計らいで立食パーティーになったみたいです」
「そ、そうなんデスカ……」
入れた活がシュルシュルと縮こまっていき、また緊張が復活してきた。華宮さんから離れなければ何とかなるだろうと一縷の望みに縋りつく思いで傍に居たのも束の間、「挨拶に行ってきますね」と私を置いて行ってしまった。
仕方ない……私も挨拶まわりをしよう、とバッグから名刺を取り出して周りを見回すと、最初に目に入ったのは王大統領だった。
撮影は大変だったろうに、そんな疲れは微塵も見せず一人ひとり丁寧に挨拶を交わしていた。
撮影中は怖い印象だったけど、こうして観察していると、意外に気さくで優しそうに見える。
「お前はああいうオッサンが好きなのか」
「まぁ嫌いじゃないかなーって、内藤君!?」
背後から声を掛けられ、自分の好みを肯定しながら振り向くとそこに居たのは内藤君。撮影中と同様、サングラスとインカムを付けてズンと物々しい態度で立っていた。姿を見かけないと思ったら後ろを取られていたなんて。
「こんな所で何してんだよ」
「仕事に決まってるでしょ。名刺渡したじゃん」
「印刷会社のデザイナーだっけか」
「うん。王大統領の警護をしてるなら今回の撮影の件も知ってると思うけど、そのポスターを作るのが私の会社なの。代表として私が来たんだ」
あれ? 何だか内藤君、普通だ。変に緊張を感じたりして損したかも。私の心配が杞憂に終わったのは良いことだけど。
「ふーん、ご苦労なこった」
「それにしても、内藤君がボディガードしてる相手が大統領だったなんて……」
「驚いたか?」
「正直すっごく!」
「あンだとォ?」
内藤君が眉間にしわを寄せてヒクッと口元を引きつらせ、私はそれを見てクスクス笑った。
再会直後のようなノリで会話が出来てホッとした。立食パーティーに加えて内藤君と出会うかもという事態から感じていた緊張感もいつの間にか解けていた……だけでなく、こうして内藤君と離せて密かに喜んでいる自分が居る事に気付いた。
「で、大統領の傍に居なくていいの?」
「今は他の奴らが付いてる。俺は暇を貰っちまったってわけさ。だが何があっても即座に対応出来るようにちゃんと注意してるぜ」
「じゃあ私と話してるより休んだ方が……」
「良いんだよ」
即答されて少しだけニヤける。
そっか、良いんだ。
「苗字はコレが終わったら帰るのか?」
「ううん、このホテルに一泊する――ハッ!」
すんなりと答えてしまった私は、自分のしでかした事に気付いて「しまった」という顔をした。そんな私を見てプッと吹き出す内藤君。
「クック。じゃ、お言葉に甘えて邪魔するぜ」
「はいいぃ――!?」
それはもしかして、今夜私の部屋に来るってこと? そんなつもりで言ったわけじゃないのに、これは明らかな誘導尋問だ!
驚いて手に持っていたシャンパングラスを落としそうになると、内藤君が即座にそれを支えてくれた。かと思えば、グラスを奪い取ってそのままゴクゴクと飲み干して、傍のテーブルに置いた。いやそれ、私の飲みかけなんですけど!
「嫌ならハッキリ断れ。そうじゃねえなら部屋の番号を教えろ。俺だって、本気で嫌がる女を無理やりどうこうするようなクソ野郎じゃねえからな」
「うう……」
「さっさと吐いちまった方が楽になるぜ? 苗字」
「……2123だよ」
観念して部屋の番号を告げると、内藤君はニヤリと口角を上げた。サングラスのせいで確かな表情はわからないけど、きっと目を細めて笑っているに違いない。
イイ子だ、と内藤君に大きな手でポンと頭を撫でられる。たった部屋の番号を教えただけなのに、とても大胆な事をしたような気がして、それ以上の行動は慎まれた。
「仕事が終わったら行く。待ってろよ」
それだけ言うと内藤君は王大統領の方へ行ってしまった。その背中を目で追うけど、彼が振り返ることはなかった。
わからないフリをして、気付かないフリをして逃げているのは私の方だ。卒業式の告白の時だって、最初に逃げたのは私の方だもの。
きっと私も、諦めが悪いんだ。
懇親会がようやく終わり、私は自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。乱雑に服を脱ぎ捨てて身軽になった私は、真っ白な天井を呆けた頭で眺めていた。
少し休んでからシャワーを浴びて、持ってきていた寝間着に着替える。歯も磨き、化粧水や乳液でのケアもバッチリ、あとは寝るだけ……ではない。
内藤君、本当に私の部屋に来るつもりなのかな。どうしよう、どんな顔をして彼を迎えたらいいんだろう。急にそわそわし始めてしまう。
冷蔵庫にしまっておいたペットボトルの緑茶を取り出して、部屋に内蔵されているテレビを点ける。表示された時間はすでに23時過ぎで、やっている番組なんてニュースばかり。お陰で疲れた頭は余計に眠りに誘われそうになる。明日にはまた会社に戻って打ち合わせをしなければいけないのに。
「もう寝ようかな」
内藤君が私の部屋に来る事を、内心期待していた。
卒業式の時だって逃げてしまったけど、本当は追いかけて来てくれるんじゃないかって夢を見ていた。
知っていたはずなのに、そんなドラマはテレビの中だけのものだって。自分にとって都合のいい展開なんて、自分から動かなければ何も起きないんだ。
「バカだね、私」
完全に諦めモードに入り、私は両腕を広げて背中からベッドに寝転んだ。きっと内藤君、仕事が忙しいんだ。だから来れなくなっちゃったんだ。そうだ、そうに違いない。
瞼が徐々に下がってきて、そのまま気持ちよく寝入りそうになった瞬間、ドンドンドン、と激しいノック音が部屋に響いた。
私はビックリしてガバッと体を起こし、色んな意味でドキドキする胸を押さえながらドアに近付く。
鍵を開けてノブを回し、「内藤君」と呼ぶ。が、目の前に居たのは見知らぬ酔っぱらいのオッサンだった。
「うぃーヒック! おろ? 誰だチミ……まあいいやオネーちゃん! 一緒に呑もうよ!」
「す、すいません、部屋の番号を間違えてるみたいですけど……!」
「何だよォ、細かい事は気にするなよ〜」
男は私の話も聞かず、強引にドアを開けて部屋に入ろうとしてくる。うわこのオッサン、酔っぱらいのくせに力が強い。抵抗するように私も中から押し返すが敵わず、膠着状態が続く。
「やめて下さい! 人を呼びますよ!?」
「ツレないこと言わないでさ、これから仲良くなればいいじゃん? シクヨロぉ〜」
こんな事ならちゃんと覗き穴から相手を確認しておけば良かった。私の部屋に来る予定の人なんて内藤君しか居ないだろうから、つい確認せずに開けてしまった。十数秒前の自分を恨む。
このホテルの部屋は一度閉まるとオートロックが掛かる。もしこの男が入って来てしまえば一巻の終わりだ。外からの助けはおろか、中からフロントに電話をする暇もないだろう。
男が右手を伸ばし、私の腕をグッと掴んだ。恐怖から「ひッ」と小さく悲鳴を上げる。
「可愛いね。チミみたいな娘、好みなんだよ……」
ねっとりとした言い方をされ、全身にぞわりと鳥肌が立った。
私の力が弱まり、チャンスと言わんばかりに男が部屋に踏み込もうとしたがそれは叶わなかった。正確に言えば、男の背後に居た人物に首根っこを捕まれて、ドアから引き剥がされたのだ。
「やめときな。こいつはアンタの手に負えねえくらいじゃじゃ馬だぜ」
「ああ〜? なんだよ、離せ!」
「内藤君!」
内藤君の声は至って静かだが、怒っている事は確実に理解出来た。内藤君は酔っ払い男を乱暴に廊下に投げ捨てると、男は尻餅を付いて床に倒れた。
私はまるで内藤君が本当に騎士のように見えて、嬉しくて、安心して、目の前がじんわりと滲んだ。
「大丈夫か苗字、何もされてねえだろうな?」
「うん……ありがとう、内藤君……」
「怖かったな。もう大丈夫だ」
縋るように内藤君を呼ぶと、優しい声音で私を宥めるように頭をポンポンと撫でてくれる。
「悪かった。もっと早く来ればこんな事にはならなかったのによ」
「ううん、来てくれて本当に助かったよ……!」
「少し待ってろ、このオッサン捨ててくる」
そう言うと、内藤君はそっとドアを閉めてまた行ってしまった。ドア越しに男の悲鳴と内藤君の怒号が聞こえてくる。
「ぎゃああああ首、首締まってる! 勘弁してくれよオニーさん!」
「うるせえ。テメェ、この俺にぶっ殺されても文句は言えねえんだぜ?」
「ひぃっ……」
あれだけやかましかった男をたった一言で黙らせてしまう内藤君はまさしくボディガードの鑑だった。多分また首根っこを掴んでズルズルと引きずっているのだろう。ホテルのフロント辺りに連れて行かれるのかな。
でもそれが済んだら、内藤君は私の部屋に戻ってくる。そうしたら今度こそ私は逃げられない。
覚悟を決め、先程とは打って変わって静かになった部屋で、私は内藤君が来るのを待っていた。
(20120113 修正20160815)
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Smotherd mate