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哀牙探偵はテーブルの缶を拾い上げる。それは睡眠薬が混入されていたものだ。
「この缶酎ハイ。用意したのは片原殿ですな?」
「それはコンビニで買った酒――」
「にも関わらず! 苗字刑事は『温かったので氷を入れた』と言った。何故温かったか? それはコンビニで買った物ではないからです」
そうか、だから温かったんだ。でもどうして片原君が用意したなんて言い切れるんだろう。すると哀牙探偵は缶酎ハイを片原君に差し出した。
「もし違うのであれば飲んでみてくだされ」
片原君は缶から視線を逸らし、苦々しい表情を浮かべた。八波君にはその理由がわからないようで、哀牙探偵に「どういう事だ」と尋ねた。
「飲めるはずがありませぬ。これには睡眠薬が入っているのですから」
「す、睡眠薬!?」
八波君が驚きの声を上げて片原君を見るが、彼は目を合わそうとせず、額から一筋の汗を流した。
「片原殿は睡眠薬入りの酒を用意しておき、飲み会の後コンビニで買った袋にそれを混ぜたのです」
「……俺はそんな事をしていない。それに、二人のどっちが飲むかなんてわからないだろ」
「だから貴方は風前殿にこう伝えた。『苗字の好きな酒を買ったから最初にこれを飲ませてやれ』と」
「!!」
哀牙探偵の推測は正しかったのか、片原君は目を見開いて驚愕の表情を濃くした。明らかに動揺している。
「そして彼女達の二次会が始まり、苗字刑事が寝た頃を見計らって風前殿に電話を掛けた。内容はそうですな、『苗字にサプライズを仕掛けてやろう』などと言って。クラッカアはその為に用意した物でしょう」
哀牙探偵はベッドの横にしゃがみ込み、腕を伸ばしてクラッカーを手に取った。それを見た片原君が小さく舌打ちしたのを、私は聞き逃さなかった。
「部屋まで来た貴方は苗字刑事を起こさぬようチャイムは鳴らさず、風前殿に電話をかけて玄関を開けて貰った。だから玄関の鍵とチェエンに風前殿の指紋が残っていたのです」
確かに、灯里と部屋に来た時は私が鍵を閉めたんだから彼女の指紋が付くはずがない。そういう事だったのか。しかし別の可能性も浮かび、私はおずおずと手を上げて質問する。
「でも哀牙探偵、他の人かもしれないですよ?」
「苗字刑事、貴女は夜明け前という非常識な時間に訪ねてきた人間を部屋に招く寛大な心をお持ちかな? それも友人の部屋に」
「ほ、他の友達とか……」
「この時間帯に風前殿が貴女の部屋に居ることを知っているのは、彼らに他なりませぬ。それに自分でも仰っていたではありませぬか。この部屋に来るのは風前殿くらいだ、と」
哀牙探偵の推理は異論を全く受け付けないと言わんばかりに綺麗に構成されていた。彼の言う通り、私と灯里が一緒に居たのを知っているのも、そのタイミングでお酒を用意出来たのも彼らだけだ。
しかし八波君はまだ認めないようで、眼鏡を中指で押し上げながら床に落ちている携帯を指した。
「片原が電話を掛けたと言うが、証拠はあるのか? 見たところ、灯里の携帯は壊れているようだが」
白いテープで囲まれた灯里の携帯は画面に大きなヒビが入ていて、割れた破片は辺りに散らばっている。どう見ても使えそうにない。
それにしても、私や八波君は哀牙探偵の推理に異を唱えるのに、疑いをかけられている片原君はどうして黙ったままなんだろう。本当に哀牙探偵の言う通りなの……?
「確かに今は無残な姿ですが、デエタは無事だったのですよ。発着信の履歴を確認したところ、最後に通話したのは片原殿、貴方でしたな」
「なっ……ど、どうして!」
哀牙探偵の淀みない言葉の説得力、対する片原君の狼狽ぶりに、私と八波君は少しずつ彼に疑いの眼を向けつつあった。それでもどこかで、片原君を信じたいという気持ちもあった。
「我が名ツウルを使えば造作もありませぬ。ロックが掛かっていたから壊したのでしょうが、いっそ持ち去れば良かったと後悔しておりますな? いやはや実に残念!」
「そそ、そんな事は……っ!」
犯人は急いでその場から離れる為、鍵を開けっ放しのまま部屋を後にした。だから隣人はドアを開けて中の様子を伺うことが出来た、と哀牙探偵は付け加えた。
「そして最大のミステエク! 風前殿の命を奪いしロオプには貴方の指紋が残されていたッ!」
「そんな馬鹿な! ちゃんと手袋は着けていたし苗字にも握らせ――ハッ!!」
片原君はそこまで口にした後「しまった」という顔を浮かべながら慌てて口を押さえた。私や八波君、周りで聞いていた先輩や鑑識の全員が、一斉に片原君に目を向ける。
「……クックック、掛かりましたな」
「は、嵌めたな!?」
「いいえ、違います。貴方はもう嘘も吐けぬ程に追い詰められたのですよ」
「くそッ……! ちくしょうッ!!」
ガクリと膝から崩れ落ち、片原君は悔しそうに叫んだ。私は彼が灯里を殺したことが未だに信じられなかった。
「片原君……どうして灯里を殺したの?」
真犯人となった片原君に問い掛ける。私を見上げた彼の表情はとても痛ましくて、理由なき犯行ではないのだと気付いた。
「……苗字、お前はこの探偵と組むようになってからどんどん事件を解決し、功績を上げていった。そんなお前を見て俺は次第に焦り、そして妬んだ。何でお前が皆から称賛されるんだ、全部この探偵のお陰じゃないかって……」
そう言う片原君の瞳に憎しみの色が宿る。今まで心を許せる仲間だと思っていた相手から本当は疎まれていたと知り、心が締め付けられた。
「そんな俺を更に追い込んだのは灯里だ。アイツはいつも俺を馬鹿にしてきた。
『名前はアンタと違う、一緒にするな』
『アンタ一人で出来るわけがない』
……俺の努力も知らないくせに、言いたい放題さ。そうしていつしか、俺の中には小さな殺意が芽生えていった」
片原君は視線を下げて自分の手のひらを見つめ、拳を固く握り締めた。
「昨夜飲みに誘われた時、ある計画を思い付いた。"灯里を殺して苗字に罪をなすり付ける"……邪魔者を2人も消すいい機会だと思った」
飲み会の後はいつもお前の部屋で飲み直すことは知っていたからな、と自嘲気味に笑う。
「だが俺は迷っていた。本当にただ、苗字の功績を祝うサプライズで済ませようとも思っていた。……灯里があんな事を言い出さなければ」
「あんな事……?」
「4時半頃に灯里に電話を掛けて部屋に上げてもらい、準備を終えてクラッカーを鳴らそうとした時だった」
『……俺もコイツみたいになったら、皆に認めて貰えるのかな』
『えっ? 片原が名前みたいに?』
『ああ……』
「ここ最近、仕事が上手く行かず落ち込んでいた俺は、縋るような気持ちで灯里に弱音を吐いた。だがアイツは俺の気も知らずに……」
『アッハハハ、無理無理! だってアンタは――』
「『無理』と言われた瞬間、自分の中の何かが切れて、気付けば灯里の首を掴んでいた。お前の言葉は何一つ聞きたくない、もう喋るな……そう思いながら、隠していた縄を上着のポケットから取り出して灯里の首を締め――」
一息つき、無感情に言葉を放つ。
「殺した」
その言葉を聞いた瞬間、私の瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
自らの罪を認めて自白を終えた片原君は、両の拳を床に下ろし、苦しそうに嗚咽を漏らした。
私は頬に流れる涙を指で拭い、項垂れる彼に"彼女が本当に言いたかったこと"を伝える。
「片原君、灯里が『無理』って言ったのは『出来ない』って意味じゃなくて、『私にはなれない』っていうことだったんだよ……」
「な、に……?」
灯里から何度か聞いた事がある。片原君が『私と自分を比べている』と。
その話が出る度に灯里は、
『バカだよね、他人と比べたって意味なんてない。片原には片原の良さがあるんだから、自分に自信を持てばいいのにさ』
――と、いつも言っていた。
「灯里は本当に、心の底から片原君を応援してたんだよ」
「そんな、ウソだろ……」
「私と二人の時に灯里は言ってた。『片原はうっかりしてる所もあるけど努力家だ。だから私はアイツを叱咤して背中を押してやるんだ』って」
片原君の瞳に溜まった涙は、堰を切ったように溢れ出し、感情のままに流れ続けた。後悔しても仕切れない思いが彼の心を満たしていた。
「灯里は素直じゃないからひねくれた言い方しか出来なくて……。でも片原君に対する気持ちは、いつも本物だったよ……!」
「……灯里! ……くっ、うあああぁ――!」
片原君が一際大きい慟哭を発した後、イトノコ先輩が彼の腕を掴んで立ち上がらせた。そのまま部屋から連れ出される背中に、哀牙探偵が声を掛ける。
「一つ誤解を解かせて頂きますと、苗字刑事の功績は彼女自身の物だ。確かにスットコドッコイのオタンコナスだが、人一倍強い正義感と真実への熱き執着がある故、我は彼女を認めているのですよ」
「ええ、俺もわかっていましたよ……そこだけは」
哀牙探偵、私の事をそんな風に思ってくれていたんだ。ちょっと……というか大分余計な部分もあったけど、素直に嬉しく思う。
「貴方が苗字刑事に抱いていた思いは嫉妬だけではない。だからわざと残したのでしょう? 冷たき箱の中に、彼女を認めるという賞賛の念を」
「……さあ。きっと、"うっかり"していたんでしょうね……」
片原君は苦々しい笑みを浮かべながら、今度こそイトノコ先輩に連れられて行った。八波君は何も言わずに一緒に付いて行く。
警察や鑑識の人達も引き払い、残された私は哀牙探偵に問い掛ける。
「哀牙探偵、冷たき箱って何ですか?」
「冷蔵庫とは本来他人が開けるものではないのですが、今回は事情が違う故お許し頂きたいですな」
ということは、調査中に哀牙探偵は冷蔵庫で何かを発見したのだろう。
彼と一緒にキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けてみると、見覚えのないケーキボックスが置いてあった。中には色とりどりのフルーツが乗ったタルトやキツネ色のチーズケーキ、カスタードプリンが入っていた。
「これは風前殿が買ったものではありませぬ」
……ということは、片原君だ。
本当に直前まで迷っていたんだ。でなければケーキなんて誰かを祝うようなものを買う理由がない。
あ、だから哀牙探偵は「ケーキは好きか」って聞いてきたのか。
「あのケエキは彼の中に残された良心。これを見付けていなければ、我が推理も危うい所でした」
「……はい」
「それに、風前殿にも感謝をすべきですぞ」
思わぬ言葉にきょとんとすると、灯里の死亡推定時刻に話が移った。灯里の腕時計が壊れていたのは犯人と揉み合ったからではなく、殺される直前に自分で割ったのだ、と哀牙探偵は言った。
「"貴女が犯人ではない証拠"を残す為、ですよ」
「どういう事ですか?」
首を傾げながら哀牙探偵に尋ねると、背中で腕を組み、天井を見上げながら教えてくれた。
「アルコオルの入った状態で3時に寝入った貴女がたった2時間で目覚めるはずがない。仮に起きたところで寝ぼけたまま殺人など不可能。更に混入された睡眠薬は3時間は起きれぬ代物。それを伝えるが為のダイイングメッセエジですな。だから苗字刑事が犯人など絶対に有り得ないのです」
「それ、先に言っといて下さいよ!」
「……失礼」
でも哀牙探偵が何故あの場で言わなかったのかはわかる。睡眠薬の存在を知らない灯里がダイイングメッセージを残すなんて有り得ないからだ。もしくは単純に私を励ます為……それは無いか。
「それにしても、あんなに酷く壊されていた携帯でもデータって見れるんですね」
「そんなわけ無いではありませぬか」
「んなッ!? じゃあどうして……!?」
「あれだけ壊されていれば見られたくない何かがあるのは明白だ。我が頭脳を見くびるなかれッ!」
片原君は凶器の指紋だけでなく、携帯の嘘にも見事に引っかかってしまったのか。このハッタリ探偵、恐るべし。
今回の事件で、私は考えたことがある。
もし私が"哀牙探偵係"の担当じゃなければ昨夜の悲劇は起こらなかったかもしれない。もしくは、今後も同じような事が起こり得るかもしれない。ならば私は……
「あの、哀牙探偵。やっぱり私は……」
「苗字刑事、貴女は自分の仕事が嫌いかな?」
こちらが口ごもっている間に、哀牙探偵が淀みなく質問を被せてくる。その問いに力なく否定する。
「いえ、そんな事は……」
「ならばもっと自信を持つと宜しい。そのような曇った瞳では真実は見えませぬぞ」
もしかして彼なりに元気づけているのだろうか。あの哀牙探偵が励ましの言葉を掛けるほど、どうやら私は気落ちしているらしい。……当たり前だ。こんな事件が起こればいくら私でもショックが大きい。
「我とて、相棒は選ぶ」
「……!」
まさか哀牙探偵がここまで言うなんて……。ならば私は、彼の相棒として相応しい存在で居られるようにこの先も胸を張っていかなければ。
「哀牙探偵、これからも宜しくお願いします!」
「フッ、無論のこと!」
哀牙探偵にすっと手を伸ばすと応えるように握手を交わしてくれた。私の心に芽生えた新たな決意に彼も満足げに口端を上げた。
私はまだ立ち止まるわけにはいかない。これからも数々の犯罪と戦っていかねばならないんだ。
それに、彼のように奇想天外な探偵についていけるのは私くらいしかいないだろうし。……こんな事、本人には言えないけど。
まだまだ"哀牙探偵係"としての仕事は終わりそうにない。
(20170611)
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Smotherd mate