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「……どこですか、ここ?」
「刑事殿、疑問に思うのが三時間ほど遅いようで」
今、私と哀牙探偵が居るのは鬱蒼とした森の奥の少しひらけた場所。右も左も山、山、山。そして目の前にあるのは、向こう岸に渡る為の頼りない一本の橋だけだった。
「哀牙探偵、騙しましたね!?」
「これが『騙した』という事になるのであれば、申し訳ありませぬがチャンチャラおかしくてヘソで紅茶が沸きそうですな」
プークスクスと哀牙探偵が笑い出す。ああ小憎たらしい。沸かせるものなら沸かしてみやがってください。私は絶対に飲まないけど。
どう言い返そうか考えていると、橋の向こうから二十代前半と見られる女性がやって来た。長い黒髪を一本に縛り、前髪とその両サイドは水平に切り揃えられている。服装は白いシャツにGパンという至ってシンプルなものだ。
「あの、貴方が星威岳探偵ですか?」
「いかにも。我こそが孤高の一番星、星威岳 哀牙! 貴女が此度の悩める子羊ですかな?」
「はい。私が依頼人の神繰世 常夜(かくりよ とこよ)です」
二人は私を差し置いて話し始めた。っていうか"依頼"って言った? 今絶対に"依頼"って言ったよね!?
「哀牙探偵……やっぱり騙したんですねー!?」
私の悲痛な叫び声が、深い山奥へと響き渡った。
事件は七下り八上り
──遡ること三時間前。
今日は非番、明日は休み、とウキウキしながら朝食用のパンを買いに通りを歩いていると、一台の車が私の隣に付いて徐行し始めた。え、なに、誘拐される? とビビりながら横目で確認するとウインドウが下がり、運転席に座っている男が声を掛けてきた。
「ご機嫌ですな、苗字刑事」
「哀牙探偵じゃないですか。おはようございます」
「丁度良い。迎えに行く手間が省けましたぞ」
迎えに行くって、私を? 話が理解出来ないまま足を止めると哀牙探偵も停車させた。
この人、事務所にも昔ながらの暖炉とか蓄音機とか電話とか置いてあるけど、まさか車までレトロな物に乗っているとは……なんとまあわかりやすい趣味をしているものだ。
「これからドライブがてら麗らかな春の陽光を楽しむ予定なのですが、良ければ苗字刑事もご一緒にどうかな?」
「それって、デエトのお誘いですか?」
「そう取って頂いても些か問題ありませぬ。勿論、費用は我が持ちましょう」
「ええー!? どういう風の吹き回しですか!? 変なものでも食べたんですか!? 」
驚きながら目をパチクリさせると、哀牙探偵は僅かに顔を引きつらせた。いやいや、こんなに気前が良い人だったっけ。そうだ何か条件を出してみようかな〜……と思ったけど、別に今私が彼に望むものなんて──
「あ、パンを買ってくれるなら良いですよ」
「安いレディですなぁ……我が誘っておきながら心配になりますぞ……」
哀牙探偵は車から降りて助手席を開け、私に座るように促した。自称"ゼントルメン"なだけはある。「お邪魔します」と助手席に腰掛けると、彼は運転席に戻って得意気に言った。
「光栄に思いなされ。この助手席に座るのは貴女が第一号ですぞ」
「哀牙探偵、友達居ないんですか?」
私の問い掛けに哀牙探偵は何も答えず、ギアを入れて車を発進させた。見た所年季が入っている車なのに、私が第一号なんておかしい。再び「ねえ友達居ないんですか?」と同じ質問をするが無視されたのでこの話はもう止めておこう。
高速に乗り一時間ほど走った所にあるサービスエリアにて、テレビで話題のパンと紅茶を買って貰う。ここのパンは一度食べてみたかったんだよね。嬉しいな。
フードコートで食事を終えた後は再び高速に戻って目的地へ走り出す。哀牙探偵、牛串とか角煮まんとか意外と渋いものを食べてたな。もっと洋風の料理を買うと思っていた。そう言うと哀牙探偵は「イメエジの押し付けはナンセンスですぞ」と指を振った。
そんなこんなで他愛ない話をしている内に高速を降りて、車はどんどん山奥へ入っていく。時計はすでに昼過ぎを差していた。いくつもの山を越え、哀牙探偵が車を停めたのは人里離れた森のひらけた場所。目の前には、一本の頼りない橋が掛かっている。
そして冒頭に戻る──。
「ところで、そちらの方は?」
「あ、私は……」
「我が助手の苗字 名前殿です。こう見えてなかなか役に立つのですよ」
「哀牙探偵、何言って……ヴッ」
抗議しようとしたら常夜さんの死角から肘で小突かれた。「どういうことだ」の意味を込めて小突き返す。「良いから」と小突かれる。「なんで」と小突き返す。「黙っておられよ」と小突かれる。そのやり取りを何度か繰り返していたら、哀牙探偵は口元に指をあてて「シッ!」とか言い出す始末。……まあいいや合わせておこう。
「はい。私はこちらにおわす哀牙探偵の助手です」
「助手さんでしたか。それではご案内します」
背を向けて歩き出す常夜さんから数歩遅れて付いて行く。小声で「私も行くんですか?」と問うと「ここまで来ておきながら何を今更?」なんて返される。『私の意思じゃないですけどね!』『麗らかな陽光はどこ行ったんですか!』と文句を言いたいところだけど、依頼人の手前、そんな事は出来ない。騙されたものは仕方ないと諦めることにした。
「村では『探偵』という言葉を控えて貰っても良いですか? 私の事も名前で読んで下さい」
「承知ですぞ、常夜殿」
「わかりました、常夜さん」
頷きながら橋を渡る。ロープで吊るされている古びた橋は大人二人くらいなら横に並んで歩けるほどの幅があり、下には川がさらさらと流れていた。歩く度にギシギシ揺れるのが恐ろしい。大丈夫かなこれ、落ちないかな。
それにしても、『探偵』という言葉は控えるってことは、いつもと違う呼び方を意識しなければいけないのか。
「星威岳さん」
「名前殿」
タイミングよく声が重なり、思わず顔を見合わせる。どちらも互いの呼び方が予想外だったようだ。
「何でいつも名字で呼ぶくせにいきなり下の名前なんですか?」
「貴女こそいつも通り我が偉大なる名を呼べば良いではありませぬか。不自然不親切不愉快極まりない愚行ですぞ」
「そんなに極まってましたか!?」
くだらない言い争いをしているうちに常夜さんはさっさと先へ進んでいた。私と星……哀牙さんは、足早に彼女の後を追いかける。橋から村までは特に目印もなく、彼女に付いていかなければ絶対に迷うであろう道のりだ。
十分程歩いた頃、古ぼけた朱色の鳥居があった。どうやら村の入口のようだ。それをくぐり、また村の端を歩いていく。
到着した常夜さんの家は村のはずれにあった。ぽつんと佇む一軒屋は、瓦屋根に格子柄の引き戸、庭には赤い彼岸花……と昔ながらの風情があった。
客間へ通されてお茶をいただく。爽快な若葉の香りと抹茶のような独特な後味が癖になる。どうやらこの村の特産品のようだ。
「この家にはお一人で住んでいらっしゃるので?」
「はい、両親は五年前に亡くなりました」
常夜さんは棚に置いてある写真立てに視線を移す。それは親子三人で楽しそうに笑っている写真だった。
「……ご両親とあまり似ておりませぬな」
「あ、哀牙さん! 失礼ですよ!」
「いいんです。私もそう思っていますから」
常夜さんは写真立てをじっと見つめ、儚い笑みを浮かべる。確かにそう言われれば似てないような、でも似てなくもないような……。写真と常夜さんを交互に見ていると両親について語り始めた。
「五年前、両親と橋を渡っている時に、老朽化で橋が落ちてしまい川に落ちたんです。そのまま両親は亡くなり私だけが助かりました。けど事故のせいで私はそれ以前の記憶を失ってしまって……それからは村長が本当の親みたいに私の世話をしてくれています」
常夜さんが失ったものは両親だけではなく、事故以前の記憶もらしい。重い空気になったのを察したのか、常夜さんは切り替えて本題に入る。
「それで依頼の件ですが、この村では毎年行方不明者が出ている……みたいで、それを調査して欲しいんです。私が村人の失踪に気付いたのは二年前からです。けど実際に人が居なくなり始めたのは三年前から、だと思います。もう六人も見知った人が居なくなっていますから」
先程から常夜さんの言葉は歯切れが悪い。一度記憶を失ってから自分の記憶に自信がないのだろう。
「毎年この時期になると、昨日まで居たはずの村人が二人消えるのです。皆に行方を尋ねても『知らない』としか答えなくて、それ以上は聞けず……。ですが、去年もこの時期になると例年と同じように二人の人間が消えてしまい、居てもたっても居られなくなった時にちょうど新聞の端に哀牙探偵事務所の広告を見付けました」
私も見たなぁ、『ペット探しからハサミの場所、手品の助手、好敵手、超常現象、何でもござれの哀牙探偵事務所。まずはお気軽に相談を!』みたいな事書いてあった。もう"探偵"じゃなくていいじゃんって思ったっけ。
「村の人達は何かを隠している気がするんですが、確証はないし大ごとになっても困るので、警察ではなく探偵さんに相談しました」
「成程、利口な判断ですな」
こくりと常夜さんは頷く。彼女は真面目に同意しているようだが、哀牙探偵は調子に乗っているだけだ。
「それと、私はこの時期になると夢を見るんです。この件とは関係ないと思うんですけど……」
「夢?」
「……私が、鬼を射殺す夢……」
常夜さんは壁に掛かっている弓矢を指した。漆塗りに朱色の紐が巻き付けられている大きな弓の傍らに、綺麗な羽のついた矢が寄り添うように置いてある。安全のためか矢尻は何も付いていない。常夜さんいわく、その弓矢はこの村で行われる祭りの大事な祭具らしい。
父は神主・母は巫女としてこの村に代々伝わる祭りの儀式を担っていた為、遺品として今も弓矢はこの家に置いてあるようだ。
「その夢を見た翌日、村人が二人居なくなってるんです。もしかしたら、あれは夢ではなくて本当に……なんてあるわけないですよね。忘れて下さい」
常夜さんは自分の言葉の現実味のなさに呆れつつ、しかしそれを捨てきれないといった様子だ。
「ちなみに儀式というのは?」
「"鬼射祭"というお祭りです」
「オニイリサイ?」
「村へやってきた悪鬼に、神主が清めた矢を巫女が射つことで邪悪を払い村の安寧を願うものですが……五年前に両親が亡くなってから中止になりました」
「お二人の子である常夜殿に代替わりはしなかったのですか?」
「はい、してません」
哀牙探偵の問いに、常夜さんは今までの会話の中で一番ハッキリと答えた。もし常夜さんが一度でも巫女として儀式を行っていれば『鬼を射殺す夢』を見る原因もわかる気がしたのに。
「少し村の調査へ出掛けても宜しいかな?」
「ええ。村には私の友人として通っているので大丈夫です。でも念の為お気を付け下さい」
特に村長には、と小さな声で言った彼女の言葉を私は聞き逃さなかった。
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Smotherd mate