Final Brilliant Move
「……完成!」
パソコンのショートカットキーを押して、上書き保存をする。
先日のスタジオ撮影から数日後、ようやく王大統領の写真データが届いたのだ。
早速チームの皆でポスター制作にとりかかっていた。
最初は順調だったが、日が経つにつれて作業スピードは遅くなるし、似たり寄ったりなデザインしか生まれない。
メインポスター、チラシ、ポケットティッシュ……数種類のデザインを皆で分けて、いくつものリテイクを繰り返す。
先週の金曜日にデータやデザインの振り分けをし、週明けから4日かけてようやく完成したのだ。
「明日か……」
デスクに置いてあるミニカレンダーを手に取り、眺める。
王大統領が帰国したあの日から毎日、馬乃介君は仕事終わりに私の家に来た。
彼だって出張の準備で忙しいはずだから、無理しないように言うと、「出張該当社員は準備の為に全員定時退社をしている」との事。
おかげで一緒に居られる時間が多いのは嬉しいけど、逆に私が残業で遅い時もあった。
そんな時は馬乃介君が会社まで車で迎えに来てくれた。
そのまま一緒にドライブへ行ったり、夜景を見たり、夜の公園を散歩したりと。
今までの空いた期間を埋めるように、私達は2人きりの時間を大切に過ごした。
馬乃介君は私を大事にしてくれているのが、一緒に居てよくわかった。
時折激しく求めるような口付けも、繋いだ指を絡ませてくるのも、肌の触れ方も、どれもが優しい。
でも馬乃介君は、「一緒に行こう」という本題を突きつける事は無かった。
それがまた私の思いを、気持ちを、大きく揺さぶるんだ。
同じ時間を過ごす度に、切なさは募っていく。
ふとカレンダーから目を離すとオフィスが夕焼けで赤く染まっていた。
周りを見回すと、私しか居ない。どうやら他の皆はそれぞれ休憩を取っているようだ。
「私も、行っちゃおうかなあ……」
ぽつり、独り言を呟く。
「休憩っスか?」
「わわっ!?」
突然背中から声をかけられて驚いて振り返るとそこには一番仲の良い同僚が居た。
「苗字さん、ずっと作業してるからちょっと休んだほうが良いっスよ?」
「あ、あはは……そ、そうだね! ありがと!」
椅子を下げて立ち上がると、手を滑らせてそのまま転んでしまう。
「ひゃっ!」
イテテ、と膝を擦りながら立ち上がろうとデスクに手を伸ばすと、置いてあった缶ジュースを倒してしまい、私の足元にぼたぼたと零れ落ちる。
「冷たっ! やば、データが!」
同僚も一緒に慌てて、缶ジュースをすぐに取り上げる。
ボックスティッシュを数枚抜き取ってデスクに置き、ボックスごと私に手渡す。
私はお礼を言って、そのままティッシュを3枚ほど抜いてジュースを拭き取る。
「なんかボーッとしてるっスね。どうしたんスか?」
「う……」
誰がどうみたってそう思うだろう。
「働き詰めで疲れてるんじゃないスか?」
確かにそれもあるけど、夜遅くまで馬乃介君と一緒に居て睡眠不足というのも原因の一つだ。
でもここで時間を割かなければ、もう……一緒に居られる時間は……。
「……悩みがあるなら聞くっス」
「ありがとう」
優しい言葉に、私は凭れ掛かりたくなる。
「自分もよく悩むっス! 主に夕飯のメニューで。あ、でも一番悩んだのはあれっス」
「なに?」
「自分、実は何回も転職してるっス。勿論貯金なんか出来るはずもなくて、金銭的に焦った自分はいかがわしい仕事に就こうとしたっスが……。その時、前の職場の先輩に言われたっス」
――仕事なんていくらでもあるんスから、焦らずに、自分の一番やりたい事を考えるっスよ。
「――っス!」
「……優しい先輩だね」
「はい! 自慢の先輩だったっス!」
彼女の口調はその先輩から移ったのだろうと、容易に想像出来た。
自分のやりたい事を、一番に考える、か。
今の仕事も続けたいけど、馬乃介君とも離れたくない。
きっと馬乃介君に付いて行くのが"模範的回答"なのだろう。なんて、失礼な事を考える。
「それでも迷った時は、"これがないと死ぬ"っていうのを最後に残すと良いっス! 最終手段っスよ!」
「なるほどねー」
彼女の言いたいことはよくわかるし、伝わってくる。
まただんまりと悩み始めていると、チームの人達がぞろぞろと休憩から戻ってきた。
丁度リーダーも居たので、私は完成したデータを確認してもらう。
私のパソコンの画面で一緒に眺めると、「うんうん、良いね〜」とマウスをカチカチさせながら好感触を貰えた。
「……じゃあこれでデータは全部揃ったから、私から部長に報告して最終チェックして貰って、早速西鳳民国の方へデータを送って貰います」
「よろしくお願いします!」
「みんな、本当にお疲れ様でした。じゃあ今日はこの辺で終わりましょう。連日で疲れたと思うので、ゆっくり休んで下さい」
その言葉に、チームの皆が口々に「お疲れ様」と言い、帰宅準備を始めた。
人もまばらになり、私はリーダーに静かに近寄る。
「リーダー、すみません。ちょっと良いですか……?」
「ん? どうしたの?」
その日の夜、馬乃介君から電話がかかってきた。
『すまん、名前。今夜はそっちに行けそうにない』
「わかった、気にしないで」
『出発は明日の夕方17時の便だ。見送りだけでも良いから、来てくれないか? まあ、本当は一緒に行けたら……っつーのが本音だけどな』
「馬乃介君…」
『…………名前、もう一度だけ言う。俺と一緒に来い』
「…………っ」
『すまん、困らせたな』
返答に困っていると、馬乃介君が察して謝罪する。
もう、タイムリミットは24時間もない。
電話越しなのが切ない。
本当は会いたい。ずっと馬乃介君と一緒に居たい。
この私達の結末を知っているのは、未来の私達だけだった。
今日の17時の便で馬乃介君は行ってしまう。
遠くて小さな国、西鳳民国へ。
ここで離れ離れになったら、次に会えるのはいつかわからない。
その日、私は午前で仕事を切り上げた。リーダーに無理を言って午後は休みを貰い、馬乃介君の待つ空港へ行く予定だ。
一旦家に帰ってから、荷物を軽くまとめて駅まで向かう。そこでタクシーを拾い、空港まで向かってもらう。このままスムーズに進めば二時間前には到着するはず。
が、道はとても混雑していた。
「嘘……」
「お客様、この後も渋滞は続いているそうですが、お時間は大丈夫ですか?」
タクシーの運転手が私に尋ねるが、もちろん大丈夫なんかじゃない。時間は刻々と、迫っている。
「すみません、ここで降ります」
「畏まりました。ぜひまた私、サザエ交通タクシーをご利用下さいませ」
まるで執事のように丁寧な振る舞いを見せる運転手に、私はここまでの道程の代金を支払ってお礼を言った。
バッグをギュッと掴んで、走りだす。健康とは縁のない仕事のせいで体力も無く、すぐに息切れを起こす。情けない。でも仕方ない。
10分ほど走ったところで、ようやく羽咲空港の文字が見えてきた。馬乃介君が待っていると思うと、自然と足が速くなる。
ようやく入口まで到着し、汗を拭って乱れた呼吸をゆっくりと整える。時刻は16時前。なんとか間に合ったようだ。
ロビーに入ると、たくさんの人が居て、馬乃介君が見つけられない。
キョロキョロと当たりを見回しながら奥へ進んでいくと、突然腕を掴まれた。
「おい!」
「わっ……ま、馬乃介君!」
私が探していた張本人、馬乃介君がそこに居た。
どうやら、私の為に1人だけ便を遅らせていたらしい。道理で馬乃介君の会社の人が居ないわけだ。
彼の表情はどこか落ち着きがなく、眉間にしわを寄せて、言いたいことが上手く言えない……そんな風に見えた。
「……来てくれたんだな」
深く深く溜息をはいて、やっと発せられる言葉。
「うん……」
「だが……一緒には行けねえみてえだな」
「…………うん」
最小限の荷物に留めた私の姿を見て、落胆の笑みを浮かべる馬乃介君が、胸を締め付ける。
「ねえ……私、待っててもいい? 馬乃介君が帰ってくるのを、ずっと」
「……断る」
「…………」
返事はわかってた。それでも、やっぱり本人の口から言われるのは堪える。
私の煮え切らない態度が彼を苦しめているのもわかっていた。私は卑怯だから、彼を手放したくなかった。
「……やだ」
私の口から出た言葉は、シンプルな拒否。
「いやだ……行かないでよ、馬乃介君……」
こんなこと言うはずじゃなかった。
大人の女性らしく、笑顔で彼を見送りたかったのに。
「やっと、一緒になれたのに……! 9年も経って、やっと両想いになれたのに……!」
「名前……」
私の心の奥底に隠していた、本当の気持ちが止まらない。
私は馬乃介君の事しか知りたくない。覚えたくない。忘れたくない。
「こんな別れ方、やだ……!」
今日、この時まで、お互いが口にしなかった言葉を私は吐き出す。
喉の奥が、ギュッとなる。
目頭が熱くなって、自然と目の前が滲む。
「一人にしないで……!」
未練がましい、浅ましい。
こんな私に彼はきっと愛想を尽かすかもしれない。
それでも、言わずには居られなかった。
最後でも構わない、いや、最後だからこそ伝えたい事をぶつけたかった。
「なら、お前も来いよ……!」
本当は頷きたい。
でも、私は今の仕事が好きで、仲間も好きで、住んでる町も……離れる事を決意するにはまだ足りない。何より、決意をするまでの時間が足りない。
話は平行線のまま、時間だけが容赦なく過ぎていく。
周りは人が沢山居て騒がしいはずなのに、まるで2人だけ世界に取り残されたかのように静かだった。
その時、ピリリリリ、と電子音が鳴った。静寂を破ったのは私の携帯電話だった。ゆっくりと取り出し、画面を確認すると会社からだった。
「ちょっとごめん、出てくるね……」
「……ああ」
とてもそんな気分にはなれないが、休みであるはずの私に電話をするということは何か急用かもしれない。
馬乃介君に背を向けて、通話ボタンを押して耳に当てる。
「はい、苗字です」
『苗字さん! 休みなのにごめんね!』
電話口の相手は私のデザインチームのリーダー。何やら慌てているように聞こえる。
「いえ、大丈夫です。どうなさいましたか?」
『西鳳民国の王大統領のポスター、作ったでしょ? それを送ったら、先方が大層喜ばれて、その技術とデザインセンスを自国のデザイナーにも伝えて欲しいんだって』
「は、はい……」
全く以て話の先が見えない。つまり、どういうことなのだろうか。
『それで、西鳳民国にチームの数名を招きたいそうで。でも私、こっちでの仕事が忙しいし、家庭もあるから、代わりに苗字さんに行って欲しいんだよね』
「あ、わかりまし――……って、ええぇ――!?」
海外出張への通達を、コンビニで夜食買ってきて、みたいな軽いノリで言われる。
確かにリーダーは一応、旦那も子供も居て、海外出張なんてとてもじゃないが無理だと思う。
「いきなりそんな事を言われましても!」
『いいじゃん、行っても。海外出張なんて、そうそう経験出来ないよ?』
いいじゃん、ではない。
この、コンビニに行くか行かないかくらいの軽さで話すのをやめてほしい。
「ちなみにいつからですか?」
しかし、仕事という名目で馬乃介君と同じ所へ行けるならば願ってもないことだ。その話に興味を持った私はリーダーに問い掛ける。
『その辺は……あ、部長に変わるね』
「あ、はい。……あっ!」
瞬間、携帯をヒョイッと取り上げられる。
振り向くと馬乃介君が密着しそうな程そばに居たので、軽くぶつかってしまった。
「ちょ、ちょっと」
「つまり、お前が一緒に来る事の障害が無くなった、ってわけだな?」
内容を聞かれていたらしい。だからこんなに近かったわけだ。
『もしもし、苗字さんか?』
「はい」
馬乃介君が迷わず電話の声に返事をする。
いや、あなたはいつから苗字さんになったのか。
『随分と野太い声になったな』
「へへ、それほどでも」
同時に電話の相手が変わるという可笑しな展開のせいで、先程までの悲しみが吹っ飛んでいた。
馬乃介君がギュッと携帯を握っているせいで、全く取り返せそうにない。仕方なく私も裏側から耳を当てて会話を聞く。
『それで、さっき話を聞いたと思うけど、西鳳民国への出張は来週中には出発してほしいとのことだ』
「それって今日でも良いんですかい?」
『それは構わないが、資金や準備は出来ているのか?』
「大丈夫ですよ」
何で本人ではないのに話が進むのか。大事な話のはずなのに、ゆる〜く進められる事に慌てふためく私のほうがおかしいのではないかと思ってしまう。
馬乃介君があまりに自分の都合よく話を進めようとするので、なんとか携帯をひったくって話に割り込む。
「大丈夫じゃないです!」
『お、今度は本人だな』
私の焦りとは正反対に、何とものんびりした声で言う部長。この激しい温度差がまた私の緊張感を打ち砕く。
『先ほどの彼は?』
「王大統領が来日し、スタジオで撮影した時も護衛にあたっていたボディガードの方です。彼の会社も今日から西鳳民国へ出張するそうなんです」
『ああ、関係会社なら知ってる。他にも数社が引き抜かれて、一時的に西鳳民国へ出張するそうだよ』
「そ、そうなんですか!?」
『うちの会社は行ける人が少ないから、ぜひ頼むよ。それと一応、さっきの彼の名前を教えてくれる?』
名前を告げようとすると、馬乃介君は携帯を持った私の手ごと自分の方へ引き寄せる。もういっそ部長がここに来て話をしてくれないだろうか。こんなに忙しない電話は面倒くさく思いつつあった。
「内藤馬乃介、ボディガードをしています。苗字名前さんの婚約者でもあります。話は聞かせて頂きました」
『ナイトくんか』
違います。
部長の聞き間違いに不覚にも笑いがこみ上げる。
『婚約者なら安心だ、苗字さんをよろしく頼む』
頼まれても困ります。
「わかりました」
勝手に了承しないでください。
『では苗字さん、急で済まないが、他の会社よりうちの会社は出発が遅れていてね。向こうへ着いたら連絡してくれ』
「き、今日ですか!? 今!? ナウ!? 本当に出張するんですか、私!?」
『来週、君のチームの者が費用や仕事道具を持って行ってくれる。だから君は先に、予約してもらっているホテルへ入り、王大統領への挨拶をしておいてくれればそれで良い』
準備万端ですね! 最早どこから突っ込めば良いのかわからない!
「わ、かり……まし、た……」
『頑張ってね〜。じゃっ』
だからノリが軽いんですよ!
何とか返事をして真っ白に燃え尽きた私の頭を、馬乃介君がコツンと拳で触れる。
「じゃあ、行こうぜ」
「嬉しそうだね……」
「まあな」
ほら、と手渡されたのは私のパスポート。
「え? これ、私の?」
「ああ」
中身を確認すると、間違いなく私のものだ。それは数年前に母に作らされたものだったが、使う機会が無く、棚に眠っていたものだ。
しかし今回の件で使うかもしれないと思い、テーブルに乱雑に置いていた。
「何で持ってるの!?」
「たまたま見付けた。本当に来る気がないとわかったら、これを使って連れて行こうと思っていたんだがな」
やっぱり馬乃介君はゴーイングマイウェイだ。一枚上手というか、用意周到というか、困った人だ。
「ちゃんと2席分取ってある。行こうぜ」
「本当に!? わ、私の今までの悩みって……!」
ぶちぶちと小言をこぼす私の手を引いて馬乃介君は歩き出す。でも、全てお見通しだと言わんばかりの彼が、今は何だか頼もしい。
私なんてこの身ひとつしかない。なのに、そばに馬乃介君が居るというだけで、不思議と心強くなれる。
「馬乃介君は、私のナイトだね」
「当たり前だろ。俺だけのクイーンさんよ」
嬉しい返事に、えへへ、と顔を緩める。
そして2人で搭乗口の先へ、西鳳民国へと続く道を歩いて行く。
あの日、馬乃介君に告白をしていなかったら。
そして馬乃介君と、再び巡り会えなかったら。
お互いがこの仕事を選んで、あのスタジオで会わなかったら。
いくつもの偶然を思い起こすと、自然と笑顔がこぼれて、心が幸せで満たされていく。
今までの数えきれない偶然は、きっと彼に恋をした私の必然だったんだ。
Tactic(end)
…目的の為に駒を動かし続ける事
(20120113 修正20160819)
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Smotherd mate